最前線の子育て論byはやし浩司(2)

子育て最前線で活躍する、お父さん、お母さんのためのBLOG

●ギリシャのやりなおし選挙と、経済嵐

2012-06-17 19:39:44 | 日記
●嵐の前の静けさ(EUの経済危機)「生き残り合戦」

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

現在(2012/06/17午後)、ギリシャでは、やりなおし選挙が行われている。
結果次第では、世界中の経済が大混乱すると言われている。
が、ギリシャがEUに残るにせよ、EUから去るにせよ、それ自体は大きな問題にはならない。
すでに世界各国は、それを予定し、それなりの準備をしている。
むしろ怖いのは、波及的効果。
スペイン、ポルトガル、イタリアが、そのあとに構えている。
昨今のニュースによれば、キプロスもあぶない。
ギリシャで燃え始めた小さな炎が、EU全体に広がってしまうかもしれない。

そこで、アメリカ(USA)、EU、日本の株価の動向を調べてみた。

(1)USA
USA market

(2)EU
EU Market

(3)日本
Japan Market

このグラフを見てもわかるように、この4月(2012年の4月)(最高値)前後から、日本とEUは、株価を、17%前後、さげている。
一方、アメリカだけは、たったの3・7%!

EUの金融危機問題と日本がいかに連動しているか、このグラフを見ただけでもわかる。
と、同時に、アメリカだけが、ひとり勝ち。
そのこともこのグラフを見ただけでもわかる。
(私もこの3つのグラフを並べてみて、驚いた!)

ここにアメリカのしたたかさというか、アメリカの国家的な経済戦略が見え隠れする。
アメリカにしてみれば、ユーロの台頭は、同時にアメリカ・ドルの弱体化を意味する。
言い換えると、ここでユーロを叩いておけば、その分だけ、アメリカ・ドルは安泰。
もちろんアメリカとて、無傷ですむわけではない。
そこでアメリカが取った戦略は、肉を切らせて、相手の骨を切る。

で、心配なのが、この日本。
おバカ、日本。
本来なら蚊帳(かや)の外であるはずの日本が、EUの株価とほぼ同じような動き方をしている。
ともに17%の下落率(2012年4月~現在)というのも、そのひとつ。
どうしてか?

平たく言えば、日本とEUは、一蓮托生?
「EUの経済危機問題は、遠い海の向こうの話」などと思っていると、とんでもないことになる。
少なくとも、世界は、そう見ている。
「EUのつぎは、日本!」と。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●借金合戦

 デフレになったら、お金をバラまけばよい……と、私たちは中学生のときに、社会科の授業で、そう習った。
簡単な理屈である。
そこで世界中の国々が、借金に借金を重ね(=国債を発行し)、中央銀行の印刷機を回した。
アメリカなどは、昨年(2011年)だけでも、その前年度(2010年)の3倍ものドル札を印刷した。

 言うなれば、印刷合戦。
借金合戦。
それに負けじと、新興国も、あとにつづいた。

 が、アメリカドルは、強い。
いくら印刷しても、それをほしがる国がある以上、一向に困らない。
EUのユーロがあぶない、日本の円があぶないと危惧されればされるほど、アメリカにとては、有利。
今が、そうだ。
そのことは、冒頭にあげた、株価の動向を見ればわかる。
アメリカだけは、たったの3・7%の下落率で抑えている。

 EUや日本がこければ、そのあと、アメリカのドルは、さらに強くなる。
つまりそれがアメリカの経済戦略。
長期戦略。

(アメリカという国は、本当にすごい!
2000年以後、ノーベル経済学賞の受賞者は、23人。
うち21人が、アメリカ人!
残りの2人は、ノルウェー人とイギリス人。)
そういうアメリカを相手に、日本など、もとから戦えるわけがない。)

 で、この日本は、あまりにも優等生過ぎる。
アメリカの言いなりになり、IMFに5兆円も拠出している(2012年)。
(これに対して、アメリカはゼロ回答。)
どうせ最後にババを引くのは、この日本。
それがわかっていて、5兆円!
どうして日本は、もっと泥臭く、行動できないのか?

