最前線の子育て論byはやし浩司(2)

子育て最前線で活躍する、お父さん、お母さんのためのBLOG

●マガジン過去版(2003年5月期より)(8年前)

2011-05-10 09:21:00 | 日記
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03-5-14号(226)
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by はやし浩司(ひろし), Hiroshi Hayashi
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● 6月24日(火) アイセル21 午前10時~12時
        主催  静岡市文化振興課 定員(330人)になりましたので、
            外部の方の参加は、していただけないそうです。ごめんなさい!
● 5月19日(月)愛知県枇杷島家庭教育推進協議会
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    /八))))ハ   ミミヽ
    / / へ へ   へ ミミ  ─┐     今日のメニュー
   ( | σ σ |  ∂  へ ミ  |         【1】子育て相談より(3)
    )("  ) ")  ζ  ∂ ぅ             【2】Touch your Heart
   / 八 ー 八┐ ( __  ノ─┐           【3】子育てエッセー
   ((  >-< | >-< /|           【4】フォーラム
    \\__ノ\ ∠__ × |
    ( \   / | \ )  / みなさんからいただきましたテーマを
  / \   (3-─┼─-ε)  /   マガジンに反映させています。お声を
  ──────────────┐    どうか、お届けください!
【1】子育て相談より(3)∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
お母さん方からの、Q&A特集

●夫と子育てのことで、意見の衝突がはげしくなってきました。子どもは現在、年長児です。夫が、私の言うことに、非協力的で困ります。

★ 『夫婦は一枚岩』というのが、子育ての鉄則です。夫婦で意見の衝突があっても、子どもの前では見せないようにします。また『船頭は一人』という鉄則もあります。こういうケースでは、母親は、まず父親を立てる。決して男尊女卑的なことを言っているのではありません。たがいに高度な次元で尊敬しあってこそ、それを「平等」といいます。子どもの前では、「お父さんがそう言っているから、そうしなさい」と、あくまでも父親の側に立ちます。納得がいかないことがあれば、子どもが寝静まったあとにでも、「私はこう思うけど……」と、意見の調整をします。

★ そうでなくても、むずかしいのが子育て。これから先、夫婦の心がバラバラで、どうして子育てができるというのでしょうか。なおこういうケースでは、夫が怒鳴ったり、手をあげたりしそうであれば、その前に、夫の言いたそうなことを前もって、言うようにします。いわゆる夫の機先を制するということです。「そんなことをすると、お父さんに叱られますよ!」と。夫に抵抗すればするほど、夫の心は、あなたや子どもから離れていきます。これは子どもの問題というより、夫婦の問題かもしれません。どこか夫婦の間に、すきま風が吹いていませんか。私には、そちらのほうが気になります。

★ なお、親子の信頼感は、「一貫性」で決まります。E・H・エリクソンという心理学者も、「親(とくに母親)の安定的態度が、基本的信頼関係を結ぶ基礎である」というようなことを言っています。要するに親の心がグラグラしていては、親子の間で、信頼関係を結ぶことができないだけではなく、つづいて、子どもは、園や学校の先生、さらには友人との信頼関係を結べなくなるということ。よきにつけ、悪しきにつけ、親は、一本スジの通った子育てをします。


●夫の生活態度がだらしなくて、困ります。食事中もテレビを見ていたりします。子どもの教育上も、よくないと思うのですが……。どうしたらいいでしょうか。

★ 子育ての世界には、メジャーな問題と、マイナーな問題があります。「家庭は心と体をいやす場所」というのは、メジャーな問題。「家庭でのこまごまとした、ルール」は、マイナーな問題ということになります。マイナーな問題に引き回されていると、メジャーな問題を見失うことがあります。そこでこうしたマイナーな問題は、言うべきことは言いながらも、あとは適当に! その時と、場所になればできればよいと考えて、おおらかに構えます。

