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命のカウントダウン2(健康余命513日)

以前のブログ「命のカウントダウン」にユーザーとしてアクセス不能。今しばし、こちらに引越します。以前のブログも見てね!

50億年の誤解

2025-08-25 23:08:15 | 
日本人男性の平均寿命は81.09歳、健康寿命は72,57歳、現在、71.4歳の私の平均余命は14年ちょうど位(だと思う)
皆さんも自分の年齢から平均余命を概算してみてください。(概算でも結構難しい!)
健康余命は、このブログのテーマです!!522日としていますが・・・・
 72.57ー71.4=1.17 1.17×365.25=427(有効数字無茶苦茶)
なんと、100日も短縮しちゃいますね。
まぁ、しかし、ブログの数字はこのままで行きます。何しろ、一年少々しかないのは確かなのでございます。(悲しーい!!)
なんでこんな数字を出したかと言いますと、本日、人前で在宅医療について少しお話をさせていただく機会を得たのです。そこで、「死」の自覚について、とりとめない話をさせていただきました。

私は今老人となって、平均であと10年少々で死を迎える筈です。これまで、少なくとも300人はお看取りして来たというのに、私、近々自分が死ぬという自覚が全く持てないのです。

知識として、50年後には確実に死んでいることは理解しております。しているつもりです。でも、自分が死ぬという実感がわかないのです。「今日と同じ明日が来る」と今後も毎日思い続ける気がするのです。

考えてみると、私が見送った数多くの死が切迫していた人々も、「今日と同じ明日が来る」と思っておられた様に思われました。

ヒトは、自分の死を、実際に死ぬ瞬間まで実感できないのではないのでしょうか?死ぬ瞬間でさえ、実感されていない可能性も高い様にも思います。

ですから、貴方癌です、余命いくばくもないですよと言われると、絵に描いたように全員「私が癌???ガーン。」と皆が皆ショックを受ける。漫画の様にワンパターンな反応ですよねぇ!!でもこの典型的な現象、今も毎日、全国の病院で繰り返し再生されていると思われます。

人は、自分の死を自覚することは出来なくて、今日と同じ明日が来るものと思い込むようにプログラムされている様だ

そんな話をさせていただきました。

そんな私でも、多感な小学5年生の時、死を実感した時期がありました。
当時私は天文少年でした。晴れた新月に近い夜になると、眠い目をこすりながら近所の友人の家に自転車で向かい、彼が持っていたアストロの10㎝ニュートン反射望遠鏡で月、惑星、連星、星団、星雲などを、ベグバル星図を頼りに観望していました。

そんな私、ある日太陽が今後どうなっていくのかの解説を目にしました。太陽は当時約50億歳、元気な盛り。そしてこれから50億年後には核融合の燃料である水素が尽きて巨大化し、水星、金星は勿論、地球おも飲み込んでしまうだろうとありました。

え、え、えっつ 太陽が地球を飲み込んでしまう?そんなことになったら、お母ちゃんもお父ちゃんも私も兄弟も、誰も皆死んでしまうやんか!!
心底からの恐怖に包まれました。50億年後には逃げ場なく死ぬ!!

それから数か月の間、目覚まし時計のコチコチという音に涙を流し、寝ると毎夜の如く悪夢で驚愕して飛び起きる日が続きました。悪夢は、通学路の途中、疎水の橋の上にいる私の真上で原爆が爆発、紅蓮の炎に包まれた挙句、焼け野原の中で、自分が立ち尽くしているというものでした。

3か月ほど経って、中学受験の勉強に急き立てられるようになって、漸くその悪夢たちから抜け出すことが出来ました。中学受験には失敗したのですけれど、何かに一所懸命頑張ることは、小人の悩み解消にはなるという事を実感した私でした。


60年前も、今も、太陽は変わることなく慈悲深い光を降り注ぎ続けてくれています。巨大化することも、白色矮星になることもなく!!!

