最前線の子育て論byはやし浩司(2)

子育て最前線で活躍する、お父さん、お母さんのためのBLOG

都会人vs地方人

2012-06-29 22:43:59 | 日記
●都会的優越感

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

都会の人(以下、「都会人」)が、みな、そうというわけではない。
が、少なくは、ない。……と思う。
しかし意識というのは、意識しないまま作られていく。
個人が抗しきれない、大きな流れの中で作られていく。

多くの人たちは、それは「ない」と思っているかもしれない。
しかし、ある。
称して、「都会的優越感」。
ひとつの例をあげる。
この例に、反論できる、都会人はいるだろうか?

たとえば都会人が、浜松へ来るときは、かならず、こう言う。
「明日、午前10時30分着の新幹線で行きます」と。
(東名高速道路なら、「午前10時30分ごろ、浜松西インターに着きます」とか言う。)
時刻や場所が、問題というわけではない。
言外で、こう言う。
「だからその時刻に、そこへ迎えに来い」と。
当たり前のように、そう言う。

が、反対に、浜松に住む私たち地方の人(以下、「地方人」)は、どうか。
私は今までに、東京へ、何百回と足を運んだ。
しかしいまだかつて、ただの一度も、東京駅まで迎えに出てくれた人はいない。
横浜駅にしても、そうだ。
千葉駅にしても、そうだ。
私たち、悲しき地方人は、相手の玄関先まで、自分で行く。
もちろん駅から、玄関先までは、タクシーを使う。

(少し前、千葉県に住んでいる人とたがいに会うことになった。
そのときのこと。
私が「そちら(千葉)へ行きましょうか」と言ったら、その人(男性)はこう言った。
「東京までなら出て行ってもいいです」と。
わかるかな?
「行くと言っても、東京までしか行かないぞ!」と。)

こうした都会的優越感は、根底で、日本人独特の上下意識と結びついている。
興味深いのは、元都会人。
会社を定年退職したような、元都会人。
元都会人というだけで、威張っている。
(もちろん当人たちには、威張っているという意識はないだろうが……。)

私はあるとき、ある元都会人と、あるところへ旅をしたことがある。
そのときのこと。
ある地方の駅に着いた。
が、その元都会人のしたことは、電話をかけることだった。
「今、○○駅に着きました。(だから迎えに来い)」と。

私は、これには驚いた。
すぐ制した。
「タクシーで行こう」と。

で、結局、その元都会人は、相手の人をわざわざ○○駅まで、迎えに来させてしまった。
片道、車で、40~50分の距離である。
あきれるというより、その元都会人が、本当にバカに見えた。
元大会社の部長である。
現役時代の肩書が何であれ、私にはバカに見えた。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司 

●地方コンプレックス

 一方、地方人には、地方人の、地方コンプレックスというものがある。
この浜松の人にも、ある。
「東京から来た」というだけで、何でもかんでも、ありがたがる。
講演会の講師を例にあげるまでもない。

講演会を裏方で準備したことがある人なら、みな知っている。
今どき、東京から講演会の講師を呼ぶと、ワン・ステージ、100万円が相場。
もちろん全額が講師の懐(ふところ)に入るというわけではない。
3~6割が、プロモーターの手に渡る。

 講師料は、もちろんテレビの露出度で決まる。
で、一方、地方人が都会へ出たばあいは、どうか。
実際に、あった話を、正直に書く。
こんな話だ。

 数か月前、東京都のS区の担当者から、電話があった。
「○月○日、講演会の講師として来てほしい」と。

 直接、講演の話があったときは、料金の話はしない。
常識的な範囲というものがある。
それに講演というのは、どういう団体が、どういう規模で開くかが重要。
つまり(やりがい度)。
(やりがい度)で決まる。
それを感ずれば、手弁当でも行く。
講師料など、問題外。
(旅費だけは、何とかしてほしいが……。)

 で、日時は決まった。
が、そのあと、先方の担当者は、こう言った。
「旅費込みで、2万円でいいですか?」(事実)と。

 浜松と東京の往復旅費だけで、1万6000円前後。
S区まで行ったら、丸1日、仕事になる。
しかし私は引き受けた。
S区の大会のような場所での講演会である。
名誉なことである。

 で、それから数日後のこと。
同じ担当者から、また電話があった。
いわく、「で、みなが言うには、本当にその料金でいいかどうか、確かめてほしいということになりまして……」と。
つまり「本当に、旅費込みで、2万円で来てもらえるか」と。

 私は、「そう答えました」「それで結構です」と話したが、つぎの一言が、私を失望させた。
自分の中のプライドが、粉々に飛び散った。
その担当者は、こう言った。
「では、これから林先生にしてもらうかどうか、会にもちかえって相談して決めます」「先生にするかどうか、しばらくお待ちください」と。
つまり、ほかにも、何人か、候補者がいる、と。

