最前線の子育て論byはやし浩司(2)

子育て最前線で活躍する、お父さん、お母さんのためのBLOG

●宇宙人のシッポ

2011-11-27 20:32:29 | 日記




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 彡彡人ミミ      彡彡彡彡彡
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凸/Σ▽乃q ・ ・ p ̄Σ▽乃 ̄` /
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 子育て最前線の育児論byはやし浩司   12月 9日号
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

休みます。

【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●「宇宙人の存在」(はやし浩司がつかんだ、ささやかな証拠)

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 MSN・ニュースサイトに、こんな興味深い記事が載っている。

 ノーベル科学賞を受賞した、ポール・クルーグマン氏が、11月10日、自身が担当す
る米ニューヨークタイムズ紙のレギュラーコラムで、先日ホワイトハウスが宇宙人との接
触を否定した発表について、厳しく批判したというのだ。

 「Fools」「Fools」と冒頭から冗談か真剣からともかく激しい批判の口調で書
き始めている「Space:The Final Stimulus」と題して論を展開して
いる。

 「宇宙人の存在こそが、次の経済の希望になるということをわかっていないのか」と政
府を批判したという(以上、MSNニュース・サイトより)。

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●宇宙人の存在

 私は気がつかなかったが、この記事によれば、ホワイトハウスが、宇宙人との接触を否
定したらしい。
それについて、ノーベル科学賞を受賞した、ポール・クルーグマン氏が、「バカ、バカ!」
と一蹴。
その上で、「宇宙人の存在こそが、次の経済の希望になるということをわかっていないのか」
と政府を批判した、というのだ。

●希望

 宇宙人の存在は、たしかに大きな希望である。
恐ろしい宇宙人もいるそうだが、逆説的に考えるなら、そういう宇宙人は少数派。

もし宇宙人がいて、その宇宙人が邪悪で、攻撃的であったとするなら、その宇宙人はとっ
くの昔に自滅していたはず。
破滅的な兵器も、同時にもっているはず。
その兵器で、自滅していたはず。

 宇宙を自由に行き来できるような科学力をもっている宇宙人がいるとするなら、その宇
宙人は、同時に、穏やかで平和的。
そうでなければ、……たとえば人間のように半世紀ごとに大きな戦争を繰り返すような宇
宙人なら、この宇宙では生きてはいかれない。
とっくの昔に自滅していたはず。

 もしそこに宇宙人がいるとするなら、穏やかで平和的。
そういう宇宙人に接触することは、希望以外の何ものでない。

●宇宙人がいるという証拠

 それにしても不思議なのは、なぜこの場に及んでも、アメリカ政府やNASAは、宇宙
人の存在を否定するかということ。
もうここまでわかっているのだから、いいかげんに事実を認めたらよい。
繰り返しになるが、私がつかんだ、「ささやかな証拠」をここに再掲載する。

 なおここに紹介する「火星上空を飛ぶUFO」について、知人の1人は、「カメラのレン
ズについたゴミ」と評している。
が、カメラをいじったことのある人なら、みな知っている。
レンズについたゴミは、こんなふうには、写らない。

 さらにおかしなことに、その後発表された写真には、このUFOは写っていない。
消されている。
NASAはなぜ、そんな小細工ばかり、繰り返すのか?

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●宇宙人はいる!(2011年5月に書いた原稿より)


++++++++++++++++++++


「はやし浩司」という1人の、小さな人間が住む、
そのまた小さな世界。
その中で、はやし浩司ははやし浩司なりに、
宇宙人の存在を確信した。


それは私の人生の中でも、特筆すべきできごと
といってもよい。
「他人を介していない」という意味において、
また私自身が確信できるという意味において、
特筆すべきことできごとといってもよい。


小さな、そのまた小さな証明だが、しかし
それ以上の証明が、この私にできるだろうか。
組織力も、調査力もない。
どこまでも小さな私である。
あなたと同じ、小さな人間である。


何はさておき、ここに新聞のコピー(1)と、
火星で撮影された写真(2)を、並べて掲載する。


(1)の記事は、私が2000年11月25日(土)に、
中日新聞に寄稿したエッセーである。
「2000年」という年号に注意しておいてほしい。


(2)の写真は、2003年6月10日に打ち上げられた、
アメリカの火星探査機「スピリット」が、地球に
送ってきた写真である。
スピリットは、2004年1月3日に火星に到達している。
つまりこの写真は、どんなに早くて、2004年1月
3日以後に撮影されたものということになる。


この「2004年」という年号に注意しておいてほしい。
その上で、私自身が描いた新聞上のイラストと、
スピリットが送ってきた写真を見比べてみてほしい。


もし逆、つまり私が描いたイラストがスピリットが
送ってきた写真よりあとということなら、私が
スピリットの送ってきた写真を模してイラストを
描いたと疑われてもしかたない。
しかし私のほうが、先に書いている。
2000年の11月である。
スピリットがこの写真を送ってきたのは、少なくとも
2004年1月以後である。
私がスピリットの送ってきた写真を模してイラストを
描いたということは、ありえない!


つまりこれが、私という小さな人間の、ささやかな、
実にささやかな「証拠」ということになる。
「宇宙人は存在する」という、ささやかな証拠
ということになる。


+++++++++++++++


(1)


2000年月1125日発表の原稿
★2000年、私が発表したコラム


★原稿より(上、写真版の読みづらい人は、どうか下をお読みください。)


Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司


●見たぞ、UFO!(中日新聞記事より)(2000年11月)


見たものは見た。巨大なUFO、だ。
ハバが一、二キロはあった。しかも私と女房の二人で、それを見た。
見たことにはまちがいないのだが、何しろ二十五年近くも前のことで「ひょっとしたら…」
という迷いはある。が、その後、何回となく女房と確かめあったが、いつも結論は同じ。「ま
ちがいなく、あれはUFOだった」。


 その夜、私たちは、いつものようにアパートの近くを散歩していた。時刻は真夜中の一
二時を過ぎていた。そのときだ。何の気なしに空を見あげると、淡いだいだい色の丸いも
のが、並んで飛んでいるのがわかった。私は最初、それをヨタカか何かの鳥が並んで飛ん
でいるのだと思った。


そう思って、その数をゆっくりと数えはじめた。
あとで聞くと女房も同じことをしていたという。が、それを五、六個まで数えたとき、私
は背筋が凍りつくのを覚えた。
その丸いものを囲むように、夜空よりさらに黒い「く」の字型の物体がそこに現われたか
らだ。
私がヨタカだと思ったのは、その物体の窓らしきものだった。
「ああ」と声を出すと、その物体は突然速度をあげ、反対の方向に、音もなく飛び去って
いった。


 翌朝一番に浜松の航空自衛隊に電話をした。
その物体が基地のほうから飛んできたからだ。が、どの部署に電話をかけても「そういう
報告はありません」と。
もちろん私もそれがUFOとは思っていなかった。
私の知っていたUFOは、いわゆるアダムスキー型のもので、UFOに、まさかそれほど
までに巨大なものがあるとは思ってもみなかった。