……というか、すでに日本は、EU経済にあまりにも深入りし過ぎてしまった。
今さら、手を引くに引けない……そういう状況になってしまった。
つまり一蓮托生。

●嵐

 ギリシャのやりなおし選挙で、どういう結果が出るにせよ、この嵐を収めることは、もうだれにもできない。
日本もそうだが、今さら、印刷しまくった現金を回収するなどということは、不可能。
その(ひずみ)は、産業構造力の弱い国に集中する。
ギリシャやポルトガルは、その一例にすぎない。

 新興国にしてもそうだ。
たとえばここにブラジルのレアル札があったとする。
が、だれもそんなもの、ほしがらない。
(だからレアルは、昨年は1円=55レアルだったが、現在38レアルまで下落。)
インドのルピーにしても、そうだ。

 もちろんこの日本もあぶない。
が、先日、オーストラリアの友人は、こう書いてきた。
「日本はだいじょうぶだろう」と。
オーストラリアの国防省で、アジア分析を専門にしてきた友人である。
「日本には技術力があるから」とも。

 ワインやオリーブでは、この世界で生き残ることはできない。
しかし技術力があれば、生き残ることができる。
友人は、それを言った。

 で、明日から世界は、未曾有(みぞう)の嵐に巻き込まれる。
巨大な台風を何個も集めたような嵐である。
が、日本はふんばる。
こういうときは、最後までふんばった国が勝ち。
お人好しは禁物。
食うか、食われるか。
壮絶な生き残り合戦。
その緊張感だけは、失ってはいけない。

 さあ、がんばろう。
どうであれ、明日はかならずやってくる。
2012/06/17夕方記

追記:先のオーストラリアの友人は、こうも書いてきた。
「韓国には気をつけろ。これ以上、日本は技術を奪われてはいけない」と。

●世界のノーベル経済学賞受賞者(参考)
http://www.ylw.mmtr.or.jp/~gifu-cea/data/nobel/economics.htm


Hiroshi Hayashi+++++++June. 2012++++++はやし浩司・林浩司
 

 



MSNと産経新聞の記事より

2012-06-17 11:13:12 | 日記
●低俗化する日本文化(MSN&産経新聞の記事を読む)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

「低俗」とは何か?
それは山登りに似ている。
どんな低い山でも、登ってみると意外と高い。
視野が広がる。
たとえば浜名湖の奥に、大草山(標高113メートル)という山がある。
山というよりは丘。
そんな低い山だが、頂上からは、遠く浜松市内まで一望できる。
そのときこう思う。
「山というのは登ってみなければ、わからない」と。

つまり低俗であるかないかは、その人自身が登っている「山」によって決まる。
その高さは、「山」に登ってみなければわからない。
相対的なもの。
低地に住んでいる人は、低地に住んでいる人なりに、そこにひとつの基準がある。
一方、高地に住んでいる人には、高地に住んでいる人なりに、そこにひとつの基準がある。
さらに言えば、高地には際限がない。
上には上がある。
高地に住んでいると思っていても、その向こうには、さらに高い山がある。
そういう高い山に住んでいる人から見れば、それより低い山に住んでいる人は、「低俗」に見える。

人がもつ高邁性(こうまいせい)や、低俗性は、こうして決まる。

Hiroshi Hayashi+++++++June. 2012++++++はやし浩司・林浩司

●2つの記事

 昨日(6月16日)と、今日(6月17日)、2つの記事が目にとまった。
ひとつは、MSNのもの。
もうひとつは、産経新聞のもの。
ともに、それぞれの新聞社が配信しているサイトに、紹介された記事である。

