●宇宙人はいる!
++++++++++++++++++++
「はやし浩司」という1人の、小さな人間が住む、
そのまた小さな世界。
その中で、はやし浩司ははやし浩司なりに、
宇宙人の存在を確信した。
それは私の人生の中でも、特筆すべきできごと
といってもよい。
「他人を介していない」という意味において、
また私自身が確信できるという意味において、
特筆すべきことできごとといってもよい。
小さな、そのまた小さな証明だが、しかし
それ以上の証明が、この私にできるだろうか。
組織力も、調査力もない。
どこまでも小さな私である。
あなたと同じ、小さな人間である。
何はさておき、ここに新聞のコピー(1)と、
火星で撮影された写真(2)を、並べて掲載する。
(1)の記事は、私が2000年11月25日(土)に、
中日新聞に寄稿したエッセーである。
「2000年」という年号に注意しておいてほしい。
(2)の写真は、2003年6月10日に打ち上げられた、
アメリカの火星探査機「スピリット」が、地球に
送ってきた写真である。
スピリットは、2004年1月3日に火星に到達している。
つまりこの写真は、どんなに早くて、2004年1月
3日以後に撮影されたものということになる。
この「2004年」という年号に注意しておいてほしい。
その上で、私自身が描いた新聞上のイラストと、
スピリットが送ってきた写真を見比べてみてほしい。
もし逆、つまり私が描いたイラストがスピリットが
送ってきた写真よりあとということなら、私が
スピリットの送ってきた写真を模してイラストを
描いたと疑われてもしかたない。
しかし私のほうが、先に書いている。
2000年の11月である。
スピリットがこの写真を送ってきたのは、少なくとも
2004年1月以後である。
私がスピリットの送ってきた写真を模してイラストを
描いたということは、ありえない!
つまりこれが、私という小さな人間の、ささやかな、
実にささやかな「証拠」ということになる。
「宇宙人は存在する」という、ささやかな証拠
ということになる。
+++++++++++++++
(1)
★2000年、私が発表したコラム
★原稿より(上、写真版の読みづらい人は、どうか下をお読みください。)
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
●見たぞ、UFO!(中日新聞記事より)(2000年11月)
見たものは見た。巨大なUFO、だ。
ハバが一、二キロはあった。しかも私と女房の二人で、それを見た。
見たことにはまちがいないのだが、何しろ二十五年近くも前のことで「ひょっとしたら…」という迷いはある。が、その後、何回となく女房と確かめあったが、いつも結論は同じ。「まちがいなく、あれはUFOだった」。
その夜、私たちは、いつものようにアパートの近くを散歩していた。時刻は真夜中の一二時を過ぎていた。そのときだ。何の気なしに空を見あげると、淡いだいだい色の丸いものが、並んで飛んでいるのがわかった。私は最初、それをヨタカか何かの鳥が並んで飛んでいるのだと思った。
そう思って、その数をゆっくりと数えはじめた。
あとで聞くと女房も同じことをしていたという。が、それを五、六個まで数えたとき、私は背筋が凍りつくのを覚えた。
その丸いものを囲むように、夜空よりさらに黒い「く」の字型の物体がそこに現われたからだ。
私がヨタカだと思ったのは、その物体の窓らしきものだった。
「ああ」と声を出すと、その物体は突然速度をあげ、反対の方向に、音もなく飛び去っていった。
翌朝一番に浜松の航空自衛隊に電話をした。
その物体が基地のほうから飛んできたからだ。が、どの部署に電話をかけても「そういう報告はありません」と。
もちろん私もそれがUFOとは思っていなかった。
私の知っていたUFOは、いわゆるアダムスキー型のもので、UFOに、まさかそれほどまでに巨大なものがあるとは思ってもみなかった。
が、このことを矢追純一氏(UFO研究家)に話すと、矢追氏は袋いっぱいのUFOの写真を届けてくれた。
