先の総選挙惨敗という結果を受けて、「若手」の前原誠司をトップに再起を図ろうとする民主党にとっては、「覚せい剤:愛知7区の元衆院議員、小林容疑者と秘書ら逮捕」(『毎日新聞』)はタイミングが悪いニュースで、今後の行末を暗示しているかのようだ。
ところで、自民党の圧勝に終わった今回の総選挙を、同じく300議席を獲得した1986年の衆参同日選と比較参照する論調が見られる(選挙結果とは別の文脈だが、吉崎達彦『1985年』新潮社, 2005年の問題関心も同じだろう)。当時の中曽根の言葉に倣えば、今回自民党は「無党派層にウィングを広げてみた」ことで、今回の圧勝を手に入れたといえる。
その小泉政権が進める構造改革路線の源流を辿れば、1980年代前半の鈴木・中曽根政権期の行革、いわゆる臨調路線に行き着く。その当時の状況を考察した大嶽秀夫『自由主義的改革の時代――1980年代前期の日本政治』(中央公論社, 1994年)を一読すれば、国鉄の民営化や、教育改革など多くの分野で、また中曽根のテレビを利用した世論対策、官僚や労組を既得権益層と位置づける対立軸の設定など、現在と通底する議論に遭遇する。換言すれば、ここ20年近くほとんど同じ争点をめぐって、歴代政権が改革を叫んできたわけである。
この背景には、また大嶽秀夫が別の著書で指摘するように、戦後日本政治の対立軸であった防衛問題をめぐって、自民党と民主党の政策距離がほとんど無きに等しいまでに縮小したことがある(『日本政治の対立軸――93年以降の政界再編の中で』中央公論新社, 1999年。9条改正論者の前原の代表就任によってこの傾向はさらに加速するのはあきらかだろう)。その結果、政策上の争点は、経済政策の手法に移り、それが1980年代以降の日本政治の基調となっている。そこでは、行き詰まりを見せていた戦後のケインズ型福祉国家を、いかにして世界標準となった市場の論理に依拠した新自由主義に沿った形に変えていくかが重要な政策課題となり、そのために、官僚の汚職問題の浮上も作用して、従来の国家-社会関係を規定してきた「鉄の三角形」の解体が叫ばれた。
しかしこうした「改革」の季節は、山口二郎の表現を借りれば「改革のせり上がり現象」に嵌り、政治改革は選挙制度改革へ、行政改革は省庁再編へというように、その内実は矮小化され、その時々の国民の不満に対するガス抜きとして機能してきたにすぎない側面がある(『戦後政治の崩壊――デモクラシーはどこへゆくか』岩波書店, 2004年)。官僚や労組など既得権益層を批判する政治家が国民の期待と支持を集めつつも、その多くは一過性に終わり、改革という課題だけが残されるというパターンが繰り返されてきた。この状況下で、政治手法はメディアを意識したポピュリズム的色彩を強めていき、それが「風」や「ブーム」と呼ばれる投票行動を反照的に引き起こしていった(大嶽秀夫『日本型ポピュリズム――政治への期待と幻滅』中央公論新社, 2003年)。
小泉首相にしても、総裁選から2001年参院選にかけてのブームを経て、道路公団の民営化問題に見られるように、多くの政策課題を「丸投げ」する対応から、支持率を下げていき、このパターンに陥りかけていた。それまでの経験則から言えば、そのまま退場する道筋に対して、郵政という既得権益の打破を旗印に掲げることで、再び「改革」気運を高めることに成功した。すなわち一種のパターン破りによって、20年近く日本政治を規定してきた「改革の季節」が転換する萌芽が生じてきたともいえる。
しかも民主党代表となった前原も労組脱却を掲げていることを考えたとき、今後、自民党と民主党の二大政党制による政策論争において、これまでのように戦後日本社会の基盤であった官僚組織や労組を「抵抗勢力」として批判することによって、自らの支持を獲得するという「劇場型」手法が後景に退いていくことが期待されるところである。
おそらく小泉首相が、総裁任期の延長や消費税の引き上げに否定的な態度を見せているのは、86年後の中曽根政権が辿った道を意識していると思われる。無党派層に拡大したウィングをどの程度まで自民党の支持層としてつなぎ止めることができるかがポスト小泉後の自民党政権にとっての課題であり、そのためにこれまでのような改革ポーズのみに終始し、その内実は「丸投げ」に近いようでは期待と幻滅のサイクルを断ち切ることにはならないだろう。いわば一度、国民の改革への期待を裏切っている小泉首相が「改革者」として歴史に名を残すか、それともポピュリスト政治家にすぎなかったと悪しき例となるのかという点で、「9.11」は、同時多発テロとは別に(日本)史的な意味が刻まれる可能性を秘めた日付でもある。