 記事の内容は、重要ではない。
その記事を書いている「視点(=山の高さ)」が、気になった。

(1) 小沢一郎の妻の手記

 MSNは、小沢一郎の妻の手記について、書いている。
離婚した小沢一郎の妻が、ある週刊誌に、手記を載せた。
読むに堪えない醜聞である。
(だからといって、小沢一郎を擁護しているというのではない。誤解のないように!)
小沢一郎という人は、もとからその程度の人物。
今でも、見るからに、その程度の人物。
あの人物にして、あの妻。
泥仕合。
私は週刊誌に載ったその記事を読んで、何も驚かなかった。

 で、それについてMSNは、つぎのように結んでいる。

 『……放射能の件といい、人間性を疑うような言動で、小沢一郎という政治家はこれで完全に終わった。
 それにしても小沢氏、いい齢をして(恥ずかしながら同じ齢だ。金正日も)、なぜそこまで放射能を怖がるのかがわからない。
ここまで生きてりゃ、もういつ死んでもいいくらいの覚悟もないのか。(『WiLL』編集長)』と。

(2) 御用ラッパ手
 
 もうひとつの記事は、北朝鮮と産経新聞の泥仕合。
内容はともかくも、産経新聞のほうは、記事を、やはりつぎのように結んでいる。

 『……先軍政治とやらで人民にはいまだ約束の「白いご飯と肉のスープ」を提供できないまま、ミサイルや核開発に血眼という自分の方の「軍国主義」は棚に上げてよくいう。他人の非難ばかりで済む人民抑圧独裁体制の「御用ラッパ手」は実に気楽でいらっしゃる。(黒田勝弘)』と。

●一線

 先の記事では、「ここまで生きてりゃ、もういつ死んでもいいくらいの覚悟もないのか」という部分。
つぎの記事では、「いまだ約束の(白いご飯と肉のスープ)を提供できないまま」という部分と、「他人の非難ばかりで済む人民抑圧独裁体制の(御用ラッパ手)は実に気楽でいらっしゃる」という部分。

 ともに書いてはいけないことを、書いている。
つまりいくら相手が相手でも、言ってよいことと悪いことがある。
書いてよいことと、悪いことがある。
その一線を越えたとき、私たちは、それを「低俗」という。

●「ここまで生きてりゃ、もういつ死んでもいいくらいの覚悟もないのか」

 権力の座に、綿々としがみついている。
その世界は、まさに金(マネー)まみれ。
いくら近代的な高層ビルに住んでいても、そこはボットン便所のように薄汚く、臭い。
が、そのことと、「年齢」は、関係ない。
その年齢を計算しながら、「もういつ死んでもいいくらいの覚悟もないのか」は、ない。
百歩譲っても、今回の泥試合と、年齢は関係ない。
私はこの一文を読んだとき、即、自分の年齢をその上に重ね合わせてみた。

 小沢一郎……1942年5月生まれ
 はやし浩司……1947年10月生まれ

 年齢的には、ほとんど差がない。
同年代。
いくら相手を攻撃するとしても、年齢を理由に、「いつ死んでもいいくらいの覚悟もないのか」は、ない。
要するに、言わんとしていることは、「年齢も年齢なのだから、早く死ね」と。
(このばあいは、政治的な死を意味するが……。)

「権力の座に綿々としている」ここと、年齢は関係ない。
若い政治家でも、同じようなタイプの人間はいくらでもいる。
小沢一郎にしてもそうだろう。
政治家としての魂が、一分でも残っているなら、そうは簡単には捨てられない。
「死ね」という言葉は、「すべてをあきらめろ」という意味である。
(だからといって小沢一郎を擁護しているのではない。誤解のないように!)