当時私はアルバイトで、日本テレビの「11PM」という番組の企画を手伝っていた。
矢追氏はその番組のディレクターをしていた。
あのユリ・ゲラーを日本へ連れてきた人でもある。
私と女房はその中の一枚の写真に釘づけになった。私たちが見たのと、まったく同じ形のUFOがあったからだ。
宇宙人がいるかいないかということになれば、私はいると思う。
人間だけが宇宙の生物と考えるのは、人間だけが地球上の生物と考えるくらい、おかしなことだ。
そしてその宇宙人(多分、そうなのだろうが…)が、UFOに乗って地球へやってきてもおかしくはない。
もしあの夜見たものが、目の錯覚だとか、飛行機の見まちがいだとか言う人がいたら、私はその人と闘う。
闘っても意味がないが、闘う。私はウソを書いてまで、このコラム欄を汚したくないし、第一ウソということになれば、私は女房の信頼を失うことになる。
……とまあ、教育コラムの中で、とんでもないことを書いてしまった。
この話をすると、「君は教育評論家を名乗っているのだから、そういう話はしないほうがよい。君の資質が疑われる」と言う人もいる。
しかし私はそういうふうにワクで判断されるのが、好きではない。文を書くといっても、教育評論だけではない。
小説もエッセイも実用書も書く。ノンフィクションも得意な分野だ。東洋医学に関する本も三冊書いたし、宗教論に関する本も五冊書いた。うち四冊は中国語にも翻訳されている。
そんなわけで私は、いつも「教育」というカベを超えた教育論を考えている。
たとえばこの世界では、UFOについて語るのはタブーになっている。だからこそあえて、私はそれについて書いてみた。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
★コラムの中のイラストの拡大図
★火星探査機「スピリット」が送ってきた、火星上空を浮遊するUFO(2004年)
★(UFOの拡大写真)
★別の本に紹介された、火星上空のUFO(「世界のUFO現象」(学研))
●宇宙人は、確かにいる!
私はあの夜のことを忘れない。
あの夜、私とワイフは、UFOを見た。
が、当初、私は、それをUFOとは思わなかった。
私が聞いていたUFOは、円盤形のものをいう。
「く」の字型(ブーメラン型)のUFOなど、知るよしもなかった。
しかも、巨大だった。
天空をぐいと横切るほど、巨大だった。
新聞記事の中では、1、2キロと書いたが、実際のところ、よくわからない。
それよりも大きかったかもしれない。
あるいは小さかったかもしれない。
が、飛行機とは比較にならないほど、巨大だった。
あの夜見たものを、もう一度、整理しておきたい。
(1)窓
私もワイフも窓らしきものを目撃している。
大きな丸い窓(?)で、よく見ないとわからないほど、淡い橙色のものだった。
私はそれはジグザグに並んでいたように思うが、ワイフは、一直線だったと言っている。
(2)黒いシルエット
私は黒いシルエット(輪郭)を見ているが、ワイフはよく覚えていないという。
最初はそのシルエットは見えなかった。
少しずつ黒くなって、真上にきたとき、黒いシルエットとなった。
黒いシルエットが、その背景の夜空よりも黒く、夜空に浮かびあがった。
月は出ていなかったように記憶している。
私が記憶しているシルエットは、中日新聞紙上で発表したとおりである。
私はその形を忘れないように、当時、何かにメモした記憶がある。
(3)消え方
私が見たそのUFOは、西の方角からゆっくりやってきて、真上に来たとき、突然
スピードをあげ、東の方角へ飛んでいった。
スーッという感じだった。
そのときのこと。
そのUFOは、遠ざかって消えるというよりは、空に溶け込むようにして
消えていった。
大きさは遠ざかるにつれて小さくなったように感じたが、そのまま透明になり、
消えていった。
その先に白い小さな筋雲がいくつかあったように記憶している。
そのUFOは、雲の中に消えたのではない。
(4)自衛隊に電話
その直後、私は電話帳で自衛隊基地の番号を知り、電話をかけた。
何度もかけたように記憶している。
その夜は、ほとんど一睡もせず、朝を待った。