ところで、自民党の圧勝に終わった今回の総選挙を、同じく300議席を獲得した1986年の衆参同日選と比較参照する論調が見られる(選挙結果とは別の文脈だが、吉崎達彦『1985年』新潮社, 2005年の問題関心も同じだろう)。当時の中曽根の言葉に倣えば、今回自民党は「無党派層にウィングを広げてみた」ことで、今回の圧勝を手に入れたといえる。
その小泉政権が進める構造改革路線の源流を辿れば、1980年代前半の鈴木・中曽根政権期の行革、いわゆる臨調路線に行き着く。その当時の状況を考察した大嶽秀夫『自由主義的改革の時代――1980年代前期の日本政治』(中央公論社, 1994年)を一読すれば、国鉄の民営化や、教育改革など多くの分野で、また中曽根のテレビを利用した世論対策、官僚や労組を既得権益層と位置づける対立軸の設定など、現在と通底する議論に遭遇する。換言すれば、ここ20年近くほとんど同じ争点をめぐって、歴代政権が改革を叫んできたわけである。
この背景には、また大嶽秀夫が別の著書で指摘するように、戦後日本政治の対立軸であった防衛問題をめぐって、自民党と民主党の政策距離がほとんど無きに等しいまでに縮小したことがある(『日本政治の対立軸――93年以降の政界再編の中で』中央公論新社, 1999年。9条改正論者の前原の代表就任によってこの傾向はさらに加速するのはあきらかだろう)。その結果、政策上の争点は、経済政策の手法に移り、それが1980年代以降の日本政治の基調となっている。そこでは、行き詰まりを見せていた戦後のケインズ型福祉国家を、いかにして世界標準となった市場の論理に依拠した新自由主義に沿った形に変えていくかが重要な政策課題となり、そのために、官僚の汚職問題の浮上も作用して、従来の国家-社会関係を規定してきた「鉄の三角形」の解体が叫ばれた。
しかしこうした「改革」の季節は、山口二郎の表現を借りれば「改革のせり上がり現象」に嵌り、政治改革は選挙制度改革へ、行政改革は省庁再編へというように、その内実は矮小化され、その時々の国民の不満に対するガス抜きとして機能してきたにすぎない側面がある(『戦後政治の崩壊――デモクラシーはどこへゆくか』岩波書店, 2004年)。官僚や労組など既得権益層を批判する政治家が国民の期待と支持を集めつつも、その多くは一過性に終わり、改革という課題だけが残されるというパターンが繰り返されてきた。この状況下で、政治手法はメディアを意識したポピュリズム的色彩を強めていき、それが「風」や「ブーム」と呼ばれる投票行動を反照的に引き起こしていった(大嶽秀夫『日本型ポピュリズム――政治への期待と幻滅』中央公論新社, 2003年)。
小泉首相にしても、総裁選から2001年参院選にかけてのブームを経て、道路公団の民営化問題に見られるように、多くの政策課題を「丸投げ」する対応から、支持率を下げていき、このパターンに陥りかけていた。それまでの経験則から言えば、そのまま退場する道筋に対して、郵政という既得権益の打破を旗印に掲げることで、再び「改革」気運を高めることに成功した。すなわち一種のパターン破りによって、20年近く日本政治を規定してきた「改革の季節」が転換する萌芽が生じてきたともいえる。
しかも民主党代表となった前原も労組脱却を掲げていることを考えたとき、今後、自民党と民主党の二大政党制による政策論争において、これまでのように戦後日本社会の基盤であった官僚組織や労組を「抵抗勢力」として批判することによって、自らの支持を獲得するという「劇場型」手法が後景に退いていくことが期待されるところである。
おそらく小泉首相が、総裁任期の延長や消費税の引き上げに否定的な態度を見せているのは、86年後の中曽根政権が辿った道を意識していると思われる。無党派層に拡大したウィングをどの程度まで自民党の支持層としてつなぎ止めることができるかがポスト小泉後の自民党政権にとっての課題であり、そのためにこれまでのような改革ポーズのみに終始し、その内実は「丸投げ」に近いようでは期待と幻滅のサイクルを断ち切ることにはならないだろう。いわば一度、国民の改革への期待を裏切っている小泉首相が「改革者」として歴史に名を残すか、それともポピュリスト政治家にすぎなかったと悪しき例となるのかという点で、「9.11」は、同時多発テロとは別に(日本)史的な意味が刻まれる可能性を秘めた日付でもある。