Fireside Chats

ファイアーサイド・チャット=焚き火を囲んだとりとめない会話のかたちで、広報やPRの問題を考えて見たいと思います。

人生いろいろ。ジャーナリズムもいろいろ。

2005年03月22日 22時49分25秒 | 参加型ジャーナリズム
ホリエモンの不用意な発言が、ジャーナリストからの反発を招いているようだ。
例えば、江川紹子ジャーナルで紹介された、

「新聞とかテレビを、我々は殺していくんですけど、自分たちが(新聞やテレビを)持ちながら殺していった方が、効率がいいかなと思って」

そして、3月5日の毎日新聞堀江社長との一問一答で語った発言、

「みなさんが考えるジャーナリズムは、インターネットがない前提でのお話なんです。インターネットがない時代はもしかしたら必要だったかもしれない。しかし、今は必要ないと私は言い切ってもいいと思う。なぜ必要ないかといえば、興味のあるネタはインターネットで自分で探せるようになっている。(ネットには)いろんな意見がある。いろんなことを考えている人がいて、それを並行して見ることができて、自分の考え方の形成に役立つ。これまでは新聞が報道しないと正しくないとみんな思っていたが、そうじゃなくなってきている。ネット上はみんなが正しいと思った情報はすごく広まる。そうやって世論が形成されていくようになっていく。少しずつ影響が社会に出てきている。」

その極端な言い回しが、既成ジャーナリストのプライドを傷つけたと見え、大手メディアのジャーナリストからの反発しきりである。
例をあげれば、毎日新聞の岩見隆夫氏のサンデー時評

岩見氏の意見に全面的に賛同するわけではないが、既成ジャーナリストの役割を軽視することは間違いだと思う。
ニュース系のブログを見ても、新聞をはじめとする既成ジャーナリズムの報道を元に議論が展開されていることは明らかである。一次情報を報ずる新聞や雑誌やテレビなどの存在は絶対に必要だ。

問題は、これらの既成ジャーナリズムが構造的な行き詰まりに追い込まれていること。

例えば、偏向報道や誤報の存在。
・朝日新聞はNHKに対する安倍晋三圧力報道をいまだに誤報と認めていない。
・ライブドア報道でも飛ばし記事が多すぎはしないか。
・三井住友銀行と大和證券は合併するのしないの?

その一方、報ずるべき事実に目をつぶる。
・なぜ、コクドの節税経営を知っていながら批判しなかったのか。
・読売新聞1000万部の嘘をなぜ暴かないのか。
・大阪高検三井環事件が検察のでっち上げであることを追及しないのか。
・岩見隆夫は政策報道よりも政局報道のほうがニュース価値があると思っているの?
・日枝邸の鹿島利益供与疑惑の実態はどうなの?

加えて、悪名高きメディアスクラムである。
・水に落ちた犬を叩きまくるのは醜悪ではないか。
・遺族の鼻先になぜマイクを突きつける。
・新聞休刊日が全紙一緒なのっておかしくない?

このような、既成ジャーナリズム同士なれあいの現状を見るにつけ、新しいジャーナリズムの登場を心待ちしたくなる。
「マスコミひょうろん」の頃からの岡留安則ファンとしては、「噂の真相」のような硬骨のジャーナリズムがまた出てきて欲しい。
既成ジャーナリズムには、今度の騒ぎを他山の石に、ネット時代のジャーナリズムの役割を再考して欲しい。

既成ジャーナリズムだけが、信頼にたるジャーナリズムだとの幻想からはそろそろ脱却しましょうよ。
サンケイ新聞一紙ぐらい、今までと違うジャーナリズムに変身してもいいじゃない。
人生いろいろ、会社もいろいろ、新聞もいろいろのほうが、もっと面白くなると思うんですけど、どうでしょう。