 私は、すかさず、こう答えた。
「そういうことなら、はっきりとお断りします」「ほかの方にしてもらってください」と。

 わかるかな?
これが先に書いた、「都会的優越感」。
地方の人間を、徹底的に「下」に見ている。
悪しき、中央集権国家の亡霊である。

 以前、これに似たエッセーを書いたことがある。
NHKの「ひるどき、~~」とかという番組について、である。
その原稿を探してみる。

 2000年ごろに書いた原稿が出てきた。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●見えない過去

 あなたの、ごく日常的な生活を、できれば他人の目で観察してみてほしい。
「私は私」と決めてかかる前に、謙虚な気持ちで、観察してみてほしい。
そのとき、あなたはそれでも、「私は私」と言いきることができるだろうか。

 私たちは無数の過去をもっている。
もっているだけならまだしも、その過去に引きずりまわされている。
つまり日常的な生活というのは、あくまでもその結果でしかない。
たとえば……。

 NHKに、『ひるどき、日本』という番組があった。
司会者とタレントが、地方を訪れ、その地方の名物や名物料理を楽しむという番組であった。
私はあの番組が、どうしても好きになれなかった。
しばらく見ていると、やがて不愉快になった。
長い間、その理由がわからなかった。
が、ある日、その理由に気づいた。

 私は若いころ、あるテレビ放送局で下請けの仕事を手伝ったことがある。
そのときのこと。
「いつか、大きな仕事をさせてもらえるのではないか」「テレビの表舞台に立たせてもらえるのではないか」という期待を、私はもっていた。
そのため、犬のようにシッポを振った。
いや、まさに犬そのものだった。

 一方、テレビ局の人たちは、そういう私の「下心」を見抜いていた。
そして何だかんだと理由をつけては、この浜松へやってきた。
いわゆる「たかり」である。
私は内心ではそれと知りつつも、飲み食いの接待はもちろんのこと、さらには宿泊のめんどうまでみた。
短い期間だったが、延べにすれば、100人以上もの人を接待しただろうか。
が、結局は利用されただけ。

 あの『ひるどき、日本』を見ているとき、私は心のどこかで、あの当時の「東京人」のずうずうしさを思い出していたのかもしれない。
慣れた口調で、ぺラぺラと調子のよいことを言う。
地方の人間をおだてる。
「おしいですね」「こんなところに住んでみたいですね」「空気は新鮮で、うらやましい」と。
地方の人間は地方の人間で、その言葉に乗せられるまま、相手がNHKの人間というだけで、手厚くもてなす。
……それはまさに、自分自身の姿でもあった。

 これはほんの一例だが、私たちはそのつど、過去のわだかまりに、こだわりながら生きている。
ひょっとしたら、「私」という部分のほうが少ないのかもしれない。
趣味や好みはもちろんのこと、不安になったり、悩んだり、苦しんだりすることも、すべて、どこかで過去のこだわりにつながっている。
そこでもあなたが、心のどこかに「自分でない私」を見つけたら、それが自分の過去とどこかで結びついていないかをさぐってみるとよい。
何か、あるはずである。
私はそれを「見えない過去」と呼んでいる。
その過去に気づくことは、自分を知る、第一歩でもある。
それはある意味で、こわいことかもしれないが、勇気を出して、自分を見つめてみてほしい。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●NHKの「ひるどき、日本」

 NHKの「ひるどき、日本」では、都会からやってきた連中が、突然、民家を訪れる。
カメラを従えているから、まさにやりたい放題。
ときには、その家にあがりこみ、昼食まで、食べていく。

 で、その逆のことはあるのだろうか。
たとえば地方人の私たちが、東京へ行き、どこかの家を突然、訪問する。
訪問し、その家にあがりこむ。
食事までごちそうになり、食べて帰る。
そういうことはあるのか。

 答など、ここに改めて書くまでもない。

 ……とまあ、どこかグチぽいエッセーになってしまった。
先にも書いたように、この日本は、奈良時代の昔から中央集権国家。
中央が「上」で、地方が「下」。
それが日本人の骨のズイにまで、しみ込んでいる。
私ひとりくらいが、それに逆らっても、しかたない。
どうにもならない。

 だから、グチ。

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Hiroshi Hayashi+++++++June. 2012++++++はやし浩司・林浩司

【高校1年生に英語を教える】

●今夜でOさんとお別れ

はやし浩司 2012-06-29

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Hiroshi Hayashi+++++++June. 2012++++++はやし浩司・林浩司


民主党のマニフェストとは?

2012-06-29 11:39:51 | 日記
●民主党マニフェスト(小沢一郎について)


Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司


国会は、小沢一郎という政治家1人のために、大混乱。
「消費税導入反対」を口実にしている。
で、改めて、民主党のマニフェストは、何だったのか。
何なのか。
それを調べてみた。


正直に言うが、消費税問題はともかくも、こんなにもたくさんのマニフェスト(選挙公約)があったとは、知らなかった。
以下が、民主党マネフェストである(2010年度・菅直人総理就任前後)。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司


+++++++++++以下、参考:日経225サイト++++++++++++


【民主党マニフェスト・2010年度】


★事業仕分けなどによって全ての特別会計の見直しを行って不要なものは廃止していくこと。
★新政策の財源については、既存予算を削減するか収入増によって捻出すること。
★消費税を含む税制改革に関しての協議を超党派にて行うこと。
★20年度までには基礎的財政収支が黒字になるようにすること。
★法人税制は簡素化を前提として、見直しを実施すること。
★中小企業向けの法人税率は引き下げをすること。
★連帯保証人制度や個人保証の廃止について見直すこと。
★自動車重量税や自動車取得税について簡素化して全体的に負担を軽減することなど。


