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constructive monologue

エゴイストの言説遊戯

「8月15日」の連鎖現象

2005年08月10日 | knihovna
佐藤卓己『8月15日の神話――終戦記念日のメディア学』(筑摩書房, 2005年)

戦争をめぐる認識の差異を越えたところに、アルキメデスの点を設定するかのように、ひとつのイメージを枠付ける行為が6日から15日にかけて続くいわゆる「8月ジャーナリズム」。その勢いは、戦後60年というメルクマールを得たことによって、例年以上の盛り上がりを見せている(たとえば、『文藝春秋』の特集「運命の8月15日56人の証言」など)。

佐藤の本は、いわばこうした「8月ジャーナリズム」の流れに乗りつつも、なぜ多くの日本人が「8月15日」を終戦の日として記憶しているのかという、所与の前提として当然視されていたことに焦点を定める。

「世界標準」によれば、ポツダム宣言受諾を表明した8月14日か降伏文書に調印した9月2日を「終戦記念日」とするのが当然であるが、天皇の玉音放送という、いわば国内限定の8月15日が「終戦」と認知されるようになる過程には、さまざまなメディア・ポリティクスが作用していたことが明らかにされている。

ここで興味深いのは、本来国内向けの「日本標準」である8月15日が、中国においても「終戦」、つまり「対日勝利」を象徴する日付として記憶されるようになったことである。ここには、記念日あるいは記憶の存立基盤自体の移ろいやすさが看取でき、その時々の環境によって、刻印の書き換え(re-inscription)が生じることを示している。中国の場合、以前であれば9月3日が「対日勝利記念日」とされていたが、これさえも中ソ蜜月時代の遺産だったわけで、記憶が政治の従属変数であることを否応なく思い知らされる。

と同時に、第二世界大戦の終結から時間を経ずに、冷戦というもうひとつの世界戦争にシフトしたことを考慮に入れたとき、従来の国際法が前提としてきた二種類の時間観念(戦時/平時)の区分が曖昧化されてきた帰結のひとつとして、日本において8月15日が「終戦」と重ね合わされるようになったのではないだろうか。つまり、佐藤が指摘するように、8月15日の古層には「盆」という日本的伝統があり、戦没者の追悼という行為に結びつける形で、そこに「終戦」が上書きされる「国内事情」があったとすれば、それを補完する「国際事情」として、19世紀的な戦争観の変容があり、それに伴う総力戦の登場、そして冷戦という準戦時体制の日常化が指摘できる。

戦争の作法/文法がなし崩し的に骨抜きにされ、本来的に対極に位置づけられるはずの戦時と平時が連続線上に並べ替えられることによって、二種類の時間観念は統合され、あるいはその意味を喪失したところに、戦争でも平和でもない状態としての「冷戦」という特異な戦時状況が成立可能となった。そしてそのような「冷戦」が「体制」として確立したのも1955年であったことは、8月15日の記憶化にとっても、示唆的である(石井修「冷戦の『55年体制』」『国際政治』100号, 1992年を参照)。

アジアにおける冷戦が米中和解によって部分的な終焉を見た1970年代以降、いわゆる歴史認識をめぐる問題が政治・外交問題として捉えられるようになったことと、「日本標準」の終戦記念日が中国で受容されていったことは無関係とはいえないだろう。換言すれば、戦時から平時への明白な断絶がないまま、時間が止まった状態としての「冷戦」が氷解したことで、新たな断絶を「再発見」する必要に迫られた中国にとって、「8月15日」は格好のターゲットとして受け止められた。あるいは佐藤が述べるように、中国にとっての「8月15日」は否定形の指標であり、すぐれて現代的な意味合いを色濃く帯びたものである。それは、「逆立ちした経路依存(inverted path dependence)」と名づけることができる過去(の記憶)の再編成でもある。

東アジアに万国公法の秩序が浸透した19世紀後半以降、日本・朝鮮半島・中国をつなぐ形で知の連鎖が存在していたことは、山室信一が詳細に分析しているが(『思想課題としてのアジア――基軸・連鎖・投企』岩波書店, 2001年)、その連鎖が「8月15日」に関しても働いていたことを、佐藤の著書は気づかせてくれる。

民主主義のロシア的「定着」

2005年07月31日 | knihovna
中村逸郎『帝政民主主義国家ロシア――プーチンの時代』(岩波書店, 2005年)