が、このことを矢追純一氏(UFO研究家)に話すと、矢追氏は袋いっぱいのUFOの写
真を届けてくれた。
当時私はアルバイトで、日本テレビの「11PM」という番組の企画を手伝っていた。
矢追氏はその番組のディレクターをしていた。
あのユリ・ゲラーを日本へ連れてきた人でもある。
私と女房はその中の一枚の写真に釘づけになった。私たちが見たのと、まったく同じ形の
UFOがあったからだ。


 宇宙人がいるかいないかということになれば、私はいると思う。
人間だけが宇宙の生物と考えるのは、人間だけが地球上の生物と考えるくらい、おかしな
ことだ。
そしてその宇宙人(多分、そうなのだろうが…)が、UFOに乗って地球へやってきても
おかしくはない。
もしあの夜見たものが、目の錯覚だとか、飛行機の見まちがいだとか言う人がいたら、私
はその人と闘う。
闘っても意味がないが、闘う。私はウソを書いてまで、このコラム欄を汚したくないし、
第一ウソということになれば、私は女房の信頼を失うことになる。


 ……とまあ、教育コラムの中で、とんでもないことを書いてしまった。
この話をすると、「君は教育評論家を名乗っているのだから、そういう話はしないほうがよ
い。君の資質が疑われる」と言う人もいる。
しかし私はそういうふうにワクで判断されるのが、好きではない。文を書くといっても、
教育評論だけではない。
小説もエッセイも実用書も書く。ノンフィクションも得意な分野だ。東洋医学に関する本
も三冊書いたし、宗教論に関する本も五冊書いた。うち四冊は中国語にも翻訳されている。


そんなわけで私は、いつも「教育」というカベを超えた教育論を考えている。
たとえばこの世界では、UFOについて語るのはタブーになっている。だからこそあえて、
私はそれについて書いてみた。


Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司


イラスト拡大図(2000年11月の記事より)
★コラムの中のイラストの拡大図


d88cbd81.jpg
★火星探査機「スピリット」が送ってきた、火星上空を浮遊するUFO(2004年)


●火星上のUFO.jpg
★(UFOの拡大写真)


2004年に火星探査機「スピリット」によって撮影された火星上空のUFO
★別の本に紹介された、火星上空のUFO(「世界のUFO現象」(学研))


●宇宙人は、確かにいる!


 私はあの夜のことを忘れない。
あの夜、私とワイフは、UFOを見た。
が、当初、私は、それをUFOとは思わなかった。
私が聞いていたUFOは、円盤形のものをいう。
「く」の字型(ブーメラン型)のUFOなど、知るよしもなかった。
しかも、巨大だった。
天空をぐいと横切るほど、巨大だった。
新聞記事の中では、1、2キロと書いたが、実際のところ、よくわからない。
それよりも大きかったかもしれない。
あるいは小さかったかもしれない。
が、飛行機とは比較にならないほど、巨大だった。


 あの夜見たものを、もう一度、整理しておきたい。


(1)窓


 私もワイフも窓らしきものを目撃している。
大きな丸い窓(?)で、よく見ないとわからないほど、淡い橙色のものだった。
私はそれはジグザグに並んでいたように思うが、ワイフは、一直線だったと言っている。


(2)黒いシルエット


 私は黒いシルエット(輪郭)を見ているが、ワイフはよく覚えていないという。
最初はそのシルエットは見えなかった。
少しずつ黒くなって、真上にきたとき、黒いシルエットとなった。
黒いシルエットが、その背景の夜空よりも黒く、夜空に浮かびあがった。
月は出ていなかったように記憶している。


 私が記憶しているシルエットは、中日新聞紙上で発表したとおりである。
私はその形を忘れないように、当時、何かにメモした記憶がある。


(3)消え方


 私が見たそのUFOは、西の方角からゆっくりやってきて、真上に来たとき、突然
スピードをあげ、東の方角へ飛んでいった。
スーッという感じだった。
そのときのこと。
そのUFOは、遠ざかって消えるというよりは、空に溶け込むようにして
消えていった。
大きさは遠ざかるにつれて小さくなったように感じたが、そのまま透明になり、
消えていった。


 その先に白い小さな筋雲がいくつかあったように記憶している。
そのUFOは、雲の中に消えたのではない。


(4)自衛隊に電話


 その直後、私は電話帳で自衛隊基地の番号を知り、電話をかけた。
何度もかけたように記憶している。
その夜は、ほとんど一睡もせず、朝を待った。


 電話がやっとつながったのは、午前8時30分だったように記憶している。
つながった先は、たしか「管制室」だったと思う。
電話口の向こうの男性は、「そういう報告はあがっていません」とだけ、何度も
繰り返した。
私は「そんなはずはない!」と、何度も押し問答を繰り返した。
「あんな大きなものが上空を通過したのに、レーダーに映っていないはずがないだろ!」
と言った記憶がある。


(参考)(豊田ひろし氏のHPより抜粋)


『……火星の表面を移動し、水が存在した証拠を探る米航空宇宙局(NASA)の無人探
査車「スピリット」が米太平洋時間3日[2004年1月]午後8時35分(日本時間4日午後1
時35分)、火星に着陸、周囲の写真撮影に成功しました。


 スピリットは、火星の大気圏に時速1万9000キロ以上の高速で突入。パラシュートとロ
ケット噴射で減速するとともに、24個のエアバッグを膨らませて本体を包み、着陸後バウ
ンドを繰り返した末に無事停止しました。専門家が「地獄のようなもの」と呼ぶ、1400度
を超す高温と接地時の激しい衝撃に耐え、探査車は生き残りました。


 スピリットは2003年6月10日MER-A 1号機によって打ち上げられ,約7ヶ月弱で火星
に到着しました。


スピリットは今後約1週間かけて観測機器の機能を確認。その後約3カ月間、周囲を走り
回り、カメラや試料採取装置などを使って岩石や土壌の組成を分析、水の痕跡を探ること
で、生命の有無を確かめます。いままでは,すべてモノクロ写真の地上撮影でしたが,今回
は地上のカラー写真もはじめて撮影しました』(豊田ひろし氏のHPより)。


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●希望論(2000年ごろ書いた原稿より)

 希望にせよ、その反対側にある絶望にせよ、おおかたのものは、虚妄である。
『希望とは、めざめている夢なり』(「断片」)と言った、アリストテレス。
『絶望の虚妄なることは、まさに希望と相同じ』(「野草」)と言った、魯迅などがいる。

さらに端的に、『希望は、つねに私たちを欺く、ペテン師である。
『私のばあい、希望をなくしたとき、はじめて幸福がおとずれた』(「格言と反省」)と言っ
た、シャンフォールがいる。

 このことは、子どもたちの世界を見ているとわかる。

 もう一〇年にもなるだろうか。
「たまごっち」というわけのわからないゲームが、子どもたちの世界で流行した。
その前後に、あのポケモンブームがあり、それが最近では、遊戯王、マジギャザというカ
ードゲームに移り変わってきている。

