最前線の子育て論byはやし浩司(2)

子育て最前線で活躍する、お父さん、お母さんのためのBLOG

BW教室byはやし浩司(幼児教室)

2012-06-27 09:15:04 | 日記
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子育て最前線の育児論byはやし浩司   2012年 7月 6日
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【文字は楽しい】(BW教室より)(はやし浩司 2012-05-07)

●文字遊びを展開しました(年長児)。

 「文字は楽しい」という印象作りをしました。
文字そのものを教えるのではなく、「文字は楽しい」という意識作りです。
それをしっかりと作っておけば、子どもは、あとは、自分で伸びてくれます。
どこかで文字を見たとき、「楽しい」と思ってくれれば、しめたもの。
家に帰り、「ママ、ひらがなを教えて!」と言うように、指導してみました。

 幼児教育は、「種まき」です。
何かを教え込んでやろうと考えるのではなく、興味に灯をともし、能力を引き出す。
それが子ども自身を内部から、引っ張ります。
強化の原理とも言います。
子どもたちの楽しそうな学習風景を、お楽しみ下さい。

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●小1用、小2用、小3用の教材

 今週は、「大きな数」をテーマに、小学1~3年生を指導しました。
各学年用の教材を、小4児のみなさんに、してもらいました。
「教材紹介号」です。

 子どもたちが、できる、その限界ギリギリまで教えます。
「楽しく学ぶ子は、よく学ぶ」ですね。2012/05/07
ばあいによっては、小2児でも、小3用の教材を使うこともあります。
あくまでも子ども次第です。

<iframe width="420" height="315" src="http://www.youtube.com/embed/sYe3tnCeJSo" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>


Hiroshi Hayashi+++++++May. 2012++++++はやし浩司・林浩司

【はやし浩司 2012-05ー11】

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

昨日は、朝4:30まで作業をしていた。
そのころ床に就いたが、朝、9時ごろ、目を覚ましてしまった。
睡眠時間は、たったの4事件前後。
「だいじょうぶだろう?」と思っていたが、夕方から、猛烈な睡魔。
レッスンの途中で、はじめて居眠りをしてしまった。
幸い、ワイフが横にいて補助してくれたからよかった。
でなければ、クビ!
(この40年間で、レッスン中に居眠りしたのは、はじめて!)
この世界も、たいへんきびしい!
居眠りをしたりすると、即、クビ!

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

【動画・BW教室の様子】

●5月10日収録

 BWの子どもたちは、全員、例外なく、元気です。
またそういう元気な子どもになるよう、指導しています。
子どもたちが元気なのは、あくまでも、その結果です。

 今回は、「どう元気か?」という面をよく見てほしいです。
やる気200%、能力全開で、子どもたちは、私に飛びかかってきます。
ものすごい迫力とパワーです。

 さあ、みなさんも、子どもたちから元気をもらいましょう。
なお私は、この日、完全に睡眠不足で、フラフラでした。
私のほうが、圧倒されてしまいました。
どうか、ビデオをみながら、お笑いください。

【年中児クラス(この4月からスタートの教室です)】

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【小1~2児のクラスです】

<iframe width="420" height="315" src="http://www.youtube.com/embed/3UVoCJCMcxY" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>


【小2~3児のクラスです】

<iframe width="420" height="315" src="http://www.youtube.com/embed/xNStBx1LSaI" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【UTさんからの相談】

 昨日、こんな相談が届いていた。
3人の子どもをもつ母親からのもの。
中の子どもが、愛情飢餓状態で、親子の関係にキレツが入りつつあるというもの。

【UTさんから、はやし浩司へ】

初めてメールにて相談させていただきます。
以前からよくホームページを読ませていただいて大変参考にさせていただいています。

現在三人の育児をしていますが、真ん中の娘についての相談です。

上の子供が3歳のときに2番目を出産しました。
一人目ときよりじっくり相手をしてあげる余裕がないまま、ミルクもよく飲んでぐっすり寝ているこでした。
いわゆる手がかからない子でしたので、割と一人で遊んでいました。
表情がとぼしく上の子供より、私も愛情がわきにくく、引っ込み思案な子でした。
私自身、今思えば私の責任が多く、もっとスキンシップをしてあげたらよかったと思っています。
さらにその下に、弟が生まれてからは、はじめての男の子で素直なかわいい子で、私自身もよくかわいがっていました。
次女も弟の面倒をよくみているようでした。

上の長女も素直で、すぐママと言って寄って来る感じで、過ごしてきました。
率直に私自身、長女と弟とは気が合うと思っていました。
次女が年中ぐらいからつめをかむくせがありましたが、そんなに気にとめていませんでした。

次女が2年生になって、学校のお友達のふでばこと下敷きを持ってきてしまいました。
すぐに長女が気づいて、お友達に電話をして返しに行きました。
その後いろいろ話しているうちに、次女が大泣きしながら、手紙を書いてくれました。

内容は、「ママは、一番は長女の姉で、2番が弟で、私のことは好きじゃないんでしょ?、とわかってるよ。
ずっと前から知ってるもん」と。

そういう内容でした。
姉には怒ってもいつも仲良しだし、弟はいつもかわいがっている。
私のことはご飯と勉強だけ教えてくれたらそれでいいです。
ママのこと大好きだよ。と
先生の言われる親の愛情に疑問を持っているように思いました。

その後、うちにお友達がきたときに、にランドセルを持ってと言って帰ってきていたと、長女から聞きました。
どうして自分でも持たないとだめでしょ、と言うと泣きながら、姉がお父さんにくつをかってもらっていたことや本を買うときも自分は1冊だったけど、姉は2冊だった、といって泣き崩れました。

母子関係が構築できないまま、それに気がつかないまま、7歳まできてしまったように感じています。
このことに気づくまでは、習い事も、現在5個していて、(3人とも習いごとがあります)、ついつい教育熱心に家で、ワークさせたりしています。

私の兄弟が近くにいて、皆、学校の出来がよく、特に、妹とは昔からライバル意識があって、妹の子供ができがいいので、プレッシャーを感じていたと思います。
すごくしかりながら、あれもしてこれもしてと強制させていました。
このままではいけないような気がしています。
習い事も減らしてその分二人っきりの時間も持てたら方がいいかなと思っていますが、具体的にどうしたらいいのかわからないでいます。

私と次女との関係はもう最初からやりなおせないのでしょうか?
自分自身も鈍感な親だったと反省しています。
よいアドバイスをいただけたら幸いに思います(佐賀県T町)。

【はやし浩司より、UTさんへ】

 子育てというのは、そういうものです。
親は日々に(やり残し感)を残し、反省する。
しかし翌朝になると、またその忙しさの中で、我を忘れる。
子育てはまさに、戦場!
その繰り返し。

 問題の芽というのは、そのときは、見えない。
「まさか……」「うちの子にかぎって……」と。
前もってわかっていれば、それなりの予防もできますが、何しろどんな問題が起きるかわからない。
子どもの問題は、無数にあり、また問題のない子どもはいない。
しかも1つや2つなら、まだよいほう。
川面の浮かぶアワのように、あちらで起き、こちらで起きる。
ときにはブクブク、ブクブクと、同時に起きる。

 子育てというのは、そういうものです。
もちろんその間にあって、子どもの心には、無数の傷がついていきます。
が、親のできることにも限界があります。
親だって、自分の生活を守るのに、精一杯。
追いかけるだけで、必死。
子どもの心を静かに見守る時間さえない。
ましてや3人も子どもがいれば、なおさらです。

