気まぐれ徒然かすみ草ex

京都に生きて短歌と遊ぶ  近藤かすみの短歌日記
あけぼのの鮭缶ひとつある家に帰らむ鮭の顔ひだり向く 

舟はゆりかご 小黒世茂 

2016-12-01 22:09:59 | 歌集
国の名に穀物実るめでたさの粟は阿波国、黍は吉備国

いつの日か失くせし磁石も文鳥もみつかりさうな森のふところ

ふきげんな炎(ひ)をなだめつつ焼芋の内はほらほら外はぶすぶす

人間をちよつと休んで泥のなか雨乞虫とならび夕星をみる

いくたびも月は盈(み)ち欠けふたり子のお馬のわれに老いきざすなり

実母には抱かれしこと継母には背負はれしこと 舟はゆりかご

笑ふこと怒ることなく夜の沖を見てゐし小さき父を忘れず

いつの間にかわれの首よりずり落ちるマフラーのごとちちはは逝きし

別珍の赤靴みやげに母さんはきつと戻るよ賢くならうね

吉野にはあの世この世を縫ひあはす針目のやうな蝶の道あり

(小黒世茂 舟はゆりかご 本阿弥書店)

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「玲瓏」編集委員の小黒世茂の第五歌集『舟はゆりかご』を読む。
小黒さんとは、関西である歌集批評会などでご一緒することが重なり、親しくさせていただいている。思えば、いつからのおつき合いなのだろう。しっかりと思い出せない。最近では神楽岡歌会でお会いする。

略歴を読むと、1999年に歌壇賞を受賞し、第一歌集『隠国』を上梓されている。ずっとずっと先輩だ。なのにとても腰の低い方である。歌集を読みたいと思っていたところ、手渡していただきありがたかった。そのときも「読んでもらえますか?」とおっしゃる。どこまでも低姿勢でやさしい方である。

和歌山に生まれ、大阪に住む作者。旅によく行かれるようだ。記紀にくわしく、土地の歌に特徴がある。おおらかな言葉にユーモアがあり、エッセー集も二冊出しておられる。

三首目の下句にあるような、調子のよいオノマトペが楽しい。五首目では自らを「子のお馬」と言っている。身を低くして、軽く見てほしいという謙遜を感じる。だれもが敬愛する人なのに、低い位置に自分を置くことで安心するという「損なタイプ」なのだろうか。それは、六首目にあるような、幼い日の苦労から来るものかと想像した。実の母と別れ、継母に育てられた経緯などを詠んだと思われる歌があり、涙を誘われた。九首目の結句「賢くならうね」も泣かせる。別珍の赤靴という当時の貴重なものを詠み込んで、心に訴える。
ほかに高齢の姑、姉、息子さんの歌があり、「六十歳代が詰まった」歌集だ。

最近の短歌の傾向として、自分の来歴を消している歌によく出合う。歌は短いから、そこに多くのことを盛り込むことはできないが、その場だけの感覚を詠うことばかりでは、やはり物足りない。自分と近い年齢のひとの来し方を感じることで、自らをふり返ることは、やはり心に沁みることである。わたしよりすこしお姉さんの小黒さんの歌集を読み、そんなことを考えた。



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