 そういう世界で、子どもたちは、昔も今も、流行に流されるまま、一喜一憂している。
一度私が操作をまちがえて、あの(たまごっち)を殺して(?)しまったことがある。
そのときその女の子(小一)は、狂ったように泣いた。「先生が、殺してしまったア!」と。
つまりその女の子は、(たまごっち)が死んだとき、絶望のどん底に落とされたことになる。

 同じように、その反対側に、希望がある。
ある受験塾のパンフレットにはこうある。

 「努力は必ず、報われる。希望の星を、君自身の手でつかめ。○×進学塾」と。

 こうした世界を総じてながめていると、おとなの世界も、それほど違わないことが、よ
くわかる。
希望にせよ、絶望にせよ、それはまさに虚妄の世界。
それにまつわる人間たちが、勝手につくりだした虚妄にすぎない。その虚妄にハマり、と
きに希望をもったり、ときに絶望したりする。

 ……となると、希望とは何か。絶望とは何か。
もう一度、考えなおしてみる必要がある。

キリスト教には、こんな説話がある。あのノアが、大洪水に際して、神にこうたずねる。「神
よ、こうして邪悪な人々を滅ぼすくらいなら、どうして最初から、完全な人間をつくらな
かったのか」と。

それに対して、神は、こう答える。「人間に希望を与えるため」と。
 少し話はそれるが、以前、こんなエッセー(中日新聞掲載済み)を書いたので、ここに
転載する。

++++++++++++++++++++

子どもに善と悪を教えるとき

●四割の善と四割の悪 

 社会に四割の善があり、四割の悪があるなら、子どもの世界にも、四割の善があり、四
割の悪がある。

子どもの世界は、まさにおとなの世界の縮図。
おとなの世界をなおさないで、子どもの世界だけをよくしようとしても、無理。子どもが
はじめて読んだカタカナが、「ホテル」であったり、「ソープ」であったりする(「クレヨン
しんちゃん」V1)。

つまり子どもの世界をよくしたいと思ったら、社会そのものと闘う。
時として教育をする者は、子どもにはきびしく、社会には甘くなりやすい。
あるいはそういうワナにハマりやすい。
ある中学校の教師は、部活の試合で自分の生徒が負けたりすると、冬でもその生徒を、プ
ールの中に放り投げていた。

その教師はその教師の信念をもってそうしていたのだろうが、では自分自身に対してはど
うなのか。自分に対しては、そこまできびしいのか。
社会に対しては、そこまできびしいのか。
親だってそうだ。子どもに「勉強しろ」と言う親は多い。しかし自分で勉強している親は、
少ない。
________________________________________
●善悪のハバから生まれる人間のドラマ

 話がそれたが、悪があることが悪いと言っているのではない。
人間の世界が、ほかの動物たちのように、特別によい人もいないが、特別に悪い人もいな
いというような世界になってしまったら、何とつまらないことか。

言いかえると、この善悪のハバこそが、人間の世界を豊かでおもしろいものにしている。
無数のドラマも、そこから生まれる。旧約聖書についても、こんな説話が残っている。

 ノアが、「どうして人間のような(不完全な)生き物をつくったのか。
(洪水で滅ぼすくらいなら、最初から、完全な生き物にすればよかったはずだ)」と、神に
聞いたときのこと。
神はこう答えている。

「希望を与えるため」と。

もし人間がすべて天使のようになってしまったら、人間はよりよい人間になるという希望
をなくしてしまう。
つまり人間は悪いこともするが、努力によってよい人間にもなれる。
神のような人間になることもできる。旧約聖書の中の神は、「それが希望だ」と。
________________________________________
●子どもの世界だけの問題ではない

 子どもの世界に何か問題を見つけたら、それは子どもの世界だけの問題ではない。
それがわかるかわからないかは、その人の問題意識の深さにもよるが、少なくとも子ども
の世界だけをどうこうしようとしても意味がない。
たとえば少し前、援助交際が話題になったが、それが問題ではない。
問題は、そういう環境を見て見ぬふりをしているあなた自身にある。
そうでないというのなら、あなたの仲間や、近隣の人が、そういうところで遊んでいるこ
とについて、あなたはどれほどそれと闘っているだろうか。

私の知人の中には五〇歳にもなるというのに、テレクラ通いをしている男がいる。
高校生の娘もいる。
そこで私はある日、その男にこう聞いた。「君の娘が中年の男と援助交際をしていたら、君
は許せるか」と。するとその男は笑いながら、こう言った。

「うちの娘は、そういうことはしないよ。うちの娘はまともだからね」と。

私は「相手の男を許せるか」という意味で聞いたのに、その知人は、「援助交際をする女性
が悪い」と。
こういうおめでたさが積もり積もって、社会をゆがめる。子どもの世界をゆがめる。
それが問題なのだ。
________________________________________
●悪と戦って、はじめて善人

 よいことをするから善人になるのではない。
悪いことをしないから、善人というわけでもない。
悪と戦ってはじめて、人は善人になる。
そういう視点をもったとき、あなたの社会を見る目は、大きく変わる。子どもの世界も変
わる。(中日新聞投稿済み)

++++++++++++++++++++++

 このエッセーの中で、私は「善悪論」について考えた。
その中に、「希望論」を織りまぜた。それはともかくも、旧約聖書の中の神は、「もし人間
がすべて天使のようになってしまったら、人間はよりよい人間になるという希望をなくし
てしまう。
つまり人間は悪いこともするが、努力によってよい人間にもなれる。
神のような人間になることもできる。それが希望だ」と教えている。

 となると、絶望とは、その反対の状態ということになる。キリスト教では、「堕落(だら
く)」という言葉を使って、それを説明する。
もちろんこれはキリスト教の立場にそった、希望論であり、絶望論ということになる。
だからほかの世界では、また違った考え方をする。

冒頭に書いた、アリストテレスにせよ、魯迅にせよ、彼らは彼らの立場で、希望論や絶望
論を説いた。
が、私は今のところ、どういうわけか、このキリスト教で教える説話にひかれる。
「人間は、努力によって、神のような人間にもなれる。それが希望だ」と。

 もちろん私は神を知らないし、神のような人間も知らない。
だからいきなり、「そういう人間になるのが希望だ」と言われても困る。
しかし何となく、この説話は正しいような気がする。
言いかえると、キリスト教でいう希望論や絶望論に立つと、ちまたの世界の希望論や絶望
論は、たしかに「虚妄」に思えてくる。
つい先日も、私は生徒たち(小四)にこう言った。授業の前に、遊戯王のカードについて、
ワイワイと騒いでいた。

 「(遊戯王の)カードなど、何枚集めても、意味ないよ。
強いカードをもっていると、心はハッピーになるかもしれないけど、それは幻想だよ。
幻想にだまされてはいけないよ。
ゲームはゲームだから、それを楽しむのは悪いことではないけど、どこかでしっかりと線
を引かないと、時間をムダにすることになるよ。
カードなんかより、自分の時間のほうが、はるかに大切ものだよ。
それだけは、忘れてはいけないよ」と。

