建設現場の卵

建設現場からのエッセイ。「建設現場の子守唄」「建設現場の風来坊」に続く《建設現場の玉手箱》現場マンへ応援歌。

設計図が何だ(3)

2019-02-06 16:18:59 | 建設現場

…………………………(設計図が何だってんだ) 3…………

『何だってんだ、1~2』で設計図、建築設計図面に向かって本音を言いかけて
みたところで、施工する側から見れば何も変わらないのが現状であろう。

設計監理者として現場で最大限の権威(権力)を以ていて、何かにつけ設計の
先生方の承諾を受けて工事が進む。

何だってんだ1の冒頭でも述べたが、森友のゴミ問題で写真からの判断で
業者が説明を求められているが、写真を撮るように指示されたから施工撮影した
ので、撮影の仕方に於いてどういう風の写真が必要かは設計者が指示している
のだ。
業者の施工写真を判断してOKした設計事務所へゴミの量を計算する資料

を追及するのがスジである。

設計者は追及から逃れるための施工写真を提出して・・・

設計図にない所を記録に残す(写真指示)事はかなり厳しい内容だろうが、
設計図とおりであろうとも、出来つつあるものに、

「それじゃあダメだ」

の一言で、誰も言い返せない。

(設計図の通りなのに……)
と憤懣やるかたない思いを抱いたまま、皆が耐えてモノ造りして、果たして
イイ建物が創れるのだろうか。

オリンピック競技場を設計図競技にしても、聖火台のない競技場である事を
審査する人が気が付かない。
オリンピックが目的で設計してその後は一般競技場
として活用するのが分って
いるのだから、聖火台の位置デザインも含めて設計者
の能力で設計図として
仕上がるが、今回は一級建築士がグループで設計したと
いうだけで設計図決定
とあいなったのであろう・・・

名称が国立競技場からオリンピック目的としての施設となっての設計のやり直し
であっても、聖火台のないオリンピック競技場が設計図なのである。

聖火台は別途設計して設計料がフトコロに・・・(設計ミスじゃあないの??)

最高を競う設計図面がこれであれる中で、一般の設計図を鑑みれば・・・
それらを仕方なく受け入れながら・・・

………その1 + その2より 話を続けてみよう………

《設計の先生様》あるいは《神の声》として、設計図が間違っていようとも
施工業者は言われるがままにペコペコ頭を下げ、尻尾を振っていた時代は終わ
っているのである。

建築ブームが去った今になって、施工図に頼るような設計図面の内容が多く
あるのは、かつて天狗になっていた反動である。

業者まかせでバブル時代に鼻は伸び切ってしまい、業者にVE(仕様変更)を
認める条件を出したのは、設計者がプライドを無くしたのだと私は思っている。

私ならば自分が描いた設計図に施工業者が変更を求めて来てもノーと言う。

「この設計図で入札したのだから、この通り創れる筈だ」
と昔、一級設計士さんに言われた事もある。

「変更希望があれば、書類で出してください」
と今は施工側がいくらでも自分勝手な変更が出来そうな気配である。

ゼネコンの設計・施工というものもあり、こうなると好き放題で、間違えて
創っ
ても設計変更として処理し、すんなり世間をごまかしている。

間に合わせるためには好き放題の仕様変更がまかりとおる。

柱の鉄筋の本数を少なく(手抜き?)したまま、階を重ねて造り、バレたら、
「構造上まだ余裕があるから、大丈夫・・・」
と構造設計の背広族のコメントもあった。

自社設計ならば余分な鉄筋は入れず、耐力限界値近くまで鉄筋を少なく設計し
余分な事に金をつぎ込む設計は毛頭ないものだ。

モノ造りの世界において、造る基本となるものとして設計図があるのだから、
その通りに創れる筈であり、その通りに創るのさえ
《設計者の承認が必要》
という意味が分からない。

設計図とおりに創るのに『施工図』が何故必要なのかも一般の人には分から
ない。

例えば、工場製作用に渡した図面に設計監理者の承諾印がないままに製作した
場合、それがたとえ設計図と同じものであっても「やり直し」の命令が
出される場合もある。

副所長時代にEVメーカーの工場《製品検査立会い依頼書》を提出時に、
「私はこのメーカーの施工図に承認印を押した覚えはない!」

「特記にあるメーカーです」
「施工図承認していないのに、勝手に作るな!

その場で言い争うほど、私の不利になってしまうのだ。

設計図を書く時にはそのメーカーの機械が入るように大きさを決めて、
半強制的に「このメーカーを使用しなさい」とらしく特記に書いてある。

設計図に書いてある品物(固有名詞)だからその通りに事を運んでいても、
「設計監理者の承諾が必要だ」
という仕組みは工事進捗上、邪魔になってしょうがない。

あの苦い経験を踏まえて後、私は所長になってから、
「設計図通りのものについては《承諾願い》は総て省略します」
と最初の定例打合せで宣言する方針を貫いている。

設計図に書いてある事の、小さな事までこちらから《願い書》を提出する方が
不自然だし、設計事務所との打合せ時間は短くなったし、何ら困る問題は
発生しなかった。

設計図を施工図と対比して定義してみれば―――、

施工図は創る側が創る手順を考えて描く部分詳細図面であり、設計図はあく
まで仕上がった状態が書いてあり、食い違いのない総合図面でなければならな
いのが、最低条件ではあるまいか。

設計図が手書きからCADで書かれる時代となって、図面1枚のデータから
専門職が追加記入して、設計図としての食い違いが少なくなっている。

この設計図のデータを共有すればいい建物になるのだが『著作権がある』言い
ながら、データを施工者側に『有償売却』している設計事務所がある。

 完全なる設計内容ではないのに施工業者へ売却すると言うのは、設計料を施主
ら受け取っている上に、更に作図料金を搾取しようとの魂胆しかない。

著作権が感じられる程の設計図面なんぞ、今まで見た事もないし、ここまで
述べて来た事からみても、設計図は皆で育てるからこそ完成されるものである。

創る人達へ、設計者の意図を完全に伝えたいならば、データに著作権がある
とか、1枚★万円で買え、なんて言える筈はない。

無償でデータを提出する設計事務所ほど、いい建物を創るために真剣である。

いい建物にするべく図面として『設計図』を描く技術者でなくて、設計図で
金儲けしようという時代の流れを断ち切るべきだろう。

「さすがに『設計図だ!』」
とあがめる時代は・・・期待できないのだろうか………。

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設計図というものがありながら『総合図』というものを施工者側に要求する
設計事務所もあり、いかに建築の設計図がオソマツなのかという事で、
設計図・施工図・総合図→承諾図の意味を文科系の人に説明の場も必要だね。

次回は設計事務所から『総合図』を依頼された時の顛末をお話しよう。

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コメント
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