電話がやっとつながったのは、午前8時30分だったように記憶している。
つながった先は、たしか「管制室」だったと思う。
電話口の向こうの男性は、「そういう報告はあがっていません」とだけ、何度も
繰り返した。
私は「そんなはずはない!」と、何度も押し問答を繰り返した。
「あんな大きなものが上空を通過したのに、レーダーに映っていないはずがないだろ!」
と言った記憶がある。
(参考)(豊田ひろし氏のHPより抜粋)
『……火星の表面を移動し、水が存在した証拠を探る米航空宇宙局(NASA)の無人探査車「スピリット」が米太平洋時間3日[2004年1月]午後8時35分(日本時間4日午後1時35分)、火星に着陸、周囲の写真撮影に成功しました。
スピリットは、火星の大気圏に時速1万9000キロ以上の高速で突入。パラシュートとロケット噴射で減速するとともに、24個のエアバッグを膨らませて本体を包み、着陸後バウンドを繰り返した末に無事停止しました。専門家が「地獄のようなもの」と呼ぶ、1400度を超す高温と接地時の激しい衝撃に耐え、探査車は生き残りました。
スピリットは2003年6月10日MER-A 1号機によって打ち上げられ,約7ヶ月弱で火星に到着しました。
スピリットは今後約1週間かけて観測機器の機能を確認。その後約3カ月間、周囲を走り回り、カメラや試料採取装置などを使って岩石や土壌の組成を分析、水の痕跡を探ることで、生命の有無を確かめます。いままでは,すべてモノクロ写真の地上撮影でしたが,今回は地上のカラー写真もはじめて撮影しました』(豊田ひろし氏のHPより)。
Hiroshi Hayashi+++++++May. 2011++++++はやし浩司・林浩司
【電子マガジン・2008年8月号より、転載】
【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
【月は、巨大な宇宙船か?】以下、【電子マガジン・2008年8月号より、転載】
●『月の先住者』(Secrets of our Spaceship Moon)
written by Don Wilson 昭和58年発刊、たま出版)
++++++++++++++++++H.Hayashi
ドン・ウィルソン著、『月の先住者』という本を
読み直す。
昭和58年7月発刊、ということだから、今から約
24年前の本ということになる。
私が36歳のときである。
月にまつわる謎は多い。
その謎について書かれた本だと思えばよい。
++++++++++++++++++H.Hayashi
ドン・ウィルソン著、『月の先住者』という本を読み直す。原題は、『Secrets of the
Spaceship Moon』である。「宇宙船、月の秘密」と訳せる。
この本の中では、各章ごと冒頭で、月にまつわる謎を、箇条書きにしてある。
全体では19章。339ページ。文字が小さいから、かなりボリュームのある本と思って
もらえばよい。
その中のいくつかを紹介する。
+++++++++++
●第7章 月軌道を決定した動力
次の疑問点について考えてみたい。
○NASAは、月がなぜ地球の衛星となったかを、最大の疑問としている。
○あるノーベル科学賞受賞者の告白のように、月の起源や地球の衛星となった理由につい
○て、「どう説明してもありえない」と述べているのは、なざだろう。
○NASAの科学者が、「月は存在しないといったほうが説明しやすい」と発言した真意は?
○なぜ今日の科学者は、起源を説明できないからといって、月は存在しない、などと提議
○するのか。
○科学者の中には月を、「自然のなせる宇宙のいたずら」とし、月が地球の衛星にしては大
○きすぎると主張しているのは、なぜだろう。
○現在定説となっている、"自然捕獲説"でさえ、一般の科学者は充分に説明できないのだ
○ろうか。
○天文力学の権威者でさえ、地球の引力が月を引き寄せたことを「不可能」「とてもありえ
○ない」としているのは、なぜか。
○月の軌道が正確であるはずなのに、自然に地球の衛星となったと説明できない理由は?