★20年度までの平均経済成長率の名目成長率は3%、実質成長率は2%を目指すこと。
★日銀と協力して早期にデフレを克服すること。
★官民一体となり、高速や鉄道、原発や上下水道などインフラシステムについて国際的な展開ができるようにすること。
★先端医療技術をいかして国際的な医療交流の促進を行うこと。
★映像、アニメ、音楽などを通じて海外への情報発信を強化していくこと。
★幼保一元化へ向けて施設区分を撤廃すること。
★首都圏などの大都市活性化をするために「大都市圏戦略基本法」を制定すること。
★介護ロボットの実用化や再生医療支援、医療機器などのイノベーションを支援すること。


★「消えた年金」について11年度までに集中して取り組み、納めた保険料や受け取る年金額がすぐにわかる年金手帳を作る。
★年金制度を一元化して、1ヶ月7万円の最低保障年金の実現のために抜本改革を行うこと。
★後期高齢医療制度の廃止をして、13年度から新たな高齢者医療制度にしていくこと。
★診療報酬の引き上げを行うこと。
★地域の医師不足解消のため、医師を増やせるように医学部生を増やしていくこと。
★がん予防のため検診体制を強化して、肝炎治療への支援なども行う。
★ヘルパーの給与を挙げるなどして介護職の人材を確保することなどを掲げています。


★財源を確保して、現在支給されている子ども手当の1ヶ月13,000円に上積みをしていくこと。
★地域の実情によって保育園の定員増のため、子どもの医療費の負担を減らすため、給食の無償化をするためなどのサービスへ換えられるようにすること。
★出産育児一時金、不妊治療支援といった出産関係の支援策の拡充を行うこと。
★大学生や専門学生に対して希望者全てが受けることのできる奨学金制度を創ること。
★就学前の子どもに関して保育と教育の提供をしていくこと。
★少人数学級の推進をしていくことなどが掲げられています。


★日米同盟の深化、普天間基地移設問題での沖縄負担軽減へ力を尽くすこと。
★中国や韓国などアジアの国々との信頼関係構築のため「東アジア共同体」を実現すること。
★国連安全保障理事会において常任理事国入りを目指すこと、自衛隊などによる海外への対処活動を継続すること。
★北東アジア地域での非核化、北朝鮮の拉致問題解決へ全力を尽くすこと。


★参議院の定数を40ほど減らして衆議院では比例代表の定数を80ほど減らすようにしていこと。
★国会議員の歳費は日割り、国会委員長手当の見直しなどによって議員経費を削減していくこと。
★通年国会を目指すこと。
★各種公法人を廃止にして天下りをなくすこと。
★国家公務員の総人件費を削減すること。
★幹部職員の降格人事を可能として、民間登用を勧めていくことなど。


★高速道路を無料化にするとどうなるのか状況を確認しながら段階的に無料化を行っていくこと。
★農業以外にも所得補償制度を拡大していくこと、トレーサビリティーを義務付けしていくこと。
★「地産地消」を学校給食や老人ホームにて進めていくこと。
★口蹄疫の感染を阻止、全国のダム事業について検証を行う、ハブ空港の整備を行うことなど。


★再生可能エネルギーの買い取り制度の導入すること。
★スマートグリッドの開発と普及を支援すること。
★エコカーやエコ家電、エコ住宅の普及について支援していくこと。
★11年度に地球温暖化税の導入を検討していくいこと。


+++++++++++以上、参考:日経225サイト++++++++++++

●ただの口実?

 消費税導入問題は、国民全体に与える影響、生活全般に与える影響という点では、大問題である。
それはわかる。
しかしそれだけがマニフェストではない。
ないことは、ここにあげた民主党マニフェスト(2010)を見てもわかる。

 が、私の印象では、(あくまでも私個人の印象だが)、小沢一郎という政治家は、己の権勢欲実現のために、消費税を口実にしているとしか、見えない。
中身は、旧態依然の国盗り物語。
ちょうど北朝鮮が、ありもしない日本やアメリカの侵略を口実に、核武装しているのと同じ。
中身は独裁政権の維持のため。

 もし公約違反を内部で取りあげるなら、ほかにもいろいろある。
たとえば……

★参議院の定数を40ほど減らして衆議院では比例代表の定数を80ほど減らすようにしていこと。
★国会議員の歳費は日割り、国会委員長手当の見直しなどによって議員経費を削減していくこと。
★通年国会を目指すこと。
★各種公法人を廃止にして天下りをなくすこと。
★国家公務員の総人件費を削減すること。
★幹部職員の降格人事を可能として、民間登用を勧めていくことなど。

 これらのマネフェストは、いったい、どうなっているのか。
それに有権者の1人として一言。

 民主党に前回の総選挙で1票を入れた人にしても、マニフェストすべてに目を通し、賛成したからではない。
「おおかた、こんなものでよいだろう」ということで、票を入れたはず。

(当時の世相によれば、「麻生総理大臣ではだめだ」という、反自民票が民主党候補に流れた。
小沢一郎は、「民主党が支持された」とはしゃいでいたが、民主党が支持されたわけではない。
行き場を失った浮動票層が、民主党に流れた。)