★ 子どもの世界には、『まじめ八割、いいかげん二割』という鉄則があります。「歯をみがきなさい」と言いながらも、心のどこかで、「虫歯になったら、歯医者へ行けばいい」と思うようにします。虫歯の痛さを知って、子どもは歯をみがくことの大切さを知ります。それだけではありません。子どもは、そのいいかげんな部分で、羽を伸ばします。子育てでまずいのは、神経質な完ぺき主義。家庭が家庭としての機能を果たさなくなるばかりか、子どもの心をつぶしてしまいます。さらに子どものことで、こまごまとしたことが気になり始めたら、あなた自身の育児ノイローゼを疑ってみます。

★ 「しつけ」と「ルール」は違います。「しつけ」は、自律規範のことをいいます。この自律規範は、初期のころは、親から与えられますが、やがて子どもは、自分で考え、自分で判断し、自分で行動するようになります。子どもをしつけるということは、いかにして子どもを自律させるかということ。一方、ルールは、あくまでもルール。むしろ『ルールがないから家庭』と言います。またイギリスの教育格言にも、『無能な教師ほど、ルールを好む』というのもあります。これを言いかえると、『無能な母親ほど、ルールを好む』(失礼!)となります。

★ ルールは、つくるとしても、家庭では最小限に。夫の立場で言うなら、「家に帰ってきてからは、のんびりとテレビでも見ながら、食事をしたい」ということではないでしょうか。私なら妻から、そんなこまごまとしたルールを言われたら、気がヘンになります。なお、「食事中はテレビを見ない」というのは、マナーでも何でもありません。「マナー」というのは、「他人の心を害さないこと」を言います。そういうマナーは大切ですが、「テレビを見ながら、食事をしてはいけない」というのは、マナーではありません。いわんや「教育上……」と、おおげさに構えなければならないような、問題では、ありません。ちなみに、私は、毎日、テレビを見ながら、夕食を食べています。

★ 要するに子育てをするときは、いつもメジャーな視点を忘れないこと。いつも、「より大切なことは何か」と考えながら、します。そういう視点が、あなたを親として、大きな人間にします。そしてそういう人間から、大きな子どもが生まれます。


●このところ、近所の子どもたちが、習いごとに行くようになりました。うちの子(年中児)も行きたいというので、行かせようと思いますが、夫は、「まだ早い」と言って、賛成してくれません。

★ 親には、三つの役目があります。子どもの前を歩く。子どものガイドとして。子どものうしろを歩く。子どもの保護者として。そして子どもの横を歩く。子どもの友として。日本の親は、子どもの前やうしろを歩くことは得意ですが、子どもの横を歩くのが苦手。そういう発想そのものがありません。こういう相談のケースでも、「何かやらせる」という発想そのものが、気になります。大切なことは、子どもの方向性を見極めながら、「あなたはどう思うの?」と、そのつど、子どもの心を確かめながら、行動することです。習い事をするかしないかは、あくまでもその結果です。

★ 習い事をするにしても、この時期は、「楽しませること」を考えてします。(できる、できない)ではなく、(楽しんだかどうか)をみます。そういう前向きな姿勢が、子どもを伸ばす原動力となります。もう少し専門的には、「プラスのストローク(働きかけ)」をするということです。

★ この時期は、ややうぬぼれ気味のほうが、あとあとよい結果を生みます。ですからそのつど、「あなたはよくできる」「あなたはもっとできるようになる」と、プラスの暗示をかけていきます。ほかに『一芸論』(子どもに一芸をもたせる。一芸を伸ばす)や、『才能は作るものではなく、見つけるもの』という鉄則もあります。参考にしてください。

     /⌒⌒^\
     (λハハλ ヽ
     ))∂ ∂)) )
    (|^ c  ( (
    )人 v  )し        
     _>--<          
    /†_____†ヽ//      心豊かで、暖かい子育てをめざしましょう。
    ( ('    ξヽ        みんなでがんばれば、日本の子育ては
  ┏ ||   o//\) )(      変わります。よくなります。
--□---`○_oOO%__------凵---
【2】心に触れて(Touch your Heart)∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
以前、書いた原稿を、再度、送ります。
+++++++++++++++++++

親子のきずなを深める法(成長を喜べ!)

