6時に目が覚めたわたしはすこしの間、布団の中で横になっていたが、もうこれ以上は眠れないというところで起床。
孫たちは3学期がきょうから始まるので、すでにきのうのうちにそれぞれの家に帰っていった。
いまここで義母を見ているのは、妻と三番目の妹さんとわたしの3人。
昨夜、呼吸が浅くなりかけたものの、なんとか朝までもちなおし、いま現在は何事もなかったように眠っている。
顔を洗ったあと、3人分の七草がゆをつくりに台所へ行く。
最近では春の七草をパックにしたものがスーパーで売っている。パッケージにあるイラストから「はこべら」「すずな」「すずしろ」は判別できたものの、あとの4種の草がどれなのか、わたしにはさっぱりわからない。とりあえず細かくきざんで、うす味にしあげる。
朝食のあと、することがないので録画してあった「トンイ最終章スペシャル」を見ていると、妻がわたしを大声で呼んだ。
義母の心音は微弱になり、呼吸も非常に浅い。いよいよ覚悟するときがきた。
わたしは彼女の右手をにぎりながらじっとようすを見まもる。
15分くらいそうしていたであろうか、とつぜん義母は大きく口を開け、声にならない声を発した。そのあと呼吸が止まり、彼女はしずかに旅立っていった。大往生であった。
にぎった手はまだ温かい。まるで気持ちよく眠っているように見える。わたしはその寝顔を1枚だけ写真に収めた。
在宅で看取った場合、ここから迅速に動かねばならない。
いつも来てもらっている看護士に連絡し、死亡確認をしてもらう。あらかじめ決めておいた葬儀屋にも連絡する。きのうまでに帰っていった親戚にもとりあえず連絡するが、葬式の段取りが決まるまでは動きようがないので、現状報告のみをつたえる。おどろいたことに、9歳になる甥っ子の夢に祖母が現れ、別れを告げたという。こんなことが本当にあるのだなあ。
ほどなくして医師と看護士がやってくる。葬儀屋もやってきて葬式等のうちあわせ。
棺桶のデザイン(グレード?)からはじまり、お通夜の場所や葬式の会場の大きさ、香典の受け取りの有無、香典返しの中身と個数、そしてお坊さんの人数やらその謝礼とお車料その他の費用……これでもかというくらい細かい段取りがあって、悲しみに暮れている暇もあたえないほどだ。
気がつくとお昼をとっくに過ぎている。
腹が減ったので手早くスパゲティを茹で、3人で遅い昼食をたべる。
こういうことは一生に一度か二度しかないので、その時その場で判断して動くしかないから、慣れるということはない。わたしはできるだけ落ち着いたフリをしているけど、だれだってアタフタするものだ。
ただ近くに兄弟姉妹や伴侶がいれば、なんとかなるのだと思う。本当の悲しみは全部おわったあとからやってくるのかもしれない。