goo blog サービス終了のお知らせ 

Fireside Chats

ファイアーサイド・チャット=焚き火を囲んだとりとめない会話のかたちで、広報やPRの問題を考えて見たいと思います。

プロ野球衰退の原因は人口問題?

2004年09月06日 17時46分12秒 | 参加型ジャーナリズム
最近私が注目しているプロジャーナリストの運営するブログとして、UFPがある。
日経の流通部からロサンゼルス支局長をつとめ退社した森摂氏が主宰するサイトで、フリーのジャーナリストがそれぞれの問題意識に従い記事を執筆している。
いわば、フリージャーナリストが定期刊行物への執筆や調査レポートを受注するためのショーケースという趣きのサイトだ。
ジャーナリストは日本とアメリカ西海岸を中心に世界中に散らばっていることから、「国境無き記者団」を標榜している。

共同通信ブログがきっかけとなった「参加型ジャーナリズム」の議論は、湯川鶴章さんのブログをハブとして、実りのある展開を見せているが。湯川さんと森摂さんは、同じ時期に西海岸で取材活動に挺身しており、お互いに面識があるとのこと。
UFPはプロジャーナリストによるサードパーティとして、参加型ジャーナリズムの時代の貴重な書き手としてのポテンシャルを持っているといえようか。

その森摂さんが、揺れるプロ野球、本当の原因は『人口問題』という、彼自身にとっては初めてのエントリーをアップロードしたので紹介したい。

日本の人口が2006年以降減少に転じ、内需依存型企業の経営環境は悪化の一途をたどる。
輸出できない鉄道業は人口減少の影響をもろに受けるはずで、「日本最大の私鉄」近鉄のプロ野球撤退は当然の経営判断だったとさえ言える。
翻って、「輸出ができない」という点では、プロ野球も同じであり、1リーグ制や廃線などのダウンサイジングを甘んじて受け入れるしかないだろう。

というのが、その主旨だ。

「2006年問題」と呼ばれる人口減少のトレンドははなはだしく、森さんによると、2006年から2050年までを平均すると、毎年61万人減少するらしい。相模原市とか岡山市が毎年ひとつずつ消えていく計算だ。
NIRAの推計によると、日本の人口は500年後に15万人になるらしい!?
それは冗談としても、これから始まる人口減少が、社会のあらゆる面に影響を与えるだろうということは想像に難くない。
とはいえ、私としてはプロ野球経営者には、「人口減をいいわけの理由にせず、企業努力せい!! 」といいたい。

森さん自身も、
>僕は野球にしろ、他のスポーツにしろ、スポーツを国際化することが不可欠だと思っています。

として、アイスホッケーが先鞭をきった「アジアリーグ」に可能性を見出しているようだ。




『署名で書く記者の「ニュース日記」』への3つの期待

2004年08月31日 20時50分59秒 | 参加型ジャーナリズム
お帰りなさい。小池さん、伊藤さん。

共同通信社内調整ひとつとっても、2ヶ月間ご苦労が多かったことと拝察します。
一方、このブログが契機となり、ネットの中でもさまざまな建設的な議論が巻き起こりました。
伊藤さんの書かれたこれは双方向というよりは、もっと多次元のやり取りですね。というのがそれです。
再開されたこのブログに期待したいのは、この2ヶ月の空白とその間の熟成を踏まえ、参加型ジャーナリズムの意欲的な実験を進めていただきたいということです。
そのために、以下の3つの点をご提案したいと思います。

