ちーむ☆ものくろ

黒色ダップー犬と飼い主の日々のつぶやき。
ときどき白黒ネコと茶色の犬の話も、ね。

ステロイド最終投薬から48日目(4/25)

2015-04-26 | 免疫介在性疾患 断薬記録日記(2021~老齢による関節炎 頸椎ヘルニア含む)
いつも通り起床。でも少し元気なし。口をぐちゅぐゅ言わせている。
食欲はあり。
昼間もずっとぐちゅぐちゅ言わせている。牛の反芻みたい。
おもちゃ遊びも集中しない。お散歩に行って、暑くもないのに口をあけている。
ぜえぜえはしていないのに口を開けている。胸焼けしているのかも。

夕ご飯から半刻みの高消化のごはんに少し全刻みのアーティミスをまぜてみる。
嘔吐はなし。

夜ごはん22時。夕ご飯と同じ内容。ガスターも飲ます。
ぐちゅぐちゅは夜中ずっと。一度吐き気を催す。
吐くというより何かがのどに詰まったものを取りたいような感じ。
オジサンが淡を吐くようなしぐさ。
でも吐かず。

病院に行こう。

無事を祈る

2015-04-26 | 日常・つぶやき
ネパールで大地震が起きました。1400人あまりが死亡したとニュースは言っていました。

私にはネパールに「息子」同然の子供とその家族がいます。
カトマンズからは離れた、インドに近い「バンケ」という田舎町に暮らしています。
息子の名前は「ゴビンド」。現在25歳。
カトマンズや観光で有名なポカラあたりの状況はテレビで伺い知れるけど。
バンケのような田舎町の様子は伝えられません。
とてもとても気がかりで心配です。

私は7年前まで「フォスタープラン」という団体を介して、ネパール、バンケの支援をしていました。
ひと月に、洋服一枚買うのをやめたら支出できる程度の支援金を出していました。
そのお金で、ゴビンドの暮らす村に井戸ができ、衛生的なトイレもでき。農業・家畜飼育支援ができ。
就学前の子供たちの施設もできたし、文字の書けない大人のための識字教室などもできました。

その支援をするとその地域に住む子供ひとりと文通等の交流ができるのです。
そうして出会ったのがゴビンドでした。

出会ったときはまだ就学前。日本で言えば幼稚園の年長さん。
ネパールでは暮らしが貧しくて子供を学校に行かせられない、行かせず家の仕事を手伝わせる家が多いなか。
ゴビンドの家は兄弟姉妹、すべてが学校に行っていました。
教育に関心のある両親のもとに生まれた彼らは幸せです。

最初の頃はまだ文字が書けなかったので、お兄さんが代筆してくれた手紙が送られてきました。
年月が経つにつれて、いつのまにかしっかりした文字で本人が書いた手紙が届くようになって。
とてもうれしかったのを覚えています。
ネパールのこと、たくさん教えてくれました。
私や私の家族の写真を部屋に貼って、毎日私たちの健康と幸せを祈ってると言ってくれていました。

やがてゴビンドが18歳になり、就学終了となりました。
そうなると援助も終了となる規則。
もっともっといろんなこと、わかちあいたかったけど、お別れです。
住所を教えあって個人的に交流することはしてはいけない規則です。
「いつかきっと会おうね」と手紙に書きました。
ゴビンドも「きっといつか会える」と書いてきました。

まだ会ってないよ。
ゴビンド、無事でいる?
父さんと母さん、お兄ちゃん、お姉ちゃんも元気でいる?
心配してるよ。
大丈夫なこと、祈ってるよ。


ゴビンドは医者になりたいって言っていました。
無事で、怪我をしたひとたちの役にたっていること、願っています。

ゴビンドが小さいころに書いてくれた、自分の家の絵。

支援によってできた手動ポンプの井戸が描かれています。

文字が書けるようになって、送ってくれた手紙。


就学前の施設で、集うこどもたち。

ほんとうは楽しい。
でも日本のこどもたちのように、写真を撮られることになれていないので、緊張して笑顔になれないのです。

農業支援に参加するひとびと。




ネパールの人々に、いちにちも早く平穏な日々が戻りますように。

ネパールの神々が皆を守ってくださいますように。