最前線の子育て論byはやし浩司(2)

子育て最前線で活躍する、お父さん、お母さんのためのBLOG

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2010-12-29 10:57:40 | 日記

●10月号相談事例

相談(1)中学1年生の母から

 中学で初めてのテストで思うような結果が出ず、すっかりやる気を失った息子に、「目標
があったからがっかりするんだよ。目標に近づけるようにがんばろう!」と話したところ、
「直前に詰め込むのでなく、毎日がんばるぞ!」と言ってくれたのもつかの間、次の日に
はやっぱりお楽しみが先になって、お勉強は忘れられ……。子どものやる気を長続きさせ
るよい方法は、何かないでしょうか。
(静岡市・HA)


A:『親は海。子どもは船』。こういうときの鉄則は、動揺しないこと。親が動揺すればす
るほど、子どもは不安定になり、落ち着いて勉強に集中できなくなります。目標といって
もこのケースのばあい、それは親の目標であって、子どもの目標ではないということ。親
の目標を子どもに押しつけてはいけません。「目標」という言葉を使って、あなたは子ども
を自分が望む方向に誘導しているだけ。
 中1といえば、すでに思春期。『自我の同一性』の構築を始める大変重要な時期です。子
どもがどういう未来像を描いているか(=自己概念)を知り、それを側面から応援してい
きます。が、たいていのばあい子どもの描く未来像は、親の希望とはちがったものです。
そのためこの先、親子の間で長くて苦しい葛藤がつづきます。つまり子どもは親の夢や希
望をひとつずつ潰しながら、成長していきます。それともあなた自身は、親の希望通りの
「娘」になりましたか。
で、第二の鉄則は、『最後まで子どもを信ずる』です。子どもがどんな道を選ぼうとも、
あなたは子どもを信じます。そして子どもにはこう言います。「お母さんは、あなたがど
んな道を選んでも、あなたを信じていますからね」と。
 子どもはこうして現実の自分を作り上げていく。つまり自我の同一性を確立していきま
す。やる気(自発的行動)はあくまでもその結果として生まれるものです。


Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
 
相談(2)小学2年生の母から

 毎日、学校から帰ってすぐ遊びに来る子に悩んでいます。遊ぶなら宿題を終えてからに
させたいので、その子と宿題を一緒にさせたり、遊びに来るなら一時間くらい後に来てほ
しいとその子に伝えたこともありますが、わかってくれていないようです。
 親御さんは仕事で遅いらしく、なかなか連絡がしにくいです。いい方法はないでしょう
か。
(浜松市・MH)


A:夜、寝る前になってあなたの子どもが、宿題をやっていないと言ったら、あなたはど
うしますか。(1)いっしょに宿題を片づけてやる。(2)「明日、学校で先生に叱られてき
なさい」と言って、寝させる。
 「自由」とは、もともと「自らに由(よ)る」という意味です。子育てについて言えば、
「由らせる」。「自分で考えさせ」「自分で行動させ」「自分で責任をとらせる」です。その
自由が子どもを自立させます。
こういうケースのばあい、言うべきことは言い、あとの判断は子どもに任せます。小2
といえば、その自覚のある子どもは、どんなに忙しくても時間を見つけ、宿題(勉強)
をします。そうでない子どもは、いくら親がお膳立てをしても、つまり時間を作ってあ
げても、宿題をしません。仮に相手の子どもが1時間あとに遊びに来るようになっても、
宿題はしないでしょう。相手の子どもの親に相談しても、無駄です。そういう点では、
あなたの家庭教育はすでに失敗しています(失礼!)。自分の子どもが宿題(勉強)をし
ないことを、相手の子どものせいにしてはいけません。
 過保護ママと依存性ベタベタの子ども。この相談の向こうに見えるのは、そんな母子関
係です。それを是正するためには、心を鬼にして、先の(2)のような親をめざしてくだ
さい。子どもは小3前後を境に、急速に親離れを始めます。今のあなたにとって大切なこ
とは、「いかにうまく子離れするか」です。


Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●9月号相談事例

相談(1)小学2年生の父から
 小学2年生の息子に「目標に向かってがんばれる力をつけたい」という思いから、小
3の誕生日までにクリアできそうな課題を設けてがんばらせようかと思っています。課
題をクリアできれば、ごほうびは何でも欲しい物を買ってあげるつもりです。
 でも妻から、「ごほうびがないとやる気が出ない子にならない?」と言われて、止め
た方がいいかと迷っています。こういうやり方は、いけないのでしょうか?


A:完全に的はずれです(失礼!)。動機付けの三悪に、無理、比較、条件があります。
「課題をクリアできれば…」は、この中の条件ということになります。よくあるのは、
「100点を取ったら、小遣いをあげる」というもの。
 条件のこわいところは、年齢とともにエスカレートしやすいこと。小学生のときは、
1000円のほうびでも、高校生になると、10万円になります。
 さらに進むと、条件なしでは、何もしなくなります。物欲と結びつくと、さらにやっ
かいなことになります。それが必要だから、それを求めるのではなく、物欲を満足させ
るために、それを求めるようになります。脳の中で、ニコチン中毒と同じようなメカニ
ズムが働くようになります。
で、問題は「課題」の中身ということになります。もしそれが個人的なものであれば、
「自分のためにする」を徹します。勉強であれば、なおさらです。「勉強は自分のた
めに、自分でするもの」と。 
 大切なのは、達成感です。「できた!」という実感が、子どもを前向きに引っ張って
いきます。
「何でも欲しい物を買ってあげる」? 愚かな育児観は捨てなさい(失礼!)。あの
バートランド・ラッセルは、こう書いています。『限度をわきまえた親のみが、真の
家族の喜びを与えられる』と。


Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

相談(2)小学4年生の父から

 小学4年生の長男のことで相談します。
 私の仕事が忙しく、なかなか相手をしてやれないまま過ごしてしまったのがいけなか
ったのか、遊びといえばひとりでゲームばかり、友達と遊んだり外に遊びに行ったりし
ません。
 先日、「外で遊ばないの?」と聞いたところ、「外で何して遊べばいいの?」と返され
て、がく然としました。このまま、集団で遊ぶ経験もなく成長すると、どんな子になっ
てしまうか不安です。今からできることは、何かないでしょうか?


A:(相手をしてやらなかった)から(ゲームばかりする)と、短絡的に結びつけて考
える必要はありません。あなたは父親として、じゅうぶん、その責任を果たしています。
たしかに最近の子どもは、集団で遊ぶということをしません。が、こうした傾向はすで
に20年以上も前から始まっていることです。
 で、どんな子どもになるかですが、すでにあなたの子どもは大きな流れの中にいます。
その流れの中で、子どもたちはつぎの世界を創りあげていきます。その流れに対しては、
私もあなたも、無力でしかありません。あえて言うなら、つぎの格言が役に立つでしょ
う。『子どもを産み育てるのは母親の役目。狩の仕方を教えるのは父親の役目』(イギリ
スの教育格言)と。
 つまり社会性の養成と、母子関係の是正。この2つがこの時期の父親に与えられた重
要な使命と考えてください。
 なおゲームについてですが、韓国や中国では、ゲーム中毒が問題にならない日があり
ません。そのための矯正プログラムや矯正施設もできています。が、この日本では、野
放し。ゲームを批判しただけで、猛烈な抗議の嵐にさらされます。私自身も経験してい
ます。
 ゲームを許すにしても、ある程度の自制は必要です。時間を決めてさせるとか、ゲー
ムの内容を決めるとかなど。


Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●8月号相談事例

相談(1)小学2年生の母から

 小学2年生の三男は、1年生ときから、「最後までやり遂げようという意志は認めますが、
行動がほかの子に遅れがち」と、担任の先生に面談で言われます。では、実際にどうした
ら早く行動できるようになるのか知りたいです。
 3人兄弟の末っ子で、とてもマイペースな子になってしまったようで、親としてもどう
していいのかわかりません。


A:『欠点を見つけたら、ほめる』です。子どもには、こう言います。「最近、あなたは早
くできるようになったわね。先生も、ほめてくれたわよ」と。欠点を責めれば責めるほど、
子どもは自信をなくします。それが悪循環となって、子どもはますますあなたの望むのと
は、別の方向に進んでしまいます。
 また子どもに何か問題を見つけたら、『子どもは家族の代表』と考えます。子どもの問題
は、家族の問題ということです。先生はたぶん、子どもの緩慢行動を言ったのだと思いま
す。が、こういうケースのばあい、まず疑ってみるべきは、あなた、つまり母親の育児姿
勢です。子どもが生まれたときから、何かにつけ、母親がせっかちで、こまごまとうるさ
いことを言い過ぎた? 「早く、早く」を言い過ぎた? 「根」が深い分だけ、簡単には
なおらない。…と考えて、「うちの子は、まあ、こんなもの」と、子どもの特性を認め、あ
とはあきらめます。『あきらめは悟りの境地』です。子どもというのは、親がカリカリして
いるときは、伸びません。が、親があきらめたとたん、伸び始めます。子ども自身の心が
軽くなるからです。
 どうにもならない問題は、どうにもならない。今は、先生とのリズムが合っていない程
度に考え、あまり深刻に悩まないこと。小学3年生以上になり、自己管理能力が発達して
くると、この種の問題は、自然と解消していきます。


Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

相談(2)小学6年生の母から

 小学6年生になった息子は、自己主張が強くなり、親としてうれしい半面、自分が興味
をもてないこと、(たとえば苦手な教科の復習など)は、頑としてやりません。
「本人の好きなこと、得意なところを伸ばしてやるとよい」とよくアドバイスされますが、
6年生の今からこんなことでは、この先どうなるのだろうと悩みます。


A:「この先どうなるだろう」ということですが、何も変わりません。5年後も、10年後
も、今のままです。あるいはあなたはいったい、あなたの子どもを、どうしたいのですか。
相談を一読して、そこに子離れできない母親の姿を想像してしまいました(失礼!)。
 『本人の好きなこと、得意なところを伸ばして…』は、家庭教育の大原則です。ひとつ
が伸びると、その相乗効果で、ほかの部分(科目)も伸びてきます。大切なことは、子ど
もに一芸をもたせること。「これだけは人には負けない」というのが、一芸です。その一芸
が子どもの心を支え、守ります。将来の職業につながることもあります。
 また6年生という年齢からして、いよいよ自我の同一性の確立の時期に入ったと考えて
ください。「自分はこうあるべきだ」という自己概念と、現実の自分を一致させる時期です。
その構築に失敗すると、心は無防備状態になり、精神的に軟弱な子どもになってしまいま
す。非行にも走りやすくなります。
 また「苦手な科目」というのは、「点数が低い科目」ということでしょうか。もしそうな
ら、その判断は、子どもに任せなさい。親があれこれ言っても、かえって逆効果です。
 子どもというのは、親の夢を一つ一つつぶしながら、成長していくものです。それがわ
かなければ、あなた自身を振り返ってみることです。あなた自身は、優等生だったでしょ
うか。答は、「NO!」のはずです。
 

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●7月号相談(Q&A)

相談(1)小学4年生の母から

 最近わが子の親に対する話し方が気になります。たとえば、私が何か「こうしなさい」
と注意すると、「そんな法律がどこにあるの?」などと言ってくるので、ついつい怒ってし
まうこともしばしば……。
 これは反抗期なのでしょうか?


A:思春期最大のテーマは、「同一性の確立」(エリクソン)です。(私はこうでありたい)
という理想の自己像と、(現実の私)、つまり現実自己を、一致させようとします。一致し
た状態を「自我の同一性」と言います。その第一歩が、おとなの優位性の打破です。それ
が「思春期の反抗」と考えてください。
 (悪態)もそのひとつ。「そんな法律がどこにあるの?」と。それを許せということでは
ありません。それができないほどまでに、子どもを抑えてはいけないということです。カ
リカリするのはしかたないとしても、「ああ、うちの子は、今、児童期から青年期へと、脱
皮を始めているのだ」と、一歩退いて子どもを見ます。
 この時期、親意識(とくに「親に向かって何よ!」式の悪玉親意識)が強すぎると、子
どもは親の前では仮面をかぶるようになります。自我の確立に失敗し、非行に走ったり、
親子の間にキレツが入り、親子が断絶するケースも目立ちます。最悪のばあいには、自我
の崩壊……。ナヨナヨとした軟弱な人間になることもあります。
 親には3つの役目があります。(1)ガイドとして子どもの前に立つ。(2)保護者とし
て子どものうしろに立つ。そして3番目が重要ですが、(3)友として子どもの横に立つ、
です。
 悪玉親意識を捨て、子どもの友になるつもりで、子どもの横に立ってみてください。と
たん、肩の荷が軽くなりますよ。
 

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

相談(2)小学4年生と小学1年生の母から

 長男への接し方で悩んでいます。長男にはどうしても小言を言う機会が多く、下の子は
女の子で要領がよく、注意された長男をからかって、長男を怒らせます。それを見て私が
怒る……の悪循環で、ときどきそんな雰囲気で日々を過ごしている長男がかわいそうにな
ります。
 長男への接し方を変えるアドバイスはないでしょうか。


A:長男、長女に対しては、どうしても不安先行型の子育てになりがちです。「何をしても、
不安」と。それが過干渉になったり、過関心に転じたりします。度を越すと、子どもの心
が萎縮したり、反対に粗放化することもあります。
 あなただけではありません。ほとんどの親がそうです。が、そのリズムは、妊娠したと
きから始まっています。つまり「根」が深いということ。そういう思考回路が、あなたの
脳の中にできあがってしまっています。そのためそのリズムを変えるのは、ほぼ不可能と
考えてください。では、どうするか?
 (1)そういう自分であると知って、仲よくつきあうこと。(2)「あなたはいい子」を
口癖にし、あなた自身の心を作り変えること。
 長男の顔や姿を見たら、本人にはもちろん、父親や長女の前で、題目のようにその言葉
を繰り返してみてください。3~4か月もすると、(それでも早いほうですが……)、あな
たは自然な口調で、それが言えるようになります。そのとき、あなたが今、心配している
問題は解決します。
 大切なことは、「子どもを直そう」と思わないこと。「今より状態を悪くしないこと」。そ
れだけを考えて対処します。この種の問題には、二番底、三番底があります。親は、自分
の子どもがより悪くなって、それ以前の状態が、まだよかったことを知ります。それが「悪
循環」と言われるものです。
 

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●5・6月号相談事例

相談(1)小学3年生の母から

 小学3年生になると、友達関係でいろいろあるとは先生から聞いていたのですが、早速
わが子のカラーペンが一式なくなってしまい、とても心配しました。
 悪意からではなく、いたずらかもしれませんが、こういうときは、ただ見守るしかない
のでしょうか? それとも、担任の先生に相談した方がいいのでしょうか?
(焼津市・A)