 だいたい私にしても、今日はじめて、こうしてマニフェストなるものを、精読してみた。
ほかにも未達成の重要案件が、ごろごろしている。
正義の味方よろしく、「増税強行なら離党」と声を荒げなければならないほど、……というか、私はそれほどの信念を、小沢一郎の中に感じない。
最近の週刊誌によれば、小沢一郎には愛人がいた。
隠し子までいた。
「妻」という最重要の「友」ですら、平気で裏切るような男である。
そんな男なら、平気で、仲間を裏切る。
国民を裏切る。
ウソもつくだろう。
少なくとも、私は信用しない。

 どこかのBLOGで、ある政治評論家が、こう書いていた。
「今の日本の政治で、いちばん重要なことは、小沢一郎が消えることである」と。
まったく、同感である。
離党するなら、子分たちを道連れにしないで、ひとりで堂々と離党すればよい。
何人小沢一郎についてくるか。
それはあくまでも結果。

 報道によれば、何回もそれぞれの国会議員を呼びつけ、その意思を確認しているそうだ。
その見苦しさ。
おぞましさ。
2012/06/29朝記


Hiroshi Hayashi+++++++June. 2012++++++はやし浩司・林浩司

子どもは家族の代表byはやし浩司

2012-06-29 00:28:01 | 日記
【BW教室】(幼児、年中児くらす)+(小2、3児の折れ線グラフの学習)

●年中児(3~4歳児)
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●小1児+小2児
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●小2児+小3児
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Hiroshi Hayashi+++++++June. 2012++++++はやし浩司・林浩司

【上海の地下鉄の警告書】女性の服装と痴漢

●古いヤツとはお思いでしょうが……

 昔、鶴田浩二は、こう歌った。
「♪古いヤツだと、お思いでしょうが、古いヤツほど、新しいモノを欲しがるものでございいます……」と。

正確には「古いヤツだと、お思いでしょうが、古いヤツこそ、新しいモノを欲しがるものでございます。どこに新しいものがございましょう。生まれた土地は荒れ放題、今の世の中、右も左も真暗闇じゃござんせんか」(「傷だらけの人生」より)。

 で、Record Chinaに、こんな記事が載った。
いわく『こんな格好して地下鉄に乗ったら、痴漢に遭わない方がおかしいですよ。
女性の皆さん、気をつけて」。
スケスケのワンピースの女性の写真とともに、上海地下鉄の運営会社がこう呼びかけたところ、「何を着ようが私たちの勝手」と、女性2人が抗議のパフォーマンスを展開し、注目を集めている。
山東商報が伝えた。

 事の発端は20日の晩。
上海地下鉄第二運営有限公司が公式ミニブログで、痴漢防止策の一環として、「地下鉄にはオオカミが多い。
女性の皆さん、格好にはお気を付け下さい」と呼びかけた。
添付の写真に写る女性はスケスケの黒いワンピース姿。
後ろ姿だけだが、黒いブラジャーとショーツがくっきり見えている」』と。

ところが、地下鉄側のこの親切の呼び掛けが「どんな服を着ようが、個人の自由」だと多くのネットユーザーの反感を買ってしまった。
ネット上には「法律や地下鉄の法規で『スケスケの服を着てはいけない』と決まっているのか」「その理論でいけば、プールに行く男性は全員痴漢を働くということになる」「痴漢を女性の薄着のせいにするな」と批判の書き込みが殺到。
(Record Chine 2012-06-28)

●ある航空会社のコマーシャル

 つぎのコマーシャルを見てほしい。
ある航空会社のコマーシャル写真である。
中央の2人は、日本人と思われる。
それを囲む2人の男性は、現地人(ハワイ人)と思われる。

 こういう写真を、堂々と載せるところが、恐ろしい。
とくに向かって左の女性の水着は、スレスレというか、古いヤツと思われるかもしれないが、裸そのもの。
この水着で無事にすむはずがない。
まさに「挑発スタイル」。
右下には、「女子2人旅」とある。

 このコマーシャルを見て、あなたはどう思うか。
もしあなたが若い男性なら、「オレもハワイへ行こう」となるだろう。
「オンナが簡単に手に入る」と。
(女性の気持ちは、私にはわからないが……。)

挑発


両横の2人の男性は、明るく笑っている。
いやらしさは、どこにもない。
それもそのはず、欧米人は、子どものころからそういう訓練を徹底的に、受けている。
日本人のように、ニヤつくということをしない。
女性に警戒心を与えるような、ドジなことはしない。

●男の性欲

 男というのは、視覚的に刺激され、性欲を覚える。
男と女とでは、性欲中枢の位置も、大きさもちがう。
女性には何でもない行為でも、男性には、大きな刺激を与える。
そうした基本的なちがいをさておき、「どんな服を着ようが、個人の自由」は、ない。

 そこで上海地下鉄は、「地下鉄にはオオカミが多い。
女性の皆さん、格好にはお気を付け下さい」と呼びかけた。
添付の写真に写る女性は、スケスケの黒いワンピース姿。
後ろ姿だけだが、黒いブラジャーとショーツがくっきり見えている。