○天文学者の中には、「ある力が月を地球の軌道に乗せた」という者もいる。「ある力」と
○はいったい、何なのか。
○なぜ月の公転面は、太陽とまったく同じ公転面に配置され、月食が起きる位置にあるの
○か。
○月が信じられないほど正確な位置にあるということはわかっているが、"月宇宙船説"以
○外の方法ではその理由が説明できないのは、なぜだろう。
○天文力学の知識や月計画による実際の研究成果によって、月が地球の軌道に「乗せられ」
○「操縦されている」と説明されることになるのだろうか。
++++++++以上、「月の先住者」より、転載++++++++++
わかりやすく説明しよう。
まず、夜の空に輝く、月を見てほしい。あの月は、地球の周囲を、(1)ほぼ真円に近い
軌道上を、回っている。
つぎにあの月は、(2)地球から見ると、太陽とほぼ同じ大きさに見える。もちろん太陽
のほうがはるかに大きいが、(みかけの大きさ)は、ほぼ同じ。だから、皆既月食、皆既日
食を、数年おきに、世界のどこかで観測することができる。
さらにあの月の(3)公転面は、太陽の公転面とまったく、同じである。
ほかにも(4)月の自転周期と公転周期が、1秒の狂いもなく、一致しているというこ
ともある。だから月は、地球に対して、(月の表側)だけを見せ、いわゆる(月の裏側)を、
見せることはない。(私たちは、常に、月の表側のみを見ていることになる。)
こうした月の存在について、現在の今も、(1)捕獲説と、(2)地球からの分離説、さ
らには(3)隕石の衝突説などが、意見を戦わせている。(最近の学説によれば、太古の昔、
地球に隕石が衝突し、その衝撃で飛び出した地球の一部が、月になったというのが、定説
になりつつある。)
しかしこの説に従っても、なぜ月の軌道が、真円に近いのか。月の(みかけの大きさ)
が、太陽と同じなのか。さらに月の公転面が太陽の公転面と一致しているのかということ
は、説明できない。
偶然というには、あまりにも偶然すぎるのである。
もちろん「捕獲説」にしても、大きな矛盾がある。「太古の昔、月が遠い別の天体からや
ってきて、地球の重力によって捕獲された」という説である。しかしならばその軌道面は、
楕円形になるはず。ぜったいに、真円にはならない。
そこで「乗せられた」という説が出てくる。
太古の昔、月は、だれかによって、その位置に、「乗せられた」と。つまり月自体が、巨
大な宇宙船というわけである。
そこでこの説を補完するのが、『月内部、空洞説』である。つづく第8章の冒頭には、つ
ぎのようにある。
++++++++++++++
……さらにじれったい疑問を投げかけてみよう。
○月の不思議な密度は、月が空洞であるどのような証拠になるか。
○なぜ英国天文学協会。月面課の主任を努めた、"月の権威"が、「何もかもが、月の20
○~30マイル下が空洞であると示しているようだ」と結論したのか。
○なぜ有能な第一線の科学者たちが、自然の衛星は空洞であるはずがない、という意見で
○一致しているのか。では、月が空洞だというのは、人工的だからだ、とはいえないのか。
○NASA の第一線の科学者によるアポロ計画以前の研究は、なぜ月の動きが空洞の球体み
○たいだと結論したのか。
○重力場の研究は、月が空洞であるという裏づけにはなりえないのか。なぜこの結果が驚
○くべきものなのか。
○宇宙飛行士が持ち帰った、"月の石"は、月が空洞であると、どう説明しているのか。
○人工的に作られた月面地震(月着陸船やロケットなどによる)の時、月はなぜゴングの
○ように4時間も鳴りつづけたのか。このことが、どうして空洞の球体であることを説明
○しているか。
○米国の宇宙局が、月内部が巨大な空洞であるかもしれないと、秘密裡に調査を行ったの
○は、どういう証拠があってのことだろうか。
○月の密度が一番高いのは、月面近くである(月が空洞であるという証拠)という月の研
○究(質量の中心運動)は認められなかったのか。このような科学的証拠が、宇宙船説を
○引き起こさなかったのか。
○数々の証拠がどのように"空洞の月"を証明しているのか?
