( 写真は先週のものです )
父の残したツツジの鉢植えが満開。
ただ水をあげているだけなのに頑張るものです。
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今日が最後だと思って生きる のような本はたくさん出ています。
死はすぐ隣にいる、若いうちは透明で見えないけど 行ってきますと朝出て事故で亡くなる人もいます。
市はいつも隣にいるのです。
それが歳を取るごとにだんだん可視化していく。
70台ともなるとかなりはっきり見えてきて寝る前など明日目が覚めるかな、などと思うようになるのです。
それも一人暮らしとなると死んだら腐る前に発見されるかなとか、いっそのこと白骨になるまで発見されないときれいかもなど考えながら寝るのです。
親戚の人、独身でお母さんを介護していて、お母さんを施設に入れてから面会に行き帰って亡くなり2週間後に発見された人がいます。
お葬式は無くて納骨だけで近い親戚が集まりましたけど、他人ごとではありません。
私の世代は親戚付き合いも無いので納骨も無いかも。
どうなる? いなくなった後まで心配することも無いか、動物たちはみんな立派に死んでいくもの。
セミはみんな手を合わせて空を見ていますよね。
でも鳥とか死んでいるところを見ないな?どうしているんだろう?

ニャンさんが見えない時、家のどこかにいるのか外出しているのかが分かりません。
出入りはキャットドアなのでそこにセンサーチャイムを置いたら出入りが分かるかなと買いました。
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今朝は曇り? 晴れの気配も。
ニャンさんは椅子にいました。
おやつをあげて今はテーブル上のクッションで寝ています。
クッションカバーが汚れていたので数日前洗濯したので気持ちよくなったでしょう。
昨夜はテストを受けている夢を見ました。
長文の問題が最初に合って手こずっているうちにどんどん時間が無くなり、後ろのほうに択一問題、これ先にやれば良かったななどと思って焦っている夢でした。
よく見ていた遅刻しそうになる夢、仕事の締め切りに間に合わなくなりそうな夢などは最近見ていません。

