Happyday of LUCKY

日々の気付きと感謝を忘れないように綴るページ

冬には冬のたのしみ

2014年01月19日 | Life


きょうは奈良と三重の県境にある大峰山系のひとつ三峰山(みうねやま)へ霧氷を見にいく。
去年、登山口でもらった簡易な地図だけを頼りに登ったら、下山のルートをまちがえて恐い目にあったので、今回は国土地理院のウェブサイトから1/25000のマップをダウンロードしてもっていく。
それと登山用のガスバーナーも手に入れたので、山頂でカップ麺をたべるのがたのしみ。


なだらかな道を不動滝まで歩き、そこからやや急勾配の登山道を登っていく。
10年くらいまえと比べて、たしかに女性の登山客がふえたなあ。


2時間くらいで山小屋に着く。山頂まであと30分くらいだが、まずはここで腹ごしらえ。
極寒で食うカップ麺の旨いことよ。


山頂に到着。地上ではお目にかかれない美しい霧氷ができている。やっぱり来てよかった。
それにしてもきょうの風は強い。体感温度はマイナス20度くらいか?


登山口に降りると、地元の村役場の人たちが甘酒をふるまってくれた。冷えた身体があたたまる。
霧氷号に乗って榛原駅に向かう。帰りに居酒屋でおでんと真澄を食らう。
たのしい一日であった。

極寒から極楽へ

2014年01月12日 | Photography
ようやく自由になる時間ができたので、きょうは久しぶりに暗室作業をする。4ヶ月ぶりか。
わが家の風呂場は極寒なので保温器を3台置いて、その上にそれぞれ処理液バットを置く。
まずは現像済みフィルムのベタ焼きから。



昨年の写真展「REBORN」以降、あたらしい作品をつくるためにペンタックス67で撮っているが、6×7というフォーマットは120フィルムの場合、10枚撮りになる。この10枚という枚数は、六切りの印画紙では非常にベタ焼きが取りにくい。
現像所にフィルム現像を頼むと、2枚ずつにカットされて返ってくるので、これはもう最悪である。なので、わたしはカットせずに長巻きのまま返却してもらって、自分で「1+3+3+3」という枚数でカットする。

1枚だけにするコマは必ずしも1枚目とはかぎらない。長巻き状態でチェックして、できるだけダメなコマを1枚にしてカットする。
そうしておいて、ベタ焼きのときは3枚連なったフィルムを3本ならべて(つまり9枚分)焼き付けている。あとの1枚は9分割した小さな印画紙の上に置いて、べつのベタ焼きをつくったりもするが、ダメなコマのときはもう焼かない。
6×7を使っている人たちはいったいどのようにしているのだろうか。だれか教えてほしい。



さて、ベタ焼きができあがり、久しぶりのプリント作業。
はじめに去年の10月に行ったバイクツーリングのときの写真を焼く。3ヶ月ほどまえに撮った写真なのに、モノクロプリントにするとなぜか懐かしい感じになる。
きょうの印画紙はチェコスロバキアの「フォマ」というメーカーのもので、紙の色がややグレーがかっているためか、ハイライトの抜けがわるく、全体のコントラストが低い。
よくいえば白黒写真らしい、やわらかい調子なのだが、それが懐かしい感じに見える原因かもしれない。
この日の龍神スカイラインはくもり空で、かえり道には霧雨も降ってきたので、そのときの雰囲気をうまく表現していると思う。

午後から「REBORN」につづく新作のプリントを焼く。
新作といっても、これが作品になるかどうかはまだわからない。このままお蔵入りしてしまうこともあるからね。とりあえず六切りプリントで5枚しあげた。
夕方、暗室作業を終え、道具を片付けて、ついでに浴槽も洗ってお湯を張る。極寒暗室のあとのひと風呂は、えもいわれぬ心地よさである。まさに極楽、極楽。