親子のきずなが切れるとき 

●親に反抗するのは、子どもの自由?
 「親に反抗するのは、子どもの自由でよい」と考えている日本の高校生は、八五%。「親に反抗してはいけない」と考えている高校生は、一五%。この数字を、アメリカや中国と比較してみると、親に反抗してもよい……アメリカ一六%、中国一五%。親に反抗してはいけない……アメリカ八二%、中国八四%(財団法日本青少年研究所・九八年調査)。日本だけは、親に反抗してもよいと考えている高校生が、ダントツに多く、反抗してはいけないと考えている高校生が、ダントツに少ない。こうした現象をとらえて、「日本の高校生たちの個人主義が、ますます進んでいる」(評論家O氏)と論評する人がいる。しかし本当にそうか。この見方だと、なぜ日本の高校生だけがそうなのか、ということについて、説明がつかなくなってしまう。日本だけがダントツに個人主義が進んでいるということはありえない。 アメリカよりも個人主義が進んでいると考えるのもおかしい。

●受験が破壊する子どもの心
 私が中学生になったときのこと。祖父の前で、「バイシクル、自転車!」と読んでみせると、祖父は、「浩司が、英語を読んだぞ! 英語を読んだぞ!」と喜んでくれた。が、今、そういう感動が消えた。子どもがはじめてテストを持って帰ったりすると、親はこう言う。「何よ、この点数は! 平均点は何点だったの?」と。さらに「幼稚園のときから、高い月謝を払ってあんたを英語教室へ通わせたけど、ムダだったわね」と言う親さえいる。しかしこういう親の一言が、子どもからやる気をなくす。いや、その程度ですめばまだよいほうだ。こういう親の教育観は、親子の信頼感、さらには親子のきずなそのものまで、こなごなに破壊する。冒頭にあげた「八五%」という数字は、まさにその結果であるとみてよい。

●「家族って、何ですかねえ……」
 さらに深刻な話をしよう。現実にあった話だ。R氏は、リストラで仕事をなくした。で、そのとき手にした退職金で、小さな設計事務所を開いた。が、折からの不況で、すぐ仕事は行きづまってしまった。R氏には二人の娘がいた。一人は大学一年生、もう一人は高校三年生だった。R氏はあちこちをかけずり回り、何とか上の娘の学費は工面することができたが、下の娘の学費が難しくなった。そこで下の娘に、「大学への進学をあきらめてほしい」と言ったが、下の娘はそれに応じなかった。「こうなったのは、あんたの責任だから、借金でも何でもして、あんたの義務を果たしてよ!」と。本来ならここで妻がR氏を助けなければならないのだが、その妻まで、「生活ができない」と言って、家を出て、長女のアパートに身を寄せてしまった。そのR氏はこう言う。「家族って、何ですかねえ……」と。

●娘にも言い分はある
 いや、娘にも言い分はある。私が「お父さんもたいへんなんだから、理解してあげなさい」と言うと、下の娘はこう言った。「小さいときから、勉強しろ、勉強しろとさんざん言われつづけてきた。それを今になって、勉強しなくていいって、どういうこと!」と。
 今、日本では親子のきずなが、急速に崩壊し始めている。長引く不況が、それに拍車をかけている。日本独特の「学歴社会」が、その原因のすべてとは言えないが、しかしそれが原因でないとは、もっと言えない。たとえば私たちが何気なく使う、「勉強しなさい」「宿題はやったの」という言葉にしても、いつの間にか親子の間に、大きなミゾをつくる。そこでどうだろう、言い方を変えてみたら……。

たとえば英語国では、日本人が「がんばれ」と言いそうなとき、「テイク・イット・イージィ(気楽にやりなよ)」と言う。「そんなにがんばらなくてもいいのよ」と。よい言葉だ。あなたの子どもがテストの点が悪くて、落ち込んでいるようなとき、一度そう言ってみてほしい。「気楽にやりなよ」と。この一言が、あなたの子どもの心をいやし、親子のきずなを深める。子どももそれでやる気を起こす。   