 ……ということでは、返事になりませんね。

 この際「修復」ということは、考えないこと。
やがて子どもは、あなたを蹴飛ばすようにして、あなたのもとを去っていくかもしれません。
それはそれでしかたないこと。
すばらしいこと。
あとは子ども自身に任せます。
さみしい思いはしているでしょうが、やがて友を見つけ、恋人をみつけ、自ら「修復」していきます。
それを見守るのも、親、親の愛。
愛というのは、それほどまでに、さみしく、つらいものです。
あなたは自分の子どもを見るたびに、つらい思いもし、後悔をするかもしれません。
が、すでにあなたはそれに気づいている。
すばらしい母親と思います。

 ほとんどの母親は、(父親もそうですが)、子どものそうした心の変化にすら気づかないものです。
で、問題の件ですが、「泣いた」段階で、すでに問題の90%は解決しています。
いうなれば、グチ。
不平不満。
ぐいと抱き、「そうではない」ということを、語りかけるだけで、子どもは安心します。
つまり「わかっているよ?」と書きながら、母親であるあなたが、それを否定してくれるのを、待っているのです。

 で、盗みと、愛情飢餓の問題は、分けて考えます。
底流ではつながっている部分もありますが、愛情があっても、盗みをする子どもはいくらでもいます。
愛情飢餓があるからといって、盗みをするというわけでもありません。
この時期の子どもは、(盗み、うそ、悪口)を繰り返しながら、おとなに抵抗を始めます。
盗みを許せというのではありません。
ていねいに、やさしく説教しながら、それですまします。
あとは時間が解決してくれます。

(なお友だちの持ちものをもって帰ってくるというようなことは、日常茶飯事です。
それに気づいた姉(長女)のほうが、むしろ要領よく盗みをしているかもしれませんよ。
ふつうは、気がつかないものですから……。
私なら、告げ口をした、姉のほうを強くたしなめます。
「あなたが自分で、妹に注意しなさい、とです。
盗みより、告げ口のほうが、陰湿です。
価値観の相違かもしれませんが……。)

 おけいこ塾の数は、尋常ではありません。
やらせればやらせるほど、「虐待」と考えてください。
私は「間接虐待」と呼んでいます。
親はそれをよかれと思いながらしているかもしれませんが、子どもにとっては、虐待です。
もちろん効果はありません。
子どもの側からの、感謝もありません。
効果や感謝がないばかりか、親子の間に大きなキレツを入れることになります。
子どもの気持ちを、一度、確かめてみてはどうでしょうか。

 ともあれ、よくある問題です。
3人子どもがいると、真ん中の子どもは、愛情飢餓状態になるのは、よくあることです。
が、その分、(それが好ましいということではありませんが)、他人に愛想がよくなったり、だれかにベタベタ甘えたりするようになります。
さみしい思いをしていますが、その分だけ、たくましくなります。

 なお、過去を振り返らないこと。
子育ては、常に「今」を前提に、「今」を基盤に組み立てていきます。
7歳(小2?)ということですから、そろそろ親離れの時期にさしかかります。
その(揺り戻し)時期と考えてください。

 この時期の子どもは、赤ちゃんに戻ったり、ときに、妙におとなびた様子を見せたりしながら、つぎの思春期前夜を迎えます。
これを私は「揺り戻し」(はやし浩司)と呼んでいます。
情緒も不安定になります。

 あまり気になるようなら、いっしょに風呂に入ってあげたり、添い寝をしてあげたり、あなたのほうから、ときどきぐいと抱いてあげるだけでも、効果的です。
子どもに安心感を与えるようにするのが、コツです。

 ともあれ、数多くある子どもの問題の中でも、たいした問題ではありませんので(失礼!)、あまりおおげさに考えないこと。
子どもは傷まるけになりながら、成長していきます。
それを見守るのも、これまた親の努めです。

 今のうちに、子育てのドラマをおおいに楽しんでください。
こういう時期は、あっという間に終わりますよ!
では、

はやし浩司
2012/05/11

【UTさんからの返信】

はやし先生へ
 
 先生の丁寧なアドバイスが心にしみ、涙が出ました。
悔やんでもあのころの過ぎた時間を戻すことはできないし、今を基盤にこれから前を向いて進んで行く勇気をもらいました。

 私だけでなく、みんないろいろな悩みや葛藤を抱えながら育児をしていることもわかりました。
そんなにたいした問題ではないと言ってくださったことも救われる気持ちでいます。
そして今回のことを通して、過去の自分、そしてあたりまえのありがたさに気がつけないほど傲慢だった自分に気づかせてくれた次女に今は愛おしい気持ちでいっぱいです。

 子供はいつもどんな悪い母親であろうと、お母さんの愛情を自分に注いでくれることを貪欲に見ているのだなあと感じています。
私もそういえば、子供のころ私のことをもっと見て欲しいと思っていました。
産むのは簡単ですが、本当の母親になるのは大変なんだなあと痛感しています。

これからは、もうすこし習い事を減らして、私自身もゆとりを持って子供たちと過ごしたいと思います。
子供のためだと思って、環境を作るのは親だから、習い事に一生懸命になりすぎて、結局は親のエゴで子供を振り回すことはもうやめにしたいです。

 これからも先生のホームページを参考にさせていただきます。
先生もどうかお体を大切に無理をせず、これからもお過ごしください。
私の急なメールにもかかわらず、先生の暖かいメールに感謝しています。
本当にありがとうございました


Hiroshi Hayashi+++++++May. 2012++++++はやし浩司・林浩司

【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●無断転載

 私の原稿が、あちこちで無断転載、流用されている。
昨年は、N県の県警本部が発行するホームページで、20枚前後が流用されていた。
私の文章をバラバラに切り離し、それをつなぐという手の込んだものだった。
悪質だった。
(県警本部だって、そういうインチキなことをするぞ!)
で、電話をすると、いきなり、「証拠はあるのか!」と。

 で、電話口で双方の原稿を読み聞かせてやったが、それだけでも、1時間半以上もかかった。
……というようなことは、ときどきある。
が、今回の無断転載は、これまた悪質。
何と、コピー用紙に印刷した状態で、1500枚前後。
(印刷して、1500枚だぞ!)
その印刷と、原稿の照らし合わせのために、昨日は、午前4時半までかかった。
刑事告発するつもりでいた。

 悪質というか、この手の無断転載は、どれも悪質だが、「はやし浩司」の名前は、きれいに消されてあった。
(こういうことを意図的にするところが、恐ろしい!)
弁護士をしている学友に連絡すると、間に弁護士を置けとのアドバイス。
起きてから、市内の弁護士に連絡を取る。

が、今回も、刑事告発は、やめにした。
電話で相手の意図を問いただすと、こう言った。

「よい内容だったので、つい……」と。
すなおに無断転載を認めた。
ていねいにわびた。

どこかの同業者だった。
だから許した。

 が、さらに悪質なのもある。
間に、コピーラーター(ゴーストライター)が入って、書籍化しているのもある。
この手のライターは、文章そのものを変えると同時に、いろいろな情報を上塗りする。
素人の人が、文章を読み比べただけでは、まず、わからない。
が、その底流を流れる「哲学」は同じ。