A:鉄則はただひとつ。『友を責めるな、行為を責めよ』(イギリスの教育格言)です。担任
の先生にこうした事案は、遠慮なく報告したらよいでしょう。しかしそのとき、事実だけ
を客観的に話し、特定の子どもの名前を出したり、批判したりしてはいけません。自分の
判断を加えていけません。「事実」だけを話します。あとの判断、対処の仕方はプロの先生
に任せます。
 もし相手の子どもの名前がわかっていたら、逆にその子どもをほめてみます。「あの子は
いい子ね」と。あなたの家に招待するのもよいでしょう。あなたがその子どもと友だちに
なるつもりで、間に入ります。子どもというのは、自分を信じてくれる人の前では、よい
子を演じようとします。逆にそうした性質を利用して、その子どもを、よい友だちに作り
変えてしまいます。
 日本でも昔から『魚心あれば、水心』といいますね。英語にも、『相手は、あなたの思う
ように、あなたのことを思う』というのがあります。心理学の世界では、これを「好意の
返報性」といいます。あなたがその子どもをよい子と思っていると、そうした心は、あな
たの子どもを介してかならず、相手の子どもに伝わります。
 大切なことは、あなたの子どもが気持ちよく、楽しく通学することです。負けるところ
は負け、妥協するところは妥協します。けっしてカリカリしてはいけません。


Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

3/3

2010-12-29 10:57:11 | 日記

相談(2)小学5年生の母から

 わが子のクラスで「いじめがある」とか「騒ぐ子がいて担任の先生が困っている」など
という話を子どもから聞き、親として心配がふくらんでいます。子どもの話だけで判断す
るよりは、懇談会などで直接聞く方がいいと思うのですが、聞き方が難しそうです。
親の心配を伝え、なおかつ先生批判にとられない聞き方は、どうすればいいでしょうか?
(藤枝市・Y)


A:この程度の問題で、動揺しないこと。いじめのない学級はありません。困っていない
先生など、い・ま・せ・ん。もし心配なら、1、2年、年上の子どもをもつ父母に相談し
てみることです。できれば、別の学校の父母に、相談します。たいてい「うちもそうでし
たよ」というような回答をもらって、その場で問題は解決するはずです。
 が、鉄則があります。どんなばあいも、子どもの前で、学校や先生の批判をしたり、悪
口を言ってはいけません。子どもの前では、「あなたの学校はすばらしい」「あの先生は、
最高!」と言います。
 もしあなたが学校や先生を批判したり、さらに悪口を言ったりすると、あなたの子ども
は先生の指示に従わなくなります。これを心理学の世界では、「三角関係」といいます。わ
かりやすく言えば、子どもが「二重拘束」の状態に置かれるということです。子ども自身
が、糸の切れた凧のようになってしまいます。
 教育で何が大切かといって、先生との信頼関係ほど、大切なものはありません。信頼関
係がなければ、教育そのものが、崩壊します。その信頼関係は、向こうからやってくるも
のではありません。親であるあなた自身が、努力で作るものです。
 なお相談といっても、同じクラスの父母に相談するのは、避けてください。あなたの話
しが曲解され、たまにおおげさになることがあります。


Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

相談(3)小学4年生と小学1年生の母から

 長男への接し方で悩んでいます。長男にはどうしても小言を言う機会が多く、下の子は
女の子で要領がよく、注意された長男をからかって長男を怒らせます。それを見て私が怒
る……の悪循環で、ときどきそんな雰囲気で日々を過ごしている長男がかわいそうになり
ます。
長男への接し方を変えるアドバイスはないでしょうか?
(静岡市・K)


A:心配先行型、不信先行型の子育てがリズムになっています。何をしても、否定的にと
らえてしまう。それに(下の子)との比較も、日常化しているようですね。これは、ま・
ず・い!
 子育てをしていて、「悪循環」を感じたら、思い切って、引きます。つまりあきらめます。
子育ての世界では、『あきらめは、悟りの境地』といいます。(私が考えた格言ですが…。)
「どうにでもなれ!」と、一歩退きますが、だからといって、無視したり、冷淡になれと
いうことではありません。
 愛情でくるんだ、「暖かい無視」です。で、ここが重要ですが、「求めてきたときが与え
どき」と心がけます。長男が助けを求めてきたときは、すかさず、(すかさずです)、それ
に応じてあげます。そしてあとは、最初はうそでもいいですから、「あなたはいい子」を口
ぐせにします。
 何か月も言いつづけていると、やがてあなたの子どもは、あなたの口ぐせどおりの子ど
もになります。つまりこうしてあなた自身の子育てのリズムを作りかえます。
 また(条件)(比較)(無理)は、子育ての3悪です。「勉強したら、~~を買ってあげる」
(条件)、「妹は~~なのに…」(比較)、それに能力を超えた期待をかける(無理)は、タ
ブーです。
 長男は長男、妹は妹。ともに長所だけを見て、それですませます。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 離婚 離婚問題 母親の離婚 子どもへの対処法 はやし浩司 我ら
が目的は 成功することではなく 失敗にめげず前に進むこと 許して忘れる はやし浩
司 forgive and forget forgive& forget for・give & for・get はやし浩司 兄弟げんか 子
どもの喧嘩 子どもの進路 長男 長女 接し方 はやし浩司 思春期の子ども 子供 
ゲームづけの子供 父親の役割 母子関係の是正 子供は家族の代表 子どもは家族の代
表 ファミリス Q&A 静岡県教育委員会発行雑誌 はやし浩司 子どもの苦手な科目
 苦手な勉強 いじめ はやし浩司 いじめの対処 あきらめは悟りの境地)


Hiroshi Hayashi++++Nov. 2010++++++はやし浩司・林浩司


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●はやし浩司 2010-11-19

●静かな朝

 今朝はかなり早い時刻に、目が覚めた。
何か夢を見ていたようだが、思い出せない。
顔に冷気を感じながら、暗闇の中で、あたりを見回す。
朝日はまだのよう。
「何時だろう?」
そんなことを考えながら、あれこれ考える。

●運動

 最初に迷ったのは、運動。
起きて、ルームウォーカーで運動すべきかどうか。
寝ているのも1時間。
運動するのも1時間。
寒い朝でも、20~30分もすれば、汗をかくほど体が暖まる。
それはよくわかっている。
しかしその踏(ふ)ん切りがつかない。
「何時だろう?」
また、そんなことを考えた。
「もう少しで明るくなるはず。そしたら起きよう」と。

 昨夜は、いつもより早く床についた。
10時ごろだったかな……?

●生かされている

 最近、私は、「生きている」のではなく、「生かされている」と思うことが多くなった。
その第一。
今、ここで死ぬわけにはいかない。
病気になることも許されない。
がんばるしかない。
がんばって、仕事をつづけるしかない。
今日、明日と講演がつづく。
怠(なま)けた体では、講演はできない。

 それに私がいちばん恐れるのは、この(流れ)が止ること。
漢方の世界では、『流水は腐らず』という。
これは健康論について言ったものだが、漢方では肉体と精神の健康を区別しない。
肉体と精神の健康は、密接不可分のものと考える。
今の私に必要なのは、「流水」、つまり「日々の緊張感」。
これが止ったら、……というか、そのあと私はどう生きていけばよいのか。
その先が見えない。
まったく見えない。
肉体だけではない。
精神そのものも、ボロボロになってしまう。

 だから生きていくしかない。
仕事をやめるわけにはいかない。
書くのをやめるわけにはいかない。
それが「生かされている」という思いにつながっている。

●二男

 ふと、二男はどうしているだろうと思う。
息子は3人いるが、私がいちばん気にかけたのは、二男だった。
好きだった。
私なりに愛情を、いちばんかけた。
そのこともあるのだろう。
以前、近くのパソコンショップに、MKさんという店員がいた。
歩き方、話し方が、二男にそっくりだった。
もちろん顔つきまで、そっくりだった。
そのこともあって、私とワイフは、いつもその店に行くのが楽しみだった。
MKさんい会うたびに、「よく似ている」と笑いあった。
もちろんそのことは、その店員には言わなかった。

