葡萄舎だより

海峡の街・下関の、葡萄舎の住人・洒人 (しゃじん) が身の周りの些事片々を書き綴ります。
本人は日記のつもりです。

鏡山お初

2007年04月10日 11時01分11秒 | 日記 ・ 雑記録
葡萄舎の近くに国道2号と9号が分岐 ・ 合流する印内交差点がある。
そのまた交差点の近くに、日蓮宗妙真寺が運営する鏡山保育園がある。
わが愛息がお世話になった保育園だが、今日は入園式らしい。
子供よりも着飾った母親に連れられた男の子が葡萄舎の前を通り過ぎた。
ところが、この男の子、どうも保育園に行きたくない様子で、
20mも進むと10m引き返す。 3歩進んで2歩さがる、水前寺清子みたいな子だ。
母親は、と見ると辛抱強い性格なのか、
怒るでもなく叱るでもなく、子供が来るのを待ってまた歩む。
子供の成長過程でよくある情景のひとつだろう。 ま、(どちらも) 頑張って!

妙真寺の塀には仰々しく 「烈婦 鏡山お初生誕の地」 とある。
保育園を併設しているお寺の塀にしては随分と勇ましい。
(長府に住んで30年。 恥ずかしながら 「鏡山お初」 の物語を知らなかった。)

歌舞伎の 「加賀見山旧錦絵」 でご存じの方もおありだろうが、
そのモデルとなった <女忠臣蔵> ともいうべき物語だ。

鏡山お初は今から約250年前長府で生まれ、14才の時すでに剣道の奥義に達していた。
長府藩の牢番をしていた父親の助八が、事情があって流浪の身となり江戸へ出た。
お初は松平5万8千石(島根県浜田の城主)江戸屋敷の奥女中・尾上の側女中となった。
屋敷では、侍女頭・岩藤が尾上の才媛をねたみ度重なる無情な迫害を加えていたが、
尾上が岩藤の履物を間違えて使ったことから二人の間に争いが生じ、
岩藤は追いつめられて自害した。
お初は、日頃大恩受けた主の恨みを晴らすべく仇討を決意して、
唯一人屋敷に乗り込み、岩藤をおびき出し無事本懐を遂げた後に黒髪を切りおとし、
名も妙真尼と改め、一生、主・尾上と、敵・岩藤の両者の菩提を弔ったという。
行年68才で一生を終えた烈婦の物語だ。

登場人物の名は諸説あり、お初の墓も全国に散在しているようだ。
私としては、身近にありながら知らなかった 「鏡山お初」 について、
一つの切り口に近づいたという、お粗末の一席。

「加賀見山旧錦絵」 を検索して興味のある解説を見つけました。 こちら です。

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