それでは、ここでショッキングな証拠を提示することにしよう……。
++++++++以上、「月の先住者」より、転載++++++++++
++++++++++++++++++++
「はやし浩司」という1人の、小さな人間が住む、
そのまた小さな世界。
その中で、はやし浩司ははやし浩司なりに、
宇宙人の存在を確信した。
それは私の人生の中でも、特筆すべきできごと
といってもよい。
「他人を介していない」という意味において、
また私自身が確信できるという意味において、
特筆すべきことできごとといってもよい。
小さな、そのまた小さな証明だが、しかし
それ以上の証明が、この私にできるだろうか。
組織力も、調査力もない。
どこまでも小さな私である。
あなたと同じ、小さな人間である。
何はさておき、ここに新聞のコピー(1)と、
火星で撮影された写真(2)を、並べて掲載する。
(1)の記事は、私が2000年11月25日(土)に、
中日新聞に寄稿したエッセーである。
「2000年」という年号に注意しておいてほしい。
(2)の写真は、2003年6月10日に打ち上げられた、
アメリカの火星探査機「スピリット」が、地球に
送ってきた写真である。
スピリットは、2004年1月3日に火星に到達している。
つまりこの写真は、どんなに早くて、2004年1月
3日以後に撮影されたものということになる。
この「2004年」という年号に注意しておいてほしい。
その上で、私自身が描いた新聞上のイラストと、
スピリットが送ってきた写真を見比べてみてほしい。
もし逆、つまり私が描いたイラストがスピリットが
送ってきた写真よりあとということなら、私が
スピリットの送ってきた写真を模してイラストを
描いたと疑われてもしかたない。
しかし私のほうが、先に書いている。
2000年の11月である。
スピリットがこの写真を送ってきたのは、少なくとも
2004年1月以後である。
私がスピリットの送ってきた写真を模してイラストを
描いたということは、ありえない!
つまりこれが、私という小さな人間の、ささやかな、
実にささやかな「証拠」ということになる。
「宇宙人は存在する」という、ささやかな証拠
ということになる。
+++++++++++++++
(1)
★2000年、私が発表したコラム
★原稿より(上、写真版の読みづらい人は、どうか下をお読みください。)
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
●見たぞ、UFO!(中日新聞記事より)(2000年11月)
見たものは見た。巨大なUFO、だ。
ハバが一、二キロはあった。しかも私と女房の二人で、それを見た。
見たことにはまちがいないのだが、何しろ二十五年近くも前のことで「ひょっとしたら…」という迷いはある。が、その後、何回となく女房と確かめあったが、いつも結論は同じ。「まちがいなく、あれはUFOだった」。
その夜、私たちは、いつものようにアパートの近くを散歩していた。時刻は真夜中の一二時を過ぎていた。そのときだ。何の気なしに空を見あげると、淡いだいだい色の丸いものが、並んで飛んでいるのがわかった。私は最初、それをヨタカか何かの鳥が並んで飛んでいるのだと思った。
そう思って、その数をゆっくりと数えはじめた。
あとで聞くと女房も同じことをしていたという。が、それを五、六個まで数えたとき、私は背筋が凍りつくのを覚えた。
その丸いものを囲むように、夜空よりさらに黒い「く」の字型の物体がそこに現われたからだ。
私がヨタカだと思ったのは、その物体の窓らしきものだった。
「ああ」と声を出すと、その物体は突然速度をあげ、反対の方向に、音もなく飛び去っていった。
翌朝一番に浜松の航空自衛隊に電話をした。
その物体が基地のほうから飛んできたからだ。が、どの部署に電話をかけても「そういう報告はありません」と。
もちろん私もそれがUFOとは思っていなかった。
私の知っていたUFOは、いわゆるアダムスキー型のもので、UFOに、まさかそれほどまでに巨大なものがあるとは思ってもみなかった。