■署名記事としての矜持を

今年の終戦記念日の石原都知事の靖国参拝で、共同通信は“自身の参拝が公人としてか私人としてか、という点については「都知事でもある石原が、ということ。人間はいろんな面を持っている」と述べた。”との記事を配信しました。
かつて、芦田内閣の副総理だった西尾末広氏が、当時の土建献金疑獄で「社会党の書記長である西尾個人」が献金を受領したと発言し、マスコミから批判されたことは、小池編集長はよくご存知と思います。私の乏しい知識では、これが今につながる公人私人論のはじまりです。
私は、靖国参拝における公人私人論にさほど意味があるとは思いませんが、おふたりの言論の責任が個人に帰属するのか、組織に帰属するのかという点については明確にする必要があると思います。
その意味で、当該の記述は「CH-K」編集長である僕個人の評論であり、共同通信の公式見解ではない。という小池編集長の表現はいただけません。
前半の「編集長である僕個人」というあいまいな言いまわしは不要です。「僕個人の評論であり、共同通信の公式見解ではない。」で充分ではありませんか?
それぞれのエントリーは署名記事の一種であり、その責任はすべて個人に帰着するというのが言論人としての矜持と思いますが、いかがでしょう。

■謝罪する勇気を

であるとするなら、小池編集長は、堀江社長に謝罪する勇気を持つべきです。
ワイツゼッカー元大統領が言うように「過去に盲目である者は、未来にも盲目」なのです。
個人攻撃ととれる表現だったことは確かで、反論や批判が寄せられるのは当然だ。僕自身、反省している部分もある。と小池編集長は書いています。
不祥事企業の社長が記者会見でこんな発言をしたなら、「謝罪しているのかいないのかどちらなんだ」との質問が記者から飛ぶことは小池さんも伊藤さんも理解できるでしょう。
他に求めながら、自らは問いかけから身をかわすことはフェアではありません。
言論人としての品格の問題でもあります。

■メディアスクラムへの批判精神を

コメント欄に寄せられた心ない罵詈雑言に心を痛められたことは想像に難くありません。私は、コメントの受け入れはOFFにして、トラックバックは受け入れるというのが正解と思っています。
ともあれ、今回の騒動は、メディアがメディアスクラムの対象になった事例です。
そして、一般人に対するマスコミのメディアスクラムへの反発が、今回の小池編集長に対する批判の根底には存在し、その意味でナベツネ氏の「たかが選手」発言への反発と通底するものがあると、私は感じています。アンチマスコミ感情のスケープゴートになったとの解釈です。
そこで、ネットメディアのメディアスクラムを経験されたお二人だけに、マスコミのメディアスクラムを批判的に見つめる視点と、それへの積極的な発言を期待したいのです。



とまあ、勝手な希望を書き連ねましたが、改めておふたりの復帰を心から歓迎するとともに、今後のご活躍と、このブログを中心とした、闊達でインタラクティブなディスカッションに期待します。

ライブドア 報道部門を設置

2004年08月29日 22時24分01秒 | 参加型ジャーナリズム
ライブドアが発表したプレスリリースを見てみよう。

2004.08.26
ライブドア、報道部門を設置し独自のニュースコンテンツを提供

■概要
株式会社ライブドア(代表取締役社長 兼 最高経営責任者 堀江 貴文 東京都新宿区:証券コード4753)は、総合ポータルサイトlivedoor(http://www.livedoor.com/)内の「livedoor ニュース」で、11月を目標にポータルサイトでは初めて独自の報道部門を用意し、オリジナルのニュースコンテンツをご提供してまいります。併せて、掲載コンテンツを大幅に拡充するなど、読み応えのあるニュースサイトにしてまいります。


ジャーナリズムの地殻変動の始まりなのだろうか。
大新聞の多くや国営放送など、日本の主要報道機関経営トップの老害傾向が目立っているときだけに、ライブドアの無謀とも思える挑戦には、フレッシュさへの期待を感じる。

堀江社長の2004年07月29日の「livedoor 社長日記」を読むと
7月末~8月頭にライブドアニュースの大幅配信記事増強を考えていたんだけど、順調に進んでいた読売新聞の記事配信がなぜかキャンセルされる。なぜだろう・・・。読売なくてもニュースサイト的には平気な気もするけど、どうだろう?
と書かれている。

現在のライブドアニュースの配信元を見ると、朝・毎・共同・時事を筆頭に、ダウジョーンズ・ゲンダイネット・ニッカンスポーツ・サンケイスポーツ、IT系メディアなど、広汎に情報を受けている。