 これをいらぬ節介ととるか、親切ととるか。
私はあまりにも無防備な女性の衣服を見るにつけ、ふとこう思うときがある。
「女性たちは、無意識であるにせよ、男たちを挑発している」と。
つまり、この警告書を「親切」ととる。

 ミニスカートにしても、そうだ。
そんなにスカートの下をのぞかれたくなかったら、長いスカートをはけばよい。
けっして暴論を書いているのではない。
もう40年も前のことだが、(40年も前ですら)、オーストラリアの女性たちもミニスカートをはいていた。
が、下着のパンティを見せることなど、平気。
まったく平気。
隠そうともしなかった。
中には下着のパンティすら、はいていない女性もいた。
そういう女性が、平気で、あぐらをかいて座る。

 スレスレのミニスカートをはきながら、「見るな」は、ない。
もちろんカメラで撮影するのは、別問題。
それはそれ。

 なおこの記事に対して、
「法律や地下鉄の法規で『スケスケの服を着てはいけない』と決まっているのか」、
「その理論でいけば、プールに行く男性は全員痴漢を働くということになる」、
「痴漢を女性の薄着のせいにするな」という反論が届いているという。

 ハッキリ書こう。
スケスケの服は着てはいけない。
薄着が痴漢行為を誘発しているのは、事実。
どう誘発しているかは、男ならみな、知っているはず。

 またプールの男性について。
(思い)と(行為)の間には、距離がある。
性的に扇情されれば、まともな男なら、発情する。
が、行為に移すかどうかは、その男の理性の問題ということになる。
理性によるブレーキが働けば、実際に行為に移すということはしない。
そうでなければ、そうでない。
ほとんどの男は、周囲に目があるから、痴漢行為に進むということはない。
(プールのような衆目が集まるようなところで、痴漢行為を働くバカはいない!)
しかし目がなければ……。
(思い)と(行為)の間の距離は、ぐんと縮まる。
つまりこれは「理論」というほど大げさなものではなく、ただの「常識」。

●性欲中枢について

 もう一度、性欲中枢について、復習をしておきたい。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

食欲中枢と性欲中枢について書いた原稿が、
つぎのもの。
日付は、2009年7月27日になっている。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●満腹中枢と摂食中枢(男と女)(Man and Woman)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

 脳幹に視床下部と呼ばれる部位がある。
その中に、「食欲中枢」と呼ばれる部分がある。
その食欲中枢は、満腹中枢と摂食中枢に分かれる。
満腹中枢というのは、「お腹(なか)がふくれた」ということを感じ取る部分。

摂食中枢というのは、「お腹がすいた」ということを感じ取る部分。

ここまでは私も知っていたが、最近、こんなことを知った。
女性の性欲本能、つまりSックス中枢は、このうちの満腹中枢に隣接しているという。

一方、男性の性欲本能、つまりSックス中枢は、摂食中枢に隣接しているという(「人体の不思議」日本文芸社)。

新しい考え方、ゲット!

(ネット禁止用語に抵触するため、「交尾行為」を、「Sックス」など
というように、表記します。)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●男性と女性のちがい

 「人体の不思議」(上述)は、こう書いている。

『……一般に、女性は恋愛をすると食欲を感じなくなることがあるといわれますが、それは、このSックス中枢が活発に働くため、満腹中枢までもが満たされているからとも考えられます。
 
 男性のSックス中枢は、女性とは異なり、空腹を感ずる摂食中枢に隣接しています。
生命の危険を感ずると、男はB起してしまうといわれることもありますが、これもSックス中枢の位置に関係していそうです。

 つまり飢餓で死に直面すると、なんとしてでも種族を保存しなくては、という感情が起こるように脳がつくられているのです』と。

 しかも、だ。
第一性欲中枢(異性を求める性欲中枢)について言えば、男性のそれは、女性のそれの約2倍もの大きさがあるという。
つまりその分だけ、男性のほうが、Sックスに関して、女性より攻撃的ということになる。

 なるほど!

 で、これで今まで私が感じていた謎のいくつかが、解けた。
男性と女性の、(性)がもつ、基本的な(ちがい)といってもよい。
その理由が、わかった。

●男と女

 所詮、人間も動物。
同じというか、どこもちがわない。
動物時代からの本能(脳幹)を、しっかりと保持している。
が、こうした本能、つまり脳自体が構造的にもつ能力のままに行動したら、「人体の不思議」の中にもあるように、人間社会は、メチャメチャになってしまう。

 そこでこうした本能をコントロールするのが、大脳連合野ということになる。
(私はこの仮説を、すでに10年以上も前から、考えていたぞ!)
人間のばあい、大脳連合野の発達がとくに進んでいる。
その大脳連合野が、中心部からわき起きてくる(性欲)を、コントロールする。
それが「知性」ということになる。

 それにもし男性のみならず、女性までもが、性欲について攻撃的になったら、それこそたいへんなこと(?)になってしまう。
人間もいたるところで、交尾を始めるようになるかもしれない。

(反対に女性のように、男性までもが、受動的になってしまっても、困るが……。)
要するに、長い間の進化の過程を経て、人間も、「実にうまく」できているということになる。