●視野の狭さ

 いくら相手が相手でも、言ってよいことと悪いことがある。
相手が貧者で弱者なら、なおさら。
それが「白いご飯と肉のスープ」。

産経新聞は、「貧乏人が何をぬかすか」「偉そうなことを言える立場のあるのか」と書いているのに等しい。
(何も北朝鮮を擁護しているのではない。誤解のないように!)
北朝鮮とて、何も好き好んで、そういった状況にあるわけではない。
そのことは、個人というレベルで考えてみれば、だれにだってわかるはず。

 成功者も失敗者も紙一重。
富者も貧者も紙一重。
大きくちがうようで、どこもちがわない。
この原稿を書いたK氏にしても、明日のことはわからない。
この日本のことだって、わからない。
現に戦時中の日本、戦後の日本がそうだった。
日本中が、一億、総「御用ラッパ手」だった。
貧困のどん底で、あえいだ。
たまたま今がそうであるからといって、相手をそのようにののしってはいけない。
……その日本人といえば、「人民抑圧独裁体制」であったあの戦時中の日本を、(江戸時代でもよいが)、美化することはあっても、何ひとつ反省していない。

 つまり視野があまりにも低い。
その視野の低さが、読む人を、息苦しくする。

 先日も、こう書いている評論家がいた。
著名な評論家である。
いわく「あの男(=評論家、私のことではない)は、マスコミの世界からは完全に干されている」(つまり何を書いても、意味がない)と。

 それを読んだとき、私は、「では、この私はどうなのか?」と思った。
私は今も、昔も、マスコミの世界から、完全に干されている。

 マスコミの世界に乗るか乗らないかは、運(チャンス)と、政治力で決まる。
たまたま(流れ)に乗ったからといって、そうでない人を、こきおろしてはいけない。
……これは余談。

●では、どうするか

 低俗性を感じたら、相手にしない。
低俗な人も、相手にしない。
低俗には、恐ろしい魔力がある。
固い心をそのまま溶かしてしまうかのような魔力である。
しばらくそれに染まっていると、染まっていること自体、わからなくなる。

 たとえばAKB48。
まだ幼さの残る少女を商品化し、それを金儲けにつなげている連中がいる。
一方、それを見て、薄汚い商業主義に操られている若者たちがいる。

歌や踊りにしても、聞くに堪えない、見るに堪えないものばかり。
ほとんどが美容整形をほどこしているという。
だったら人形のお面でもかぶって、歌ったり、踊ったりすればよい。
私には、彼女たちの顔の区別すら、できない。
いわんや化粧を落としたら、まったく別人の顔になってしまうだろう。

 だからある賢者はこう言った。
「AKB48の観客のほうが多いからといって、モーツアルトの演奏会よりすばらしいと思ってはいけない」と。

 が、低俗な人には、それがわからない。
(だからといって、私が高邁というわけではない。誤解のないように!)
商業主義が何であるかさえもわからない。
金儲けの道具に利用されながら、それにすら気づかない。

 低俗文化というのは、それを相手にすればするほど、時間の無駄。
無駄になるばかりか、かえって、遠回りをすることになってしまう。
一度低俗性が身につくと、それから抜け出すのに、何倍もの時間がかかる。
さらに無駄な時間を浪費することになる。

●比較

 MSNは、小沢一郎の妻の手記をもとに、小沢一郎に「死ね(=政界から退け)」と迫った。
産経新聞は「貧乏のドン底にいるなら、偉そうなことを言うな」と反論した。

 ふつうの人がそう書くのなら、まだ理解できる。
しかしともに日本を代表する、言論機関。
その言論機関にして、このレベル。
私はここに、この日本の文化の低俗性をみる。

 念のため、誤解があるといけないので、全文をここに掲載させてもらう。
みなさん自身で、私がここに書いたことと、これらの記事を読み比べてみてほしい。

++++++++++++++以下、MSNより++++++++++++++++
2012年0616日 (MSNより)