 かわりに、多少値段が高くても、パソコンや関連商品は、その店で買った。
すべてMKさんを通して買った。
MKさんも、私たちによくしてくれた。

 が、MKさんは、そのうち別の店に転勤になってしまった。
そのつど、「今、MKさんは、どちらに?」が、その店でのあいさつ言葉になってしまった。
さみしかった。
わざわざ会いに行こうかと考えたこともある。

 ・・・と、まあ、そんな話を、食事のときワイフとした。
「MKさんは、どの店にいるのかなあ」
「一度、聞いてみたら・・・」と。

 そのときふと、あの正田氏のことを思い出した。
現在の美智子皇后陛下の故父君である。
あるときその正田氏に、食事をしながら、こう聞いたことがある。

「正田さんは、どうしてぼくを(留学生に)選んでくれたのですか?」と。
正田氏はそばを食べる手を休め、一瞬、背筋をのばしてこう言った。
「浩司の『浩(ひろ)』が同じだろ」と。

 私はそのときは、「ナーンダ、そんなことで」と思った。
が、今になってみると、そのときの正田氏の気持ちがよくわかる。

そしてしばらく間をおいて、正田氏はこう言った。「孫にも自由に会えんのだよ」と。

 それについて書いた原稿がある(中日新聞掲載済み)。
正田氏が亡くなる前に書いた原稿である。

++++++++++++++++

「最高の教育」について書いた
原稿です。

++++++++++++++++

最高の教育とは【15】

●私はとんでもない世界に!

 私の留学の世話人になってくれたのが、正田英三郎氏だった。現在の皇后陛下の父君。
このことは前にも書いた。そしてその正田氏のもとで、実務を担当してくれたのが、坂本
Y氏だった。坂本竜馬の直系のひ孫氏と聞いていた。

 私は東京商工会議所の中にあった、日豪経済委員会から奨学金を得た。正田氏はその委
員会の中で、人物交流委員会の委員長をしていた。その東京商工会議所へ遊びに行くたび
に、正田氏は近くのソバ屋へ私を連れて行ってくれた。そんなある日、私は正田氏に、「ど
うして私を(留学生に)選んでくれたのですか」と聞いたことがある。

 正田氏はそばを食べる手を休め、一瞬、背筋をのばしてこう言った。「浩司の『浩(ひろ)』
が同じだろ」と。そしてしばらく間をおいて、こう言った。「孫にも自由に会えんのだよ」
と。

 おかげで私はとんでもない世界に足を踏み入れてしまった。このことも前に書いたこと
だが、私が寝泊まりをすることになったメルボルン大学のインターナショナルハウスは、
各国の王族や皇族の子弟ばかり。

 私の隣人は西ジャワの王子。その隣がモーリシャスの皇太子。さらにマレーシアの大蔵
大臣の息子などなど。毎週金曜日や土曜日の晩餐会には、各国の大使や政治家がやってき
て、夕食を共にした。

 首相や元首相たちはもちろんのこと、その前年には、あのマダム・ガンジーも来た。と
きどき各国からノーベル賞級の研究者がやってきて、数カ月単位で宿泊することもあった。
東京大学から来ていた田丸先生(二〇〇〇年度日本学士院賞受賞)もいたし、井口領事が、
よど号ハイジャック事件(七〇年三月)で北朝鮮へ人質となって行った山村運輸政務次官
を連れてきたこともある。山村氏はあの事件のあと、休暇をとって、メルボルンへ来てい
た。

 が、「慣れ」というのは、こわいものだ。そういう生活をしても、自分がそういう生活を
していることすら忘れてしまう。ほかの学生たちも、そして私も、自分たちが特別の生活
をしていると思ったことはない。意識したこともない。もちろんそれが最高の教育だと思
ったこともない。が、一度だけ、私は自分が最高の教育を受けていると実感したことがあ
る。

●落ちていた五〇セント硬貨 

 ハウスの玄関は長い通路になっていて、その通路の両側にいくつかの花瓶が並べてあっ
た。ある朝のこと、花瓶の一つを見ると、そのふちに五〇セント硬貨がのっていた。だれ
かが落としたものを、別のだれかが拾ってそこへ置いたらしい。

 当時の五〇セントは、今の貨幣価値で八〇〇円くらい。もって行こうと思えば、だれに
でもできた。しかしそのコインは、次の日も、また次の日も、そこにあった。四日後も、
五日後もそこにあった。私はそのコインがそこにあるのを見るたびに、誇らしさで胸がは
りさけそうだった。そのときのことだ。私は「最高の教育を受けている」と実感した。

 帰国後、私は商社に入社したが、その年の夏までに退職。数か月東京にいたあと、この
浜松市へやってきた。以後、社会的にも経済的にも、どん底の生活を強いられた。幼稚園
で働いているという自分の身分すら、高校や大学の同窓生には隠した。しかしそんなとき
でも私を支え、救ってくれたのは、あの五〇セント硬貨だった。

 私は、情緒もそれほど安定していない。精神力も強くない。誘惑にも弱い。そんな私だ
ったが、曲がりなりにも、自分の道を踏みはずさないですんだのは、あの五〇セント硬貨
のおかげだった。私はあの五〇セント硬貨を思い出すことで、いつでも、どこでも、気高
く生きることができた。


(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 最高の教育 最高の教育とは 正田英三郎)


 Hiroshi Hayashi++++Nov. 2010++++++はやし浩司・林浩司

【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□


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 また2011年にお会いしましょう!

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.       m\ ▽ /m~= ○
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 m | ⌒ ⌒ |
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 \´(〃 ▽ 〃) /~~
  \  ̄Σ▽乃 ̄\/~~/
   \  :  ξ)
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●嫁と姑

2010-12-28 09:17:24 | 日記
●12月28日

+++++++++++++++++++

我ら団塊の世代は、ぜいたくをすることに、
罪悪感を覚える。
悲しき、かつ、貧しき世代。
「ひもじさ」が身にしみている。

戦後のあの時代を知るが故に、現在のこの
繁栄に、おぼつかなさを覚える。
もう少し平たく言えば、いつ何時、あの
時代に逆戻りしてもおかしくない。

そういう不安感を、いつも抱えている。
だからぜいたくが、できない。
ぜいたくをすることに、罪悪感を覚える。

++++++++++++++++++++

●嫁vs姑戦争

 嫁と姑(しゅうとめ)が、仲よくいっているケースは、今、ほとんどない。
なぜか。

 姑にしてみれば、自分の息子は、「自分のモノ」。
その「モノ」が、ある日突然、嫁に取られてしまう。

 一方、嫁にしてみれば、夫は「自分のモノ」。
子どもができれば、なおさら。
夫をはさんでの争奪戦が始まる。

 ……とまあ、簡単に言えば、そういうこと。
そこで大切なことは、この「モノ」意識を、できるだけ早く解消すること。
たとえば今、あなたが自分の子どもを育てているなら、自分の意識の中に、
「モノ意識」がないかどうか、一度、探ってみるとよい。
「私の子ども」と、いつも「私の」をつけている人ほど、あぶない。

 子どもはたしかに、あなたから生まれたかもしれない。
腹も痛めた。
苦労もした。
しかしあなたの「モノ」ではない。
わかりやすく言えば、いつかは去っていく。
そういう存在。
そう考えて、その年齢になったら、その覚悟と準備を始める。
幻想は、禁物。
期待は、禁物。
それはちょうど、宝くじのようなもの。