The Beatles - Here Comes The Sun (2019 Mix)

老化の激流の中にいます

2025-08-12 22:24:14 | 
聴力低下、視力低下、歯が緩くなって来ました。歯槽膿漏?思考は朦朧??
髪の毛は抜け続けるし皮膚は痒い、高血圧、脂質代謝異常、糖尿病にアルコール中毒、生活習慣病の巣窟です。中等度以上の脊柱管狭窄症も抱えています。そんなこんなで毎朝10種類の薬を服用しております。
このブログタイトルの健康余命、535日あるかどうかすら分からないですよねぇ。
死へと向かう流れなのでしょうけれど、いくら抗っても最終、行く先は一つ そうではあるのだけれど、焦っても仕方ない。周りを見渡しながら、揺蕩って行きたいと思っています。先に逝ったら待っているけど、貴方が先だったら、迎えてね!!逢えるのか逢えないのか、逝ってみないと分からない!!

この人生、最期まで楽しめたらありがたいですが、どうなりますやら!







シクラメンのかほり


どこもかしこも人手不足

2025-08-09 22:40:56 | 
普通の企業なら、定年ありますよね。以前は60歳でした。それが、本年2025年4月1日からは、働くことを希望する従業員に対して65歳までは雇用する義務があることになりました。

定年が65歳になったわけではありません。定年の設定は自由です。
60歳定年としていたとしても、希望する人には65歳まで雇用義務があるというわけです。ちょっと微妙。

  • 定年を65歳に引き上げる
  • 65歳までの継続雇用制度を導入する
  • 定年制を廃止する
のいずれかを選べと企業側は選ばないといけません。
とはいえ、雇用者側に立つと・・・・クビにならないけど給料はガタヘリ

同窓会では、この制度にぼやく同級生続出。
曰く、同じ仕事を継続しているのに、定年後雇用になった途端、給料が半分になった。口を揃えてそう言っていました・それでも、クビになるより良いのか、皆、文句を言いながらも働き続けている様でした。

そういう意味では、私の様な事業主は恵まれています。給料を決めるのは自分ですからね。

開業医は定年がありません。給料も自分で決められます。良い面もあれば、悪い面もあるのは どんな物事もそうですよね。

開業当初に驚いたことがありました。それまで勤務医だったので、ローンの払い、ボーナス払いも使っておりました。ボーナス月には、普段より相当多く支支払うという制度です。事業者側になってしまったら、ボーナス月は、支払いが多くなって、残る金が減るのです。

それで、ローンの設定をしている銀行に、「ボーナス月は支払いを増やすのではなくて逆に減らすという設定は出来ないのですか?」と聞いたのですが、それは出来ないとの事でした。ボーナスをもらう側の設定はあるのに、出す側の設定は無いというのは、片手落ちですよね。(これって、放送禁止用語?の様ですね・・)

閑話休題 私、今年の5月で71歳になりました。それでもいまだ働き続けております。

日本医師会の調査によると、開業医の引退予定年齢の平均は73.1歳なのだそうです。私、現在71.4歳ですのであと1.7歳、約20か月、2028年4月頃に引退するのが平均の様です。

それまで無事に生きていられるのか、呆けていないのか心配ではありますが、それらの条件をクリアできたとしても、無事に引退できるかどうかは全く別の話です。

私は、現在、坂根医院を継承してくれる人を多角的に探しております。しかし、現在のところ候補者は見つかっておりません。田舎のよろづやさんの如き内科医院、今時の若者の好みには合わない様です。

今朝も6時過ぎに「胸が痛いです。診ていただけませんか。」という電話がなじみの患者さんからありました。その方の性格からして、そのような早朝に電話をいただくのは、重症感を感じておられるからだと直感しました。胸痛の継続時間も15分以上ある様でした。

それで、「救急車を呼んでください。私が診ている場合ではないと思います。お願いですから救急依頼してください。」と、言いました。

患者さんは、それでも、私に診てほしいと言われましたが、お願いですから救急依頼してくださいと重ねて言って電話を切りました。

電話を切ってから、色々と考えさせられました。医院が開く9時まで自宅待機される可能性があるかもと考えました。それで、電話を切った5分後に折り返しの架電をしました。娘さんが電話に出られました。「今医院に向かっています。15分後に医院に来ていただけますか?」すると、「先生のお言葉に従って、救急車を呼びました。待っているところです」と、言われました。本当にホッとしました。

私、医院への道を半分ほどまで走っていたのですが(電話は、手持ちしなくても会話可能なシステムを導入しています。)折り返して帰宅して寝ました。

その患者さん、地域の基幹病院に救急搬送され、心筋梗塞と診断されたと、午後になって娘さんから電話をいただきました。的確な判断ありがとうございますとの感謝の言葉をいただいたのですが、そんな事ばかりではありません。

先日も熱中症で息子が倒れたとの電話がありました。その日は休診日でしたし、中等度以上の熱中症だと話からだけでも判断できたので、救急搬送して病院に運びましょうと言ったのですが、「診てくれないの?あんたも偉くなったもんやねぇ。」などとの言葉を浴びました。

こんな言葉を何回か浴びたら、やめたくなりますよね。

悪気の無いモンスター、貴方もなるかもしれませんよ!!

