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365kimono なきゃつくる料理

初ソロ ~渋滞をパリージョで生き延びた時代

2011-01-16 18:10:40 | FLAMENCO
五反田ゆうぽうとで初ソロ踊った写真。Garrotinの最後のTango. 習い始めて3年の28歳のとき。

ファルダ(スカート)を蹴飛ばし、狙った形をつくれた一瞬。プロがリハをみてたから撮れたもの。

いまでも大のお気に入りの1枚。


 フラメンコのファルダさばきはほかのダンスじゃなかなかないし、本当に楽しくて真っ先にハマりました。あわない靴でがんばるエスコビージャ(足音メインの踊り手が指揮者側にまわる重要パート)で毎度靴下を血で染めながらも。

ファルダは残像も視界に残るわけです。布面積も広いしね。その最たるものがバタデコーラ(おひきずりのスカート)だけど!
幼いころから、「あんたはスカートよりズボンが似合う」と母に、3歳の七五三、小学校入学式までパンツルックばっかりあてがわれていた私は、25でフラメンコはじめてやっとスカートの魅力に開眼。


そしてそのころ、私はフラメンコでプロレベルになりたいと思って、週5日レッスンに通っていた。レッスンが22時や23時に終わるのに、そのあと、徹夜で仕事の企画書仕上げて、なんてしょっちゅう。
仕事がウルトラハードな外資の直行直帰のセールスだった。不可能なことを、やれ、と簡単にいわれ、また若さのなせる技? やりのけてしまった。
仕事とフラメンコのどちらもハードすぎた。だから精神バランスがうまく取れていた。
一番よく覚えているのは、首都高速や、ローカルの高速道路の渋滞! 睡眠不足の身にこれほどつらいものはない。


で、どうしてたかというと、ストロングミントだとかだけで足りないので、
パリージョ(カスタネット)を車に積んでいた。
幼稚園などのお遊戯で使う赤と青のあれではなく、
伸縮性のない紐で、親指の関節をうっ血状態手前までしめつけて、鳴らす、重い重いフラメンコ専門のあれだ。

オートマ車運転になんの支障もなく、ETCもない時代。料金所もその親指にパリージョついたままの手で支払いをすましていた。

ひたすら打ち鳴らす。

狭い車の中でそれがどれだけうるさい騒音か。手も使うので眠くもならない。
ちなみにハンドルは残りの指4本で軽く支えるだけ。

まあ、近所迷惑にもならないいい練習場所だったことは確か。
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2 Comments

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壮絶っ! (おきく)
2011-01-18 21:59:28
写真、素敵ですね~☆イキイキしてる!
週5日レッスンして、レッスン後にまた仕事なんて凄すぎます。

そこまでではないけれど、忙しいとき、
短い自分の時間に必死であれこれやると楽しい!という経験はあります。
時間が短ければ、そのぶん集中力が高まって、濃密に楽しく感じますよね☆

でも年相応に、体力温存にも気をつかう必要性が高まってきました……(汗)
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おきくさま (carmen)
2011-01-19 07:06:56
壮絶だよね。やりがいと達成感、それなりの給料はすばらしかったのですが、なにより体が大事と思ってこの仕事はやめました。

ええ、短時間でも密度の濃い時間を過ごした後の充実感は大きいですね!
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