いのちを見つめたレンズ

2014年01月11日 | Camera


去年の暮れから義母の葬儀および法要に至るまでの約10日間、4人の娘(妻と妹たち)や孫たちのようすを記録しつづけたカメラは、ライカM8であった。
レンズはエルマリート28ミリF2.8とローライゾナー40ミリF2.8、そしてズミクロン50ミリF2.0の3本だ。一番よく使ったのはゾナー40ミリ。
M8のセンサーサイズはAPS-H型なので、レンズの焦点距離に1.33を乗じた数(40ミリなら53.2ミリ)が、35ミリ判に換算したときの焦点距離だ。
単焦点のレンズを使うときに、どんな焦点距離が自分の視覚に合うかは人それぞれであるが、それは単に画角的な好みの問題ではない。その人が日ごろどのように世界を見ているか、という形而上的な世界観や価値観に由来しているのではないかと思っている。



50ミリを標準レンズとするならば、この焦点距離が切り取る約40度(※)という画角は、人間の眼が片目で捉える視野に相当する。(※35ミリ判における長辺方向の画角。対角線方向では47度)
すなわち標準レンズを付けたカメラのファインダーを片目で覗き、そのときに見える映像は、ふだん見ている景色にもっとも近い。

これに対し、広角レンズは文字どおり広い画角を写しこむレンズだ。が、画角が広いからといって、世界が広く写せるかというと、じつはそうではない。
広角レンズというのは被写体に肉薄して使うもので、そうすることによって強い遠近感を生み、背景を被写体から遠ざける効果がある。なので広い世界を見ているようでいて、じつは目のまえの被写体だけしか見ていないことが多い。あるいは意識的に見せようとしていない。

また、望遠レンズはまさに望遠鏡のように、風景の一部分だけを切り取るレンズであるから、そのまわりの世界は見えない。しかも長焦点になればなるほど背景がボケるという特性があるので、じつは被写体以外はなにも写らない、という言い方さえできる。
広角レンズで背景を遠ざけたり、望遠レンズで背景をぼかすことは、写真のテクニックでは「いろは」の「い」であるが、レンズの力に頼った作画ばかりしていると、ものごとの本質を見あやまる。
写真でなにを記録するのか、そしてそれをだれに見せるのか。そのことを努々忘れてはならない。

雪のお見送り

2014年01月09日 | Life


義母の葬式会場に着くと、わたしがこれまで撮りつづけた正月の記念写真が並んでいた。
早く着いた参列者たちはその写真をまじまじと見つめている。
こんなところで展示されるとは夢にも思わなかったけど、こうしてじっさいに並べてみるとわるくない。ちょっとした写真展ではないか。



4人のお坊さんのうちだれかが式場をまちがえて遅れて来たため、予定よりすこし遅く葬式がはじまる。

不敬虔だと叱られそうだが、わたしはお坊さんがお経を唱えているとき、お経に合わせて叩かれる太鼓や鐘の音を注意深く聴いていた。
右手に座っているお坊さんのもつ小さな鐘を引磬(いんきん)というそうだが、これがお経のはじめや切れ目に入って流れにメリハリをつける。左に座るお坊さんは忙しい。木魚(もくぎょ)を叩きながらお経を唱え、ときどき磬子(けいす)と呼ばれる大きな鐘も叩く。木魚がお経のテンポを決め、磬子はブレークするときに「ゴーン」と鳴らす。そのとなりのお坊さんはオーケストラで使うような手持ちのシンバルを両手にもち、「ジャーン」とやったあと重ねあわせて「ビリビリビリー」という音色を出す。これが一番むずかしそう。

中央に座るお坊さんはいわばメインボーカルで、ソロでお経を唱えるときとみんなで合唱するときがある。両手に拍子木のようなものをもって「カチカチ」と鳴らすこともあった。
お経をよく聴いていると全員がおなじ音程ではないことに気づく。中央のメインボーカルに対し、右の人が低音で、左の二人が高音を受けもつ。
そして、あの独特の旋律によって3つの音程は付かず離れず、じつに心地よい和音になっている。この響きが参列者のきもちを落ちつかせ、やがて悲しみが浄化されていく。



