constructive monologue

エゴイストの言説遊戯

名誉白人の眼差し

2005年09月06日 | nazor
カトリーナの襲来から1週間が経ち、天災よりも人災の側面が色濃くなりつつある。とくに、アフリカ系を中心とする貧困層に集中する被害と略奪行為によって、アメリカ社会の古層ともいうべき人種問題が注目を集めている。

政権は、今回のハリケーン被害を「人種をめぐる政治」として捉える見方を強く牽制している(「黒人差別批判にライス長官反論 米ハリケーン被害」『産経新聞』)わけだが、そこに、いわゆる「ポリティカル・コレクトネス(PC)」という「配慮の政治」が介在している。

こうした報道がなされる状況下で、『産経新聞』論説委員である古森義久は、署名記事「緯度経度:被災で露呈する人種の違い」(『産経』9月4日朝刊/全文はSAFETY JAPAN 2005連載コラムに転載)で、保守系米国紙の論評を引用する形で、この封印しておきたい人種問題を取り上げている。古森の「本音」を論じる姿勢は評価すべきだが、しかし、その論理展開は、きわめてオリエンタリズムとレイシズムが入り混じったものである。

略奪行為を行っているのは、アフリカ系である点に着目し、「はたして白人やアジア系だったら、略奪が起こっただろうか」という問いを提起しているが、ここには「アフリカ系は、緊急時に自制心を亡くしてしまう思慮に欠けた人種である」という先験的な前提を看取することは容易い。しかし、ニューオーリンズにおけるアフリカ系住民および貧困層の割合を考えれば、テレビ報道を通じて伝えられる「アフリカ系住民による略奪行為」は、相関関係として成り立つとしても、そこに因果関係を求めることは不可能であり、それを見出すためには、かつての優生学あるいはアパルトヘイトに見られるような人種を本質主義的に理解する思考が必要となる。すなわち古森の言説は、古典的とも言えるこうした思考パターンに忠実に従った「天然記念物」級といえるだろう。

普段から共和党系の『ウォールストリート・ジャーナル』の論説を引用して、アメリカとの一体性および中国脅威論の「伝達ベルト」あるいは「拡声器」の役割を果たしている古森の目に映る世界は、限りなくキリスト教右派のそれと同化し、したがってアフリカ系住民に対する眼差しは、植民地主義的な色彩に染められている。そしてこうした眼差しは、容易に中国や朝鮮に向けられることは、これまでの古森の議論からも明らかである。

アメリカ社会が躊躇する争点に踏み込むことで、図らずも自らのレイシズムを公言してしまうという逆説的帰結をもたらしたのが今回の古森の署名記事であり、それを堂々と掲載する『産経新聞』は、ある意味で社会学的に「貴重な資料」の供給源となっている。
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