●満腹中枢vs摂食中枢

 満腹感を感ずる満腹中枢。
空腹感を感ずる摂食中枢。
何かのタンクの警報機にたとえるなら、満タン警報機と、カラ警報機ということになる。
それを脳の中心部にある視床下部という部位が、担当している。
私自身も、実は、こうした機能について、「本で読んで知った」というだけの立場でしかない。
が、それにしてもおもしろい。

 が、疑問がないわけではない。

 女性のSックス中枢は、満腹中枢の隣にある。
男性のSックス中枢は、摂食中枢の隣にある。
それはわかるが、これらの両社はそれぞれ、どのように関連しあっているのか?
単純に考えれば、女性のばあいは、Sックス中枢が刺激されると、同時に満腹中枢も刺激され、満腹感が生まれるということになる。

 他方、男性のばあいは、Sックス中枢が刺激されると、同時に摂食中枢も刺激され、空腹感が生まれるということになる。

 ……あるいは、その反対なのか?
 そこで自分自身のことを振り返ってみる。
(私も「男」だぞ!)

 腹が減ったときと、満腹のときと、どちらのときのほうが、性欲をより強く感ずるか?
……というより、経験的に、Sックスしたあとなど、よく空腹感を覚えることがある。
(あるいまはげしい睡魔に襲われることも多い。)
「終わったから、食事に行こうか」というような会話を、ワイフとした記憶がある。
……あるいは、その逆かもしれない。

 ともかくもどのように影響しあっているのか、それがよくわからない。
あるいは、影響しあうといっても、そのレベルの話ではないのかもしれない。
たとえばここでいう「空腹感」というのは、「危機状態」をさすのかもしれない。
それも極限的な危機状態。
その本にも書いてあったが、生命の危機を覚えたりすると、B起することもあるそうだ。
「最後に種族を残そう」という本能が働くためらしい。

 どうであるにせよ、たいへん興味深い。
「私は私」と思って、みな、考え、行動している。
が、実際のところ、脳に操られているだけ。
それだけは確かなようだ。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 満腹中枢 摂食中枢 視床下部 はやし浩司 食欲中枢 食欲と性欲 視床下部 脳下垂体 空腹のメカニズム はやし浩司 空腹 食欲中枢と性欲 満腹中枢と性欲 男と女のちがい)

Hiroshi Hayashi+++++++March. 2012++++++はやし浩司・林浩司
Hiroshi Hayashi+++++++June. 2012++++++はやし浩司・林浩司

【ある相談より】

【 お子さんの年齢(現在の満年齢) 】:6歳(小1)
【 お子さんの性別(男・女) 】:女
【 家族構成・具体的に…… 】:
父(4年間単身赴任中)、母、娘(6歳)、息子(2歳)

【KMさんより、はやし浩司へ】

小学校1年生の娘が、5月下旬から突然一人で学校へ行けなくなりました。
きっかけは「忘れ物」。
一度登校したものの忘れ物を取りに帰宅。そのまま「ママがいい」と号泣し一人で学校へいけなくなりました。
それ以来、毎朝下駄箱まで送り、担任の先生に引き渡しています(先生に引き渡さないと上履きのまま帰宅してしまいます)。
学校では普通に過ごしているようですが、最近では帰宅した時の顔つきや態度は力なく、朝も腹痛を訴えたり、朝ご飯がのどを通らないようになってきました。

登校しぶりは幼稚園時代からもあり、大きな行事の前には精神的頻尿になりましたし、息子が生れた4か月後にも極度の頻尿になりました。
幼少期から(産まれた当初からといっても過言ではないくらい)ママから離れられない子で、また喘息もあったせいで、健康管理のため、私の管理下においていました。
どこに相談しても父親の力を借りて・・といわれますが、我が家は夫婦不仲で私は単身赴任で主人が不在なことに救われています。

が、娘は私たちの喧嘩の末、私が泣いている姿も何度もみていますし、「ママはパパとは合わない」と日ごろから言ってしまっていました。
私の責任であることはわかっています。
それでも主人と協力して、は無理です。
 でもなんとか娘を立ち直らせてあげたい、楽しい学校生活を送らせてやりたい。
なにかアドバイスをいただけないでしょうか。

(H県在住、KMより)

【はやし浩司よりKMさんへ】

 たいへんよくある問題です。
同じような相談を、もう何百回と受けました。

 原因は、基本的信頼関係の構築の失敗です。
子どもというのは、絶対的な安心感の中で、基本的信頼関係を築きます。
とくに母子関係が重要です。
「絶対的」というのは、「疑いを抱かない」という意味です。

「私はどんなことをしても、受け入れられる」という安心感です。
その安心感がもてなくなると、子どもの心は、一気に不安定になります。
KMさんのお子さんは、残念ながら、どこかでその不安感をもってしまいました。
家庭騒動が原因というよりは、KMさん自身の不安定な育児姿勢が、そうしました。
(あなたが夫にもっているだろう不安感を、子どもがそのまま受け継いでしまったというわけです。)
さらに下の子が生まれ、心、つまり情緒は、さらに不安定になりました。
今の状況は、その結果ということになります。