 まあ、言うだけのことは言ってみた。しかしだからといって、子どもたちの趣味まで否
定するのは、正しくない。
もちろん私たちおとなにしても、一方でムダなことをしながら、心を休めたり、癒(いや)
したりする。
が、それはあくまでも「趣味」。決して希望ではない。
またそれがかなわないからといって、絶望する必要もない。
大切なことは、どこかで一線を引くこと。
でないと、自分を見失うことになる。時間をムダにすることになる。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●ポール・クルーグマン氏(ノーベル科学賞受賞者)

 ポール・クルーグマン氏について、ウィキペディア百科事典には、つぎのようにある。

『ポール・クルーグマン(Paul Robin Krugman、1953年2月28日)は、アメリカの
経済学者、コラムニスト。
現在、プリンストン大学教授、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス教授を兼任。
1991年にジョン・ベーツ・クラーク賞、2004年にアストゥリアス皇太子賞社会科学部門、
2008年にはノーベル経済学賞を受賞した。

専門の国際経済学の分野以外でも積極的に発言しており、反ジョージ・W・ブッシュの旗
手としても知られる。

また、2008年の民主党大統領候補指名のキャンペーンでヒラリー・クリントン候補のメデ
ィケア政策を擁護し、一時的にバラク・オバマ陣営から批判が出たものの、結果的にはメ
ディケアに対してオバマ陣営が当初表明していた共和党寄りの方針を撤回させ、民主党の
本流の政策に転換させることに成功している。
ただし、この論争がしこりとなりクルーグマンは民主党の要職から外れることになった』
(以上、ウィキペディア百科事典より)と。

 ポール・クルーグマン氏については、そういう人であるということがわかった。
MSNニュースにあるように、「ノーベル科学賞」ではなく、「ノーベル経済学賞」。
そう言えば、「ノーベル科学賞」というのは、聞いたことがない。
正しくは「ノーベル経済学賞」。

 ともかくも、そういう人の発言であるだけに、たいへん興味深い。

●宇宙人はいる!

 宇宙人論では、私はかなり叩かれた。
事実、教育の世界で宇宙人を口にすると、即、変人扱いを受ける。
(ただし私は教室で、子どもたちに宇宙人の話をしたことはない。念のため。)

 「君は教育者を名乗るのだから、そういうことは口にしないほうがいい」と忠告してく
れた人もいる。
(私自身は、「教育者」を名乗ったことは、一度もないのだが……。)

 が、ここに書いたコラムのように、「見たものは、見た!」。
たったそれだけのことだが、この日本では、それすら、自由に言ったり書いたりすること
ができない。

 ……つまり、こうして一歩、一歩、アメリカ政府やNASAを追いつめていく。
彼らは、何かを隠している。
つまり何かを知っている。
それを知るのは、人類全体の「希望」でもある。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 ノア 人間を滅ぼすく
らいなら ポール・クルーグマン はやし浩司 火星上空のUFO ブーメラン型UFO)


Hiroshi Hayashi++++++Nov. 2011++++++はやし浩司・林浩司

●時間という砂時計

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ワイフの老眼鏡が、合わなくなった。
老眼の度が進んでいるという。
眼科医で調べてもらうと、ドクターがそう言ったという。
そこで近くのメガネ屋へ。

大通りに出て右に曲がると、やがて橋を越える。
橋全体が高くなっていて、一瞬だが、見晴らしがよくなる。
川幅は50メートル前後はあるだろうか。
近くの佐鳴湖から浜名湖へ流れる、人工の用水である。

時は晩秋。
明るい日差しを浴びて、川面が光っていた。
が、見ると、ちょうど釣り人が、ルアーを川に投げ込むところだった。
カラフルな服を着ていた。

++++++++++++++++++++++

●人それぞれ……

 生き様は人、それぞれ。
私は私、あなたはあなた。
人は人。
しかしそれを見た瞬間、私はこう思った。
「ぼくには、できないな」と。

 ……こう書くからといって、魚釣りが、どうこう言うのではない。
また釣り人が、どうこう言うのではない。
先にも書いたように、人、それぞれ。
が、私にはできない。
そうでなくても、時間が足りない。
「忙しい」というのではない。
「時間が足りない」。

●レジュメ

 午前中は、今度浜北区の文化センターで講演をすることになった。
その資料をまとめた。
浜松市内では、今年度最後の講演会である。
総まとめ。
その日に向け、テンションを高めていく。
昨日から少しずつだが、運動量もふやした。

 そのため、つまり資料の整理のために、1~2時間ほどつぶした。
で、そのあと、もう一度、自動車G会の原稿に目を通す。
英文で要約説明文も、書かねばならない。
巻頭言で6ページ。
全世界で発行されるという。
それぞれの国の言語に翻訳されるという。
いろいろな原稿を書いてきたが、これほどまでの依頼は、はじめて。
気合いが入る。

●田丸謙二先生

 田丸謙二先生が、いかに偉大な人物であるかは、いまさらここに書くまでもない。
肩書(経歴)を並べたら、とても1枚の紙には収まらない。
その田丸謙二先生が、先日、ドイツで行われた「ハーバー記念講演会」に講師として招か
れた。
全世界から1000人近い、科学者が集まったという。
ノーベル賞受賞者も多数、いたという。

 が、何よりも驚くのは、今年、田丸謙二先生が、88歳であるということ。
常識的に見れば、ヨボヨボの老人ということになる。
その田丸先生に、自動車G会の原稿を送った。

●裸で勝負

 「田丸謙二先生へ、
今度自動車G会のために書いた原稿を送ります。
年1回発行され、全世界で配布されます。

 先生にお会いしたのが、1970年。
そのとき私は心に誓いました。
『この先生と、裸で勝負してやる』と。
先生は東大で、30代で教授になったとか。
東大でも最年少で教授になったと、先生は自慢していました。

 で、以来、42年。
先生から見れば、ヒヨコみたいかもしれませんが、いっさいの組織に属することもなく、
いっさいの肩書もなく、ここまでがんばってきました。
ぼくも、88歳までがんばってみます」と。

●魚釣り

 先にも書いたように、「とにかく時間がない」。
今の私は、その一言に尽きる。

 知りたいことは、山のようにある。
知らないことも、これまた山のようにある。
1冊の週刊誌を読んだだけでも、頭の中でバチバチと火花が飛ぶ。
だからといって、私の生き様が正しいとか、また人もそうであるべきとか、そんなふうに
考えているわけではない。
私は私。
人は人。

 が、今の私には、仮に100歩譲っても、魚釣りはできない。
食べ物に困って、その食材にということであるなら、話は別。
しかしすぐ、こう考えてしまう。
「……だから、それがどうしたの?」と。
つまり「魚を釣ったからといって、それがどうしたの?」と。

 私に当てはめてみると、その答が返ってこない。
どうしても返ってこない。

●健康余命まで、あと4年

 命は砂時計のようなもの。
「……ようなもの」ではなく、「命は砂時計」と断言してもよい。
刻一刻と、命は短くなっていく。
その心境は大病で、死を宣告された患者と同じ。
「あなたはがんです。余命はあと半年です」と宣告されれば、だれだって慌てる。
が、「あなたの寿命は、あと14年です」と言われても、慌てる人はいない。
が、どうして?