     ⌒⌒    Ω
   ∫ 》》》 / ↑ \
   §§σσ§ {←・ }
   §ξ 。ノξ \ _ /
   <ξヽ ヽ>
   /\~~~~l\  ∩ _    もしこのマガジンに興味をもってくださいそうな
  〈〈/ ̄ ̄ ̄/ │∥┌⊃     人がいらっしゃれば、どうか、このマガジンの
  /∠_mm_/\ /‥ │     ことを話していただけませんか?
 /        ●∞ │      よろしくお願いします。
          ⊂▼▼ ⊃
【3】子育てエッセー∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

●短い瞬間

 オーストラリアの友人のR君が、「作者不詳」として、こんな詩を送ってくれた。訳は、私が感じたまま、つまり原文を読んで感じたまま、直感でつけた。どうか「誤訳」と、笑わないでほしい。

I read of a man who stood to speak
At the funeral of a friend
He referred to the dates on her tombstone
From the beginning to the end.

友の葬式の日、皆の前で、
私は、追悼の言葉を述べた男の話を読んだことがある。
その男は、その女性の、生まれた日と、
死んだ日について、話した。

He noted that first came her date of birth
And spoke the following date with tears,
But he said what mattered most of all
Was the dash between those years.

その男は、彼女が生まれた日付を言った。
そして涙ながらに、つづく死んだ日付について話した。
しかし、誕生と死の間の
その時の流れの、何と短いことよ。

For that dash represents all the time
That she spent alive on earth...
And now only those who loved her
Know what that little line is worth.

その日付から日付までが、すべての時を表し、
彼女が、この地上で生きたことを示す。
いまや彼女を愛した人たちのみが、
その一行に、彼女のすべての価値を知る。

For it matters not how much we own;
The cars ... the house ... the cash,
What matters is how we live and love
And how we spend the dash.

どれだけ私たちがもっているか。
車や、家や、お金にせよ、そんなことは問題ではない。
大切なことは、いかに生きて、いかに愛して、
その短い瞬間を、どう過ごしたか、だ。

So think about it long and hard
Are there things you'd like to change?
For you never know how much time is left,
That can still be rearranged.

だから深く、静かに考えてみたらよい。
あなたには、変えたいものがあるか、と。
残された時間は、あまりにも少ない。
やりなおしがきくのは、今しかない。

If we could just slow down enough
To consider what's true and real,
And always try to understand
The way other people feel.

何が真実で、何が本物か、それを考えるために、
ほんの少しだけ時間をスローダウンすしてみるがよい。
そしていつも、ほかの人たちの感じ方を
理解してみるがよい。

And be less quick to anger,
And show appreciation more
And love the people in our lives
Like we'd never loved before.

怒りを鎮めよ、
もっと人に愛を示せ、
私たちの人生の中の人々をもっと愛せよ、
私たちが愛されたことがないほどまでに人を、愛せよ。

If we treat others with respect
And more often wear a smile...
Remembering that this special dash
Might only last a little while.

ほかの人を敬うなら、
そしてもっと微笑むなら、
この短い瞬間は、もう少しだけ、
長くつづくだろう。

So when your eulogy's been read
With your life's actions to rehash...
Would you be proud of the things they say
About how you spent your Dash?
(Author Unknown)

あなたを作り変えるなら、いつか、あなたの葬儀で、
あなたの賛美が読まれるとき、
彼らが口にすることを、あなたは誇りに思うだろう。
あなたがその短い瞬間をどう過ごしたかについて……。
(作者不詳)

 当然のことながら、詩の訳ほど、むずかしいものはない。そこでこの作者には悪いが、この詩を読んで、私が感じたままを、私の感覚で、詩にしてみる。うまくできるかどうかはわからないが、やってみる。

●短い瞬間(改作)

墓石に、刻まれし
生年月日と、享年月日。
その一行の、何と重いことよ。
それがその人の人生の、すべて。

一人の男が、皆の前に立ち、
その墓石の日付を、
涙ながらに、
悲しみをこめて読んだ。

名誉や地位や財産に
どれほどの意味があるというのか。
大切なことは、いかにその人が、
自分の人生を生きたか、だ。

愛する者よ、愛されし者よ、
あなたが愛された以上に、
人を愛せよ、
さらにさらに、人を愛せよ。

何と、人生の短きことよ。
何と、人生のはかなきことよ。
今、変わらずして、
あなたはいつ変わる?

