やまなし・まちかど図鑑

山梨県内のレトロなまちかど、面白・珍らし物件を凡苦楽庵が探訪します。

粋な塀

2007年10月26日 | 門・塀

甲府の城東地区を歩いていて見かけた個人邸の塀。漆喰に瓦をはめ込んだ粋な塀である。おそらく以前建っていた建物の瓦を再利用したものだろう。瓦の断面が織り成す===が何ともリズミカルである。鬼瓦を利用した通風窓もgoodである。

探訪納めー 旧甲府刑務所門

2006年12月30日 | 門・塀

現在の堀ノ内町に移転する前は朝気(あさけ)にあった甲府刑務所(当時の画像はこちら)。その門が移築保存されている。明治45年の建造である。
今年5月1日から始めたこのブログ、本日をもって暫くお休み致します。最初のエントリーは富士川小学校の校門で、文字どおり町歩き入門というところでした。本日のエントリーは刑務所の門、実は休載の理由は、町歩きをしていて「建造物侵入罪」や盗撮の罪に問われ刑務所の飯を食わなければならないから…というのは冗談です。
お休み中の掲載物件に関するお問い合わせは、コメントまたはメールbonkuraan@mail.goo.ne.jp へどうぞ。決して“門前払い”は致しません(^_^) 
2007年4月から再開する予定です。それでは皆様良いお年を。

田中銀行の鉄柵

2006年11月25日 | 門・塀

旧田中銀行博物館のフェンス。現在のものは復元されたもので、オリジナルは戦時中に供出された。その第二次大戦中は、田中本家に北白川宮が疎開し、この田中銀行は関係者の水戸部孚の住宅として使われていた。この写真を見てお気付きと思うが、「田中」を図案化している。

亀甲文様の扉

2006年11月11日 | 門・塀

亀甲橋を渡り山梨市内に入ると、元旅館だった「飯島楼」がある。
その門扉は亀甲文様であしらわれている。飯島楼の建物は明治37年頃とされているが、この門は同時期なのか不明だ。「亀甲橋」が昭和8年なので、それ以降であれば橋の名前から影響を受けたとも考えられる。しかし逆の可能性もあり得る。この地域と亀甲と何か関係があるのか興味のある所だ。

門より出れば-湯田小学校校門

2006年06月25日 | 門・塀

昭和18年建造のこの校門は、昭和20年の空襲にも焼けずに残った。学校では大切に保存している。
湯田小から通りへ出ると、見覚えのある顔が近づいてきた。「あっー」お互いに声を掛ける。その人は4月に開催した「まちかどの近代建築写真展」の会場としてお借りした甲府カトリック教会の神父さんだった。
ところで、校内の片隅に二宮金次郎が立っているのはよくあることだが、隣の郵便ポストはどうしてこんな所にあるんだろう。

韮崎(1)-韮崎小学校校門

2006年06月12日 | 門・塀

ワールドカップが開幕して日本の初戦がいよいよキックオフ。日本代表のナカタヒデトシは韮崎高校の出身。小中は甲府の学校だったが、高校はサッカーの名門に入った訳だ。この小学校の校庭からも子供達のボールを蹴る元気な声がしていた。
右側の門柱には「電話六九番」とプレートに書かれている。

こんな具合です(6/14) 「電話」という文字は正確に言うと「話電」と右書きです。