 たったの14年だぞ!
私は現在、64歳。
日本人の平均余命(男性)は、79歳前後。
もっともそれまで元気なら、まだよいほう。
その前、平均して10年間ほど、病魔と闘わねばならない。
(平均余命)から10年を引いた年齢。
これを「健康余命」という。
つまり健康でこうしてがんばれるのも、あと4年。
たったの4年だぞ!

 それを思ったら、とても魚を釣って時間をつぶす余裕などない。
少なくとも、私にはない。

●だからそれがどうしたの?

 私はよく自分に問いかける。
「だから、それがどうしたの?」と。

 そのときズシリとした答が返ってくるときもあれば、そうでないときもある。
その答がないとき、私は深い悔恨の念にとらわれる。
「時間を無駄にした」と。

 先に『命は砂時計』と書いた。
命は、砂時計の砂のように、刻一刻と、下へ落ちていく。
「砂」といっても、ただの砂ではない。
それがわからなければ、「金」に置き換えてもよい。

 若い人にしても、そうだ。
時間給はそれぞれちがうだろう。
しかし同時に、命は、1時間ごとに減っていく。
金銭で置き換えることはできない。
しかしまさに「金(ゴールド)」。
あるいは、はるかにそれ以上。

●定年退職者?

 のどかな風景。
どこにでも見られる風景。
このところ、プラス気になるのは、私の年代層の人たちが、急にふえてきたということ。
見た感じでは、定年退職者?
本当に魚釣りを楽しんでいるというよりは、暇つぶし?

 こう書くとたいへん失礼ということは、よくわかっている。
あるいは本当は、そういう人たちでも、こう叫びたいのかもしれない。
「もっと仕事をしたい」「もっと意味のあることをしたい」と。

 書き忘れたが、用水といっても、全国でも汚染度ナンバー5前後を争っている。
そんな湖から流れ出てくる用水の魚を釣って、食べる人はいない。
だとするなら、なおさら、「……だから、それがどうしたの?」となる。

●老後は孫の世話?

 が、たぶん、若い人たちはこう考えるにちがいない。
「人生も終わったのだから、ゆっくり休んだらどう?」と。

 私も若いころは、老人たちを見て、そう考えていた。
「老後は、庭いじりと孫の世話」と。

 しかし私のその年齢になった。
なってみて、こんなことがわかった。
青い空は、やはり青い空。
白い雲は、やはり白い雲。
老人組に入ったからといって、色があせてくるわけではない。
自分の髪の毛の白さにしても、顔のシワにしても、自分では見えない。
つまり心は、若いときと、何も変わっていない。

 若い人たちが、「庭いじりと孫の世話はできない」と思うのと同じように、私たちだって、
本音を言えば、それだけで時間をつぶすことはできない。
が、それよりも恐ろしいことが起きるようになる。

●底に穴のあいたバケツ

 これは推測でも何でもない。
医学的に証明された事実でもない。
しかし実感として、老人組に入ると、それがよくわかる。
つまり脳みその底に穴があいたような状態になる。
それがよくわかる。
その穴から、知識や経験、技術や能力が、どんどんと外へこぼれ出ていく。

 ほんの数か月前まで知っていたことが、消えてしまったり、ほんの数週間前までできた
ことができなくなったりする。
そんなことが連続して起きるようになる。

 ど忘れなど、日常茶飯事。
 
 それは恐怖以外の何物でもない。
が、闘う方法がないわけではない。
先に書いた田丸謙二先生は、50歳を過ぎて中国語を独学し、60歳のころ、中国の科学
院(もっとも権威のある学会)で、記念講演をしている。
もちろん中国語、で!

 そういう先生を鏡にすると、一瞬一秒、無駄にできる時間はない。
が、もしここで今、現在の状態の上にアグラをかいてしまったら……。
それこそ死の待合室にまっしぐら。
たわいもない世間話か、兄弟親類のゴシップ話。
そんな話に花を咲かせるようになる。
しかも繰り返し、繰り返し、同じ話をするようになる。

●終わりに

 だからといって、繰り返すが、魚釣りがどうのとか、それを楽しんでいる人がどうのと
か、そんなことを書いているのではない。
私は私。
あなたはあなた。
人は人。

 それぞれの人が、それぞれの人生を歩む。
大切なことは、それぞれの人がそれぞれの人の人生を認めあうこと。

わかっている!

 このエッセーを読んで、こう思っている人もいるにちがいない。
「はやし浩司もかわいそうな男だ」と。
「人生を楽しむことも知らない、あわれな男だ」と。

 しかし誤解しないでほしい。
今の私には、今の私が楽しい。
こうして日々に新しい発見をしていくことが、私には楽しい。

 ……こうして私に好き勝手なことをさせてくれるワイフに感謝しながら……。

(はやし浩司 2011―11―13日記)


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●闇路に迷う愚痴人間(六趣輪廻)

2011-11-27 19:35:30 | 日記
●11月27日・日曜日・(恩師の1周忌)『六趣輪廻の因縁』

+++++++++++++++++++++++

起きたときは、それほど寒くは感じなかった。
が、朝ごはんを食べるころ、急に寒さを感じた。
これはどういう現象によるものなのか。
その間、書斎の机に、2時間ほど向かって座っていた。
途中、ワイフがやってきて、茶を出してくれた。
が、私は書斎では、暖房器具を使わない。
ストーブも使わない。
脳みそには、暖気は強敵。
足を暖めただけで、眠くなってしまう。

が、台所では、ストーブがついていた。
気温も22度もあった。
が、それを寒く感じた。

脳みそはともかくも、肉体は、怠けるとすぐ新陳代謝を止めてしまう。
あるいは頭が熱くなると、体は冷えるのか。
どうであるにせよ、寒い!