今後の注目は、ライブドアが報道分野に進出したとき、これらの既存マスコミが今後ともニュースを配信してくれるかどうかだ。
率直に言って、記者クラブ制度という悪名高き護送船団に安住している既存マスコミは、既得権益擁護のため、ライブドア排除に走る惧れがある。
かつて、ブルンバーグが日本に進出した際も、記者クラブの門戸を閉じ強烈な妨害を行った。
近くは、田中康夫知事が記者クラブを開放した問題でも、マスコミの知事イジメは甚だしく、今も続いている。

ライブドアのニュースリリースによると
既存の報道機関とは異なる視点から多様なニュースを取り上げることによって、新しいスタイルのニュースコンテンツを提供していきたいと考えております。(登録を目指す方々への講習・研修制度や記事に対する評価制度など、記事の品質を高めるため様々な工夫も用意してまいります。)また、大手マスメディアが扱いきれない多様なニュースを取り上げることによって、ジャーナリズムのあり方に一石を投じるものと考えています。
とある。
既存マスコミとの軋轢は避けられないかもしれない。

既に、読売は記事配信を止め、日経はそのポリシーから自社サイト以外の配信は行っていないわけだが、他の既存マスコミがこれに同調することはありうるのではないだろうか。
例えば、毎日新聞のサイトは既にMSNと提携している。MSNはライブドアと競合することから、毎日がどう判断するかだ。
仮に毎日が引き金となり将棋倒しが起これば、ライブドアニュースの先行きは不透明なものとなろう。
ライブドア独自の約40人体制の報道部門だけでは幅広い取材をカバーすることは不可能だし、記者クラブ経由のニュースの取材に制限があるからだ。

こう考えてくると、既存マスコミ系の記事配信をどう確保するかが、ライブドアニュースの成否を決めるように思われる。
既存マスコミのうち、中央紙はライブドアと相性がいいとは思えない。朝日・日経はそれぞれ自社サイトを育てようとするだろうし、毎日は既にMSNと提携し、読売はナベツネ氏の存在が障害となるだろう。あえて可能性を求めればサンケイかもしれない。
ここで浮かび上がってくるのが通信社とのエクスクルーシブな提携である。
共同通信・時事通信・ロイター・ブルンバーグといったあたりと提携できれば、面白い展開に発展する可能性がある。
共同通信は社団法人で加盟社である地方紙の意向が強く反映することから、提携はさほど容易ではない。ロイター・ブルンバーグは海外には強いが、国内が弱体である。残る選択肢は時事通信だろうか。

結局のところ、サンケイ新聞か時事通信と記事配信の契約を締結できると、今回のライブドアの挑戦が大化けする可能性もないとはいえない。
堀江CEOはネクタイを締めて、この両社にアプローチする必要があるのではないだろうか。


参加型ジャーナリズムを考える

2004年08月14日 09時52分52秒 | 参加型ジャーナリズム
湯川鶴章氏は、時事通信編集委員という社会的立場を公開しつつ、"全く個人的な立場で"「ネットは新聞を殺すのかblog」を運営している。その文章には、常に良質なジャーナリストとしての真摯なまなざしが感じられることから、いつも愛読している。
同様に受け止める人が多いからなのか、5月中旬にスタートさせたブログであるにもかかわらず、日を追って来訪者が増え、多くにコメントやトラックバックが寄せられるサイトとなった。

このサイトでは、参加型ジャーナリズムはいかにして確立しうるのかという明快な問題意識のもと、きめ細かくチェックした国内外の情報を踏まえての主張が展開されているが、参加型ジャーナリズムをめぐるちょっとした論争というエントリーでは、「ジャーナリストとは何か?」という本質的なテーマについて、問題提起がなされている。