人をうらむな、
人を怒るな、
ほんの少しだけ、
心を許して、あとは忘れよ。

やがていつか、人が
あなたの墓の一行を読むとき、
あなたは、その人たちの心を、
暖かく包むであろう。
 (作者不詳の英詩を改作)

 (030505)

+++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

転移

 以前、こんなことがあった。

 そのとき私は、ある男と、かなりはげしく対立していた。ワイフも巻き込んだ、大騒動になっていた。そのときのこと。その男はブルーの大型車に乗っていたのだが、街を歩いていて、ブルーの大型車を見かけるたびに、ぞっとしたのを覚えている。もちろんブルーの大型車など、いくらでも走っている。その男の車ではないとわかっていても、どういうわけか、ぞっとした。

 こういうのを心理学では、「転移」と呼ぶ。一つの感情が、まったく別のときと場所で、本人の意思とは関係なく、同じような条件が重なったとき、再現されることをいう。ただし再現といっても、本人には、その意識は、ほとんどない。もう少し深刻な問題では、こんなことがある。

 ある男性(四五歳)は、どういうわけだか、結婚できなかった。まわりの人がいくらすすめても、結婚できなかった。縁談の話まではいくつかあったが、いつもその直前で、破談になってしまった。同性愛者ではなかったが、しかし女性に対して、原罪的な恐怖感をもっていた。その男性は、こう言った。「性欲はふつうにあるのですが、どうしても女性を抱くことができない」と。

 彼が結婚に踏みきれなかった原因は、実は母親にあった。母親は、当時としては珍しい女性議員で、市議会でも先頭に立って、はげしい政治活動をしていた。恐らくその男性は、そういう母親をみて、自分の中にゆがんだ女性像をつくってしまったに違いない。その男性は、こうも言った。「ぼくには、ロリコン趣味があります。おかしいでしょう」と。女性恐怖症の男性が、ロリコンになりやすいことは、心理学的にも証明されている。

 しかしこうした現象も、「転移」という言葉で説明できる。その男性は、女性をまじかにしたとき、その女性の中に、子どものころのきびしい母親を思い出していたのかもしれない。あるいはもっとほかに、乳幼児のある時期に、具体的な何かがあったのかもしれない。女性への恐怖心だけではなく、憎しみや、嫌悪感など。「女性の太い腕を見るとぞっとする一方、女性の大きい尻で、思いっきり顔をおさけつけてもらうと、気持ちがいい」とも言った。感じ方が、かなりマゾ的であった。

 こうしたケースでは、実際に、その男性が、女性に対して恐怖感なり、嫌悪感を覚えているときに、「子どものころ、同じような思いをしませんでしたか?」というような誘導のし方で、その人の深層心理をさぐる。そしてその男性が、「そう言えば子どものころ……」というような話をすれば、しめたもの。まず、心をゆがめた原因が何であるかを、本人自身に気づかせること。それが、治療の第一歩になる。

 もちろん反対の転移もある。これは厳密な意味での転移と言えるかどうかは別にして、私には、こんな経験がある。

 私は今でも、パソコンのキーボードを見ると、何とも言えないなつかしさがこみあげてくる。そうした思いは、実は、中学二年生のときにつくられた。私は念願のタイプライターを買ってもらい、毎日、それをピカピカにみがいて大切にしていた。だからよく人の話として聞くような、つまりキーボードに対する恐怖症のようなものは、私にはない。

 言いかえると、こうした転移、もしくは転移に似た心の現象をうまく利用すると、子どもを、じょうずに導くことができる。要するに子どもの中に、前向きな姿勢を育てるということになるが、それが子どもを伸ばすための最大のコツということになる。
(030506)