 当たれば、それでよし。
はずれても、がっかりしない。
当たることを、過度に期待しない。

それよりも重要なことは、あなたはあなたで自分の人生を組み立てる。
前向きに生きていく。
つまり子どもという「モノ」など、相手にしない。
これは老後のあなたの心を守るために、とても大切なことのように思う。
理由が、ある。

 いくら戦争をしても、姑には勝ち目はない。
どうせ先細りの人生。
その先は、真っ暗。
戦争をして、惨めな思いをするのは、いつも決まって姑。
あがけばあがくほど、墓穴を掘る。

 今日もあちこちで、嫁vs姑戦争がくり広げられている。
あなただけが無事ですむという保証は、どこにもない。
だから今が、大切。
コツは簡単。
「限度をわきまえ、子育てにのめり込みすぎない」(ラッセル)。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 嫁姑戦争)


Hiroshi Hayashi++++Dec. 2010++++++はやし浩司・林浩司

●今朝も寒かった

 今朝は5時半ごろ、目が覚めた。
が、床から起きたのが、午前7時すぎ。
ふとんの中で、PSP将棋を相手に、2試合。
1勝1敗。
将棋を指しながら、ワイフとバカ話。

 で、話題は餅つき。
「どうしようか」「どうしよう」「やっぱりしよう」と。

 電気の餅つき機はあるが、最後の仕上げはいつも、臼(うす)でしている。
毎年1臼だけ。
それでも臼でしている
臼でついた餅は、ねばりがちがう。

 起きてから、すぐウォーキングマシンで運動。
10分もすると、全身から汗が出てくる。
それが心地よい。

 で、今日は午前中から仕事。
1日、忙しい。
そうそう昨夜、DVDショップで、4本もDVDを借りてきた。
今年の正月は、DVD三昧。
兄弟会、温泉旅行とつづく。

 寒いが、がんばろう。
雪が降らないだけ、まだよいほう。
それにいくら寒いといっても、浜松は、まだ暖かいほう。
ぜいたくを言ってはいけない。

 今夜は教室の忘年会。
またまた太るかな?

 おはようございます。
はやし浩司 2010-12-28


Hiroshi Hayashi++++Dec. 2010++++++はやし浩司・林浩司

●12-27の朝に

2010-12-27 10:45:00 | 日記
●私(林 浩司)の運勢


+++++++++++++++++


どこかの団体が、勝手に私の姓名判断を
している。


詳しくは、
http://mei.longseller.org/o26/i21222.html
で、ご覧になっていただきたい。


で、私はこの類の運勢占いを、いっさい、
信じない。
もとから思考回路にない。
「占い」「まじない」と聞いただけで、
脳みそが拒絶反応を示す。
それに比べて姓名判断というのは、かなり
数学的。
姓名にも、バランス感覚が働く。
あまりヘンチクリンな名前では、笑いものに
なるだけ。
それを調整するのが、姓名判断。
私はそう理解していた。


が、読んでみて、驚いた。
「ヘ~エ」と感心するほど、驚いた。
「当たるも八卦、当たらぬも八卦」という。
しかしここまで当たっていると、
ぞっとする。


どこかで私を観て、書いたのではないかと
思えるほど、よく当たっている。


そのまま紹介させてもらう。


+++++++++++++++++++


●天格


勤勉 努力 成功
資産家で、同族意識強く、地域社会で活躍してきました。
天格とは、姓の漢字の画数の総計です。祖先運を表しています。天格だけで吉凶は判断し
ません。


●人格


苦労 挫折 障害
神経が細かく、直感が鋭い偏屈強情な直情型です。頭はよいが金運は弱いようです。配偶
者、実子に縁が薄く、病難が周囲にいて面倒を看ます。
人格とは、姓の最後と名前の最初の画数合計です。名前の中心にあたる部分で、家庭・仕
事・結婚運、二十代くらいまでの運勢を表し、主運とも言われます。


●地格


人望 大成 逆転成功
自分の理想実現に全力を尽くすタイプです。親や他人に精神、物質両面で惜しみなく援助
します。
地格とは、名前の画数の総計です。性格・才能・金運・適職、幼年期から中年期までの運
勢を表します。


●外格


信頼 誠実 努力
人からは、ファイト満まん、頭の回転が速い、プライドが高い人というように見られてい
ます。
外格とは、総格から人格を引いた数です。家族・職場などの外因的要素、対人関係・社会
的環境の運勢を表します。一字姓、一字名の場合、天の恵みとして霊数1を加えます。


●総格


柔軟性 順調 家庭運
要領よく処理がテキパキと早くまじめ、プライド高く厳しく冷たい自分勝手な印象、など
の特徴があります。
総格とは、姓・名前の画数合計です。人生全体に影響を及ぼし、主に中年期以降を表しま
す。


●私の判断


 しかしよくよく読んでみると、どれも「だれにでもそういう面はある」というような
ことばかり。
あるいは「時には、そういう面もある」というようなことばかり。
「成功」という言葉もあるが、どの程度をもって、「成功」というのか。
またたとえば「人からは、ファイト満まん、頭の回転が速い、プライドが高い人というよ
うに見られています」という部分について。


たしかに私をそういうふうに見ている人もいる。
若いときの私を知っている人は、今でもそういう印象をもっているかもしれない。
少なくとも、ヤワな男ではない。
が、最近は、かなり変わってきた。
ファイトもしぼみがち。
頭の回転も鈍くなってきた。
プライドなどというものは、とうの昔に捨てた。


 姓名判断というのは、名前が同じなら、年齢には関係ないはず。
しかし同じ人間でも、年代ごとに環境も変わり、人間関係も変わる。
浮き沈みは、人の常。
そういう(変数)は、どう勘案するのか。


 若いころの私は、とても「誠実な人間」とは言えなかった。
ウソつきで、インチキなことばかりしていた。
「誠実」を努めて心がけるようになったのは、浜松へ来て、ドン底の、そのまたドン底へ
叩き落とされてから。
そのときから、タバコをやめ、酒もやめ、ついで女遊びもやめた。
自分でもバカではないかと思うほど、クソまじめに生きるようになった。
1972年のはじめごろのことである。
(ドン底に落ちたのは、1971年の冬。)


 もっとも私は「はやし浩司」。
「林浩司」と書くのは、公的な書類の上だけ。
で、こういうばあいは、どうなるのか。
「はやし」は、もともとは、「波・也・之」の一部が、ひらがなになったもの(万葉仮名)。
だったら、「波也之浩司」で姓名判断してもらったほうがよい。
それなら現実に即している。


 久々に姓名判断なるものを、読ませてもらった。
おもしろかった。


(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 姓名判断 占い まじない)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●12月27日(今年も秒読み段階)

 今日は12月27日、月曜日。
朝、ふとんの中でモジモジしていたら、午前8時になってしまった。
あわてて起き、そのままウォーキングマシンへ。
今朝は20分で切り上げた。

 ワイフが朝食を用意してくれていたので、急いで食べた。
書斎へ入ったのは、そのあと。
いくつかのメールが届いていたので、返事を書く。
ニュースを読む。
で、今朝は「姓名判断」について書いた。
それが先の原稿。

●総括

 あと丸5日、ある。
2010年が終わったわけではない。
だからまだ2010年を総括したくない。
この5日に、全精力を傾けたい。
1日、1日を大切に生きたい。

 数年前までだと、この時期は正月の準備に明け暮れた。
いっぱしに、餅つきもしたりした。
そう言えば、年賀状を書くのも、1週間仕事だった。
私が絵柄を描き、ワイフが宛名を書いた。
居間の床が年賀状で、埋まった。

が、今は、プリンターで簡単にできる。
昨夜遅く、印刷を始めたが、片手間。
私がしたことと言えば、ときどき年賀状をトレイに補充することだけ。
「こんなことでいいのかなあ」と思いつつの作業だった。

