花は桜木・山は富士

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台湾人ながらに元日本人として日本の憂国に激と飛ばす

2007-04-24 14:58:08 | 日本について
“老台北”蔡焜燦氏 「日本人よ胸を張れ!」 日本への思いを語る

 司馬遼太郎著「台湾紀行」に博識の“老台北”として登場する著名な台湾の実業家、
蔡焜燦(さいこんさん)氏(80)が23日、東京・大手町の産経新聞東京本社を
夫人の李明霞さん(81)とともに訪れ、「心のふるさとは京都だ」などと、
1時間あまりにわたって日本への思いを語った。

 戦前の台湾で教育を受けた日本語世代の一人で、自ら「愛日家」と称する蔡氏は、
自信を失いかけた日本人に事あるごとに、「日本人よ胸を張れ!」と
檄(げき)をとばすなど、民間レベルで長年にわたって日台交流を実践してきた。

 また蔡氏は、日台の若者が交流する「日台文化交流 青少年スカラシップ」
(産経新聞社、フジサンケイ ビジネスアイ主催)で
研修生受け入れにも力を尽くしている。

 こうした労苦に対し、日本人の有志を代表する形で産経新聞社と
フジサンケイ ビジネスアイはこの日、蔡氏と夫人に感謝状と記念品を贈った。

 蔡氏と夫人は京都、大阪を経由して5月1日に台湾に戻る予定だ。

 蔡焜燦氏の同日の講演の要旨は以下の通り。

 「“愛日家”というのは私の造語だ。現在の私たちは元日本人としか言えないが、
首から上は今でもニッポン的。おばあちゃん(蔡夫人)は寝言も日本語。
にぎりずしが大好きで、昨夜も寝言で『小鰭(こはだ)』などと言っていた」


 「司馬遼太郎先生から以前、心のふるさとはあるかと聞かれたとき、京都と答えた。
昭和20(1945)年、終戦後に京都府美山町(現南丹市)で
2カ月ほど炭焼きをしていた。今も京都の黒瓦の建物や五重塔を見るだけで落ち着く。
ふるさとに帰ってきたつもりだ」

 「(昭和8年に蔡氏が入学した台湾台中の母校の)清水(きよみず)公学校は、
日本全国どこにもなかった校内有線放送設備や16ミリ映画の映写設備があった。

その副読本だった『総合教育読本』を卒業生や日本の方々に読んでもらいたいと思い、
復刻版を(自費で)出版した。日本の方々に、もっと自信を持ってもらいたいからだ」

 「これが植民地の学校だろうか。植民地、植民地といって(統治時代の問題など)
でたらめなことをいう人がいるが、(副読本は)日本人が当時、
こんなにも高い教育を台湾で行った事実の証明ではないか」


 「昨日(22日)に靖国神社の春季例大祭に初めて参加した。
今年から4月29日は『昭和の日』になった。その日に私たちが日本にいることは、
感慨深い」

 (河崎真澄)
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元日本人である蔡焜燦氏の言葉は、私を含め日本人には嬉しくもあり
不甲斐ない現状の日本人として恥かしくも感じます。
蔡焜燦氏の愛日であるが故の苦言に、心ある日本人は答えないといけません。

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2 コメント

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Unknown (bubu)
2007-04-30 13:41:14
はじめまして。
恥ずかしながら、3年ほど前、台湾のお友達に蔡焜燦氏の本を薦められ、借りたことで「日本だった台湾」に触れることになりました。
私もこの2,3年で今まで抱いていた日本のイメージが少しずつ変わっていっているところです。
台湾のお友達は、日本への感謝や当時の日本人について見聞きしたことを話してくれました。今は、政治的なことがあり、公に話せないことが多いとのこと。ここは、中国本土の方もたくさんいらっしゃるので、色々とあるのかもしれません。

これからも、ちょくちょくお邪魔させていただきます。
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始めまして、bubuさん (マグカップ)
2007-04-30 23:54:18
書き込みありがとうございます
私など1~2年程前に「目覚めた」ので、知識も乏しいのは自覚しているので、まだまだ勉強中です。
日本の歴史を知ることにより、自分の住む「日本」という国に、誇りと愛情を感じるようになりました

台湾に住む多くの「愛日」の元日本人の先輩たちの
愛日には感謝と共に、叱咤されているとも受けとめています。
彼らから見て頼もしく思える「日本」を作り上げないといけないと、感じます

稚拙ながら今後もブログをしていくと思いますので、よろしくお願いします
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