先日知人が投稿していた「100de名著」で取り上げられたという
「いのちの初夜」が気になったので
青空文庫で探してみたら無事見つかったので
ちょうどいいやと読んでみたsachiakiです。
北条民雄さんというあまり聞いたことのない著者でしたが
内容が癩病(らい病、ハンセン病)にかかった若者が
療養施設に入所する直前と入所してからの
最初の数日を手記風にまとめた私小説で、
著者自身、癩病にかかり23歳という若さで没した青年の
心のありのままが書かれていておりました。
ハンセン病は感染力はとても低いものの
治療法が確立されるまでとても長い年月が必要とされ
長らく「不治の病」とされていただけに
この病にかかったと知った時の絶望は計り知れないものがあります。
なんていうかね。
疱瘡とかもそうなんだけど、
自分の容貌が変化してしまうものっていうものは
とてつもない嫌悪感がありますよね。
それでも天然痘は一週間前後で死に至るか
最悪どうにかなっても三週間で跡を残しつつも
治癒に向かうということで、
感染力の高さは恐ろしいものの
その容貌への変化に対して恐怖に対峙する時間が短いのが
いくぶんマシなのではないか?と思われるぐらい
ハンセン病の進行していく先の恐ろしさ
とくに神経障害を生じさせるための二次症状が恐ろしく
年を経た私でもかかりたくないって思うのに
20代前半などでかかってしまうなんて
あまりにも残酷なのではないかと考えてしまったりです。
しかし、そういった相貌に対しての変化や
病に冒され、死が鬨の声を上げて迫ってきても
そこから脱することのできない中で
何度も自死しようとしてできない
心と体の乖離した様をジックリと内省し
「いのち」というものの死にたくない!って思いの強さに
ただただ鬼気迫るものを感じるのでした。
そういや文中に
「あなたはもう人間ではありません癩者になりきるのです」
とあったのを読んだ時に
ゴールデンカムイの土方歳三が言っていたセリフ
「生き残りたくば、死人になれ」
にも通じるものがあるなぁなんて思いました。
そして「いのち」とはなんぞや?
について、この著者自身が死に差し迫った中で
得た光明だと思われるものが作中に出てきます。
「人間ではありませんよ。生命です。生命そのもの、
いのちそのものなんです。
(中略)
あの人たちの『人間』はもう死んで亡びてしまったんです。
ただ、生命だけがびくびくと生きているのです。
なんという根強さでしょう。
誰でも癩になった刹那に、その人の人間は滅びるのです。
死ぬのです。
(中略)
あなたの苦悩や絶望、それがどこから来るか、
考えてみてください。一たび死んだ
過去の人間を探し求めているからではないでしょうか」
だいぶ端折ったので、通じるかわかりませんが
「人間」とは「人」との「間」で成り立つもの
つまり社会性を持って初めて「人間」となり得るが
その「人」との「間」が隔たれてしまう
社会と切り離され、ただただ「生命」だけが残り、
その「生命」が滅んだ肉体の中で復活し
「生命」としてびくびくと生きるというのです。
そうまでして生き延びる価値があるとかないとか
そういう話ではなくて
ただ「いのちがある」という状況に対して
「人間」で居続けるか否か、
そういう話なのかな?と思いました。
ちなみに今の日本ではハンセン症にかかることは
まずないと言ってよく
かかったとしても治療法が確立されているので
重篤な二次症状などにもならずに済むそうです。
月岡芳年の浮世絵が癩病を患った夫を看病する妻を描いてますが
外見が変わっても愛せるかどうかっていうのは
かなり難題だよなぁっていつも思います。
私が眼底骨折をした時に、左の顔が大変なことになったんだけど、
旦那氏はそのことに一言も触れずに
いつも通りに接してくれて、
「この人すげぇな」って思ったものだけど、
私もそうできるかはいまだに自分を信じることができません。
ただ差別をしないだろうってことだけは
なんとなく分かるかな。
小学校の時に外見がそういう人がいた時に
すごく頑張って普通に接したことがあるので。
(内面的にどう思っているかよりも、行動の方が大切と思っておる)
さて、そろそろ17時。
スプラトゥーン3のクマフェスが始まるので
ゲーム三昧スタートしてきます!モイ