 こんな年賀状なら、あまり意味はない。
ただの印刷物。
儀礼的印刷物。
こんなことを繰り返しても、「大切に生きた」という喜びにはつながらない。

●あと5日

 もしあなたが「余命はあと5日です」と宣告されたら、あなたなら何を、どうする
だろうか。

 ウーン。
私なら、身辺の整理を始める。
とくに原稿の整理。
私の書いた原稿こそが、まさに私の「墓石」。
最後にその墓石を磨く。

 別れの手紙を書くかもしれない。
友人や家族、それに親しかった人たち。
そういう人に手紙を書く。

すべてを許し、すべてを許してもらう。
許してもらえないかもしれないが、許しを乞う。

 あとはその瞬間、瞬間、思いついたことを文にする。
死ぬ間際まで、文を書く。
激痛がなければ、幸い。
頭と手が動けば、幸い。
目が見えれば、幸い。

 ……明後日で、今年の仕事はおしまい。
それがすんだら、やはり原稿の整理を始める。
あちこちに分散している原稿を、ひとつのまとめ、DVDに焼く。
HPも整理する。

 この世界、まさに『金の切れ目が縁の切れ目』。
プロバイダーへの支払いが止まれば、HPも削除される。
もっとも墓石という「石」ですら、やがて朽ちてぼろぼろになる。
私の書いたものにせよ、10年ももてば、御の字。
100年後に、1文でも残っていれば、それが「はやし浩司」。
「私」が生きたという証(あかし)。

 残りの5日間は、その1文を残すために、全力を傾ける。
しかしどうすれば、1文を残すことができるか。
方法のひとつは、二男に頼むこと。
DVDに焼いた原稿を、30年後、50年後に、再び、アップロードしてもらえばよい。
ナルホド。
これはよい方法だ。
あとで二男に相談してみよう。

 この広い宇宙。
とてつもなく広い宇宙。
その宇宙の、ゴミにもならない小さな惑星で、私は生まれ育った。
そしてゴミにもならない文章を書きつづけた。
あとの判断は、これから生まれ育ってくる人たちに任せればよい。

 ともかくも、私はこの5日間で、完全燃焼すること。
来年は、ない。
明日も、ない。
あるのは、今日だけ。
この瞬間だけ。

がんばるぞ!

2010年12月27日朝記

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 2010-12-27)


Hiroshi Hayashi++++Dec. 2010++++++はやし浩司・林浩司

1/2  ゲーム中毒

2010-12-27 00:20:22 | 日記
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 子育て最前線の育児論byはやし浩司      12月   27日号
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

休みます。

【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●ネット中毒(TBS・News-i)」より

+++++++++++++++++

韓国内のネット中毒患者は、190万人。
悲惨な事件も、毎日のように起きている。
こうしたネット中毒患者のために、救済
施設まである。

かたや、この日本はどうか?
人口比からして、その約3倍の中毒患者
がいてもおかしくない。
約600万人?
そういった隠れ患者は、どこに消えてい
るのか。

まず、TBS-iの報道を紹介する・

+++++++++++++++++

**********以下、TBS-iより(2010-11-18)*******

いわゆる「インターネット中毒」が社会問題化している韓国で、ネットゲームをめぐって
14歳の少年が母親を殺害し、自らも命を絶つ事件が起きました。

 韓国警察によりますと、プサン市内のマンションの一室で16日、この部屋に住む女性
(43)が首を絞められて殺害されているのが見つかりました。

 女性の長男で中学3年生の少年(14)がベランダで首を吊って自殺していて、祖母に
宛てた遺書には「お母さんとケンカをして許されないことをした」などと書かれていまし
た。

 少年は学校を遅刻・欠席しがちなほどネットの戦闘ゲームにのめり込んでいて、事件の
前日にはそのことで母親と口論になっていたということです。

 韓国政府によると、韓国国内のネット中毒患者はおよそ190万人。今年3月には夫婦
そろって「育児ゲーム」にのめり込み、生後3か月の娘を餓死させる事件が起きるなど社
会問題化しています。

 さらにネット中毒の低年齢化も進んでいて、来年から予防対象を幼児にまで拡大するこ
とが決まっています。

**********以上、TBS-iより(2010-11-18)*******

●猛烈な攻撃

 この日本では、テレビ・ゲーム、あるいはネットゲームを批判しただけで、
猛烈な抗議の嵐にさらされる。
ボロクソに叩かれる。

私も11年前に『ポケモン・カルト』という本を書いた。
が、いまだに、それがつづいている。
興味のある人は、ためしに、「はやし浩司 ポケモンカルト」で検索をかけてみる
とよい。
いつも「トンデモ本」のトップにあげられている。
はげしい攻撃の文句もさることながら、どういう人たちが、私を攻撃しているか、
どうかそれも知ってほしい。

 が、問題は、このことだけではない。
「190万人」という数字である。
人口比からすれば、この日本では、600万人となる。
(日本の人口は、韓国の約3倍。)
そういう人たちは、今、どこで何をしているのか。
何を考えているのか。

 日本人だけが特別ということもないだろうし、韓国人だけが特別ということも
ないはず。
あの事件、つまり光性てんかん事件が起きたとき、全国で数百人の子どもたちが
倒れた。
テレビアニメの『ポケモン』を見ていた子どもたちである。

 あの事件で不思議なのは、(「謎」と言ってもよいが)、そのあとだれひとり、
当該テレビ局に対して、損害賠償、医療費を公(おおやけ)で請求した人が
いなかったこと。
裁判にもならなかった。
倒れた子どもたちは闇から闇へと、葬られた。
ついで、あの事件そのものも、闇から闇へと、葬られた。
いったいあの事件は、だれが、どのような形で幕を引いたのか?

 実は、今の今もそうである。

 数か月前、ある教材社から仕事の依頼があった。
私は引き受けるつもりで、用意していた。
が、そのちょうど1週間後、今度は断ってきた。
いわく「うちもS社(出版社)と取り引きがありまして……」と。
「S社を敵に回したら、仕事もできなくなります」とも。
つまり私が書いた『ポケモン・カルト』が、問題というわけである。

 ポケモンは、現在も全盛期。
それはそれで結構なこと。
それが問題というのではない。
私はこの世界は、何かがおかしいと書いている。
それがわからなければ、もう一度、冒頭のあげた記事を読みなおしてみてほしい。
日本の600万人は、どこに隠れているのか?
何をしているのか?

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 ポケモンカルト ポケモン・カルト 三一書房 ゲーム中毒 韓国)

(付記)

 この問題は、脳のCPU(中央演算装置)がからんでいる。
それだけに、やっかい。
やっかいというのは、中毒患者が自ら、それに気づくということは、まずありえない。
「私は正常」と思い込んでいる。
しかし正常ではない。
正常でないことは、彼らが書く(文章)を読んでみればわかる。
支離滅裂というか、感情をそのまま叩きつけている。
文章というよりも、「文」そのものになっていない。

 たとえば……

「お前の子ども……MMMM……ゲームと現実の区別、
ちゃんと、つくのかよ~~~~」(某サイト)と。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

2010年の4月に書いた原稿を
添付します。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●ゲーム脳(ゲーム中毒)

+++++++++++++++++++

この日本では、どうして「ゲーム脳」が
問題にならないのか。
「ゲーム脳」という言葉が悪いなら、
「ゲーム中毒」でもよい。

隣の韓国では、すでに10年以上も前から、
また最近では中国でも、「ゲーム中毒」の
若者たちが、問題になりつつある。
ゲーム中毒の子ども(若者も)を集めた
更正施設や、更正プログラムまで、用意
されている※。

が、この日本では、問題にならない。
「ゲーム脳」という言葉を使って、エッセーを
書いただけで、猛烈な抗議に嵐にさらされる。
ゲームの世界そのものが、カルト化している。
ゲームに日夜夢中になっている子ども(若者)は、
まさにその信者ということになる。

(ためしに、「はやし浩司」で検索してみるとよい。
私を、口汚く中傷しているサイトやBLOGがある。
そのほとんどが、ここでいう「信者」たちである。
私が書いた『ポケモンカルト』(三一書房)などは、
出版してから11年になるが、いまだに叩かれつづ
けている!)