++++++++++++++++++++++

●老眼用(装着)メガネ

 今、恩師の一周忌に向かう車の中にいる。
自宅から車で、1時間。
昨日買った、老眼用のメガネが役に立っている。
老眼用のメガネというのは、ふつうのメガネの上にさらに装着して使うメガネのこと。
「1・5度」という度数が書いてあるが、どういう意味なのか、よくわからない。

 それをつけると、車の中でもパソコンの文字が、楽に読める。

●1周忌

 昨年の葬儀のときも、寒かった。
今日も、寒い。
が、あれからもう1年。
早いというより、恩師の死が、遠い昔のできごとのように思われる。

 いろいろあった。
3・11大震災。
原発事故。
タイの大洪水。
EUの金融危機などなど。
この1年で、日本を取り巻く環境は、一変した。

 その恩師。
いつも私の原稿を、私のワイフよりもていねいに読んでくれた。
心の奥底をいかに包み隠して書いても、恩師だけはそれを読み取ってくれた。

●1号線

 国道1号線は、この20年あまり、ほとんど変わっていない。
側に並ぶ店も、店の名前も、20年前のまま。
「なあ、一周忌のあと、どうする?」と私。
「うん、帰るよ」とワイフ。

 たった今、3、4台の大型バイクが、目前を左から右へ、大きくカーブして横切っていった。
「寒くないのだろうか?」と、それを見やりながらそんなことを考えた。

 空は灰色。
雲の境目が見えない。
一面、ボヤーッとしている。
私は冬の寒さも、冬景色も、嫌い。
気分まで、重くなる。

●「歩こう会」

 気賀の駅を通り過ぎたところで、「歩こう会」※の人たちを追い抜いた。
かなりの人数である。
そういう人たちが、駅から、気賀の関所を通り抜け、突き当りの本陣宿のあたりまで、ずっと並んで歩いていた。
全部で、4、500人はいただろうか。
まばらだが列は、数キロ先までつづいていた。

 私たちもよく「歩こう会」に出るが、これほどまでの人数は見たことがない。
JRかどこか、大きな団体が企画した「歩こう会」なのだろう。
それにしても、すごい。
まるで祭りの日の人出のよう。

(注※:あとで参加者の1人に聞くと、JR主催の「さわやかウォーキング」の会の人たちということがわかった。)

●船酔い

 メガネのせいか?
少し船酔いに似ためまいを感じた。
……ここでいったん、パソコンを閉じる。
それにしても、TOSHIBAのR631は、よいパソコンだ。
開いているだけで、指先がもぞもぞしてくる。

 ただ残念なのは、私はこのパソコンを発売日の11月11日に買った。
が、それから2週間もたっていないのに、価格が3万円近くも下落した。
ワイフは「少し待っていれば、安く買えたのに……」と言った。

 ……そういうものでもないのだが……。
パソコンの価格は、それをどう使うかで決まる。
いくら安くても、使わないものは、使わない。
たとえばこの5月に、DOCOMOで携帯端末を買ったとき、ミニパソコンをおまけにくれた。
が、そのパソコンは、ほとんど使っていない。
机の上のゴミになっている。

 これについてもワイフは、こう言う。
「だれかにあげたら……?」と。

 しかしパソコンというのは、人にあげるものではない。
リカバリーすれば安心だが、そうでなければ、人にあげるものではない。
どこからどのような情報が他人に漏れるか、わかったものではない。
それがこわい。

●法要

 1周忌には、家族全員と親類。
それに恩師の仲間たち、30~40人が集まっていた。
ワイフと控室で待っていると、横に私と同年齢らしき男性が座った。
その男性が、この1年のことをあれこれ話した。
そして「今は、どこも不景気です」と顔をしかめた。

 S社(自動車会社)のエンジン部品を製造しているという。
日本でしか作れない部品だから……と安心していたが、3・11大震災、タイの大洪水のあと、S社は、同じ部品をアメリカの工場に発注してしまったという。
 
 「1年前に戻りたいですよ」と、2、3度、同じことを言った。

 どこもかしこも、不景気。
そんな話ばかり。

●臨済宗

 1周忌は、臨済宗で執り行われた。
いつものチン・ポン・ジャランはなかった。
その代わり、木魚(もくぎょ)が叩かれた。
ポクポクポク……。
その響きが心地よかった。

 久しく正座などしたことがなかったのに、どういうわけか、足が痛くならなかった。
どうしてだろう?
ときどきワイフが心配して、私の足の心配をした。

●法事

 1周忌の法事は、1時間足らずですんだ。
私とワイフは、喪主である恩師の奥さんに別れを告げ、寺を出た。
水色の空に、飛行機雲が何本か走っていた。

ワ「どこかへ寄っていかない?」
私「いいよ」
ワ「コンビニはどう?」
私「ミニストップなら、中で食事もできる」と。

 結局、私たちは「ガスト」という店に寄った。
日曜日ということもあり、店中は、子ども連れの夫婦で混雑していた。
にぎやかというより、幼稚園の参観日のような雰囲気だった。
私たちは10分ほど、玄関先の長椅子で待ったあと、席に着いた。

 で、こんなことがあった。
ガストに入る前、「歩こう会」の夫婦とすれちがった。
そのとき私はこう聞いた。
「どこの会ですか?」と。

 妻のほうが、こう答えた。
「さわやかウォーキングです」と。
で、私は「JRの……?」と聞き返したら、数歩先を歩いている夫のほうが、妻を叱った。
「おい、いいから、行くぞ! 放っておけ!」と。

 妻はそそくさとその場を離れながら、「JRです」と。
困ったような笑顔が印象的だった。

 どこの世界にも、このタイプの夫はいる。
60代、70代の夫婦となると、ほとんどがそうであると言ってよい。
が、どうしてそんなに威張れるのだろう?
威圧的。
昔の武士がどんなだったかは知らない。
しかし武士そのもの。

●ガスト

 飲食店は、どこも大不況という。
しかしガストの混み具合を見ていると、「?」と思ってしまう。
なぜこうした店は流行(はや)るのか?

 それは私自身の心の中をのぞいてみるとわかる。

(1) 安い。
(2) 早い。
(3) 安心。
(4) おいしい。
(5) 清潔。
(6) サービスよし。

 「安心」というのは、ガストなら、どこへ行っても同じ味を楽しむことができる。
料金も同じ。
個人経営の店は、(今ではほとんど残っていないが)、その「安心」がない。

 実はおけいこ塾も同じ。
学習塾でもよい。
どこかクセのある塾よりは、大手塾のほうが「安心」。
そのため今では、中小塾は、どこも経営がきびしい。
というより、ほとんどが今、開店休業状態。

 で、親たちは、チラシを見て、塾を選ぶ。
1色刷のチラシでは、生徒は集まらない。
3色刷のチラシでも、むずかしい。
「4色刷でないと、集まらない」という。

 が、個人の塾では、4色刷のチラシを作るのは、経済的にも不可能。
勝敗は、そのとき決まる。

 ……ガストのメニューは、ほとんどが4色刷。
カラフルであか抜けている。
それをワイフに話しながら、「これは3色刷……。これが4色刷……」と教えてやった。
ワイフはそれを見比べながら、「3色刷になると、ちゃっちぽくなるわね」と言った。

●帰り道

 ガストを出たのが、12時45分ごろ。
今は帰りの車の中にいる。

 「どこか、温泉でも行きたいね」と私。
「そうね」とワイフ。

 ……帰り道、床屋へ寄っていく。
髪の毛がかなり伸びた。
「あの店?」とワイフ。
「うん」と私。

 私のようなシルバーは、1400円で調髪してもらえる。
そういう店が、私の家の近くにある。

●意識

 今朝、夢について書いた。
意識の奥深くから沸き起こってくる夢。
その深遠さについて書いた。
たとえて言うなら、意識というのは、卵でいうなら殻のようなもの。
脳の大部分は、無意識の世界にある。