が、このことを矢追純一氏(UFO研究家)に話すと、矢追氏は袋いっぱいのUFOの写真を届けてくれた。
当時私はアルバイトで、日本テレビの「11PM」という番組の企画を手伝っていた。
矢追氏はその番組のディレクターをしていた。
あのユリ・ゲラーを日本へ連れてきた人でもある。
私と女房はその中の一枚の写真に釘づけになった。私たちが見たのと、まったく同じ形のUFOがあったからだ。
宇宙人がいるかいないかということになれば、私はいると思う。
人間だけが宇宙の生物と考えるのは、人間だけが地球上の生物と考えるくらい、おかしなことだ。
そしてその宇宙人(多分、そうなのだろうが…)が、UFOに乗って地球へやってきてもおかしくはない。
もしあの夜見たものが、目の錯覚だとか、飛行機の見まちがいだとか言う人がいたら、私はその人と闘う。
闘っても意味がないが、闘う。私はウソを書いてまで、このコラム欄を汚したくないし、第一ウソということになれば、私は女房の信頼を失うことになる。
……とまあ、教育コラムの中で、とんでもないことを書いてしまった。
この話をすると、「君は教育評論家を名乗っているのだから、そういう話はしないほうがよい。君の資質が疑われる」と言う人もいる。
しかし私はそういうふうにワクで判断されるのが、好きではない。文を書くといっても、教育評論だけではない。
小説もエッセイも実用書も書く。ノンフィクションも得意な分野だ。東洋医学に関する本も三冊書いたし、宗教論に関する本も五冊書いた。うち四冊は中国語にも翻訳されている。
そんなわけで私は、いつも「教育」というカベを超えた教育論を考えている。
たとえばこの世界では、UFOについて語るのはタブーになっている。だからこそあえて、私はそれについて書いてみた。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
★コラムの中のイラストの拡大図
★火星探査機「スピリット」が送ってきた、火星上空を浮遊するUFO(2004年)
★(UFOの拡大写真)
★別の本に紹介された、火星上空のUFO(「世界のUFO現象」(学研))
●宇宙人は、確かにいる!
私はあの夜のことを忘れない。
あの夜、私とワイフは、UFOを見た。
が、当初、私は、それをUFOとは思わなかった。
私が聞いていたUFOは、円盤形のものをいう。
「く」の字型(ブーメラン型)のUFOなど、知るよしもなかった。
しかも、巨大だった。
天空をぐいと横切るほど、巨大だった。
新聞記事の中では、1、2キロと書いたが、実際のところ、よくわからない。
それよりも大きかったかもしれない。
あるいは小さかったかもしれない。
が、飛行機とは比較にならないほど、巨大だった。
あの夜見たものを、もう一度、整理しておきたい。
(1)窓
私もワイフも窓らしきものを目撃している。
大きな丸い窓(?)で、よく見ないとわからないほど、淡い橙色のものだった。
私はそれはジグザグに並んでいたように思うが、ワイフは、一直線だったと言っている。
(2)黒いシルエット
私は黒いシルエット(輪郭)を見ているが、ワイフはよく覚えていないという。
最初はそのシルエットは見えなかった。
少しずつ黒くなって、真上にきたとき、黒いシルエットとなった。
黒いシルエットが、その背景の夜空よりも黒く、夜空に浮かびあがった。
月は出ていなかったように記憶している。
私が記憶しているシルエットは、中日新聞紙上で発表したとおりである。
私はその形を忘れないように、当時、何かにメモした記憶がある。
(3)消え方
私が見たそのUFOは、西の方角からゆっくりやってきて、真上に来たとき、突然
スピードをあげ、東の方角へ飛んでいった。
スーッという感じだった。
そのときのこと。
そのUFOは、遠ざかって消えるというよりは、空に溶け込むようにして
消えていった。
大きさは遠ざかるにつれて小さくなったように感じたが、そのまま透明になり、
消えていった。
その先に白い小さな筋雲がいくつかあったように記憶している。
そのUFOは、雲の中に消えたのではない。
(4)自衛隊に電話
その直後、私は電話帳で自衛隊基地の番号を知り、電話をかけた。
何度もかけたように記憶している。