が、日本人だけが特別ということは、ありえない。
日本人の脳みそだけが、韓国人や中国人と、構造が
ちがうということは、ありえない。
今の今も、この日本には、ゲーム中毒の子ども(若者)は、
いる。
日に、何時間も何時間も、ゲームに夢中になっている。
真夜中でも、ゲームに夢中になっている。
が、日本では、そういう子ども(若者)が、どういうわけか、
問題にならない。
考えてみれば、これほどおかしな話はない。

ここでは、別の角度から、「ゲーム脳」について
考えてみたい。

+++++++++++++++++++++++++

●まねる(観察学習)

 発達心理学の世界には、「観察学習」という言葉がある。
子どもは、教えられて学ぶことよりも、まわりを観察しながら、自ら学ぶことの
ほうが多い。
量的に、はるかに多い。
「学習効果」ということを考えるなら、またそのほうがはるかに効果的。

 たとえば以前、何かにつけ、ツッパリ始めた子ども(小5男児)がいた。
言動が粗野になり、独特の目つきで、独特の話し方で話すようになった。
「ウッセー」「コノヤロー」と。
紫の地に、金色の刺繍をほどこしたコートを着てきたこともあった。

 で、その子どもを、高校生の受験クラスに入れてみた。
高校生の間に座らせて、好きな勉強をさせてみた。
最初は、体をかたくしていたが、週を追うごとに、ぐんぐんと変化していった。
あとで聞いたら、高校生の中の1人を、自分の理想像のように思いようになったらしい。
その高校生は、野球部の部員だった。

その子どもは、日曜日など、こっそりとその試合の応援に出かけたりしていた。
家に帰っても、その高校生の話ばかりするようになった。

 これは観察学習というわけではないが、その子どもは、まわりの様子から、
多くのものを学んだことになる。
それは「学ぶ」という行為というよりは、「まねる」に近い。
その「まねる」という行為を、「モデリング」という。

●自己認識能力

 ものごとは常識で考えよう。
まだ判断力や自己管理能力がじゅうぶん育っていない子どもが、ゲームを相手に、
「殺せ!」「やっつけろ!」と叫んで、心によい影響を与えるはずがない。
こんな実験が知られている。

 ある一定時間、暴力映画を見せた子どもは、その直後、行動が暴力的になるという
(バンデュラ、ほか)。
多くの研究者が、同じような実験結果を報告しているので、今さら改めて説明する
までもない。
つまり子どもというのは、そのつど環境の中で、自分を作っていく。
作られていく。
それもそのはず。

 子どもが現実検証能力、つまり自分、あるいは自分と他者との関係、さらには自分の
置かれた立場を、客観的に判断できるようになるのは、小学3年生(9歳)以上。
それ以前の子どもには、その能力はない。
たとえば病院や図書館で騒いでいる幼児がいる。
そういう幼児に向かって、「静かにしなさい!」と叱っても、意味はない。
「騒いでいる」「迷惑をかけている」という意識そのものがない。
そういう行為がどういうものかさえ、わかっていない。
叱られたあと静かになるのは、こわいからそうしているだけ。

 つまり小学3年生(9歳)以前の子どもに、その判断能力はない。
判断能力がないというよりは、思考力が未熟。
だからこの時期の子どもは、理性や知性を使って「学ぶ」ことよりも、周囲を
観察し、それを「まねる」ことによって、自分の思考パターンや行動パターンを
形成していく。
それがモデリングということになる。

●疑わしきは罰する

 法律の世界では、『疑わしきは罰せず』という。
が、教育の世界では、『疑わしきは罰する』という。
なんでもあやしいものは、先手先手で、子どもの世界から遠ざける。
安全性が確認されるまで待っていたら、それこそ手遅れになってしまう。

 ゲームにしても、しかり。
もちろん中には、良質なソフトもある。
そういうものまで、ひとまとめにして、「反対!」と、私は言っているわけではない。
しかし良質なソフトにまぎれて、悪質なソフトがあるのも事実。
そういう悪質なソフトまで野放しにしては、いけない。
有害とは証明できないかもしれない。
しかし少なくとも、安全と証明されたわけでもない。
だったら、遠ざける。
それくらいの配慮というか、子どもの世界に対する思いやりは、あって当然の
ことではないか。

……と私は書いている。

●付記

 あるBLOGには、こうあった。
「(右脳教育を創始者の)SDも、(ゲームを批判する)はやし浩司も、
同じようなもの。
一度、この2人を、バトルさせてみたい」と。

 SD氏(2009年死去)は、ゲームは、右脳の刺激になると説いていた。
そのSD氏と私も、同じ、と。
しかし(右脳教育)と(ゲーム脳)とは、どこでどう結びつくのか。
その右脳教育にしても、安全が確認されたわけではない。
むしろ幼児期においては、左脳教育(論理と分析)こそ、重要。
そうでなくても、映像文化に発達とともに、あえて右脳を刺激しなくても、
子どもたちは、じゅうぶん過ぎるほどの刺激を受けている。
反対に、今、静かにものを考える子どもが少なくなった。

頭に飛来した情報を、ペラペラと口にする。
しかし中身がない。
薄っぺらい。
子どもたちの世界が、バラエティ番組化している。
「これでいいのか!」と叫んだところで、この話はおしまい。

【補記】

 私は、右脳教育には、懐疑的である。
10年以上も前から、そういう趣旨で、原稿を書いてきた。
その気持ちは、いささかもゆらいでいない。
「まちがっている」と言っているのではない。
「あえて必要ない」と言っている。
フォト化とか、直観像とか、いろいろ言われているが、安全が確認された
わけではない。
ある幼児教室の案内書には、こうあった。

「これからは、右脳教育を受けた子どもたちが、ゾロゾロと(東大の)
赤門をくぐることになるでしょう」と。

それから10年。
そろそろその結果が出ているはず。
もしSD氏とバトルするようなことがあれば、(天国なら天国でもよいが)、まず
そのあたりの資料を出してもらうところから始めたい。

(注※)

●ゲーム脳

+++++++++++++++++

「ゲーム脳」というのは、大脳生理学上の
問題ではない。
「現象」の問題である。
「大脳生理学上、ゲーム脳というのはない」と
説く学者もいる。
その世界では神格化され、「つぎつぎと商品企画
が、もちこまれている」(某雑誌)とか。

結構な話だが、こういう学者は、つぎのような
現象を、どう考えるのだろうか。
産経新聞をそのまま転載させてもらう。

+++++++++++++以下、産経新聞より++++++++++++++

【産経新聞・10-02-08】

『・・・世界最大となる3億3800万人のインターネット人口を抱える中国で、240
0万人の青少年がオンラインゲームやチャットにのめり込む(ネット中毒)に陥っている。
中国青少年インターネット協会が8日までに発表した調査結果で明らかになった。 

 中国のネット人口のうち3分の1は、19歳以下の青少年が占めている。6~29歳の
青少年7千人を対象に行われた調査結果によると、ネットに依存している青少年は200
7年の9・7%から14%に増加。「ネット中毒」が社会問題化し始めた05年ごろは40
0万人程度で、4年間で6倍に増えた計算だ。娯楽の少ない発展が遅れている地域に中毒
者が多いことも、特徴の一つに挙げられている。