 では、どうするか。

 もう一度、全幅の愛情を、上の子どもに注ぐしかありません。
100%です。
子どもの側からみて、「私は完全に守られている」という安心感をもてるようにします。
子どもが何か、アクションを示してきたら、(すかさず)、ぐいと抱くなど。
(すかさず)、です。
「あとでね」とか、「ママは、今、忙しいのよ」は、禁句です。
添い寝、手つなぎ、抱っこは、いとわずします。
年齢的に、半年単位の根気と努力が必要です。
不登校問題は、あくまでも、副次的なものです。
基本的な信頼関係が構築できれば、自然と、子どもは学校へ行くようになります。

 なおこういうケースのばあい、親は、子どもに向かって、子どもを直そうとしますが、直すべきは、親の育児姿勢ということになります。
そのためにも、自分自身を、客観的に見る。
客観的に判断する。
すべては、そこから始まります。
子どもはあくまでも、「家族の代表」にすぎません。
わかりやすく言えば、家族の心を映す、カガミというわけです。

 ともかくも、今は、100%の愛情を戻す……ということを心がけてみてください。
子どもは、学校へ行くのが不安なのではない。
あなたの愛情に不安感を抱いている。

 で、今は無理をしないこと。
「ズル休み」をしながら、子どもとの人生を、おおいに楽しんでください。

 「ズル休み」について書いた原稿を添付します。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

以前書いた原稿を1作、紹介する(中日新聞掲載済み)。

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【学校神話を打ち破る法】

常識が偏見になるとき 

●たまにはずる休みを……!

「たまには学校をズル休みさせて、動物園でも一緒に行ってきなさい」と私が言うと、たいていの人は目を白黒させて驚く。
「何てことを言うのだ!」と。多分あなたもそうだろう。しかしそれこそ世界の非常識。
あなたは明治の昔から、そう洗脳されているにすぎない。

アインシュタインは、かつてこう言った。「常識などというものは、その人が18歳のときにもった偏見のかたまりである」と。
子どもの教育を考えるときは、時にその常識を疑ってみる。たとえば……。

●日本の常識は世界の非常識

★かねばならぬという常識……アメリカにはホームスクールという制度がある。親が教材一式を自分で買い込み、親が自宅で子どもを教育するという制度である。
希望すれば、州政府が家庭教師を派遣してくれる。

日本では、不登校児のための制度と理解している人が多いが、それは誤解。
アメリカだけでも97年度には、ホームスクールの子どもが、100万人を超えた。
毎年15%前後の割合でふえ、2001年度末には200万人に達するだろうと言われている。

それを指導しているのが、「Learn in Freedom」(自由に学ぶ)という組織。
「真に自由な教育は家庭でこそできる」という理念がそこにある。

地域のホームスクーラーが合同で研修会を開いたり、遠足をしたりしている。
またこの運動は世界的な広がりをみせ、世界で約千もの大学が、こうした子どもの受け入れを表明している(LIFレポートより)。

★おけいこ塾は悪であるという常識……ドイツでは、子どもたちは学校が終わると、クラブへ通う。
早い子どもは午後1時に、遅い子どもでも3時ごろには、学校を出る。

ドイツでは、週単位(※)で学習することになっていて、帰校時刻は、子ども自身が決めることができる。
そのクラブだが、各種のスポーツクラブのほか、算数クラブや科学クラブもある。
学習クラブは学校の中にあって、たいていは無料。
学外のクラブも、月謝が1200円前後(2001年調べ)。

こうした親の負担を軽減するために、ドイツでは、子ども1人当たり、230マルク(日本円で約1万4000円)の「子どもマネー」が支払われている。
この補助金は、子どもが就職するまで、最長27歳まで支払われる(01年)。

 こうしたクラブ制度は、カナダでもオーストラリアにもあって、子どもたちは自分の趣向と特性に合わせてクラブに通う。

日本にも水泳教室やサッカークラブなどがあるが、学校外教育に対する世間の評価はまだ低い。
ついでにカナダでは、「教師は授業時間内の教育には責任をもつが、それ以外には責任をもたない」という制度が徹底している。

そのため学校側は教師の住所はもちろん、電話番号すら親には教えない。
私が「では、親が先生と連絡を取りたいときはどうするのですか」と聞いたら、その先生(バンクーバー市日本文化センターの教師Y・ムラカミ氏)はこう教えてくれた。

「そういうときは、まず親が学校に電話をします。
そしてしばらく待っていると、先生のほうから電話がかかってきます」と。

★進学率が高い学校ほどよい学校という常識……つい先日、東京の友人が、東京の私立中高一貫校の入学案内書を送ってくれた。
全部で70校近くあった。が、私はそれを見て驚いた。

どの案内書にも、例外なく、その後の大学進学先が明記してあったからだ。
別紙として、はさんであるのもあった。「○○大学、○名合格……」と(※)。
この話をオーストラリアの友人に話すと、その友人は「バカげている」と言って、はき捨てた。
そこで私が、では、オーストラリアではどういう学校をよい学校かと聞くと、こう話してくれた。

 「メルボルンの南に、ジーロン・グラマースクールという学校がある。
そこはチャールズ皇太子も学んだこともある古い学校だが、そこでは生徒一人ひとりにあわせて、学校がカリキュラムを組んでくれる。

