増穂(5)-旧舂米学校 2006年06月02日 | 富士川町(鰍沢・増穂) 増穂町のシンボル「旧舂米(つきよね)学校」(現民俗資料館)だが、藤村式と呼ばれている山梨県内に残る擬洋風建築の一つだ。明治の県令(今の知事にあたる職)藤村紫朗(ふじむらしろう)が推奨したことからその呼び名が残っている。明治9年の建築。塔の部分は“太鼓堂”と呼ばれ授業の合図に太鼓が打たれたそうだ。個人的には藤村式の中では一番好きな建物です。 ところで昨日は友人たちと遅く迄喋っていて、帰宅が日付が変わってしまいエントリーできなかった。