1989年の「東欧革命」は、1970年代から始まった民主化の「第三の波」のクライマクスを象徴するものであったが、民主主義への「移行」から「定着」へと争点が移る過程で、同じ共産党体制下にあった「ソ連・東欧」諸国において、その進度/深度や形態は各国ごとに異なった様相を示し始めた。すくなくとも、ポーランド、チェコ、ハンガリーなど「中欧」諸国は、議会制民主主義における政党システムを機能させ、西欧型の左右両派を支持基盤とする政党による政権交代を経験した(ミロシェヴィッチ、ルカシェンコと並んで、「権威主義/独裁」と呼ばれたメチアルが統治したスロヴァキアは若干のタイムラグがある)。その一方で、ルーマニアやブルガリアなど「バルカン」諸国は、共産党体制エリートが横滑りする形で「民主化」後の政治を担うことになった。またロシアをはじめとする旧ソ連圏では、議会制民主主義ではなく、フランス型の大統領制を導入したことで、議会や政党システムが形骸化し、大統領に権力が集中する限りなく「権威主義」に近い「擬似民主主義」ともいえる体制が確立していった。

そして、世紀転換期を経て21世紀に入り、いわば「民主化」の「揺り戻し」が生じた旧ソ連圏においても、グルジアのバラ革命、ウクライナのオレンジ革命、キルギススタンのチューリップ革命に見られるように、「民主化」の第二幕が始まり、今後の焦点は、本丸であるロシアに波及するのか、そうであればどのような形をとるのか、あるいはプーチン政権が「民主化の波」をうまく乗り切り、軟着陸させることができるのかという点に関心が向かいつつある。

そのロシア、とりわけプーチンの統治手法を「帝政民主主義」と形容するのが本書である。なぜ帝政と民主主義という相矛盾する言葉を結びつけるような体制と把握すべきなのかを明らかにする際に採用されるのが、前著『ロシア市民――体制転換を生きる』(岩波新書, 1999年)に引き続き、ロシア人のコミュニティに入り込み、彼らの日常生活を丹念に追いかけていくアプローチである。いわゆる「民主化」論が大上段的な視座から、政党システムや制度分析に注意を向ける「空中戦」に特化しがちであるならば、中村のアプローチは、「地上戦」、より的確には「ゲリラ戦」にも通ずるような手法で、個々人の具体的な生活から見えてくるポスト共産主義の実情を明らかにする。

本書で描かれるモスクワ市民の生活、たとえば、改修工事が必須にもかかわらず、行政の無策によって放置されている共同アパートに住む人々を取り巻く状況は、否応なしにドストエスキーが『罪と罰』で描写した情景を想起させる。すなわちラスコーリニコフが彷徨い、ソーニャが生きた世界は、単なる小説世界にとどまらず、21世紀のモスクワの共同アパートにおいて再現出している。ここに、現代ロシアの政治体制を、19世紀の帝政ロシアとのアナロジーで考える契機が孕まれている。

さらに、こうした帝政ロシアの面影は、プーチン体制に生きる人々のメンタリティにも色濃く反映している。それが凝縮的に現れているのがモスクワ市内にある大統領面会所であり、そこに集まる人々は、プーチンに皇帝的なものを見出し、政治にかかわる問題から、本来であれば地域コミュニティ・レベルで解決されるべき日常生活の不平不満まで、「直訴」するメカニズムが機能していることを考えると、素朴な「民主化」論が想定する経路とは異なる民主主義の「定着」形態の存在に気づかされる。

ただし沼野充義が指摘するように(「『知的暴走族』が踏み込む体制の二面性」『毎日新聞』2005年7月3日)、このプーチン体制を「帝政民主主義」と名づけることには若干の疑問が提起されるだろうし、議会や政党をバイパスして、政治を行うプーチンの手法は「ポピュリズム」と規定するほうが適切であるかもしれない。

ここに「民主化」論にまつわる重要な論点が見出すことができる。つまり「民主化」論が暗黙裡/先験的に西欧流民主主義を前提あるいは基準として、「民主化」の度合いを測定するという「眼差し」に関わる問題である(上野俊彦「ロシア――『民主化』論と地域研究」岸川毅・岩崎正洋編『アクセス地域研究〈1〉民主化の多様な姿』日本経済評論社, 2004年を参照)。こうした点を不問にしたまま、ロシアの「民主化」を論じ、その後退について論難することによって、その地域の特性を軽視し、一定の基準に従わせようとする「知の帝国主義」に転化してしまう可能性がでてくる。あるいは、上野が論じているように、また河野勝の議論を補助線として考えれば(「なぜ、憲法か――憲法主義の擁護のために」『中央公論』2005年5月号)、ロシアにおいては定着を見たのは、民主主義ではなく、その対立概念である立憲主義/憲法主義(constitutionalism)だという捉え方のほうが適切かもしれないし、そうした視座から体制転換の意味を改めて考えてみる必要があるだろう。