ま、色々ありますわなと言う話でした。

人口密度が高ければ、在宅医療をチームとして余裕をもって施せる地域もあるけれど、一般的な田舎?ではそれは相当に難しい。

在宅医療のレセプト点数を、人口密度によって変化させるのもアリかなとは思います。ですが、どんな制度変更をしても、文句を言うやつはいるし、制度の穴をねらって美味しい思いをしようとする奴も出て来るでしょう。しかし、変革させないと何も始まりません。私は、日本国憲法も時代に応じて変化せていくべきだと思っています。

私は、住み慣れた自宅で最期まで人生を全うしたいという方々の支援をしたいのです。それはオーダーメイドの医療になりますので、病院で集約的に医療を施すよりも割高になるのはやむを得ないと思っています。しかし、それでも、価値は大いにあると思っています。許されるなら、自宅で、畳の上で往生した。

次善の策として、グループホーム、老人施設などでの看取りがあるでしょう。そして、施設ホスピスもあります。私の価値観では、一番下位になってしまうのが一般病棟での死です。

急性疾患なら致し方ないです。それは当然です。でも、老衰、それに近いがん末期の死は、ほとんどの場合在宅で迎えたほうが私はベターだと思っています。

がん末期での死も、ほとんどの場合(8割程度)施設ホスピスよりも在宅ホスピスで迎えるべきだと私は思っています。(コントロール困難だったり、介護力不足の場合、2割程度はお願いしますけどね)

選択の余地があるというのも、その地域の「看取り力」のあらわれだと思っています。

貴方は、何処で人生の最後の時を過ごしたいですか?看取りの力、皆さんの配慮次第だと私は思っています。何とかしてください。

私は、鍵の掛からない病棟の一角ではなくて、住み慣れた我が家の一角で最後の時を迎えたいです。


尾崎紀世彦 「見上げてごらん夜の星を」

ピンピンコロリ ポックリ死

2025-08-04 22:14:52 | 
奈良県にはポックリ信仰でおなじみのポックリ寺吉田寺(きちでんじ)が斑鳩町に

ぽっくり地蔵とも呼ばれる舟渡地蔵が天理市にあります。

「ぽっくり」という言葉には、長生きして、最後は病気で苦しむことなく、家族にも迷惑をかけずに亡くなりたいという、日本人の死生観や願望が込められているのでしょうね。
近い概念に
「突然死」:病気や怪我などで、前触れなく急に亡くなること。
「大往生」:長生きをして、苦しまずに穏やかに亡くなること。
「ピンピンコロリ (PPK)」:健康で長生きし、最後は病気で苦しまずに亡くなることを目指す考え方。
 などがありますが、微妙にニュアンスが違いますね。

望ましいと私が感じる順に並べると、1,大往生 2,ぽっくり 僅差で3,ピンピンコロリ 大差がついて4,突然死 となります。

例えば、私が明日朝目覚めてこなかったとしたら、一番似合う言葉は突然死だとおもいます。次いでピンピンコロリ。ぽっくりにはまだ歳が足りないと思われますし、大往生は全く似合わない。

私、大往生かぽっくりで逝きたいとは思うのですが、がんにもなってみたいのです。「貴方癌ですよ。」「えっつなんで俺が癌、ガーン!!」というあの絵にかいた様な驚愕を味わいたいと思うのです。もう何度も夢などで予行演習しているので、あまり驚けないかもしれませんねぇ。それにまぁ、昔はヘビースモーカーでしたし、今は大酒家ですから、「なんでこの俺が!」ではなくて、「そらそやろな、そろそろ来るハズやと思ってました。」くらいの心境になるのかもしれません。

いずれにせよ、人間の死亡率は100%、びた一文負かりません!!
皆さま、どんな死に方を希望されますか???