 つまり育児論というのは、「哲学」。
その人によって、みな、ちがう。
その哲学が同じということは、ありえない。
が、その本の底流を流れる哲学が同じ?
文を読むと、その哲学が、スーッと自分の頭の中を流れていくのがわかる。
ところどころに、私がよく使う専門用語や、具体例が挿されている。
あるところでは、「宏君の背中がチョークで落書きされた」が「聡君の傘がチョークで落書きされた」になっていた。
その本は、100万部以上も売れたという。

 ズルイ学者は、こういうライターを巧みに使い、自分の名誉につなげる。
ライターは、そういう学者に寄生し、魂を売る。
金を儲ける。

●今朝は、12時間

 昨夜は、睡眠導入剤を口にした。
午後9時、就寝。
起きたのが、今朝は、9時。
12時間、眠ったことになる。
(途中、午前6時ごろ、トイレに行くため、目を覚ましたが……。)

 軽い頭痛が残った。
偏頭痛と判断したので、「Z薬」を、半分に割って、のんだ。
20~30分で、偏頭痛は、消えた。

Hiroshi Hayashi+++++++June. 2012++++++はやし浩司・林浩司

【私のメール作法】

●件名

 毎日多くのメールが届く。
そのほとんどが、スパムメール(広告を目的とした、大量配布メール)。
フィルターをかけ、かなりのメールを、「サーバーから削除」している。
が、それでも毎日200~300通のメールが、すり抜けてくる。

 スケベ・メールも多い。
もちろんウィルス入のメールもある。
2重、3重のガードをかけているが、それでも届く。

 (私のばあい、サーバー側で、有料のウィルスチェックサービスを受けている。
またパソコンごとに、ウィルスソフトをインストールしている。
パソコンは、メール用、ホームページ(ウエブサイト)用と、使い分けている。)

 が、困るのが、件名が「?」のメール。
「先日は、ありがとうございました」とか、「返事が遅れてすみません」とか、など。
そういうメールが届くと、開くべきかどうかで、しばらく考え込んでしまう。
メールアドレスに心当たりがあるからといって、安易に開いてはいけない。
悪質なスパムメールになると、その人のアドレスを勝手に盗んで使う。

 だから……。

(1)メール作法の基本として、件名には、相手方の名前、自分の名前を書くべき。

 封書だって、そうだ。
相手方の住所氏名はもちろん、自分の住所氏名を書く。
それがあるから私たちは、安心して、その封書を開くことができる。
そうでなければ、そうでない。
差し出し人の名前の書いてない封書を受け取ったら、あなたはその封書を開くだろうか。
開くにしても、かなりの勇気(迷い?)が必要。
実際には、そんな封書は、めったに、ない。

(2)できれば、件名だけで、メールの内容がわかるようにする。

 件名というのは、メールの概要と考えたほうがよい。
件名を読んだだけで、大まかな内容がわかるようにする。
そうすれば、メールを開く方も、安心してそのメールを開くことができる。

(3)感情表現を豊かに

 ここがいちばん重要だが、メールというのは、当然、「文章」。
この文章というのは、読む側の心の状態によって、どういうふうにも読める。

 たとえば読む側が、たまたま落ち込んでいるようなとき。
「お前も、馬鹿だ」と書いてあると、その一文だけで、激怒してしまう。
書いた方は、軽い気持ちでそう表現したとしても、それは通じない。
つまりこうして誤解が誤解を生み、たがいの間を決裂させる。
そういう例は、少なくない。

 つまり文章というのは、読む側の心理状態によって、赤くもなれば、青くもなる。
だから相手を批判するようなときには、とくに注意する。
あるいはそういうメールは書かない。
そういうときは、電話を使う。
電話なら、こちらの感情を、うまく伝えることができる。

 実際、私のばあい、何かの仕事の依頼などがあたったようなときは、すかさず電話を入れるようにしている。
(メールではなく、声の電話。)
相手が見知らぬ人のばあいは、さらにそうである。
声には心をつなぐ作用があるが、文章にはそれがない。
それに一度、たがいに声を聞けば、そのあとの連絡が、スムーズになる。

 以上が、私の「メール作法」ということになる。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

【日本の無駄づかい】

●お人好し外交

 先月のこと(2012年4月)、日本政府は、600億ドル(5兆円)もの大金を、IMFに追加出資した。
頼まれもしないのに、「主導権」を握った(?)。
それまでは「日本はカヤの外」。
それ以後は、チヤホヤ。
あの財務大臣の、子どものような笑顔が、それを象徴している。

 まず、そのときに書いた原稿を読んでほしい。
日付は、2012年4月22日になっている。

++++++++++++以下、4月22日

●IMF(国際通貨基金)への拠出金

 日本政府は、IMFに、600億ドルの拠出金を決めた。
報道によれば、(1)円高対策になる、(2)将来の保険金的色彩が濃いなどとある。
しかしそれにしても、600億ドルとは!

 ちなみに、アメリカはゼロ。
国別に今回の拠出国を並べてみる。

日本……600億ドル
イギリス……150億ドル
韓国……150億ドル
オーストラリア……70億ドル
シンガポール……40億ドル

 アメリカは財政難を理由に、ゼロ。
ブラジルは、「自国の地位向上が見られない」という理由で、ゼロ。

 あのね、IMFというのは、もともとは、ヨーロッパの、ヨーロッパのための機関。
そのことはIMFの理事国メンバーを見ればわかるはず。
日本は、「自国の地位向上」をめざし、600億ドルを拠出した?
が、今の日本に、そんな余裕、どこにある?

600億ドルということは、約5兆円。
日本人1人当たり、5万円(成人人口約1億人として計算)。

 もしあなたの家に、町内会の班長が回ってきて、こう言ったとする。
「今度、EUを救済することになりました。
ついては、あなたの家は3人家族ですから、15万円出してください」と。

 あなたは何も言わず、「はい」と言って、15万円、差し出すだろうか。
それとも、しぶるだろうか。
が、私なら、はっきりと断る。

 ちなみに、IMFの歴代(専務)理事(=理事長、理事国)は、つぎのようになっている。

べルギー(1946)
スウェーデン(1951)
スウェーデン(1956)
フランス(1963)
オランダ(1973)
フランス(1978)
フランス(1987)
ドイツ(2000)
アメリカ(2011)(2か月で退官)
フランス(2011)

 これを見てもわかるように、IMFは、国際機関とは、とても言い難い。
さらにウィキペディア百科事典には、つぎのようにある。
日本人としては、たいへん気になる。

『……日本の場合、大口出資国である等の立場から財務官僚が多く出向しており、融資が行われていないにもかかわらず「消費税を上げるべきだ」等のIMFの討議内容の報道がなされる。
 これは、IMFの正式発表ではなく、財務官僚が出向者を使いさも、まるで、IMFが全体がその様に述べているかのように見せ、自分たちの都合の良いようにマスコミを通じ国内世論を操作する道具にしている』(以上、ウィキペディア百科事典)と。

 そういうIMFに、600億ドル!
財務官僚のメンツを立てるために、600億ドル!