こうした知政学の陥穽を回避しながら、それでもなおロシアを「民主化」論の文脈に位置づけ、その「定着」を考えようとする場合の手掛かりの一つは、本書が注目する地域コミュニティ・レベルに視点をずらしてみることだろう。多くの「民主化」論が、国家=中央政府レベルにおける民主主義への「移行」と「定着」を対象としているが、古典的な意味での民主主義の実現を考えたとき、日常的に顔をあわせる人々からなる空間が単位となるだろうし、そうした身近な場における討議やコミュニケーションによって民主主義に対する理解が涵養されていくことが、ひいてはコミュニティを超えた単位での民主主義的実践の可能性を開くとともに、その基盤となるといえる(後述する集合住宅における民主主義については、たとえば、エヴァン・マッケンジー『プライベートピア――集合住宅による私的政府の誕生』世界思想社, 2002年および竹井隆人『集合住宅デモクラシー――新たなコミュニティ・ガバナンスのかたち』世界思想社, 2005年を参照)。

本書で取り上げられた事例では、そうしたコミュニティ民主主義を醸成する制度的基盤は(共産党体制時代の遺産として)存在するものの、そのほとんどとが機能不全に陥り、住民もそれを利用しようとする意思を喪失しているのが実情である。それどころか、共同アパートの住民同士が対立し、対話さえもままならない状態に至っている。こうした状況を再建する道筋は、著者が期待する以上に暗いものかもしれない。

また、民主主義基盤としてのコミュニティの再生は、民主主義と密接に関連する公共性を侵食する可能性も持っている。第3章で取り上げられているように、体制転換による市場経済化がもたらす貧富の格差がコミュニティに新たな境界線を引いてしまう結果をもたらす。境界線の内部における公共性が醸成される一方で、境界線の外側との交渉は断たれ、反対に境界線を挟んだ対立状況が生じている。ここにおいて、齋藤純一が指摘するような「コミュニティ(共同体)」と「公共性」の根本的な差異が見られる(『公共性』岩波書店, 2000年)。すなわちコミュニティは総じて「内側」志向の論理を持つため、転じて必然的に他者の排除がコミュニティの形成および維持にとって不可欠となる。本書で明らかにされているように、富裕層が居住するマンションや、住民の自治意識が比較的高い共同住宅の周囲に鉄柵がめぐられることが増加していることは、他者との邂逅や交渉の機会を不可能にし、民主主義の涵養を阻害することにもなる。その行き着く先に、「民主化」論のモデルである先進民主主義諸国において一般化しつつある「要塞町 gated community」があることは想像に難くないだろう。

排除を前提としない公共性、それに基づくコミュニティにおける民主主義の実践という課題は途方もなく困難な道である。しかし従来の「民主化」論において十分に捉えきれない位相が、実際のところどのような状況にあるのかを示してくれる本書は、現状報告以上の規範的な意味を持っているのではないだろうか。

先行する「戦後」

2005年07月14日 | knihovna
加藤哲郎『象徴天皇制の起源――アメリカの心理戦「日本計画」』(平凡社, 2005年)を書店で手に取り、いつもの癖で「はじめに」と「あとがき」を斜め読み。

日米戦争の開始から1年も経っていない1942年時点で、アメリカ政府が戦後日本の「国のかたち」を検討していたことを、新たに発見されたアメリカ公文書を基に論じているようだ。雑誌『世界』2004年12月号掲載の論考(「新史料発見・1942年6月米国『日本プラン』と象徴天皇制」)を膨らました内容であるが、ふと同じ『世界』2000年3月号に、タカシ・フジタニが「ライシャワーの傀儡天皇制構想」を執筆していたことが頭によぎり、その異同がどうなっているのか気になり、調べてみれば、ライスシャワーの構想よりも前に「日本プラン」が策定されている、つまり「日本プラン」からライスシャワーが傀儡天皇制というアイデアを引き出したという流れのようである。

