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仕事帰りに一杯ひっかけながらグダグダと文学を語る会―中島敦編・雑感

2017-08-11 | 文学系
中島敦を読む会なんかで人が集まるのだろうか。
今回のカフェマスター・ふるほんやかずのぶ氏とのあいだには、そんな暗黙の疑念があった。
でも、当日、7人も人が集まった。
正直、驚いた。
もちろん、相変わらず読んでこずに、その場のグダグダな語りあいを聞きに来ただけ(飲みに来ただけ)の人もいた。
開始一時間前から飲み始めて、すでに酔いつぶれそうな人もいた。
その一方で高校時代に使用した教科書とノートを持参し、やる気に満ちた人もいた。
中島敦。
彼の何がそうさせるのか。

何より、カフェマスターのふるほんやかずのぶ氏の嬉々として中島敦を踊るように語るさまが素敵だった。
ドストエフスキーを読む会の時もそうだったが、その作品をこの人は本当に好きなんだなぁと傍で見ているだけで、こちらも心躍る気持ちになる。
この人、本当に文学好きなんだなぁと。
二度目の「文学系」カフェだったけれど、文学好きにはこの種のアツさがある。
でも、この会のダメなところは、酔いが回るので、語りがグダグダになる以上に、記憶がグダグダになるところだ。
ただ、痛快だったという記憶だけは間違いなくあった。

冒頭、ふるほんやかずのぶ氏の中島敦の「山月記」への思いが語られた。
そもそも、彼は調子のいいときにはこの短編を朗々と暗唱できるそうだ。
きみは稗田阿礼か。
そんなツッコミも入れた。
彼は高校卒業後、この作品を「空費された過去」を思い起こしながら読んだという。
「空費された過去」とは?

『山月記』の主人公・李徴はエリート官僚として順調な人生を捨て、詩人として生きることを選びながら、そこで世に認められないから「虎」に化身していってしまう。
そんな虎と化した李徴と、かつての同僚であり友人の袁サン(「サン」は漢字が変換できない)とが邂逅する。
何が彼をそうさせたのか。
彼は詩人になるべく努力をしなかったわけではない。
しかし、その間、彼は誰かと切磋琢磨するわけではなく、「努めて人との交わりを避け」、自身に閉じたままに修行をしていた。
そのことが、ますます詩人として世に認められない「尊大な自尊心」や「羞恥心」を増大させていった。
努力していないわけではないが、そこにおいて実は時間は空費されていたんじゃないか。
李徴はそのことに後から気づいたのかもしれない。
しかし、それは決して取り戻したり戻ったりできないものだ。
この作品の意味を高校生くらいでは理解できないだろう。
そんな声はほかにもあった。
「なくしたものがある人ではないとわからない」
ふるほんや氏はそう語る。
李徴において「なくしたもの」とは、決して順調だったエリート官僚の生き方ではない。
家族も何もかも捨て去ってでも詩人になるべく努力した過程そのものが、実は空転したものだったということだろう。
なんだか身につまされた。
だが、その独りよがりな努力がますま名誉欲と羞恥心を膨張させる。
そして、自分でも制御できない獣性に飲み込まれた姿が「虎」だった。

ふるほんや氏は、その姿に映画『明日への記憶』を重ね合わせる。
「認知症」になり、次第に自分が自分でなくなるような恐怖心。
そのじわりじわり進行する状態を自分でも止めることができない。
そして、自分が自分でない自分に飲み込まれる。
それは自尊心や羞恥心に限ったことではない。
恨みつまり憎悪という悪感情もそうだろう。
日頃、「赦し」とか「アガペー」なんて「倫理」を語る教師でさえも、自分の家族を誰かに殺されたとき、そんな抽象的な「倫理」なぞクソの役に立たないことは容易に想像できる。
制御不能な憎悪は外側から襲ってはこない。
その種は自分自身の中にあるとしても、何事もない平常時には不在のその悪感情は不測の事態に巻き込まれたとき、突如鎌首をもたげる。
仏陀は自分の中に潜みながら自分を飲み込んでしまう「苦」を四苦八苦といった。

ふるほんや氏によれば、この物語は「人虎伝」という中国の故事に由来する。
そこにおいては主人公は家族への懸念を最初に触れるが、「山月記」においては「自分の死を伝えてほしい、自分の妻子を頼む」ということを最終場面で袁さんに託す。
けれど、妻子を考えなかったから虎になったわけではないんではないか。
ふるほんや氏はそう読む。
捨てた家族のことを懸念しながらも、けっきょくは自分自身に飲み込まれたことが虎の姿だった。
けれど、誰も李徴を「馬鹿な奴だ」と責められる人はいないだろう。
人生経験が乏しければ、これを「自分らしく生きた」とか道徳的説法に解釈したり、「家族と自分の生き方のどちらを優先すべきか?」なんてくだらぬ道徳ジレンマに落とし込みがになるが、そんな陳腐な道徳教材ではない。
そんなものは文学ではない。
ただただ、この李徴の悲哀を人間のひとつのあり様として味わい尽くすのみ。

『山月記』に限らず、中島の作品はどこかそんな人生のうまくいかなさに翻弄された自分つが描かれる。
李徴を「コンプレックスの強い人」と評した参加者もいた。
人生をこじらせた人間。
醜悪なまでに名誉にこだわる執着心は、日本の文学者にもママ見られる(太宰を見よ!)
でも、たぶん、そんな感情をなかったことにするわけにはいかないのだろう。
達観する聖人を描くのが文学ではない。
どこまでもどこまでも割り切れなさを残し、その些末さに翻弄されるのが人間。

そういえば、立川談志は落語をして人間の業の肯定と定義したが、文学もそうした面があるともいえる。
『李陵』もまた、歴史的状況に翻弄されながら自分の理想とする生きざまを貫けないことに翻弄される悲哀と劣等を描いた作品だった。
『弟子』においては、孔子の高弟・子路の愚直さが、自身を滅ぼす悲哀が描かれた。
そんな自制不能な生き様を「馬鹿だな」とか「直せばいいのに」というのは、それこそ愚昧な読みだろう。
子路の愚直さを、師である孔子は既に見抜いていた。
しかし、孔子はそれを諫めながらも、彼がそれを治せるわけでもなく、むしろそれによって身を滅ぼすだろうと予言していた。
もし、その愚直さを子路が治したところで、それは同時に子路が子路であることを失うことでもあることを看取していたのではなかったか。
李徴や李陵、子路の愚直さを愚直さんのままに、その「誰」性を肯定しようとする文学。
それが中島文学の真骨頂、と言わないまでも、じんわり読み手に響かせる力が底流に流れているのではないか。

今回の文学会、あるいは読書会は酒の勢いもあってか、痛快極まりない時間だった。
くり返すが、それはふるほんや氏の踊り狂わんばかりの楽しげな姿が参加者一同を愉快にさせたからであり、何かを愛おしく語るその姿が共鳴を呼んだからに他ならない。
そして、その勢いをかって、その場で次回のテーマと日時が一気に決まってしまった。
小さな福島という街の片隅で、こんなに文学で熱く語り合える時空が切り開けたことは、何ものにも代えがたい経験であったと、さらに心地よい酔いに飲み込まれていったものだった。(文・渡部純)

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