花は桜木・山は富士

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「韓国は日本人がつくった」(韓国)

2006-04-05 18:56:04 | 良い話(韓国)
407 :マンセー名無しさん :04/07/09 20:24 ID:SPUTh7Qq
 
先述したように、19世紀から20世紀初頭にかけての韓国は農村から都市ソウルまで、
あらゆる地域においてきわめて不衛生な生活環境であった。
今のハングル世代は常に韓国の山紫水明を誇りにし、韓国人はどこへ行っても
生水が飲める世界でも珍しく水のきれいな国だと自慢している。

しかし、日帝時代以前の韓国を見た外国人は、赤裸々に当時の実情を記録している。
例えば、ダレ神父の「朝鮮事情」には、韓国の「水はまずく」、
水が原因でかかる早老病をはじめ様々な、「水土病」について書いている。
そんな朝鮮に、慈恵医院の管制が発布されたのは1909年のことであった。
本格的に近代医学医療制度が導入されたのは、朝鮮総督府時代からである。

総督府が設立した大韓医院は、やがて京城帝大(現在のソウル大学)付属病院となり、
朝鮮半島の近代医学、医療発展の中心的存在となった。
各開港都市と国境都市は1910年から厳しい防疫、検疫を実旋しており、
疫病の浸入防止に取り組んでいた。コレラ、天然痘、ペストなどの大流行は
1918年~20年が最後となり、その後は乳児の死亡率が撃滅した。  

この後、地方の医療制度は清州、金州など順次各地で確立され、
医師の養成と疫病の防止に全力が注がれた。
さらに、150万円の下賜金から済生会がつくられ、李朝以来存続していた
階級制度の廃止とともに、各道から市町村に至るまで医療設備が整備されていった。
賎民も国民として、近代医療の恩恵を受けられるようになったのである。
             
30年代に入ると、近代医療制度の確立と普及によって、中国大陸から来襲してくる
疫病を完全に食い止められるようになっていた。飢饉による餓死と、疫病による
大量の死亡者を出していた中国大陸とは、天国と地獄ほどの隔世の感を
抱くほどであった。ことにインド、中国から朝鮮にわたって猛威を振っていた
ハンセン病には徹底して対処し、6000人以上収容できる小鹿島更正園は
世界的に有名になった。

「日帝36年」はほかならぬ近代医学による衛生、環境の改善と疫病の撲滅によって
朝鮮半島の生命保全、韓民族の繁栄に大きく貢献したのである。

「韓国は日本人がつくった」 黄文雄(台湾人)

707 :マンセー名無しさん :04/11/25 21:00:54 ID:haHm80T2

日本名への創氏改名こそ唯一の韓国人の「救いの道」であり、創氏改名への道を
積極的に日本に求めたのは韓国人自身だったのだ!


日韓併合当時、満州には150万の朝鮮人がいた。彼らは絶えず漢人から圧迫され、
摂取され、農奴に近い生活を強いられていた。やがて朝鮮人狩りが起こる。
朝鮮人を最も嫌っていたのは張作霖で「満州には朝鮮人を一人も入れさせない」と
息巻いていたほどである。この朝鮮人迫害は漢人、韓人たちの満州資源争奪の
争いを助長した。
このような歴史背景下で、朝鮮人たちの唯一の救いは、当時世界五強のひとつであった
大日本帝国の臣民となることだった。唯一、中国に対抗できる切り札であったため、
朝鮮人たちはすすんで創氏改名を強く要求したのである。日本こそが朝鮮人にとって
合邦国家の民族の誇りであり、中国人の跋扈に対抗できるただひとつの勢力だったのだ。

「韓国は日本人がつくった」 黄文雄    徳間書店

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