 それについてワイフの話すと、こう聞いた。
「意識って、そんなに薄っぺらいの?」と。
で、私は、こんな例を話した。

 たとえば私は、過去、何千人もの子どもたちを教えてきた。
同時に、同じ数だけの親たちに会ってきた。
それもあり、街中を、30分も歩くと、かならずといってよいほど、1人や2人、顔見知りの人に出会う。

 その瞬間のこと。
名前も、いつどこで出会ったかも思い出せない。
しかし顔を見た瞬間、ふと懐かしさがこみあげてくる人もいれば、反対に不快な思いが心をふさぐこともある。
心のほうが、先に反応してしまう。

 よい思い出のある親や子どもに会うと、懐かしさがこみあげてくる。
悪い思い出のある親や子どもに出会うと、不快な思いがこみあげてくる。
名前や、いつどこで出会ったかを思い出すのは、そのあと。
あいさつをしたり、知らぬ顔をして通り過ぎたりしたあと、「あのときの……」となる。

 つまり意識としては覚えていなくても、その何十万倍(あるいは何百万倍かもしれない)、
別の心が先に反応してしまう。
私であって、私でない別の心が、先に反応してしまう。
心(=脳)というのは、そういうもの。
夢というのは、その何十万倍(あるいは何百万倍)もの世界から、湧き起きてくる。

もし意識で夢をコントロールできたり、その前日あったできごとのつづきのような夢を見たら、(たまにそういうこともあるが)、精神状態がふつうでないことを疑ってみたほうがよい。

●床屋

 私はいつも1000円床屋へ行く。
安いからではない。
近くにあるし、それに早い。
長くて15分程度ですんでしまう。
(洗髪を頼まなければ、10分程度。)
それに無駄な会話がないのも、よい。
こちらも話しかけないし、向こうも話しかけてこない。

 洗髪を入れたりすると、1400円になる。
それでも安い。
ふつうの床屋と比べると、半分以下。

 床屋にとっても、そのほうがよいのでは?
1回、4200円というと、高い。
1400円というと、安い。
だから料金を気にすることなく、頻繁に行く。
ふつうの床屋へ1回行く分で、3回、行ける。
買い物の帰りに、「ちょっと……」となる。

 つまり40分近くかけ、4200円の料金を取るか。
10分ですませ、1400円にし、3回来てもらうか。

●映画『新少林寺』

 家に帰ると、ワイフは洗濯物を竿にかけるところだった。
私は服を替えると、そのまま書斎へ。
が、とたんに眠気。
少し油断すると、すぐウトウト状態になってしまう。

 今朝も5時半起きだった。
そのまま30分、ウォーキングマシンの上で歩いた。
ふだんなら今ごろは、昼寝タイム。

 昨夜見た映画『新少林寺』と、法事で見た僧侶が頭の中でダブる。
ぼんやりしていると、どちらがどちらなのか、わからなくなる。
1時間ほどがんばってみたが、そこでギブアップ。
居間へおりていき、そのままコタツの中に。

●執着

 執着を取り除くことは、重要なこと。
今日、法事で僧侶が読んだ一節に、こんなのがあった。

『六趣輪廻(ろくしゅりんね)の因縁は、己が愚痴の闇路なり』と。

 「六趣因縁」というのは、衆生が煩悩とその行為によって必然的に「趣く」六つの道(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上)をいう。
「因」はある一つの現象を起こす直接的な原因、「縁」とは間接的な原因をいう。
つまり人間は、六趣の世界を、ぐるぐる回っているだけで、そこから抜け出だすことができない。
その原因はと言えば、自分の愚痴によるもの、と。
が、「愚痴」といっても、私たちが日常的に使う「グチ」とは、意味がちがう。
「……仏教でいう『愚痴』は、愚癡とも表記し、仏の智恵に暗いこと、衆生の根本的無知をさす」(大谷大学HPより)のこと。

 ともあれ仏の知恵に暗い人ほど、グチを言いやすい。
愚痴は、グチでもよい。
グチを言う人は、闇路に迷っているようなもの。

 その闇路から抜け出るためには、執着を捨てること。
煩悩の虜(とりこ)になっていては、いつまでたっても、闇路から抜け出ることはできない。

 グチをこぼしたら、自分がバカになっていると思えばよい。

●DVD

 夕食後、『タービュランス』というDVDを観ることになっている。
ワイフが数日前に、借りてきた。

「お前はDVDを観ろ。ぼくは、白隠禅師の座禅和讃をもう一度勉強する」と。
それを言うと、「あなたはDVDを観ないの?」とワイフ。

 「あのなア、ぼくは天上界に入る人間だよ。お前のように、六趣輪廻の世界をさまよう餓鬼(がき)とは、中身がちがうの!」
「ハア~。ごちそう様」と。

 で、結局私も、DVDを観ることに。
「タービュランスというのは、乱気流のことだよ」と教えてやった。

 ……ということで、今日の日記はここまで。
明日もがんばります。

(はやし浩司 教育 林 浩司 林浩司 Hiroshi Hayashi 幼児教育 教育評論 幼児教育評論 はやし浩司 六趣輪廻 因縁 愚痴 闇路 白隠 禅師 座禅和讃 はやし浩司 恩師の一周忌)


Hiroshi Hayashi+++++++Nov. 2011++++++はやし浩司・林浩司

●今日も精進あるのみ

2011-11-27 08:03:16 | 日記
●11月27日(朝記)「己との闘い」

++++++++++++++++++++

寒さが少し緩んだ。
起きるとすぐ、そのままウォーキングマシンの上に。
30分、歩く。
時速6キロ。
結構な速さである。
ときどき足がもつれる。

書斎に入ったのが、午前6時5分前。
あたりはまだ真っ暗。
メールを読み、ニュースに目を通す。
日曜日の朝ということもあり、とくに目新しい記事はなし。
ただアフリカのジンバブエで、象が200頭死んだという記事が気になった。
猛暑と渇水が原因という(新華社)。
「毎週100頭の割合で死んでいる」とも。

その象の数。
毎年、減少している。
ウィキペディア百科事典によれば、
1970年代……2,700,000頭、
1980年 ……1,000,000頭、
1988年 …… 620,000頭と推定されている。
1995年 ……約280,000頭が確認され、580,000頭と推定されている、とある。

この数字が正しいとするなら、この1970年から1995年までの間に、
270万頭から、58万頭に減ったことになる。
約4~5分の1。
2000年に入ってからはどうなのだろう。

+++++++++++++++++++

●夢

 今朝も、起きがけに何かの夢を見ていた。
見ていたが、思い出せない。
時間がたつと、乾いた砂が風に舞うように、記憶が消えていく。
何の夢だったのだろう。
どうしても思い出せない。

 ただここで言えることは、同じような夢は、めったに見ないということ。
毎朝、違う。
今朝見た夢も、また別の夢だった。
脳がもつ奥深さに、改めて驚く。

●兄

 数年前、兄が他界した。
子どものころから、体が弱かった。
それもあり、9歳年上の兄だったが、兄弟関係がいつの間にか逆転した。
私が兄、兄が弟。
そういう関係になった。