+++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司
 
°ミ彡彡   ⊂~~~
゜ν0∂〇 _ノノ       
°◎_/ ̄⌒―――∩      みなさんのお近くで、講演するとき、
 ///―――――∫       よろしかったら、おいでください。        
⊂⊂/      ∫        マガジンの読者と一言、言ってくだされば、
             講演をしていても、ぐんと元気が出ます。ホントです!
【4】フォーラム(今、考えていること)∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

浜松祭り

 五月五日の夕方。予定どおりに、浜松祭りを見るために、街まで行った。そしてこれまた予定通りに、デジタル写真をたくさんとった。友人や息子たちに送るためである。

 太鼓の音は、いつ聞いても、胸を躍らせる。ほかの楽器にはない、不思議な響きがある。何というか、眠っていた野生の本能をたたき起こすかのような、響きである。そういう太鼓や、それにラッパの音に合わせて、大群衆がかけ声とともに、行軍する。私などはもう慣れたほうだからそういうことはないが、はじめてみた人は、その迫力に圧倒されるに違いない。

 帰りに、ワイフと二人で、Hという店で、焼きそばを食べた。それに明日、ある友人を訪問することになっているので、その手土産(みやげ)を買った。家を出るときは、どこかのどが痛くて調子が悪かったが、祭りの迫力で我を忘れたせいか、家に帰ってきたときには、かえって調子がよくなっていた。これも祭りのおかげ?

 二〇代のころは、よく祭りに出た。しかしその中でも、一番楽しかったのは、一〇人くらいのグループで、勝手に、町内を練り歩いたこと。浜松市の北西部から、南西部まで、ほぼ市内を縦断するように、練(ね)ったことがある。「練る」というのは、このたりの言葉で、「ワッセ、ワッセ」とかけ声をかけながら、独特の歩き方で歩くことをいう。

 途中、ラブホテルを見つけると、そのラブホテルの周囲をぐるぐると回ってみたり、関係のない町内の屋台の周辺を練ってみたりした。リーダーをしてくれたのは、今はなくなったが、Iさんという男だった。一度、台風が浜松へやってきたとき、夜中に、私のアパートに助けにきてくれたことがある。いい人だった。

 あと覚えているのは、その翌日は、声はガラガラ、体中、筋肉痛でゴチゴチになっていたこと。が、今は、そんなふうにして勝手に練ることはできないらしい。それがよいか悪いかは別にして、今の浜松祭りには、昔のような野生臭さは、ない。おそろいの衣装に、提灯。それに腕には、許可証まで縫いこんでいる。各町内の先頭には、無線機をもった男が立ち、そのつど、どこかと連絡を取りあっている。祭りといえば、祭りだが、どこかもの足りない。そう感じているのは、私だけだろうか。

 明日から、また仕事。連休は、かくして無事、終わった。今年も、どこへも旅行には、行かなかった。行きたくもなかった。連休中は、どこへ行っても割高だし、それに混雑している。だから私のばあい、自宅で静かに過ごすことにしている。

 ……ということで、今日の日記は、これでおしまい。そうそう祭りを見ていて、もう一つ、感じたことがある。「ああ、私の世代は、もう終わった」と実感したこと。祭りで見る人は、見知らぬ若い人ばかり。そういう人たちが、元気いっぱい、練っているのをみると、どんどん自分が、ワキに追いやられていくように感じた。
(030505)

+++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

錯誤行為

 人は、ときとして、思ってもみないことを、言ったり、したりする。言ったり、したあと、どうしてあんなことを言ったのだろうと悔やんだり、あるいは、どうしてあんなことをしたのだろうと悔やんだりする。とくに、夫婦や、親子の間では、それがよく起こる。

 心理学の世界では、これを「錯誤行為」と呼ぶ。日本語にも、「ついポロリと本音が出てしまって……」というのが、ある。それである。が、私のばあい、このところ、その「ポロリ」が多くなった?