 アメリカはもっと、クールだぞ。
ユーロが崩壊すれば、アメリカ・ドルの独壇場。
ユーロは、もとは言えば、アメリカのドルに対抗して生まれたもの。
ユーロの台頭とともに、アメリカのドルは弱体化した。
ついでに日本の円も、脇に追いやられた。

 どうして今、そのユーロを助けなければならないのか。
アメリカ人なら、みな、そう考える。

 今の日本人に欠けるのは、大局に立った戦略的視野。
それに野生臭。
ドロ臭さ。
結局は、最後にババを引くのは、この日本。
日本人の私たち。

++++++++++++以上、4月22日

●閑古鳥が鳴く新東名(第二東名)

 報道によれば、(1)円高対策になる、(2)将来の保険金的色彩が濃いなどとある。
が、円高対策のためということなら、600億というのは、あまりにも弱い。
世界中が、札の印刷合戦をしている。
日本だけが、かたくなに約束を守り、優等生ぶっている。
現在の円高の最大の理由は、ここにある。

 それを「円高対策」と言うのは、あの新東名(第二東名)をさして、「渋滞緩和」と言うのと同じくらい、バカげている。
開通してから2週間目。
数日前、近くを走ってみたが、車はまばら。
閑古鳥が鳴いていた。

 あれほどまでに豪華な道路は、そうはない。
インフラ整備とはいうが、明らかに過剰。
今朝の日経新聞は、EUの現状について、つぎのように結んでいる(2012/05/07)。
最後の一文をよく読んでほしい。

 『労働市場改革の断行は難しく危険でさえある。
イタリアでは近年、労働市場改革について政府に助言していたエコノミストが2人暗殺された。
だが、そうした改革は長期的には雇用創出を拡大する唯一の道だ。

 対照的に、欧州は支出拡大で債務から抜け出すべきという意見は幻想だ。
もちろん、財政赤字削減のペースには議論の余地がある。
しかし、欧州のように多額の税金を課され、厳しく規制され、多大な債務を背負った大陸では、国費による公共事業は、どこにも行けない道をつくるだけだ』(以上、日本経済新聞)と。

 これはEUの現状を訴えた意見だが、それはそのままこの日本にも当てはまる。

 つまり「公共事業は、どこにも行けない道をつくるだけ」。

 もしあなたが新東名で浜松周辺を走る機会があったら、眼下に交差する道路を見てほしい。
どの道路も、立派。
豪華。
県道や市道もあるが、林道や農道が、縦横無尽に走っている。
たとえば三ヶ日の国民宿舎から引佐町へ抜ける道(農道)などは、片側1車線だが、そこらの高速道路より立派。
直線距離にして3キロ程度(グーグルアース上で測定)。
いつ走っても、すれちがう車さえない。
まさに「公共事業は、どこにも行けない道をつくるだけ」。

 こんなアホなことばかりしているから、国の借金はふえつづける一方!
またこんな方法で景気を刺激しようとしても、そこには限界がある。
工事中は、土建業者が潤う。
しかしそのあと、経済は、ドカッと停滞する。
その象徴が、新東名。
この先の維持費(つぎの世代に残すツケ)を考えたら、ゾッとする。

●本論

 さて本論。

 今朝の報道によれば、フランスでは左派政権(大統領)が誕生した。
ギリシャでも、与党は過半数を取れないかもしれないという(2012/05/07)。
それを先読みして、ユーロは、下落。

 何度も書くが、ギリシャを含め、EUの金融危機は、何一つ解決していない。
むしろ悪化の一途をたどっている。
そんな中、日本は、お先走り、頼まれもしないうちから、600億ドルの追加支援。
まさに大国意識。
お人好し。

 世界の経済の中心は、EUから中国、さらにはインド、ブラジル……へと、移動しつつある。
日本からも、東南アジアへと、移動しつつある。
動いてるマネーは、100兆円単位。
そんな中、5兆円程度で、その流れを変えられるはずもない。
が、日本にとっては、大金。
多くの経済学者たちが口をそろえて言っているように、「最後にババを引くのは、この日本」。

 つまり日本は、もう少し野生味を表に出し、国益第一に行動すべき。
最後に、こんなニュースもある(Yahooニュースより)。

『[東京 23日(2012年4月23日)
 ロイター] 韓国サムスングループが日本人技術者の引き抜き攻勢を強めている。
巨額の赤字に苦しむ国内電機各社による事業縮小と人員削減。
開発環境や処遇が悪化すれば優秀な技術者が自ら会社を離れても不思議はない。

(中略)

<年収10倍の提示も>

(中略)

 ある技術者に提示されたサムスンの処遇はこうだ。
役職は取締役。年収は6000万―1億円で、契約期間は3―5年。
年収とは別に、転職に伴う契約金が数千万円支払われる。
専属秘書と運転手付きの車が支給されるほか、30坪超の家具付きマンションが無償貸与される。
日本への帰省費用、家族の韓国への招待等も会社が実費負担する』(以上、Yahooニュース)と。

 日本の外では、猛烈な風が吹いている。
いいのか、日本!
このままで!

 ちなみに今朝、7日午前の東京株式市場では、日経平均株価が200円超安の9122円で取引されている。 
2012/05/07


Hiroshi Hayashi+++++++May. 2012++++++はやし浩司・林浩司

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.みなさん、次号で、またお会いしましょう!
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休日パラドックス

2012-06-27 09:04:38 | 日記
【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

休みます。

【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

今日「休日パラドックス」という言葉を知った。
前から、体験的には知っていたが、それを定義づけた学者がいた。
納得!

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●MSNトッピクスより(2012-05ー06)

**********以下、MSNトッピクスより抜粋*********** 

 ……新しい出会いがあったり、初めての場所に出かけた休日は、あっという間に過ぎてしまう。
でも後から振り返ると、単調な平日と比べて、長い時間だったような気がすることはないだろうか?

時間が過ぎてゆくその瞬間は速いのに、後から振り返ると長いという、この休日によくある時間の感覚は「休日パラドックス」と呼ばれる。

こうした現象が起きるのは、時間に対する感覚と記憶できる行動の数が影響しているらしい。
「休日パラドックス」という呼び名を生み出したのは、心理学の講師であるクラウディア・ハモンド氏だ。
ハモンド氏は心理学の学会で、このパラドックスの仕組みを次のように説明した。

普段の生活は一般的に、単調でパターン化されているので、二週間でせいぜい6~9つのことしか記憶に残らない。

しかし、充実した休日では一日に6~9つの記憶に残る経験をする。
そのため、その瞬間はあっという間に過ぎてしまうものの、後から振り返ると記憶に残っていることが多いので、長い時間だったように感じるのだという。

**********以上、MSNトッピクスより抜粋***********

 で、調べてみると、英語の原文が見つかった。
それをそのまま紹介する。
(出典:Science & Tech ”Mail Online")
http://www.dailymail.co.uk/sciencetech/article-2132993/Why-holidays-fast-memorable.html#ixzz1suzvPiwK

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

We have all experienced it – a holiday that whizzes by at the time but, in retrospect, seems to have gone on forever. Scientists say it is all to do with how our perception of time is affected by the number of memories we form.
When we are doing something new, the hours pass quickly. But all the experiences lead to lots of memories – and when we look back, there are so many that it feels as if we were away for ages.
When we are in our normal routine, fewer memories are laid down. The days seem to drag… but fly by in retrospect.
Holidays are so memorable because of our perception of time, scientists say
The phenomenon has been called the holiday paradox by psychology lecturer Claudia Hammond. She told the British Psychological Society’s conference in London that our lives are normally so humdrum that only six to nine experiences a fortnight are worth committing to memory.
On holiday, we remember six to nine things from each day.
It is something we have all experienced: a holiday that whizzes by at the time but, in retrospect, seems to have gone on forever.
Scientists say it is all to do with our perception of time and how it is affected by the number of memories we form.

