気まぐれ徒然かすみ草ex

京都に生きて短歌と遊ぶ  近藤かすみの短歌日記
あけぼのの鮭缶ひとつある家に帰らむ鮭の顔ひだり向く 

むかれなかった林檎のために 中津昌子 

2015-07-03 23:15:12 | 歌集
左岸より右岸がひろし 晴天にひらかれて大き蝙蝠傘(こうもり)がゆく

硝子の引き戸今日は大きく開かれて「仙若堂」に水無月並ぶ

鯉の口に吸われてゆきしはなびらよ体内あかく夕あかりせん

影かもしれぬわたしよりのびこの影は日傘ゆたかにひろげて歩く

病室という繭いっそう厚くして今夜の雪はやまないだろう

チューブあまた取りつけられていし夜の重みのなかに笑いたる川

糸ほそくこまかく母がつくろいてくれし若草色の手ぶくろ

まどかなる冬の陽ざしがさしこめる藤棚の下笑いたくなる

照射部位に引かれしペンのむらさきと同じ色もて暮れてくる空

この秋を眠ってばかりいる母よ ぶどう洗えばぶどうが濡れる

(中津昌子 むかれなかった林檎のために 砂子屋書房)

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中津昌子の第五歌集『むかれなかった林檎のために』を読む。

中津さんとは、鱧と水仙、神楽岡歌会でご一緒している。歌集全体を読んで、この間、病気をされたり、ご両親、とくにお母さまのお世話が大変だったのだと改めて思う。いつもにこやかで顔色もよい中津さん。ご病気だったことを聞いたような気もするが気にかけることもなかった。
一首目は、景が大きくひろがるのが魅力。四首目でも日傘をひろげるが、のびやかにしているのは影、という点に屈折が感じられる。二首目の「水無月」は言わずもがなであるが、六月末に食べるお菓子の名前。固有名詞がいい。
五首目から九首目は、作者の入院中の歌。深刻なはずなのに、ここに「笑う」がでてくるのが面白い。余裕だろうか、それとも切羽詰まって笑うしかない心境になったのだろうか。いずれにせよ、読者として友人として、すこし救われる思いになる。七首目、十首目に母が登場する。若くやさしくしっかりしていた母が、だんだん衰えてくるのが切ない。



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