たとえば水泳が得意な子どもは、毎日水泳ができるように。
木工が好きな子どもは、毎日木工ができるように、と。
そういう学校をよい学校という」と。
なおそのグラマースクールには入学試験はない。
子どもが生まれると、親は出生届を出すと同時にその足で学校へ行き、入学願書を出すしくみになっている。
つまり早いもの勝ち。

●そこはまさに『マトリックス』の世界

 日本がよいとか、悪いとか言っているのではない。
日本人が常識と思っているようなことでも、世界ではそうでないということもある。
それがわかってほしかった。
そこで一度、あなた自身の常識を疑ってみてほしい。あなたは学校をどうとらえているか。
学校とは何か。
教育はどうあるべきか。
さらには子育てとは何か、と。

その常識のほとんどは、少なくとも世界の常識ではない。
学校神話とはよく言ったもので、「私はカルトとは無縁」「私は常識人」と思っているあなたにしても、結局は、学校神話を信仰している。
「学校とは行かねばならないところ」「学校は絶対」と。
それはまさに映画『マトリックス』の世界と言ってもよい。
仮想の世界に住みながら、そこが仮想の世界だと気づかない。
気づかないまま、仮想の価値に振り回されている……。

●解放感は最高!

 ホームスクールは無理としても、あなたも一度子どもに、「明日は学校を休んで、お母さんと動物園へ行ってみない?」と話しかけてみたらどうだろう。
実は私も何度となくそうした。
平日に行くと、動物園もガラガラ。
あのとき感じた解放感は、今でも忘れない。
「私が子どもを教育しているのだ」という充実感すら覚える。
冒頭の話で、目を白黒させた人ほど、一度試してみるとよい。
あなたも、学校神話の呪縛から、自分を解き放つことができる。

※……1週間の間に所定の単位の学習をこなせばよいという制度。
だから月曜日には、午後3時まで学校で勉強し、火曜日は午後1時に終わるというように、自分で帰宅時刻を決めることができる。

●「自由に学ぶ」

 「自由に学ぶ」という組織が出しているパンフレットには、J・S・ミルの「自由論(On Liberty)」を引用しながら、次のようにある(K・M・バンディ)。

 「国家教育というのは、人々を、彼らが望む型にはめて、同じ人間にするためにあると考えてよい。
そしてその教育は、その時々を支配する、為政者にとって都合のよいものでしかない。
それが独裁国家であれ、宗教国家であれ、貴族政治であれ、教育は人々の心の上に専制政治を行うための手段として用いられてきている」と。

 そしてその上で、「個人が自らの選択で、自分の子どもの教育を行うということは、自由と社会的多様性を守るためにも必要」であるとし、「(こうしたホームスクールの存在は)学校教育を破壊するものだ」と言う人には、次のように反論している。

いわく、「民主主義国家においては、国が創建されるとき、政府によらない教育から教育が始まっているではないか」「反対に軍事的独裁国家では、国づくりは学校教育から始まるということを忘れてはならない」と。
 
さらに「学校で制服にしたら、犯罪率がさがった。(だから学校教育は必要だ)」という意見には、次のように反論している。
「青少年を取り巻く環境の変化により、青少年全体の犯罪率はむしろ増加している。
学校内部で犯罪が少なくなったから、それでよいと考えるのは正しくない。

学校内部で少なくなったのは、(制服によるものというよりは)、警察システムや裁判所システムの改革によるところが大きい。
青少年の犯罪については、もっと別の角度から検討すべきではないのか」と(以上、要約)。

 日本でもホームスクール(日本ではフリースクールと呼ぶことが多い)の理解者がふえている。
なお2000年度に、小中学校での不登校児は、13万4000人を超えた。
中学生では、38人に1人が、不登校児ということになる。
この数字は前年度より、4000人多い。
 
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 世界は、ここまで進んでいる。にもかかわらず、(4)教育委員会改革だの、(5)大学9月入学だのと、そんなことを論じていること自体、バカげている。
ノーベル賞を受賞した偉い(?)先生かも知れないが、世の中には、「専門バカ」という人もいる。

 「塾を禁止して、(勉強が)できない子どものための塾だけにせよ」(野依座長)という提言にいたっては、「?」マークを、10個ほど、並べたい。
むしろ世界は、教育の自由化(=民営化)をこぞって選択している。

 カナダでは、そこらの塾が塾をたちあげるほど簡単に、学校の設立そのものを自由化している。
その学校で使う言語も、自由である。
たとえば、ヒンズー語で教える学校を作りたいと思えば、それもできる。

 (これに反して、アメリカでは、学校では英語で教育すべしというのが、原則になっている。またそういう学校しか認可されていない。)

 ドイツ、イタリアにいたっては、ここにも書いたように、「クラブ」が、教育の自由化を側面から支えている。野依座長も、もう少し、研究室から出て、世界を見てきたらどうか。
少なくとも、もう少し教育の現場をのぞいてみてから、意見を述べるべきである。

 教育再生会議のメンバーたちは、「提言がことごとく無視された」と怒りをぶちまけているが、それもしかたのないことではないかと、私は思う。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 教育再生会議 再生会議提案 中間報告 中間報告原案 はやし浩司 ズル休み ズル休みもゆとり)2012/06/29再掲載


Hiroshi Hayashi+++++++June. 2012++++++はやし浩司・林浩司