その中で、朝日新聞OBの本郷美則氏のジャーナリスト論が紹介されているが、私は、参加型ジャーナリズムを担うのは、必ずしもジャーナリストだとは考えていない。
参加型ジャーナリズムをジャーナリズムたらしめるのは、ジャーナリスト個人ではなくプロセスなのではないだろうか。
情報が集まり、選別され、相互に結びつき、オピニオンが加わり、時に対立することもある複数の論旨が相互作用により形成されるプロセスにこそ参加型ジャーナリズムの本質が存在するような気がする。


【擬似当事者】

では、どのような人が参加型ジャーナリズムに参加するのだろう。
ここでまず、「擬似当事者」という概念を提示したい。
私はインターネットとは擬似当事者を量産するシステムだと思っている。
BBSであれ、ホームページであれ、ブログであれ、何かを発言するということは、その問題にコミットするということである。
自らの発言が、誉められればうれしいし、否定されれば気が滅入るか反論したくなる。
注目されるためには、あえて奇矯な発言をしたり、時にはデマの流布もいとわない。
名誉欲とまではいわないが、「注目欲」「対話欲」(こんな言葉ないですね)が生まれ、その問題への関与度が高まる。
こうして、発言者はあたかも自分が当事者であるかのような認識を持つに至るのである。
これが「擬似当事者」で、これまでもネットの中の「まつり」では何人も擬似当事者のスターが生まれている。

代表的事例を挙げてみよう。
・1994年のインテルのペンティアム誤計算事件では、4195835÷3145727で誤計算が発生することをつきとめインターネットで発表したC氏がスターとなった。
・1999年のユーザーサポート問題では、公表された音声ファイルの素材を使ったジョーク音楽が、私の知る限り7作品ほどあったが、中でもプロミュージシャンのH氏が発表した「クレーマーラップ・テクノパージョン」は今聞いても笑える。
・エンロン破綻の際にも多くのエンロンジョークが発表されたが、「北朝鮮は核査察を受け入れるそうだ。査察するのがアーサー・アンダーセンならという条件付だが。」というのは傑作だと思う。
その他にも、説得力を持つ発言を重ねる人、時系列でのデータや発言のログ、FAQなどをまとめる人などに注目が集まり、ネットの中にはさまざまな擬似当事者が生まれる。この擬似当事者が参加型ジャーナリズムの参加者だ。

8月2日のエントリーに書いた共同通信記者ブログのライブドア騒動で新しい動きがあった。「ニュース日記」のコメント欄に、小池新編集長の名を騙るニセモノが現れたのだ。
「2004年08月12日 14:23」のタイムスタンプを持つ「Livedoor社長はなぜピンと来ないのか by Quasi 小池 新」がそれである。
擬似当事者の中には、当然のように、こんな流言蜚語を飛ばす愉快犯が現れる。このようなノイズを排除しサイトのクレディビリティを高める必要がある。


【書き手と読み手】

そこで、参加型ジャーナリズムでは、デマを排除し、優れた書き込みをクローズアップするプロセスをどうビルトインさせるかが問題となる。
その観点から、優れた「書き手」の存在が前提であることは言を俟たないが、優れた「読み手」が必要であると考える。
これまで新聞社においては、デスクと整理部とが出稿記事の読み手であり、ニュースバリューを評価していた。
ブログジャーナリズムでは、読み手の主力は読者サイドに移るのだろう。読み手は書き込みをその行間まで読み取り評価するとともに、他の書き込みとの関連性を考える「繋ぎ手」としての機能も求められるだろう。
湯川氏のブログにあるデーブ・ワイナー氏の発言はその意味で参考となる。
参加型ジャーナリズムの成否を決めるのは情報発信が少ないゆえに埋没しがちな「読み手」をどう発掘し、確保するかではないだろうか。
また、「読み手」が報道機関の内部にいるのか、一般読者の中に求めるのかは、そのジャーナリズムのビジネスモデルそのものの枠組みを決定することになると思う。当然、私は後者のほうがインターネットの性格にフィットし、ポテンシャルも大きいと考えている。