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●二重過程理論

 なぜ、英文の原文を掲載するか。
それには同じMSNニュースには、つぎのようにあったから。

『……4月18日付けの『Psychological Science』に掲載されている論文には、次のように書かれている。

「直観的に考えると、使う言語にかかわらず同じ判断が行われる、もしくは、外国語で考えたほうがより体系的でない判断をしてしまうように思われるが、実際にはその反対が正しい。
つまり、外国語を使うと、意思決定をするときのバイアスが減少するのだ」

 心理学において、人間の判断は、2つの異なる思考法によって導き出されると考えられている。
ひとつは、体系的・分析的で、高度に認知的な思考法。
もうひとつは、手早く無意識的で、感情的な思考法だ。

 二重過程理論と呼ばれ、長期的な利益を勘案することができ主に大脳新皮質に司られている「理性的システム」と、即座に働き短期的な利益(主に生存・繁殖)に関わり主に大脳辺縁系に司られている「情動システム」の両方が、判断や意思決定に関わっているとされる。

 これに照らし合わせると、母国語でなく、無意識には使いこなせない言語で思考することは、認知的に負荷のかかる行為であり、脳の処理能力を奪われるため、そのような場合には、手早く短絡的な思いつきに頼る傾向が強くなるように思われる』(以上MSN)と。

●二重過程理論

 ここで重要なキーワードは、「二重過程理論」。

 人間の判断は、つぎの2つの異なる思考方法によって導き出されるという。

(1)体系的・分析的で、高度に認知的な思考法。(大脳新皮質に司られている。)
(2)手早く無意識的で、感情的な思考法。(主に大脳辺縁系に司られている。)

 何やら難しいことが書いてあるように思う人がいるかもしれない。
しかしこんなことは経験的に、当たり前のこと。

 たとえば何かの記事を読んだとする。
そのとき直感的に、「これはおかしい?」と感ずる。
これが(2)の「手早く無意識的で、感情的な思考法」ということになる。

 つぎにその直感に基づいて、自分の思考を注入し、理論化したり体系化したりする。
それが(1)の「体系的・分析的で、高度に認知的な思考法」ということになる。

 そういう意味では、先の(1)と(2)は、順序が逆のように思う。
それはさておき、(2)から(1)へ結びつけるには、それなりの経験と訓練が必要である。
(2)の能力のある人は、多い。
しかしそれを(1)の段階まで、昇華できる人は、少ない。
いわんやそれを文章にしたり、さらに読んでくれた人を納得させるには、経験と訓練が必要である。

 だれでもできるわけではない。
……という意味で、この2つの記事は、たいへん興味深い。
今まで私たちが、体験として知っていたことを、じゅうぶん、納得させてくれた。

ひとつは、記憶(=時間の長さ)というのは、密度で決まるということ。
もうひとつは、ものごとはまず直感で判断し、それを別の脳で体系化、理論化するということ。

 新しい知識、ゲット!、ということで、この話は、ここでおしまい。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 二重過程理論 記憶 記憶と時間の長さ はやし浩司 記憶の密度と時間の長さ はやし浩司 直感の体系化 理論化)


Hiroshi Hayashi+++++++May. 2012++++++はやし浩司・林浩司

【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【消息・調査】(はやし浩司 2012-05-07)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

最近、強く、こう思うときがある。
昔出会った人たちや、私が教えた生徒たちは、今、どうなっているか、と。
それを知りたい、と。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●インターネット

 インターネットの進歩には、驚く。
インターネットを使えば、たいていのことは調べられる。
さらにグーグルアースを使えば、その人の住んでいる場所や家の様子まで調べられる。
場所によっては、「ストリート・ビュー」が使える。
周辺の様子を、車の中から見るように、知ることができる。

 たとえば「AAさんのことを知りたい」と思ったとする。
そういうときは、「AA」という名前で、検索をかければよい。
今ではその町内で発行する機関誌まで、ネットで公開されていることが多い。
それを手がかりに、AAさんの住所を絞り込むことができる。
職業もそれでわかることが多い。

 何かの活動を、公にしていれば、さらに詳しく知ることができる。
が、いつもここで、強いブレーキが働く。
「それを知ったところで、どうなのか?」と。
言うなれば、安っぽい、好奇心。
もっと平たく言えば、「のぞき見」。

●興味

 が、それでも知りたい人というには、いる。
学生時代の親友とか、恋人とか……。
が、そこまで。
消息を知ったところで、何かをしようという気はない。
「元気かなあ?」と思う程度。
が、これは好奇心ではない。
興味。
どうしてだろう?
どうして、そういうことを今になって、知りたがるのだろう?

 理由のひとつに、私自身の人生が秒読み段階に入っていることがある。
言うなれば、あと片づけの段階。
整理。
ちょうど古い骨董品を処分するように、過去のひとつずつに決着をつけておきたい。
心に踏ん切りをつけておきたい。
「糞切り」と書いてもよい。
長い「糞」をぶらさげたままでは、死ぬこともできない。

 そう思うようになった理由のひとつに、最近、こんなことがあった。

●独りよがり

 学生時代、1人のガールフレンドがいた。
美しい人だった。
半年ほど、つきあった。

私は真剣だった。
で、そのガールフレンドについて、前回、同窓会に出たとき、いろいろな話を聞いた。
結果、「ナーンダ!」となってしまった。
つまり彼女には、私のほかに何人かのボーイフレンドがいた。
私は、ただのワン・オブ・ゼム(多数の中の1人)にすぎなかった。
しかもそのガールフレンドには、本命のボーイフレンドが、ほかにちゃんといた。

 それを知ったとき、「ナーンダ!」と。

 ……私には子どものころから、そういう面がある。
思い過ごし。
思い込み。
それがはげしい。

 だからそのガールフレンドとの思い出についても、別のとらえ方をしていた。
勝手に美化し、同時に、2人の関係を悲恋化していた。
が、そのガールフレンドと言えば、私のことなど、何とも思っていなかった。
そういう私を、うるさい男と思っていた(?)。
私とは、遊びに過ぎなかった(?)。
が、その私といえば、本気になってしまった。
「さあ、たいへん!」ということで、(たぶん?)、そのガールフレンドは、あれこれ理由を並べ、私から去っていった。

 当時のいきさつをあれこれ総合すると、どうやら、そういうことになる。
私はあまりにも純朴で、そういった女性の心理を理解できなかった。

 はっきり言えば、悲劇ではなく、喜劇!
みなで、ハハハと笑っておしまい。
みなに、ハハハと笑われておしまい。
同窓会では、そうだった。

●一縷(いちる)の望み

 で、そのときは、それで終わった。
しかし数日もすると、それがジンワリと私の心の中で、大きく膨らみ始めた。
「ならば、今、どうしているか、調べてやろう」と。

 ……というのも、自分の中で、その残り火が今でもチラチラと燃えている。
青春時代の美しい(?)思い出として、ずっと大切にしてきた。
が、今回、それが粉々に破壊されてしまった。
ア~ア、という感じ。
映画『タイタニック』の中に出てくるジャックとローズの話とは、大違い。
私には、その雰囲気さえない。
それはわかっているが、それでも私は、自分の思い出に、一縷(いちる)の望みをかけていた。

 いつか通りで会ったとき、「あっ、AAさん……」「浩司さん……」とか、など。
そんな会話ができればよいと願っていた。
映画『ドクトル・ジバゴ』の1シーンのように。
(こう見えても、私はロマンチストなのだ!
もっともあの映画の中では、そういう会話もできないまま、ジバゴは心臓発作を起こし、その場で倒れてしまうが……。)

