ホスピス、緩和ケア看護覚書*カナダ編

ホスピス看護をカナダから。2013年大学院を卒業しました。カナダ人の夫とは14年たっても熱愛中。

手厚いケア

2012年06月23日 | ホスピス
祖母の最期にあたって、施設にいる間とても良いケアをしてもらったと思った。スタッフの態度はとても良いし、祖母の口の中や手をみるとケアが行き届いていることが伺えた。ベッドにいる時間が長くなってからは床ずれ防止のエアーマットレスに変えて欲しいと頼む前に変更されていた。

食事を取らなくなってから、点滴をするかどうかと話があった。できるだけ自然にと叔父や叔母の意見は一致で点滴をしないことに。私が訪問したとき「点滴しない人は初めてですから、、、、何もしていないようでほったらかしみたいで申し訳ないですね」と担当の看護師さんが母に言った。慣れていない医療者にとってこの気持ちがつらいのはよくわかる。「最善を尽くす」というのが治す医療のモットーで、治ることができなくなった死に逝く人に対して「見守る」ことも医療の一部だと認識できる人は多くない。清潔や安全のケアがきちんと提供できて家族に対する配慮などなどこれらも立派なケアだ。

ベッドサイドに座っていて、祖母が落ち着きなさそうにごそごそする。眉間にしわが寄ってどこか不快があるように思えた。同じ体位をしていて痛いのかなと思って聞いていると、母がおばあちゃんは痛いところがあると言うから、と。ただ見ているのは家族にとってもつらい。体位を変えてみても祖母は落ち着かなかった。これが自分の仕事場だったらきっと痛み止めや鎮静剤を使っただろうな、と思っていた。ま、あきらめずに祖母に聞いてみようかと質問を続けるとかゆいところがあってのこと。かゆいところを見つけて掻いてあげて、着替えるといえば着替えを手伝いようやく落ち着いた祖母。やっぱり言いたいことがあったのね、と思うと「うーん仕事で患者の声を聴かずに薬を使うことってどれくらいあるのかな?」と思った。しかしながらここには国民性の違いもある。痛みや不快感に弱い患者、それを見るのに耐えることができない家族。その人たちの性格にもよる。一概には言えない。ここでも個別性があるってことか、と。

深夜に電話をもらって駆けつけた。施設の入り口にはスタッフ全員がいた。こんなに夜勤のスタッフがいるのかと思いきや、こういう時はスタッフ全員呼び出されるとか。事務の人までだ。4年という長い間にお世話になった方々。そのお心使いがありがたいと思った。部屋に入ると、酸素ボンベや吸引の機械があった。叔父がいうには呼吸が変化してから酸素はずっとついていたとか。あー何かをしなければと見せ場的な行動があったのね、と日本で働いていたころのことを思い出した。自然に最期を見守るってそれが当たり前になるまで時間のかかるもの。見捨てているのでもなく、ほったらかしにしているのでもなく、家族と患者の時間と空間を見守る、、、。回復することがないと知りながらベッドサイドでガチャガチャは無意味です、、、。

祖母の顔はとてもリラックスしていて良い顔だなと思った。仕事でも思うのだが‘力が抜けって楽になった、ほっとした顔‘。間に合わなかったけどおじいちゃんと再会して良い顔になったね、と。

エンゼルケアってカナダではしないのです。日本では看護の大切な一部だけれど。顎が落ちないようにきれいなフリルのバンドで顎が固定され、手も同じく組まれて、お化粧をしない祖母に軽く化粧がされて。ちょっぴり俗っぽいなと感じたけれど、これが日本の習慣だから仕方ないか、と。

祖母の家に帰って不思議なことがありました。祖母にはとても大切にしている置き時計がありました。それが動かなくなって叔父や叔母たちは何とかして直そうとしたけれど動きませんでした。祖母が帰ってくると家具を動かしていたら、昔のようにチックタックと動き出したのです。なつかしい響きでした。しばらくして、あんなに大事にしていた時計だからそばに置いてあげようとまたもや時計を祖母のそばへ動かしました。そしたらやっぱり止まってしまいました。止まっちゃったねと時計をみてびっくり。祖母が亡くなった時間でした。人間って素敵な力がひそんでいるんですよ。

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