 中毒を誘因している一番の原因はオンラインゲームだ。「ネットを通じて何をしている
か?」との問いに対し、47・9%が「ゲーム」と回答。2位の「アニメや映画、音楽の
ダウンロード」の23・2%、3位の「チャットで友達を作る」の13・2%を大きく引
き離した。

 中国では08年11月、人民解放軍北京軍区総医院が策定した「ネット中毒臨床診断基
準」を公表し、ネット中毒を「繰り返しネットを使用することで一種の精神障害をきたし
た状態」と定義付けた。今回の調査でも、ネット中毒になっていない人の66・5%は「他
人を殴るのは間違っている」と答えたのに対し、中毒者は48%にとどまった。

 国際情報紙、環球時報(英語版)によると、中国青少年精神保健センターの創設者は「ネ
ット中毒者の40%は、(不注意や衝動的な症状などが出る)注意欠陥・多動性障害といっ
た精神疾患にかかっている」と警鐘を鳴らしている』(以上、産経新聞)。

+++++++++++++以上、産経新聞より++++++++++++++

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 ゲーム脳 中国の現状 ゲーム中毒 ネット中毒者 障害 中国のネ
ット中毒者 ゲーム 疑わしきは罰する)


Hiroshi Hayashi++++++April.2010++++++はやし浩司
Hiroshi Hayashi++++Nov. 2010++++++はやし浩司・林浩司

【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●昼神温泉で……(昼神温泉記補足)

+++++++++++++++++

昼神温泉で、ひとりの老人(男性)と
知りあいになった。
時間的に、たまたま温泉内には、私たち
2人だけだった。
湯船につかりながら、いろいろな話をした。

+++++++++++++++++

●男性

 昨日書いた、「昼神温泉記」には、その男性は、「松本から来た」と書いたが、
実際には、「松本」ではなく、「塩尻(長野県)」だった。
記録として残すときは、できるだけ地名や職業は隠すことにしている。
もちろん実名は書かない。
しかしその男性は、塩尻から来ていた。
昼神温泉で一度温泉で体を休め、そのまま豊橋にいる弟の家に行くということだった。

「塩尻から昼神までは、3時間。昼神から豊橋までは、3時間」と。
その男性は、そう言った。
年齢は81歳と言った。

(この年齢も、先の「昼神温泉記」の中では、別の年齢を書いた。)
元国家公務員とか。
風格があるというか、深い知性を感ずる人だった。

●会話

 長野県といえば、……というか、そういう先入観だけで見てはいけない。
が、ほかよりは、古き良き日本をそのまま残した地方ということになる。
その長野県でも、「近所づきあいがなくなりました」と。

男「私が住んでいるあたりでも、独居老人がふえましたね」
私「長野でも、ですか?」
男「昔とちがって、近所づきあいが、なくなりました」
私「若い人たちは、どうしているのですか」
男「携帯とか、インターネットとか、そういうことばかりしていますね。それに若い人
たちは、今、どんどんと都会へ出て行きます」

私「独居老人ではなく、今では、無縁老人といいます」
男「そうですね。私も同年代の人たちとつきあっていますが、毎年、仲間が少なくなって
いきます」
私「お子さんは……?」
男「娘が1人、息子が1人です。娘は、Y原温泉の旅館に嫁いでいきました。息子は東京
へ出たきり、帰ってきません」
私「それじゃあ、温泉三昧ではないですか。うらやましい」
男「それがそうではないのです。娘の嫁ぎ先の親とは、結婚式の話しあいをして以来、
一度も会っていません」

私「一度も会っていない……?」
男「いろいろありましてね……」
私「……旅館経営の最大の問題点は、何ですか?」
男「人ですよ、人。人が集まりません。きつい仕事だし……。ほとんどが人材派遣会社
からの派遣社員です。しかしね、やっと仕事を覚えたと思ったら、またどこかへ行って
しまう……。この繰り返しで、旅館業も、今、たいへんですよ」

私「長野県というから、親戚づきあいも濃厚で、その分、人間関係も濃密かと思って
いました」
男「変わりましたね。時代が変わったのです。狂ったと言ったほうがいいかもしれません」
私「狂った? 同感ですね……」
男「原因は、私は年金制度にあると思うのです。年金制度」
私「はあ、年金制度、ですか?」
男「年金制度ができたおかげで、いい面もあるのですが、親子の関係が切れてしまいま
したね。親のめんどうをみるという若者が、いなくなりました。それで平気で都会へ
出て行くのです」

私「……しかし長野県も、驚くほど、さびれましたね。先日、飯田市に立ち寄ったの
ですが、ゴーストタウン化していたのには驚きました。町の中央を横切る、りんご並木
にしても、荒れ放題といった感じでした」
男「そうですね。仕事がありませんから……」
私「不景気なんですかね」
男「仕事がないのですよ、仕事が……。若い人たちを吸収する職場がない……」
私「そう言えば、この温泉街も立派な温泉が並んでいますが、観光客が少ないですね」
男「観光バスでやってきて、そのまままた、観光バスで帰っていく。こういう季節と
いうのに、外を散策する人がいない……」

私「浜松でも、郊外の村や小さな町では、寺がどんどんと無住の寺になっています。
檀家が少なくなって、住職さえ町へ出て行くのですね」
男「長野県でも、無縁仏がふえていますよ。それでね、大きな墓碑を建て、そこに
無縁仏をまつる寺がふえてきました」
私「須坂市では、布施も戒名料も、すべて一律に定額にしているという話を聞きましたが」
男「……フーン。それはたぶん、市営墓地か何かの話ではないですか。塩尻ではそういう
話は聞きません」

私「浜松でも、初盆をしない家がふえてきました。漁村でも、初盆をする家は、40%
くらいなか」
男「長野でも、葬儀を家でひっそりとする家がふえてきましたね。僧侶を呼び、読経だけ
してもらい、それで終わります」
私「東京あたりでは、直葬といって、病院からすぐ火葬場へ回し、遺灰にして家に帰す
という方式がふえているそうです。数年前の統計ですが、すでに30%を超えたとか」
男「自然葬ですね」
私「そうです。自然葬です。私たち夫婦も、そうなりそうです。それを望んでいるわけで
はありませんが、そうなりそうです」

男「原因は、何ですか」
私「私は、あの受験競争にあると確信しています。受験競争を経験すると、子どもたちが、
突然冷たくなります。人が変わるというか、数字だけでものを考えるようになります」
男「親はよかれと思って、子どもを受験競争に駆り立てるわけですが、逆効果ですな」
私「まったく、その通りです。子どもはそれによって、学費を出してもらうのは、当然と
考えるようになります」
男「親は、爪に灯をともしながら、学費を送るのですがね……」
私「親に感謝しながら、大学へ通っている子どもは、いませんね。出たら、ハイ、さよ
うなら、ですよ」

男「……たしかに狂っている」
私「たしかに、おかしいです。こんな社会ですから、老人はますます生きにくくなって
きました」
男「そう言えば、うちの息子もそうですが、彼らが言う『家族』には、親は含まれて
いませんね」
私「ははは、そうです。それこそまさに私の持論です。若い人たちが言う『家族』は、
自分たち夫婦と、子どもだけです。親は入っていません」
男「やはり、年金が悪いのですよ。年金制度が……」
私「ははは、そうは言っても、私の年金は、月額6万4000円程度です」
男「国民保険だけでは、きびしいね」と。

 たがいに愚痴を言いあった。
愚痴を言いあいながら、笑った。