その夜は、ほとんど一睡もせず、朝を待った。
電話がやっとつながったのは、午前8時30分だったように記憶している。
つながった先は、たしか「管制室」だったと思う。
電話口の向こうの男性は、「そういう報告はあがっていません」とだけ、何度も
繰り返した。
私は「そんなはずはない!」と、何度も押し問答を繰り返した。
「あんな大きなものが上空を通過したのに、レーダーに映っていないはずがないだろ!」
と言った記憶がある。
(参考)(豊田ひろし氏のHPより抜粋)
『……火星の表面を移動し、水が存在した証拠を探る米航空宇宙局(NASA)の無人探査車「スピリット」が米太平洋時間3日[2004年1月]午後8時35分(日本時間4日午後1時35分)、火星に着陸、周囲の写真撮影に成功しました。
スピリットは、火星の大気圏に時速1万9000キロ以上の高速で突入。パラシュートとロケット噴射で減速するとともに、24個のエアバッグを膨らませて本体を包み、着陸後バウンドを繰り返した末に無事停止しました。専門家が「地獄のようなもの」と呼ぶ、1400度を超す高温と接地時の激しい衝撃に耐え、探査車は生き残りました。
スピリットは2003年6月10日MER-A 1号機によって打ち上げられ,約7ヶ月弱で火星に到着しました。
スピリットは今後約1週間かけて観測機器の機能を確認。その後約3カ月間、周囲を走り回り、カメラや試料採取装置などを使って岩石や土壌の組成を分析、水の痕跡を探ることで、生命の有無を確かめます。いままでは,すべてモノクロ写真の地上撮影でしたが,今回は地上のカラー写真もはじめて撮影しました』(豊田ひろし氏のHPより)。
Hiroshi Hayashi+++++++May. 2011++++++はやし浩司・林浩司
【電子マガジン・2008年8月号より、転載】
【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
【月は、巨大な宇宙船か?】以下、【電子マガジン・2008年8月号より、転載】
●『月の先住者』(Secrets of our Spaceship Moon)
written by Don Wilson 昭和58年発刊、たま出版)
++++++++++++++++++H.Hayashi
ドン・ウィルソン著、『月の先住者』という本を
読み直す。
昭和58年7月発刊、ということだから、今から約
24年前の本ということになる。
私が36歳のときである。
月にまつわる謎は多い。
その謎について書かれた本だと思えばよい。
++++++++++++++++++H.Hayashi
ドン・ウィルソン著、『月の先住者』という本を読み直す。原題は、『Secrets of the
Spaceship Moon』である。「宇宙船、月の秘密」と訳せる。
この本の中では、各章ごと冒頭で、月にまつわる謎を、箇条書きにしてある。
全体では19章。339ページ。文字が小さいから、かなりボリュームのある本と思って
もらえばよい。
その中のいくつかを紹介する。
+++++++++++
●第7章 月軌道を決定した動力
次の疑問点について考えてみたい。
○NASAは、月がなぜ地球の衛星となったかを、最大の疑問としている。
○あるノーベル科学賞受賞者の告白のように、月の起源や地球の衛星となった理由につい
○て、「どう説明してもありえない」と述べているのは、なざだろう。
○NASAの科学者が、「月は存在しないといったほうが説明しやすい」と発言した真意は?
○なぜ今日の科学者は、起源を説明できないからといって、月は存在しない、などと提議
○するのか。
○科学者の中には月を、「自然のなせる宇宙のいたずら」とし、月が地球の衛星にしては大
○きすぎると主張しているのは、なぜだろう。
○現在定説となっている、"自然捕獲説"でさえ、一般の科学者は充分に説明できないのだ
○ろうか。
○天文力学の権威者でさえ、地球の引力が月を引き寄せたことを「不可能」「とてもありえ
○ない」としているのは、なぜか。
○月の軌道が正確であるはずなのに、自然に地球の衛星となったと説明できない理由は?