 が、今は、ちがう。
「会って、ぶん殴ってやりたい」と思っている。
「さんざん、人の心をもてあそびやがって、この野郎!」と。

●恋愛詐欺

 で、おととい、いろいろ調べてみた。
インターネットの助けを借りた。

 住所は、XX県XX町XX番地。
たまたまそのあたりを、グーグルアースのストリートビューで見ることができた。
マウスを動かせば、360度、その周辺を見回すことができる。
近所の商店とか、そういったものまでわかる。

 あとはNTTの104を使い、その商店の電話番号を調べる。
それとなくその商店に電話をかけ、相手の様子を聞く……。
……というような、姑息(こそく)なことはしない。

調べるなら、現地まで行き、堂々と、それをしたい。
ばったり顔を合わせたところで、どうということはない。
無視して、その場をやり過ごせばよい。
言うなれば、私は被害者。
恋愛詐欺の被害者。
相手のAAさんは、いやがるだろうが、それは私の知ったことではない。

 つまり私は私のやり方で、最後の、そのまた最後の残り火を消しておきたい。
残り火を残したままでは、冥土へは行けない。

●STOP

 ほかにも、それぞれの理由があって、調べてみたい人はいる。
が、「みたい」と思うだけで、そこでSTOP。
先にも書いたように、それはただの好奇心。
のぞき。
私の生活にも、思想にも、何ら役に立たない。
意味もない。

 そんな暇があったら、現在、よく知る人の過去を知ったほうがよい。
またそういう人たちを大切にしたほうがよい。
共に、人生は短い。

 ……というか、最近、「私」「他人」という垣根が、少しずつ低くなってきたように感ずる。
私と他人を区別するほうが、おかしい。
共にこの地球で、共に「現在」という時間を共有した。
言うなれば、一心同体。
その人がどんな人生を送ったにしても、その人の人生は、私のもの。
同時に、私の人生は、その人のもの。

 みなが、ひとつの坩堝(るつぼ)の中で、いっしょくたになって生きている。
それが今という時代を作っている。
それがわからなければ、江戸時代なら江戸時代という時代を思い浮かべてみればよい。
あの時代にも無数の人が生きていた。
無数のドラマがあった。
しかしそういった人の間には、垣根はない。
みな、いっしょくたになり、あの時代を作った。
私たちも、やがてすぐ、そうなる。

 ……ということで、今夜はここまで。
近く、AAさんの家の近くまで行き、AAさんの消息をたずねてみたい。
会うことはない。
ただ長くぶらさがった「糞」だけは、そのとき、その場で、しっかりと切っておきたい。
2012/05/07記


Hiroshi Hayashi+++++++May. 2012++++++はやし浩司・林浩司

Hiroshi Hayashi+++++++June. 2012++++++はやし浩司・林浩司

【ブラック・ビジネス】(はやし浩司 2012-05-06)

●宝島社

 昨夜、床に入ってから、1冊の本を読んだ。
宝島社の『ブラックビジネス』。
表紙には、「知らずにハマる、ブラックビジネス」とある。

 宝島社といえば、若いころ、よく足を運んだ。
そのころから、こうした告発本を、多く出版していた。
それもあってか、玄関が、ふつうの出版社とはちがっていた。
どこかの暴力団の襲撃を受けたこともあった。
閉鎖的というか、外部の人が、すぐには中に入れないしくみになっていた。

 が、社員の方は、たいへん親切だった。
私が持ち込んだ企画を見ながら、いろいろアドバイスをしてくれた。
出版先を探し、紹介してくれたこともある。
だから……というわけでもないが、今でも「宝島社」という社名を見ると、すぐ手が伸びる。

 奥付の住所を見ると、「千代田区1番町25」とある。
それを見ながら、「ああ、あそこが千代田区だったのか」と思う。
道路の反対側に、大火災を起こしたホテルが、当時はまだそのまま残っていた。
また帰るときは、いつも、地下鉄は、「四谷」というところで、乗った。

(たった今、グーグル・アースを使い、会社の場所を調べてみた。
が、当時とは、会社の場所がちがうように思う。
会社が大きくなって、現在の位置に移転したのか。

 さらにウィキペディア百科事典を使って調べてみると、1980年代当時は、『赤坂の(株)宝島社、発行は飯田橋の(株)JICC出版局、と別会社になっていた』とある。

 私が知っているのは、その「赤坂」のほうだった。
(それとも飯田橋のほう?)
また火災事故を起こしたのは、ホテル・ニュー・ジャパン(千代田区永田町)。
1982年に火災とあるから、私が宝島社に通っていたのは、その前後ということになる。)

 話はそれたが、『ブラックビジネス』。
読んで、こう思った。
「よくもまあ、ここまで金に毒された人たちがいるものだ」と。
まさに、あの手この手を使い、人をだます。
しかもこの本のすごいのは、(宝島社という会社はそういう出版社だが)、堂々と実名公を表しているところ。
たとえば「高島易断」。
「インチキすぎる荒稼ぎのトリック」(P41)とある。
(いいのかなあ?
こういう形で実名を出して……。)

●ブラックビジネス

 目次を並べてみる。

(1)最新振り込め詐欺事情
(2)悪徳マルチ商法は人生崩壊ゲーム
(3)高齢者をしゃぶりつくす、未公開株詐欺・通貨詐欺・押し売り
(4)”悪徳詐欺師系”占い師が語るスピリチュアル商法の闇
(5)詐欺ビジネスに変化が起きている。

(6)最新の「押し買い」事情
(7)二極化する新興の「闇金融」
(8)危険な罠だらけの競馬情報
(9)「海外投資」欲望のトラップ!
(10)催眠商法の底なし沼
(11)迷惑メール、真の目的とは

(12)被害者増加中! 民間資格商法
(13)問題山積みの開業支援ビジネス
(14)偽造サプリで今のうちに大儲け
(15)でっちあげ募金! 通称「犬詐欺」
(16)要求はどんどん過激に! 「チャイルド・ポルノ」
(17)ママサークルが、怪しい商売の温床に!?
(18)ギャル詐欺、騙されて覚える大人の世界

(19)不動産業界にはびこる、抵抗不能の搾取構造
(20)共犯ヘルパーが増殖中
(21)俺ならこの家狙って、空き巣に入る!
(22)リフォーム業界は”ウソの匠”だらけ

 どれも私たちの生活と直結している。

●リフォーム業界

 読めば読むほど、まさに人間不信になる。
「リフォーム業界」については、「悪徳業者以外を探すのが難しい」(P111)とある。
私も「リフォーム」をと考えていたので、これは参考になった。

 そのリフォーム会社。
リフォーム会社というのは、「建築業」ではないそうだ。
「解体屋」とか「産廃業者」とかが組んで、リフォーム会社を開業しているとか。
正式の図面は引けないから、客にはイラストを示して工事にかかるという。
が、自分では、しない。
工事は、それなりの仕事ができる大工に丸なげ。
たとえば1700万円のリフォームだと、1000万円分くらいが、丸々、会社の取り分。
残りの700万円が、大工に渡される実費。
リフォーム会社にしてみれば、「これほどうまい、儲け話はない」(本書)となる。

●スピチュアル商法

 「ブラックビジネス」は、11Pもさいて、「スピリチュアル商法」を解説している。
「数百円の石ころが、数万円の商品に化けるカラクリ」というのもある。
「ただの石を問屋から買い、パワーストーンとして売る」(P47)と。

