Fireside Chats

ファイアーサイド・チャット=焚き火を囲んだとりとめない会話のかたちで、広報やPRの問題を考えて見たいと思います。

メディア文化の覇権を目指した鹿内春雄の戦略

2005年03月12日 20時54分38秒 | ブランディング
インターネットがいまだ登場しない20年前に、メディアの変身をリードした男がいた。
フジサンケイグループの議長だった鹿内春雄氏である。
当時の彼の抱いていた問題意識は「ニューメディア」時代の到来にフジサンケイグループはどう立ち向かうかだった。

手元に、「メディア軍団 0号」という1985年7月16日発行の資料がある。
フジサンケイコミュニケーショングループのCI推進室が発行するグループ内の情報誌で、面白いことに40歳以下の社員にのみ配られたものだ。
ここに発行前日に行われたフジサンケイグループ全体会議での鹿内春雄氏のスピーチの口述筆記が掲載されている。
この中で鹿内氏は、

>皆さん方もご存じのようにニュ」メディア時代、ニューメディア時代ということが言われます。
>で、テレビは変化するだろう、新闇は変化するだろう、ラジオは一体全体、中波は存立しているのどうか、
>FM放送はどうなっているんだろうか……いろんなことが言われております。
>これは全部、我々の企業を取り巻く環境でございます。
>したがって我々としては、この環境を黙って見過ごしていくわけにはいかない。
>一体全体どうなるんだろう、その中で我々はどうやって生きていけぱいいんだろうということを今、
>真剣に討議する時期ではないだろうかということから、2年以上前にこの作業にかかったわけです。

と前置きした上で、「フジサンケイグループはメディア文化の覇権を目指す、戦闘軍団である」とのスローガンを掲げ、

>皆さん方には、恐らく耳にタコができるぐらいなじみの深い言薬になったであろう「ニューメディア時代」。
>実は私、この「ニューメディア時代」という言葉が大嬢いなんです。なぜかというと、
>新しく出てくるニューメディア、それの時代であるならぱ、我々はオールドメディアなのか、
>既存メディアなのか、その時代は去ってしまうのか、我々の時代はもう古くなっちゃうのか。
>そうじゃないと思う。このニューメディアという、すぺてがとって代わるような呼び方というのは、
>私は必ずしも真理を突いている言葉ではないと思いますんで、私自身は好んで使っていない。
>むしろ、「新たなるメディア文化の時代」ということを言ってるわけです。

彼は、メディアの変化が、次の3つの複合で訪れると指摘します。
1)新たに登場するデジタルメディア。
2)それらと相互補完関係を構成する既存メディア。
3)ビル・ファッション・イベントなど従来はメディアとみなされなかったもののメディア化。
この3つの変化がアウフヘーベンし、新しい「メディア文化」の時代が到来する。
その時代の覇権を握るのは、そこでいかなるコンテンツを送り出せるかであり、ハードではなくソフトこそが死命を決すると訴えています。

メディア変化の時代には、三井・三菱・住友・安田などの財閥や東急・西武などの企業集団、そして新日鐵・トヨタ・NTT・AT&T・IBMなどの参入も覚悟しなければならないだろう。
このような大企業に伍してフジサンケイグループは存立するのか。
いかなる大企業が立ち現れようと、それに負けないだけの能力をフジサンケイグループは持っている、それは人を感動させる力だ、と喝破します。

>皆さん方の扱っている産業-新聞を含めてテレビであろうがラジオであろうが、
>すぺて人間の知恵、科学技術というものの中から生まれてきたものです。
>ただし、その中でお分かりいただきたいのは、その科学技術が大きな産業を生んだのではないということ。
>印刷技術というものは、決してそれ自身は強くはなかったけれども、そこにソフトというものが生まれてきて、
>そのソフトが発展したときに初めて大きな産業になり得た。
>テレビもそうです。向こう側にいる人がただこっち側に見えるという技術や機械だけでは、
>これは大きなものになり得なかった。そこのところに人々が楽しみ、新鮮な感動を得、驚き、
>そして人間くささ、人間のドラマ、喜怒哀楽というものを感じていったときに初めて一つの産業に進み始める。
>そしてそれが今日、マスコミ業界という非常にパワフルな業界に育っているということが言えると思います。
>つまり、どんなに素晴らしい技術であっても、そこに素晴らしいソフトがつかなげれぱ
>決して大きなパワーにはならない。

>お祭り好きと言われようが、事業屋と言われようが、イベント屋と言われようが何と言われようが、
>熱気をつくっていく、社会現象をつくっていく、流行現象をつくっていく、
>そういうカは他のマスコミグループには絶対引けを取らない。
>我々がもし勝つとしたならぱ、これだけが勝てる最大のプラスメリット、
>我々の武器ではないかなというふうに考えている次第です。

「楽しくなければテレビじゃない」のキャッチフレーズはこの基本認識の下で生み出され、それらのシンボルがあの目玉マークだった。
この戦略は見事に成功し、フジテレビは暫く視聴率独走時代を突っ走る。そのエンジンとなったひとりが、当時の日枝編成局長だった。
・徹底した娯楽路線の追求
・夢工場などイベントとの連動
・グループ各社連携によるシナジー効果
など、テレビの枠にとどまらない柔軟でダイナミックな展開が勝利の方程式だった。

「ニューメディア」を「インターネット」に置き換えれば、鹿内氏の問題意識は今日でも少しも古びていない。
「財閥」を「IT企業」に置き換えれば、競合環境はより切実である。
鹿内氏が今日ありせば、今回のニッポン放送株問題にどう対応しただろう。
おそらく、「既存メディアとインターネットの融合の具体像が不分明である」としてかたくなに耳を貸さない姿勢はとらなかったのではあるまいか。