葡萄舎だより

海峡の街・下関の、葡萄舎の住人・洒人 (しゃじん) が身の周りの些事片々を書き綴ります。
本人は日記のつもりです。

巻き寿司、今日の出来

2006年02月03日 19時20分38秒 | 日記 ・ 雑記録
今日は節分。 暦の上でだけど、冬が終わる。
暖かい地方の手抜きの冬支度は、気まぐれな初冬の天候に翻弄された。
今はまだ四寒四温。 三寒四温を経て春の到来は先のことだが
日照時間が長くなれば、おのずから浮き立つものもある。
二十四節季に便乗して、消費者を浮き立たせる商業主義もある。

バレンタインデーの二番煎じの恵方巻きが市民権を得そうだ。
関西の一部の節分行事に海苔業界が飛びつき、コンビニの全国展開で一気に広まった、
と報道が言う。 イベント商戦の勝ち組らしいが、定着したのは、
日本人は潜在的に 「巻き寿司好き」 という消費者の支持があったからだろう。

「巻き寿司好き」 にかけては私も人後に落ちず、
ご飯が多めにあれば寿司飯を造り、
具材があれば太巻きを、なければ細巻を造るのは日常茶飯だから、
今日も当然、巻いた。 4人分、4本。
気合を入れて、サービス精神旺盛に具を多くして、パンクしないように苦労したけど。
ま、あんなもんでしょう。



私の、宇部の街

2006年02月03日 08時38分39秒 | 日記 ・ 雑記録
山口県の北浦で生まれ育った私は、高校卒業後~結婚するまで県外で過ごした。
下関に帰ってきてからも15年間は、宇部市を中心とする地域での仕事が続いた。
いまでこそ下関のあちこちに顔を出すが、
どちらかといえば下関や長府の街と人を詳しくは知らない下関市民だ。

宇部は、私の過去で馴染み深い街の3本の指に入る。
10歳のとき、郷里の病院が見放した私の命を救ってくれたのは、当時の宇部医大だった。
社会人の第1歩で、教壇に立ったのは宇部市の高校だった。
結婚して、初代支配人として赴任したのは宇部市の結婚式場だった。
私の人生の節目は、いつも宇部市とかかわりがあった。
そんな宇部の町とも疎遠になった。
いま、唯一繋がっているのは、月に1回通う理髪店と、その帰りに立ち寄るうどん屋だけだ。

笹山町の理髪店は、遠くから来る私を労ってか、入念な肩揉みをしてくれる。
時間にして30分弱。 手がすいていれば、3人で揉んでくれたこともある。
一人は肩、一人は右腕、一人は左腕。 気分はハーレム、だ。
流川のうどん屋で注文する 「肉天うどん」 はボリュームたっぷりだ。
汁は丼の縁すれすれで、具は盛り上がっている。
次回からは、「少し少なめに」 と注文をつけようかと思っている。

月に一度、宇部に出かけるのが愉しみで仕方ない。 往復2時間の運転も苦にならない。
ただ、大好きな街に入るたびに、駐車場が増えていくのがさびしい限りだ。
街並みから櫛の歯が抜けるように、建物が消えていく。
下関と同様に、宇部もまた斜陽の街なのだ。
いつの日か、散髪のためだけに宇部まで出かけることもできなくなるだろう。
将来に発展性のない (と思える) 街は、私の記憶の中で闌(すが)れていくのか。

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