1時間半におよぶ長い葬式のあと、BMWの霊柩車に付いて斎場へむかう。外は雪であった。
お骨を拾い、ふたたび葬式場へもどって初七日の法要もおこなう。

法要のあと、お坊さんのありがたいお話を聞く。
それによると、死者の霊はまだ現世をさまよっているらしく、天国へいくためには何度か「裁判」を受けなければならないそうだ。
その「裁判」は7日ごとに開廷され、生前その人がおこなった良いことと悪いことが「裁判官」によって裁かれるのだという。良いおこないが多ければ天国へ行けるが、悪いおこないの多い人は地獄へ行かねばならない。おお、こわい。
現在、日本の現世では三審制だが、あの世の裁判は7回も受けられる。さいごの裁判が結審するのが四十九日(7×7=49)の法要、すなわち満中陰(まんちゅういん)を迎える日ということらしい。

義母の霊魂が無事に天国へたどり着くように、来週から1週間ごとにあと6回も法要が営まれる。お坊さんは忙しいはずだ。

魂の翔びたつ瞬間を見た

2014年01月07日 | Life
6時に目が覚めたわたしはすこしの間、布団の中で横になっていたが、もうこれ以上は眠れないというところで起床。
孫たちは3学期がきょうから始まるので、すでにきのうのうちにそれぞれの家に帰っていった。
いまここで義母を見ているのは、妻と三番目の妹さんとわたしの3人。
昨夜、呼吸が浅くなりかけたものの、なんとか朝までもちなおし、いま現在は何事もなかったように眠っている。



顔を洗ったあと、3人分の七草がゆをつくりに台所へ行く。
最近では春の七草をパックにしたものがスーパーで売っている。パッケージにあるイラストから「はこべら」「すずな」「すずしろ」は判別できたものの、あとの4種の草がどれなのか、わたしにはさっぱりわからない。とりあえず細かくきざんで、うす味にしあげる。

朝食のあと、することがないので録画してあった「トンイ最終章スペシャル」を見ていると、妻がわたしを大声で呼んだ。
義母の心音は微弱になり、呼吸も非常に浅い。いよいよ覚悟するときがきた。
わたしは彼女の右手をにぎりながらじっとようすを見まもる。
15分くらいそうしていたであろうか、とつぜん義母は大きく口を開け、声にならない声を発した。そのあと呼吸が止まり、彼女はしずかに旅立っていった。大往生であった。
にぎった手はまだ温かい。まるで気持ちよく眠っているように見える。わたしはその寝顔を1枚だけ写真に収めた。



在宅で看取った場合、ここから迅速に動かねばならない。
いつも来てもらっている看護士に連絡し、死亡確認をしてもらう。あらかじめ決めておいた葬儀屋にも連絡する。きのうまでに帰っていった親戚にもとりあえず連絡するが、葬式の段取りが決まるまでは動きようがないので、現状報告のみをつたえる。おどろいたことに、9歳になる甥っ子の夢に祖母が現れ、別れを告げたという。こんなことが本当にあるのだなあ。
ほどなくして医師と看護士がやってくる。葬儀屋もやってきて葬式等のうちあわせ。
棺桶のデザイン(グレード?)からはじまり、お通夜の場所や葬式の会場の大きさ、香典の受け取りの有無、香典返しの中身と個数、そしてお坊さんの人数やらその謝礼とお車料その他の費用……これでもかというくらい細かい段取りがあって、悲しみに暮れている暇もあたえないほどだ。

気がつくとお昼をとっくに過ぎている。
腹が減ったので手早くスパゲティを茹で、3人で遅い昼食をたべる。
こういうことは一生に一度か二度しかないので、その時その場で判断して動くしかないから、慣れるということはない。わたしはできるだけ落ち着いたフリをしているけど、だれだってアタフタするものだ。
ただ近くに兄弟姉妹や伴侶がいれば、なんとかなるのだと思う。本当の悲しみは全部おわったあとからやってくるのかもしれない。