 晩年の兄は、うつ病になっていたと思う。
人は認知症になったと言ったが、頭はしっかりとしていた。
老人のうつ病と認知症は、専門医でも区別がむずかしいという。

 それはさておき、その兄からは電話がよくかかってきた。
いつもこう言った。
「お客さんが、ござらん(=来ない)」と。

 兄は兄なりに、不安だったのだろう。
さびれいく町に、さびれゆく商店街。
そういう中にあって、兄は当時、65歳を過ぎていた。
その兄が、昨日、夢の中に出てきた。
その夢のことは、よく覚えている。

 ……あの町の通りを2人で歩いていた。
私が兄の腕を片側から支えていた。
その兄がこう言った。
「お客さんが、ござらん」と。
いつもの口癖である。
私はそれを聞き、精一杯気丈夫なふりをしながら、こう言った。
「心配せんでもいい。何とかしてやるから」と。

●貧乏

 貧乏が、こわいというのではない。
貧乏に至る負け戦が、こわい。
とくに商店街では、貧乏は長い時間をかけ、ゆっくりとやってくる。
ジワジワ、ジワジワ……と。
5年とか、10年とか、それくらい長い月日をかけて、やってくる。
それがこわい。

 人はこう言う。
「先を読め」「先手を打て」「頭を切り換えろ」と。
あるいはさらに無責任な人になると、こう言う。
「それも時代の流れ」と。
しかしそれは言葉。

実際には、「明日は何とかなるだろう」という甘い期待を抱きつつ、毎晩床に入る。
が、その明日も、昨日と同じ。
これを繰り返しているうちに、5年とか10年とかが過ぎてしまう。

●シャッター街

 私の実家には、シャッターこそなかった。
ガラス戸と薄いカーテンだけ。
しかしいつの間にか、ガラス戸は閉まり、カーテンも閉ざされるようになった。
だからというわけでもないが、私は「シャッター街」という言葉を耳にするたびに、その言葉がドシリと胸に響く。
響くというより、胸をつぶす。

 外から見ればただのシャッター街だが、その向こうに商店主だった人たちの重苦しい思いを感じてしまう。
負け戦はつらい。
本当につらい。
真綿で首を絞めるような閉塞感。
いくら虚勢を張り、明るく振る舞っても、その笑い声は地には着かない。
先の見えない不安感。
孤独感。
「私は何をしてきたのだろう」という自己否定。
来る日も来る日も、それと闘う。

●強迫観念

 私は社会に出てから、懸命に働いた。
仕事をしたくて、働いたわけではない。
貧乏がこわかった。
貧乏になるのが、こわかった。

 だからといって、金持ちになったわけではない。
振り返っても、私が受け取った(他人のお金)は、ほとんどない。
子どもたちの出産時に手にした、それぞれ10万円前後の祝い金。
それに義父が亡くなったとき受け取った、10万円。
それだけ。

 だからいつも孤立無援。
失敗が許されないという孤立感。
ただひたすら、がむしゃらに働いた。
それが今でも、私が見る夢の原点になっている。

 そう、悪夢といえば、電車やバスに乗り遅れる夢。
ホテルで寝過ごして、飛行機に乗り遅れる夢。
そんな夢ばかり。

 心理学的では、強迫観念という言葉を使う。
医学的には、不安神経症という言葉を使う。
どちらでもよい。
私は子どものころから、そういう不安感から抜け出すことができないでいる。
きっと兄もそうだったのだろう。
「お客さんが、ござらん」と。

●戦争

 が、だれの責任でもない。
父や母にしても、あの時代を懸命に生きてきた。
もし悪いとすれば、あの戦争。
あの戦争が悪い。

 戦後生まれの私だが、みな、あの戦争の後遺症を傷深く背負っていた。
それが姿、形を変え、私の「心」となっていった。
だから今でも、こう思う。

 イラクにせよ、アフガニスタンにせよ、仮に戦争が終わっても、その後遺症は、何世代にも渡ってつづいていくのだろうな、と。
罪もない、子どもたちが、将来に渡って苦しむだろうな、と。
兄が子どものころから体が弱かったのも、元はと言えば、栄養失調。
兄が育った時代の日本には、満足な食糧すらなかった。

●「やっと死ねる」

 64歳になった。
その今でも、こう思う。
「いつになったら、平安が訪れるのだろう」と。
……というか、もうとっくの昔にあきらめた。
だから今は、こう言う。
「死ぬまでつづくだろうな」と。

 だから去年の正月に廊下で倒れたときも、こう思った。
「ああ、これで死ねる」と。

 死にまつわるはずの恐怖感は、まったく感じなかった。
「やっと死ねる」という感じに近かった。

ただ不要な心配をかけたくないので、その理由について書いておく。
そのとき、何か大病があって、倒れたというわけではない。
私はときどき、不用意に首をひねったようなとき、後頭部にはげしい神経痛を覚えることがある。
(重篤な病気の前兆ということも考えられるが……。)
そのときはそれが、いつもになくひどかった。
それが原因で、廊下に倒れた。

●平安

 仏教で言えば「執着(しゅうじゃく)」。
心理学で言えば「固着」。
俗な言葉を借りれば、「こだわり」。
これを取り除かないかぎり、私の心に、平安は訪れない。
それはよくわかっている。
「心の傷」というのは、そういうもの。

 ただ誤解してはいけないことがある。
心の傷などというものは、だれにでもある。
ない人はいない。
みな、ある。

 それに気づいている人もいるが、気づいていない人もいる。
気づかないまま、いつもそれに振り回される。
同じ失敗を、繰り返す。

 だから今は、そういう相談があるたびに、こう言う。
「心の傷なんてものは、死ぬまで消えませんよ。
仲よくつきあっていくしかないですよ」と。

●精進

 今朝の夢も、悪夢に近かった。
よく覚えていないが、いやな夢だった。
断片的に覚えているのは、どこかの部屋にいたこと。
ガラス窓が見えた。
……あとは、覚えていない。

 そう、その悪夢にしても、私はこの先、死ぬまで仲よくつきあっていくしかない。
脳というのは、そういもの。
いくら楽しい思い出で上書きしても、その上書きを突き破って、古い思い出が顔を出す。
しかも皮肉なことに、加齢とともに、上書きされた部分が、どんどんと崩落していく。
いやな自分に逆戻りしていく。

 だから……と書くと、安っぽい映画の主題のように思う人もいるかもしれない。
しかし結論は、ひとつ。
だから、日々に精進あるのみ。
日々に鍛錬し、前向きに生きていく。
己(自分)に負けたとき、負け戦は、本当に負け戦になってしまう。
何としても、それだけは避けなければならない。

 ……ということで、今朝も始まった。
先ほど(7時過ぎ)、ワイフが茶を届けてくれた。
それをゆっくりと飲みなおす。
時刻は午前7時半。
もう1時間も、過ぎた。

 みなさん、おはようございます。2011/11/27朝記


Hiroshi Hayashi++++++Nov. 2011++++++はやし浩司・林浩司