○天文学者の中には、「ある力が月を地球の軌道に乗せた」という者もいる。「ある力」と
○はいったい、何なのか。
○なぜ月の公転面は、太陽とまったく同じ公転面に配置され、月食が起きる位置にあるの
○か。
○月が信じられないほど正確な位置にあるということはわかっているが、"月宇宙船説"以
○外の方法ではその理由が説明できないのは、なぜだろう。
○天文力学の知識や月計画による実際の研究成果によって、月が地球の軌道に「乗せられ」
○「操縦されている」と説明されることになるのだろうか。
++++++++以上、「月の先住者」より、転載++++++++++
わかりやすく説明しよう。
まず、夜の空に輝く、月を見てほしい。あの月は、地球の周囲を、(1)ほぼ真円に近い
軌道上を、回っている。
つぎにあの月は、(2)地球から見ると、太陽とほぼ同じ大きさに見える。もちろん太陽
のほうがはるかに大きいが、(みかけの大きさ)は、ほぼ同じ。だから、皆既月食、皆既日
食を、数年おきに、世界のどこかで観測することができる。
さらにあの月の(3)公転面は、太陽の公転面とまったく、同じである。
ほかにも(4)月の自転周期と公転周期が、1秒の狂いもなく、一致しているというこ
ともある。だから月は、地球に対して、(月の表側)だけを見せ、いわゆる(月の裏側)を、
見せることはない。(私たちは、常に、月の表側のみを見ていることになる。)
こうした月の存在について、現在の今も、(1)捕獲説と、(2)地球からの分離説、さ
らには(3)隕石の衝突説などが、意見を戦わせている。(最近の学説によれば、太古の昔、
地球に隕石が衝突し、その衝撃で飛び出した地球の一部が、月になったというのが、定説
になりつつある。)
しかしこの説に従っても、なぜ月の軌道が、真円に近いのか。月の(みかけの大きさ)
が、太陽と同じなのか。さらに月の公転面が太陽の公転面と一致しているのかということ
は、説明できない。
偶然というには、あまりにも偶然すぎるのである。
もちろん「捕獲説」にしても、大きな矛盾がある。「太古の昔、月が遠い別の天体からや
ってきて、地球の重力によって捕獲された」という説である。しかしならばその軌道面は、
楕円形になるはず。ぜったいに、真円にはならない。
そこで「乗せられた」という説が出てくる。
太古の昔、月は、だれかによって、その位置に、「乗せられた」と。つまり月自体が、巨
大な宇宙船というわけである。
そこでこの説を補完するのが、『月内部、空洞説』である。つづく第8章の冒頭には、つ
ぎのようにある。
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……さらにじれったい疑問を投げかけてみよう。
○月の不思議な密度は、月が空洞であるどのような証拠になるか。
○なぜ英国天文学協会。月面課の主任を努めた、"月の権威"が、「何もかもが、月の20
○~30マイル下が空洞であると示しているようだ」と結論したのか。
○なぜ有能な第一線の科学者たちが、自然の衛星は空洞であるはずがない、という意見で
○一致しているのか。では、月が空洞だというのは、人工的だからだ、とはいえないのか。
○NASA の第一線の科学者によるアポロ計画以前の研究は、なぜ月の動きが空洞の球体み
○たいだと結論したのか。
○重力場の研究は、月が空洞であるという裏づけにはなりえないのか。なぜこの結果が驚
○くべきものなのか。
○宇宙飛行士が持ち帰った、"月の石"は、月が空洞であると、どう説明しているのか。
○人工的に作られた月面地震(月着陸船やロケットなどによる)の時、月はなぜゴングの
○ように4時間も鳴りつづけたのか。このことが、どうして空洞の球体であることを説明
○しているか。
○米国の宇宙局が、月内部が巨大な空洞であるかもしれないと、秘密裡に調査を行ったの
○は、どういう証拠があってのことだろうか。
○月の密度が一番高いのは、月面近くである(月が空洞であるという証拠)という月の研
○究(質量の中心運動)は認められなかったのか。このような科学的証拠が、宇宙船説を
○引き起こさなかったのか。
○数々の証拠がどのように"空洞の月"を証明しているのか?
それでは、ここでショッキングな証拠を提示することにしよう……。
++++++++以上、「月の先住者」より、転載++++++++++