Stairway to Heaven - Led Zeppelin【和訳】レッドツェッペリン「天国への階段」1971

5月14日

2025-05-14 13:02:29 | 
5月14日は種痘記念日であり、温度計の日でもあるらしいです。そして、1948年にイスラエルが建国宣言をし、1882年には斎藤茂吉が生まれています。今日の誕生花は芍薬なのだそうです。

地球が太陽を一周するのに365.2425日かかります。小数点以下のややこしい数字のつじつまを合わせるために閏年が設けられています。具体的には、グレゴリオ暦では、400年間に97回の閏年を設けることで、1年の平均日数を365.2425日とするように調整されています。

より具体的に言えば・・・閏年は、
(1)西暦年号が4で割り切れる年をうるう年とする。
(2)(1)の例外として、西暦年号が100で割り切れて400で割り切れない年は平年とする。
例えば、西暦2004年、2008年、2012年……は(1)に当てはまりますので、うるう年になります。また、西暦2100年、2200年、2300年は(2)に当てはまりますので、平年となります。さらに、西暦2000年、2400年は、100でも割り切れますが400でも割り切れてしまいますので、(2)には当てはまらず、(1)のとおりにうるう年となります。 

ですから、私が生きている間にはうるう年の例外の年には遭遇しない様です。(次は2100年です)

1年を366日にして、366日目は毎年午前5時48分46秒(辺り)で蛍の光鳴らして「はーい今年は終了しました。」とやれば、面倒な閏年問題も解決すると思うのですが、どうなのでしょうね。そうすれば、毎年毎年同じ日付で地球は公転軌道の同じ場所を通過することになるので、何かと都合がいいと思うのですがねぇ??

まぁ、と言う事で、5月14日は、365.2425日に一回やってくるわけでございまして、5月14日は私が敬愛する北杜夫さんの父である斎藤茂吉氏及び?私の誕生日なのであります。誕生日って一般的には祝うものとされておりますが・・・
冥土の旅の一里塚。めでたくもあり、めだたくもなし
でもございます。

. 厚生統計協会では、二次医療圏別平均寿命の平均値として、男性が78.50歳、女性が85.75歳とされています。標準偏差は男性が0.92歳、女性が0.93歳だそうです。
すなわち、日本人男性である私は、平均78.50±0.92回誕生日を迎えるとお迎えが来るという訳です。(話を簡単にするために、平均寿命はゼロ歳児の平均寿命だと言う事はちょっと忘れてくださいませ)

具体的には(厚生統計協会を信じれば)平均値78.50に標準偏差を足し引きした値 77.58歳から79.42歳の間に68.2%の方が亡くなり、標準偏差の2倍を足し引きした76.66歳から80.34歳の間に95.4%の方が亡くなるという事になります。
でも、76歳頃から80歳までにそんなにバタバタ95%が死んだりしませんよね。こんなに標準偏差が小さいと、100歳の爺様は偏差値200を超える超人類になってしまいます。(厚生統計協会 事実を集めて真実を探る なんて言ってますけど 眉唾ですねぇ!!)

偏差値は、試験の得点を、平均を50、標準偏差を10とするように正規分布に変換したものです。具体的には、以下の計算式で求められます: (個人の得点 - 平均点) ÷ 標準偏差 × 10 + 50 

私、テストでではですが、偏差値80超える人なんて見たことが無いです。たまに存在するらしいですが、それでも偏差値100なんて普通あり得ない数字ですよね。厚生労働省の資料、本当に役に立ちませんね。いくら死亡する年齢分布が正規分布から外れるとはいえ、よくもまぁ恥ずかしい数字を公式に出すモノものだなぁと感心しきりです。
ニッセイ基礎研究所では、日本の男女の標準偏差はそれぞれ14.7歳、13.4歳とされています. こちらの方がぐっと現実に近く、まともですね。この標準偏差だと、100歳の爺ちゃんは偏差値:64.6となります。

私は、あと何回太陽の周りを廻ったら朽ち果てるのかわかりませんが、遠くない将来と言う事だけは実感するようになって来た今日この頃、今日で71歳です。

マリリン・モンロー・ノー・リターン/CKB・野坂昭如