 少し前、A・チャンというタレントが使った商法が、これである。
当の本人は、「事務所の人が勝手にして、私は知らなかった」と弁解しているが、それを信ずる人はいない。
A・チャンは、「A大学」という架空の大学まで設立し、資格商法にまで手を染めている。

 ともあれ、騙す方も騙す方だが、ことこのスピリチュアル商法に関して言えば、騙される方も、騙される方。
どうしてこういう馬鹿なものを信ずるのかと言いたいが、それぞれの人には、それぞれの事情というものがある。
本のなかには、占い師に手相をみてもらっている男性の写真も載っていた。
占いといえば、若い女性の趣味のようなものかと思っていたが、どうもそうでもないようだ。
事業に行き詰まった人は、それこそ「藁(わら)にもすがる」。

●若い女性

 こうしたブラックビジネスに共通しているのは、「若い女性」。
若い女性が、まず電話口に出る。
客と応対する。

「日本人は、若い女性は安心と、脳の奥まで、刷り込みがなされている」(本書)と
「若い女性が、人を騙すはずがない」と信じている人も多い。
つまりブラックビジネスを展開する、ブラック企業は、若い女性を巧みに利用する。
客(カモ)を、安心させる。

 無知ということもある。
(実際、無知だが……。)
それゆえに若い女性は、確信犯的に行動する。
「私はちゃんとしたビジネスをしている」と、信じ切っている。
だから客の方は、騙される。
言いかえると、あやしくない会社ほど、あやしいということ。
若い女性が、ソフトな言い方で電話口に出たら、まず疑ってかかる
それくらいの警戒心は必要。

 ……そう言えば、銀行にせよ、証券会社にせよ、ブラック企業に含めてもよいのではないか。
やっていることは、まさにブラックビジネス。
現金(マネー)は、神に近いか、悪魔に近いかと問われれば、悪魔のほうに、はるかに近い。
その悪の権現(ごんげん・化身)が、銀行であり、証券会社ということになる。

●老人組よ、警戒しよう!

 ともあれ、我ら、老人組は、警戒する。
この先、この種のブラックビジネスは、ふえることはあっても、減ることはない。
たとえば闇金融にしても、今では「ソフト闇金融」というのまで横行しているそうだ。
それがどういうものかは、宝島社の「ブラックビジネス」を読んでみたらよい。

 それにしてもまあ、よくもここまで考えるものだと、感心する。
……ということで、今朝は、かなり人間不信に陥っている。
ズルイ人間は、どこまでもズルイ。
だから……。

 どう生きるか。
どう死ぬか。
もうひとつ加えれば、どう自分を守るか。
老後を生きる、これが3本の柱ということになる。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 ブラックビジネス ブラック企業 老人組みの生き方)


Hiroshi Hayashi+++++++May. 2012++++++はやし浩司・林浩司

●老後の住居(終の棲家と帰巣本能)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

老後をどこで、どのように過ごすか?
ときどき、そんなことを考える。
もちろん第一の候補地は、この浜松市ということになる。
ちょうど40年+半年、住んだことになる。
しかしここは私の故郷ではない。
知り合いはいるが、知り合いという程度。
どの人も、表面的なつきあいだけ。
花にたとえるなら、私は、水耕栽培で育ったチューリップのようなもの。
「根」そのものが、地面についていない。

で、私としては、老後は、故郷の美濃市、もしくはその周辺に住みたい。
最期は、そのあたりで自分の人生を終えたい。
心のどこかで、いつも、そう考えている。

が、ワイフは、「いや」という。
美濃の町を、よほど嫌っている……らしい。
一方、この浜松は、ワイフの故郷。
7人の兄弟姉妹は、いまだ、健在。
「いや」という理由は、よくわかる。

私「もし、ぼくが美濃に戻ると言ったら、どうする?」
ワ「私は、行かないわ」
私「だったら、離婚ということになるよ」
ワ「そのときはそのとき。また考えましょう」と。

……こんな会話を、すでに何十回も繰り返してきた。
堂々巡りというか、結論は、いつもあいまい。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●夫婦

 夫婦といっても、基本的には他人。
溶け合える部分もあるが、そうでない部分も、ある。
その溶け合えない部分をどうするか。

 もちろん内容にもよる。
ワイフは熱い風呂が好き。
私は、ぬるい風呂が好き……というような部分は、どうでもよい。

しかし時として、人生観の根幹にかかわるような問題もある。
人生観、育児観、哲学など。
老後の住、つまり終の棲家(ついのすみか)もそのひとつ。
そういったもので違和感を覚えると、とたんに「他人意識」が強くなる。
「やはり他人だな」と。

●一心同体

 技術的には、同居は可能。
共助共存。
が、そのレベルを超え、一心同体となると、ことは簡単ではない。
それこそ10年、20年単位で、苦楽を共にしなければならない。
が、それには共通の基盤がなければならない。
共通の目標、共通の価値観……。

 「たがいの愛と理解で克服」などという、生やさしいものではない。
寛容と妥協、それを許す度量の広さ。
さらに平たく言えば、「あきらめ」。
結婚生活というのは、まさにその連続。
それなくして、結婚生活というのは、成り立たない。

 が、私のワイフは、「いやよ」と言う。
オーストラリアや東南アジアならよいが、私の故郷の美濃市は、「いやよ」と。
理由はよくわからないが、魚ひとつ取りあげても、口に合わないらしい。

「岐阜の魚は、ヌルヌルして、気持ち悪い」と。

 川魚というのは、そういうものなのだが……。

●夢と現実

 そこで私なりにシミュレーションをしてみる。
「はたして美濃の、あの町に住めるか」と。
つまり(夢)と(現実)の間には、大きな距離がある。
今までにも、そういう経験は、何度かしてきた。
「最期は故郷で……」と思う気持ちはあっても、現実には、それはむずかしい。

 で、先ほど私は、「水耕栽培で育ったチューリップのようなもの」と書いた。
が、故郷の美濃市となると、すでに「根」そのものを切られている。
知人、友人といっても、もちろん昔の知人、友人とは、ちがう。
考え方も、大きくちがう。
気軽にあいさつ程度のことはできるかもしれない。
が、それ以上に、彼らの世界に入り込んでいく自信はない。
ここ浜松で感ずる孤独感以上の孤独感を、覚えるかもしれない。

 だから最期は、この浜松で……となる。

●晩年の母

 ところで私の実母は、最期の2年間を、この浜松市で過ごした。
1年は、私の自宅で。
つぎの1年は、近くの特養で。

 その特養でのこと。
母はしきりに、生まれ故郷のK村に帰りたがった。
何度も私に、せがんだ。
一度、脳梗塞で倒れるまで、それはつづいた。

 そういった症状は、どの老人にも見られるらしい。
ホームのヘルパーの人たちは、こう言った。
「老人は、みな、そうですよ」と。

 ……ということは、私とて例外であるはずがない。
私も、最期に近づけば近づくほど、帰巣(きそう)本能が強くなるかもしれない。
事実、このところ、それをときどき感ずる。
「ここで死ぬのはいやだな」という思いが、そのまま「故郷で死にたい」という思いに変わる。

●老後の問題

 老後には老後の問題が、山のようにある。
これもそのひとつ。
つまりこの先、何かにつけ、じっと耐えて生きていく。
心の壁にペタリと張りついた不完全燃焼感に、じっと耐えて生きていく。
老後の住居問題だけではない。
もろもろの問題が、薄い地層のようになって、心の中に山積する。