 で、子育てでは、いつもこの錯誤行為がついてまわる。よくあるケースは、「頭の中ではわかっているのですが、ついその場になると……」というのである。「先生の話を聞いていると、そういうときは、そうしなければならないとわかっているのですが、つい、カーッとなってしまって……」と。

 これは(そうでなくてはいけない)という自分と、(そうあってほしい)という自分が、頭の中で、人格を混乱させるために起きる現象と考えると、わかりやすい。もう少しわかりやすい例で考えてみよう。

 相手の老人は、このところ体調が悪いようだ。年齢も八五歳だという。顔色も悪い。歩くのやっとという感じである。そういう老人と、しばらく話し込み、帰りぎわ、「長い間、おじゃましました」と言うつもりだった。が、頭の中で、どこがどう混信したのか、私は「長生きをして、おじゃましました」と言ってしまったことがある。とっさに言いなおしてはみたが、バツの悪さは消えなかった。

 これはその老人のことを、内心ではよく思っていないことが原因と考えてよい。その老人の息子(五〇歳)から、いつもその老人の悪口を聞いていた。わがままで、いばっていた。あらかじめ与えられた情報が、私の頭のどこかにあって、それが「長生きをして、おじゃましました」という言い方になってしまった? つまりこれがここでいう、錯誤行為ということになる。

 こうした錯誤行為は、当然のことながら、気が緩んだときに、起こりやすい。それにもう一つ。年齢とともに、自分をコントロールしようとする気力が弱くなる。その気力が弱くなっても、錯誤行為は起こりやすい。ほかに緊張がつづいたようなとき。疲れたようなときなどにも起こりやすい。

 さらに問題はつづく。「ポロリと本音が出る」というのは、「ボロが出る」ということにもなる。年齢とともに、自分をごまかそうという気力が薄れ、ボロが出やすくなる。いくら善人ぶっていても、中身が中身なら、いつまでも人を欺(あざむ)けるものではない。私は、このところ、それが気になってしかたない。

 私は、もともと素性があまりよくない。気が小さくて、小ずるい。忠誠心もないし、人には心を開かない。謙虚はふりをしているが、野心満々。誠実なふりをしているが、邪悪な自分を押し殺すのが精一杯。情緒は不安定だし、精神力も、弱い。そういう私が、必死になって、虚勢を張って善人ぶっている。

 もっとも善人ぶることぐらい、簡単なことはない。さも知ったかぶりの顔をしながら、にこやかな笑みを浮かべていればよい。瞬間だけなら、私だって、世界の哲学者らしく演ずることはできる。しかしそういう自分は、長つづき、しない。

 同じように、今は、一応、善人で通っている。もちろん犯罪歴はないし、金銭で人に迷惑をかけたことはない。しかし私の限界はここまで。そういう自分が、これから先、ボロを出す。シッポを出す。化けの皮がはがれる。私は、それがこわい。つまり錯誤行為がこわいのではなく、錯誤行為によって、自分がさらけ出されるのが、こわい。

 私は気がつくのが遅すぎた。もっと早い時期に気づいていれば、もう少し何とかなったかもしれない。だから私が予想する、私の老後は、実に悲惨なものだ。友もいなく、目的もなく、積み重ねてきた実績も誇りもなく、ただ孤独の世界で、静かに死を待つだけ。それが今、すぐそこに見える。私にとって、「錯誤行為」というのは、そういう意味では、切実な問題なのである。
(030506)

+++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

北朝鮮

 朝鮮日報(韓国系報道新聞社)は、北朝鮮について、詳細な情報を報道している。それをまとめると、つぎのようになる(「北朝鮮レポート」)。

● 北朝鮮の飢餓状態は、九〇年後半の状況に似てきた。
● 農民市場の米価格は、以下のように、上昇している。
    02年 7月……1キロあたり、44ウォンに設定(経済改善管理措置)
    03年はじめ、1キロあたり、120~150ウォンに上昇
    03年 4月……1キロあたり、230ウォンに上昇
  (一般勤労者の一か月の平均給与は、2000~2500ウォン)
● ハムフン市では、軍需産業で働く労働者以外、米の配給は停止されている。軍需工場以外の労働者は、給料も支払われていない。
● 金日成の誕生日(4月15日)にも、例年なら、肉1キロ、サラダ油1キロ、酒1ビン、タバコ5箱、卵一人一個、アメ1袋が配給されたが、今年は、ピョンヤン以外では、配給は停止されている。
● やせたコッチェビ(浮浪少年)が、地方の駅周辺に多数たむろしている。
● 数か月以内に各国からの食料援助がなければ、今年も数十万人もの餓死者が出るものと予想される、と。