こうしたアメリカによる占領計画の具体的な推移から、アメリカの構想力がきわめて長大な射程を持っていることが明らかになる。このことは、第二次世界大戦の性格が、領土の征服に見られる従来の戦争とは異なり、社会体制の是非をめぐるものであったことを改めて浮き彫りにする。またそれに続く「冷戦」は、トルーマン・ドクトリンや、コミンフォルム創設会議でのジダーノフ演説に顕著なように、2つの「生活様式」間の抗争である点で、第二次大戦との連続性をもっていること、さらにいえばイラク戦争もその延長線上に位置づけられる。換言すれば、9・11テロを契機に人口に膾炙した「新しい戦争」という言説とは裏腹に、20世紀的な戦争がいまだに主流を占めているともいえる。

そして、戦後構想に対するアメリカの取り組みは、そのパワーの源泉ともなるわけであり、イラク戦争およびその占領復興をめぐって、イラクを日本占領に重ね合わせる言説がブッシュ政権高官から聞かれたことも当然であろう。さらにナオミ・クラインによれば、2004年8月5日に設置された復興安定調整局は、紛争になりかねない25カ国を対象にして、事前に紛争後の復興計画を策定することを任務としている。先制攻撃に先行する形で復興計画が立案される「先制復興」が常設化されているというわけである(「台頭する災害資本主義」『世界』2005年8月号)。

もちろん、イラクの現状に照らしてみたとき、こうした試みが必ずしも成功をもたらすというわけではないことは明らかであろう。確かに戦後日本の占領は「成功物語」として語られるが、そこから引き出される「歴史の教訓」が一般化されるとき、世界中にデモクラシーを広めようとするアメリカニズムに内在する画一性の顔が覗きだす。ここに「普遍と特殊」というアポリアを看取することは容易い。

その意味で、アメリカの戦後日本占領を検討することは、歴史研究の領分であるとともに、すぐれて現代的な意味を持つといえるだろう。

グローバリゼーション(ズ)の群像

2005年07月10日 | knihovna
マンフレッド・B・スティーガー『グローバリゼーション』(岩波書店, 2005年)

グローバリゼーション、時代を象徴する言葉であると同時に、さまざまな文脈でさまざまな論者がさまざまな意味を持たせて使っているため、その内実はほとんど空虚であるに等しい。そんな錯綜した、捉えどころのないグローバリゼーションをめぐる議論の交通整理を試みたのが本書である。「1冊でわかる」とまではいかないものの、すくなくともグローバリゼーションの一面的な理解を諌め、複雑なものを複雑なままに把握する多次元的視座を提示する。

グローバリゼーションの多次元性が典型的に見られたのが、先日のサミットであった。先進諸国クラブとしてのサミットの性格、そこで討議される議題、そしてその最中に起きたテロ事件は、それぞれグローバリゼーションの異なる位相を反映する事象として見ることができる。サミットに集う先進諸国が、IMFや世銀などの国際機関と手を取り合って進めるのが、スティーガーの言葉では「グローバリズム」と呼ばれる新自由主義的なグローバリゼーションである。その構造的歪みを集中豪雨的に蒙っているのがアフリカ諸国であり、また「経済成長か環境保護か」、あるいは両者の折り合いをつける「持続可能な開発」という名の均衡点を探る背後で確実に悪化している温暖化問題である。現況のグローバリゼーションを基本的に維持しつつ、それが生み出す弊害をコントロールしようとするのがサミットの役割であろう。

一方、いわゆる「対抗(反)グローバリゼーション」運動を行っている側は、新自由主義的色彩をいっそう濃くするグローバリゼーションではない「もうひとつの世界」を掲げ、過度の市場主義、民営化・規制緩和路線に歯止めをかけ、拡大する一方の不平等を是正する方策をもとめる。本書の表現に従えば、「普遍主義的保護主義」とされる別様のグローバリゼーションである。世界社会フォーラムの開催、債務帳消しキャンペーン(ジュビリー2000運動)や、トービン税の導入など具体的な政策提案に見られるように、単なる理想論に止まらない可能性を持っていることも確かである。