●「妻からの『離縁状』」で政治家・小沢一郎は「終わった」

週刊誌の歴史に残る大スクープだ。
今週の他誌は顔色なし。
読む気が起こらない(読んでますがね)。

 『週刊文春』(6月21日号)の「小沢一郎 妻からの『離縁状』全文公開」、サブタイトルが「『愛人』『隠し子』も綴(つづ)られた便箋11枚の衝撃」。

 手紙は昨年11月、和子夫人が地元岩手の支援者10人近くに送ったもので、松田賢弥さん(ジャーナリスト)がそのコピーを入手した。

 まず、長年の支援に感謝しつつ、離婚の直接のキッカケを。

 〈実は小沢は放射能が怖くて秘書と一緒に逃げだしました。
岩手で長年お世話になった方々が一番苦しい時に見捨てて逃げだした小沢を見て、岩手や日本の為になる人間ではないとわかり離婚いたしました〉〈為になるどころか害になることがはっきりわかりました〉

 具体的には「東京の水道は汚染されているので料理は買った水でやれ」「食料の備蓄はあるから、塩を買い占めろ」などと言って鍵をかけて家に閉じこもり、ついには〈旅行カバンを持ってどこかへ逃げだしました〉。

 和子夫人は〈国民の生命を守る筈(はず)の国会議員が国民を見捨てて放射能怖さに逃げるというのです〉と呆(あき)れている。

 離婚の原因は既に『文春』が報じた「隠し子」。8年前に発覚した時、小沢氏は夫人にこう言ったという。

〈私との結婚前からつき合っていた●●●●という女性に一生毎月金銭を払う約束で養子にさせた〉〈この●●●●という人と結婚するつもりだったが水商売の女は選挙に向かないと反対され、誰でもいいから金のある女と結婚することにした。
(中略)「どうせ、お前も地位が欲しかっただけだろう」
(中略)「いつでも離婚してやる」〉

 放射能の件といい、人間性を疑うような言動で、小沢一郎という政治家はこれで完全に終わった。

 それにしても小沢氏、いい齢をして(恥ずかしながら同じ齢だ。金正日も)、なぜそこまで放射能を怖がるのかがわからない。ここまで生きてりゃ、もういつ死んでもいいくらいの覚悟もないのか。
(『W』編集長)

++++++++++++++以上、MSNより++++++++++++++++
2012年0616日 (MSNより)

++++++++++++++以下、産経新聞より++++++++++++++++

【外信コラム】ソウルからヨボセヨ 

 北朝鮮の「労働新聞」が12日付で久しぶりに筆者を名指しで非難している。
過去にも何回かあったが金正恩体制になってからは初めてだ。
いわゆる慰安婦問題に関する日本非難の論評の中で、ソウルの日本大使館前に建てられた慰安婦記念像に関し「産経新聞のクロダが妄言記事を書いた」というのだ。

 韓国では慰安婦(問題)は“聖域化”し政府をはじめ誰もブレーキをかけられなくなっているという筆者の記事を読んだらしい。
外国公館へのあんな非礼は前代未聞で「韓国の品格にかかわるのでは」というのが記事の趣旨だったが。

 「労働新聞」は朝鮮労働党機関紙で国を代表するメディアだから、しばしば引用や名指しで議論していただくのは“光栄”このうえない。
ただ「いくらかの金に命を懸け軍国主義勢力の御用ラッパ手」をしていると非難しているが、自分たちが金(経済)に困っているせいか人を非難するときはきまって「金をもらって…」というから面白い。

 先軍政治とやらで人民にはいまだ約束の「白いご飯と肉のスープ」を提供できないまま、ミサイルや核開発に血眼という自分の方の「軍国主義」は棚に上げてよくいう。
他人の非難ばかりで済む人民抑圧独裁体制の「御用ラッパ手」は実に気楽でいらっしゃる。(KK)

++++++++++++++以上、産経新聞より++++++++++++++++

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Hiroshi Hayashi+++++++June. 2012++++++はやし浩司・林浩司