 孤独、不安、心配、健康問題などなど。
が、どれも、自分の力では解決できない。
「命」の壁が、大きく立ちはだかる。
つまりどうしようもない。
どうしようもないから、じっと耐える。
耐えて生きるしかない。

●結論

 「老後は故郷で……」というのは、言うなれば、わがまま。
ぜいたく。
それまで、「浜松」という「地」があるだけでも、御の字。
感謝しなければならない。
というのも、そういうわがままや、ぜいたくができる人のほうが、はるかに少ない。

 反対に地元に残った人には、地元に残ったという不完全燃焼感があるかもしれない。
先日、高校の同窓会に出たときも、そう言った男性が、1人いた。
「私は生まれも育ちも、そして今まで、この美濃町を一歩も出たことがありません」と。

 自慢して、そう言ったのではない。
どこかさみしそうな言い方だった。
それを思えば、自由に、空をはばたくことができた私は、幸福だったかもしれない。

 で、その点、私のワイフは、正直な人だ。
そのままストレートに心の内を表現する。
「いやよ」と。

 それはその通りで、もし私が逆の立場だったら、やはり同じように言うだろう。
「いやだ」と。

 で、このエッセーの結論。

 老後というのは、耐えて生きるもの。
それがいやなら、できるだけ自分の心をごまかして生きる。

そういう心の操作が、加齢とともに、ますます必要になってくる。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 終の棲家 最期の住居 老人組の心理 耐えて生きる はやし浩司 不完全燃焼感)

Piipi、私と鳥

2012-06-27 08:22:07 | 日記
【ぼたんインコ】

●ぼたんインコのPippi

 子育てを模擬体験してみたかったら、インコを飼ってみるとよい。
セキセイ・インコよりも、ぼたん・インコ。
(おかめ・インコのほうがよいと言う人もいる。
頭もよく、感情も豊かという。)

 生後3~4週間目ごろに、信頼のおける小鳥やで、買い受けるとよい。
それ以前だと飼育がむずかしい。
それ以後だと、飼い主に馴れるのに時間がかかるという(小鳥屋の主人の話)。

中には、劣悪な環境で、生まれ育ったインコもいるという。
人間並みに、大きな心の傷をもっていることが多いという。

 その3週間目あたりから、インコは、人間でいうなら、幼児期に入る。
幼児期前期(自律期)。
「しつけ」の時期と考えるとわかりやすい。
この時期は、静かに、穏やかに育てる。
この飼育方法も、人間の子どもと同じ。

 またこの時期に甘やかしたり、好き勝手なことをさせると、やがて手に負えなくなる。
自分が「主人」で、人間のほうが、「従者」になる。
自分のわがままが通らなくなると、攻撃的になる。
もちろん乱暴に扱うと、攻撃的になる。
あの太いクチバシで、人間の指を強くかんだりする。
人間の耳程度なら、かみちぎってしまうという。
 
 ぼたんインコは、きわめて好奇心が旺盛な鳥である。
一通り何でも、やってみないと気が済まないらしい。
たとえば人間の私が、何か新しいものを使っていたとする。
食べ物でもよい。
ぼたんインコは、かならずそばに来て、それが何であるかを確かめようとする。
その時期はずっとつづくという。
飼育本によれば、それが2~3年もつづくという。

 で、生後2か月ほどで、飛び回るようになる。
それ以前は、二足歩行で、トコトコと歩き回る。
穴を見つけると、そこへ入っていく。
が、飛び始めると、今度は、穴には入らなくなる。
鳥のばあい、(飛び立つ前)と(飛び立つようになった後)とでは、行動パターンがまったくちがう。

 飛び回るようになると、日に日に、行動半径を広げていく。
飛び方も、速くなる。
人間の子どもでいうなら、幼児期後期(自立期)。

ぼたんインコの翼は、たとえば文鳥のそれとは比較にならないほど、厚みがある。
その分だけ、飛び方も荒い。
(パッと飛び立ち、その瞬間ガクンと方向を変え、ストンと下降したあと、前に進んだりする。)
もちろん動きも、速い。
(20畳程度の部屋でも、1~2秒前後で1周する。)
生後3か月ほどで、人間でいうなら、児童期(学童期)に入る。
で、この時期までに、いかにして、人間との信頼関係を築くか、
それがぼたんインコを飼うときには、きわめて重要である。

 たとえばときに、強く叱らなければならないときがある。
(ぼたんインコには、ぼたんインコなりの理由があるのだが)、ときに、人間の指に強くかみつくことがある。
「痛い!」と声をあげるほど、痛い。
そういうときは、思いっきり強く息を吹きかけるとよい。
それによって怒っていることを示す。
(この方法は、飼育本で知った。)
叩いたりしてはいけない。
息を吹きかける。

 ぼたんインコは、その息でひるむ。
またその後は、人間の指をかみつくようなことはない。
で、そのとき信頼関係ができあがっていれば、そのあとすぐ、関係は修復される。
口元にやってきて、餌をねだったりする。
が、信頼関係ができていないと、今度は人間を避けるようになる(……という。)
あとはこの悪循環の中で、たがいの心は離れていく。

 つまり、この点も、人間の子どもそっくり。
「同じ」と断言してもよい。

 で、我が家のぼたんインコは、もうそろそろ3か月目から4か月目に入る。
私が家にいる間は、ほとんど部屋の中で放し飼いにしている。
出かけるときだけ、鳥かごに入れる。

 頭のよい鳥だから、雰囲気でそれを察知する。
が、私はだますようなことはしない。
まず手の指の上に乗せる。
何度も、説得する。
「これから出かけるから、かごの中で待っていてよ」と。
その状態で、ゆっくりと体をつかみ、そのままそっと、かごの中に入れる。

 ……だませば、やがて「だまされた」ことを学ぶようになる。
信頼関係は、そのとき崩れる。
小鳥といっても、知的能力が高い分だけ、気を使う。

●ペット

 私が小鳥を飼い始めたのは、高校1年生の終わりごろだったと記憶している。
冬の寒い日だった。
岐阜市まで何かのことで、母と行ったついでに、文鳥を買ってもらった。
すでに成長になっていて、手を出しても乗ることはなかった。
が、寝食を共にするうち、やがて私に馴れた。
期間は忘れたが、2~3か月もかからなかったのでは?
もともと手乗り文鳥として、育てられた鳥だった。

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(写真は、その文鳥の「フレンド」。新聞記事からして、東京オリンピックのころと思われる。フレンドは、いつも私の弁当の残り物を食べていた。)

 「寝食」というのは、本当で、私は毎晩、その文鳥を手に抱いて寝た。
冬の寒い日はもちろん、夏の暑い日でも、その文鳥は私の顔に体をすり寄せて寝た。
1~2度、体で押しつぶしそうになったことはある。
しかしその文鳥は、私が大学4年生のときまで生きた。

 私はあの文鳥で、ずいぶんと心を癒された。
学校から帰ってくると、まっ先にあいさつを交わした。
……というか、私の声を聞くと、かごの巣から落ちるようにして、私を迎えてくれた。
(ほかの人間には、指一本、体をさわらせなかったが……。)

 今でも、Pippiを抱くと、あのときの手の感触が戻ってくる。
フワフワとした羽。
腹のやわらかな皮膚。

 安心しきった表情で、手の中で眠っているのを見ると、心が癒される。
私まで、つられて眠くなる。
私にとって、小鳥というのは、そういうもの。

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Hiroshi Hayashi+++++++June. 2012++++++はやし浩司・林浩司