それに対し、アルカイーダに代表されるテロ勢力や「イスラーム過激派」は、「個別主義的保護主義」、つまりグローバリゼーションの帰結を是正するのではなく、それ自体を否定する勢力と一般的に見られる。しかし、彼らが喧伝するような反西洋的主張とは裏腹に、現況のグローバリゼーションとは無関係ではなく、むしろ、グローバリゼーションの恩恵に最大限に預かっている「鬼子」としての性格が強い。それは、アルカイーダの組織形態が主権国家に特徴的なハイラーキーではなく、ネットワーク化された脱中心的であることからも明らかであろう。またスティーガーが本書の冒頭でビン・ラディンの映像を読み解きながら、そこにさまざまなグローバリゼーションの徴候を看取しているように、ビン・ラディン(の映像)に情報革命に象徴されるテクノロジーと、市場を通じた商品化というグローバリズムの力学が埋め込まれている。

先進諸国や多国籍企業が進めるグローバリズムと、アルカイーダなどのテロ集団の台頭という現象がその地下水脈において共犯関係にある状況は、ポスト紛争社会の「復興」をめぐる政治に端的に見られる。ナオミ・クラインが論じているように、イラクやアフガンなどで新自由主義的な計画に基づく国家復興が断行されればされるほど、それが生み出す歪みによって、テロ集団の主張が現実味を増し、その支持拡大の足場を提供する状況を作り出している(「バグダッド零年」『世界』2005年1月号)。また別の論考では、クラインは「大惨事が生み出す絶望と恐怖を利用して、社会と経済の過激な改変に乗り出す略奪的な災害資本主義(disaster capitalism)」に注意を促している(「台頭する災害資本主義」『世界』2005年8月号)。天災や人災は、かつて植民地所有の根拠であった「無主地」を現前化させる。既存の社会共同体の「復興」ではなく、新自由主義的価値観に見合ったまったく別の社会共同体を「創造」する「復興ビジネス」も、多くの人々を絶望的状況に追いやってしまい、その何割かはテロリスト適性者としてリクルート対象となってもおかしくないだろう(NHKスペシャル「地球市場・富の攻防(第8回)復興ビジネス・市場経済の伝道師」がアフガニスタンを例にポスト紛争社会の国家建設の実情を伝えている)。

その意味で、多次元的グローバリゼーション理解を通して、複数のグローバリゼーションが衝突する世界というイメージが浮かび上がってくる(スタンリー・ホフマン「グローバル化の衝突」『論座』2002年9月号も参照)。その際、複数存在するグローバリゼーションがどのようにぶつかり合っているのかという点に注意を向け、相互の関係性を慎重に見極めることも重要だろう。とりわけ、考えるべきなのは、現存秩序の転覆を掲げるテロ集団が新自由主義的グローバリゼーションの潜在力をもっとも効果的に活用しているというアイロニカルな状況は、対抗グローバリゼーション運動の構想力と行動力によってどれだけ解消されるのだろうか、という点であろう。

「新しい中世」(論)の現在

2005年06月14日 | knihovna
田中明彦『新しい「中世」――21世紀の世界システム』(日本経済新聞社, 1996年)

冷戦というひとつの秩序の終焉を受けて、さまざまな秩序構想が提起されてきたなかで、参照頻度の高さを誇るのが「新しい中世」というイメージである。とくに自由民主制度と市場化の達成を尺度に世界を3つの圏域に区分し、それぞれの圏域におけるルールズ・オブ・ゲームの差異を指摘した点で、単なる未来予想にとどまらない射程を持っている。

現代の世界システムが「新しい中世」と呼べる段階にあるのかという認識の背景には、(1)冷戦の終焉、(2)アメリカの覇権の衰退、(3)相互依存の進展が指摘されている。つまりこの3条件が「新しい中世」(論)の妥当性を担保するものであるといえる。

「新しい中世」(論)を評価するに当たって、2つの道筋が考えられる。第1に、これら3条件に関する認識を不問にした上で、「新しい中世」という世界把握の有効性や妥当性を検討することができるだろう。第2の道筋は、そもそも「新しい中世」の存在論的基盤ともいえる3条件に関する認識自体の妥当性を問うものである。この2つの道筋は次のように言い換えることができる。つまり問題の認識や発し方はよいが、そこから導かれる結論(「新しい中世」イメージ)には問題がある「good question/wrong answer」という見方が第1の道筋だとすれば、第2のそれは「wrong question/wrong answer」、つまり導かれた結論に孕まれている問題の原因は、条件から結論へ至る過程/論理にある(だけ)のではなく、認識や設定自体にすでに問題点が内在しているという見方である。