現在、北朝鮮の食糧事情と経済事情は、深刻というレベルを超え、悲惨な状態になっているらしい。餓死者が数十万人いるということは、その周辺に、その予備軍とも言える人たちが、一〇倍はいるということになる。一〇倍の数百万人となれば、全人口の数割ということになる。それだけではない。その周辺では、モラルや秩序の崩壊も起こる。こんな「地上の楽園」が、どこにある?

 ……と言いつつ、どういうわけか、同情心があまりわいてこない。そのかわり、へたに金XXを援助すれば、こういう状態を長引かせるだけという思いが強い。むしろその一方で、「北朝鮮の人たちのためにも、早くこういう状態を終わらせなければ」と願う。そのためにも、どうせ兵糧攻めにするなら、世界が掛け声を合わせて、一、二の三!、で終わらせるのがよい。数か月の飢餓状態なら、人は耐えられるが、数年となると、そうはいかない。

 それにしても、やっかいなことになった。すなおに「助けてください」と言えばよいものを、反対に、核兵器で世界を脅している。それだけではない。彼の意に反した人を、金XXは、つぎつぎと処刑しているという。そしてその数は、一説によると、数十万人以上と言われている。とんでもない独裁者である。救いようがないバカというのは、ああいう金XXのような人間を言うのだろう。私は神ではないが、もし神なら、ああいう人間を、まっさきに地獄へ落とす。

 唯一、救いなのは、表向きはどうであれ、中国がアメリカに同調し始めたこと。韓国の動きは、このところ迷走しているが、少なくとも、アメリカは韓国を見放し始めた。「韓国がどう思うとも、やるべきことはやる」というのが、アメリカの姿勢らしい。アルゼンチンについで、西側で最大の反米国家の韓国を、命をかけて守らなければならない義務は、アメリカにはない。アメリカの政府高官たちも、それに気づき始めた。

 問題は、私たちの国の日本だ。このままズルズルと先延ばしすればするほど、ことは、複雑になる。さりとて、今すぐ、何かができるわけではない。だれだって戦争はいやだし、したくない。そこで一番望ましいのは、北朝鮮の人たちが、心を開いてくれること。もちろん日本人の私たちに、北朝鮮を侵略する意図など、毛頭ない。もし日本のどこかに、そういうアホなことを計画する人がいたら、この私が許さない。そういうことを、何らかの方法で、北朝鮮の人たちに直接、伝える方法はないものか。

 ……とあれこれ考えるが、どれもこれも袋小路に入ってしまう。そして北朝鮮の現状を知れば知るほど、北朝鮮がかかえる問題というよりは、人間自体がかかえる問題に、行きづまりを覚えてしまう。人間の愚かさというか、限界というか、そういうものを感じてしまう。

 さあ、どうするか。近く、アメリカのブッシュ大統領と、韓国のノムヒョン大統領の会談がある。とりあえずは、それに注目したい。もしこの会談で、米韓の決裂がはっきりすれば、日本は、それなりの覚悟をするしかない。ノムヒョン大統領が、どこまで現実を認識するかにかかっているが、それはあまり期待できない。ノムヒョン大統領自身は、アメリカよりも、北朝鮮により近い。「同胞」だからしかたないにしても、考えようによっては、韓国と北朝鮮をまとめて、北朝鮮と呼んでもよいのかもしれない。もしそうならそうで、日本にとっては、ますますやっかいなことになる。はからずも、アメリカの高官たちは今、日本にこう言っている。「日本も、いつまでもアメリカに頼っていないで、自分で準備せよ」と。しかし残念ながら、今の日本には、その準備どころか、その危機感すら、ない。
(030507)※

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Hiroshi Hayashi, Japan∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
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