以下では、第2の見方に依拠して「新しい中世」(論)について考えてみたい。先に述べたように「新しい中世」という世界システムが成立する条件として、3つが指摘されているわけであるが、1996年に執筆されたという本の性格を考慮した場合、(2)アメリカの覇権の衰退を取り上げて、アメリカの覇権は衰退したどころか、いっそう強化されているのではないかという疑問を呈することは、後知恵的解釈の誹りを免れない。現在では、アメリカを「帝国」と捉える議論が盛況であるが、すくなくとも1990年代半ばにあっては、「帝国」という言葉は、マルクス主義的意味合いが濃かったこともあって、ソ連崩壊の余波を受けて、限りなく死語に近い存在であった。したがってアメリカの覇権の衰退という「予測」が外れたことをもって、「新しい中世」(論)を批判することはあまり建設的とはいえないだろう。

ただこの点に関して、アメリカの覇権が強化されたとしても、現代の世界システムは「新しい中世」だと主張することは可能である。ただしその場合、比較参照する対象として、ヨーロッパ中世ではなく、アジア中世を念頭に置くべきだろう。ヨーロッパ中世が多元的な秩序イメージを想起させるとすれば、アジア中世、具体的には中華帝国を中心とした華夷秩序に、現在のアメリカの一極支配体制と多くの共通性を見出せるだろう。あるいは山下範久が提起する「新しい近世」という見方も、アメリカの覇権が存続している現代世界を、主権国家システムとは異なる秩序イメージで語ろうとする際に有用な視座を提示しているといえる(山下範久『世界システム論で読む日本』講談社, 2003年)。

アメリカの覇権の衰退をめぐる妥当性から「新しい中世」(論)の意義を論じることがそれほど発展性のないものだとすれば、ほかの2つの条件に関してはどのようにいえるだろうか。たとえば、相互依存の進展は、現在で言うところのグローバル化の進展に充当すると理解できる。現時点から省みたとき、1990年代を「グローバル化の時代」と呼ぶことに問題は感じられないように思われる。その意味で、相互依存の進展という条件あるいは認識に問題があるため、「新しい中世」(論)の有効性が減じられるという論理を持ち出すことはほとんど不可能であろう。

一方、冷戦の終結に関しては、これも相互依存の進展と同様に、一般的に受け入れられている見方であろう。つまり1989年のベルリンの壁崩壊に象徴される東欧諸国の共産党体制の解体から、1991年のソ連崩壊に至る経過、つまり冷戦の一方の当事者が舞台から降りた点を考えると、冷戦の終結という事実に疑問を投げかける余地は乏しい。

しかし冷戦の終結、あるいは冷戦自体には一元的な理解や認識を超えた多義性があり、時間的・空間的にみれば、その影響には当然ながら濃淡が見られる。その意味で、冷戦の終結といった場合に一般的に認識されるのは、米ソ冷戦、広げてもヨーロッパを「戦場」としての東西対立だろう。冷戦の主役は米ソであり、その主戦場は分断ドイツに象徴されるヨーロッパであったことは確かである。しかし、「新しい中世」(論)とそれが提起する3つの圏域、さらに「近代圏」の海に「新中世圏」に属する日本というアジアの状況を念頭に置き、日本の役割に対する政策提言を含む本の射程に注意を向けるならば、(東)アジア地域における冷戦の現出・展開・終結が、グローバルレベルにおける米ソ冷戦や、ヨーロッパの地域冷戦とどこまで共通性・関連性をもち、どれくらい独自の冷戦ゲームが繰り広げられたのかを考えてみる必要があるだろう。

しばしば指摘されるように、世界的にみれば冷戦は終結したが、アジアでは、朝鮮半島や中台問題を例に冷戦の「遺産」が現在においてこの地域の国際関係に大きな影響を及ぼしている点から、アジアにおいて冷戦は終わっていないともいえる。一方で、アジア冷戦の特質を米中対立に求めれば、すくなくとも1970年代のニクソン訪中を契機として、冷戦的なルールズ・オブ・ゲームの成立要件が消え、別の国際関係へと移行していったと見ることもできる。日本の論壇においても高坂正堯や永井陽之助といった「現実主義者」たちが1970年代に「冷戦の終結」を口にしていたことは、アジア冷戦の特質を正確に認識していた証左ともいえるだろう。

つまりアジア地域に関しては、「冷戦は終わっていない」という見方と「冷戦は1989年以前に終わっていた」という見方、この2つが存在している。とすれば、「新しい中世」(論)が前提とする「冷戦の終結」という認識は、アジア地域を念頭に置いた場合、全面撤回とはいかないまでも、修正される必要性が生じてくると思われる。たとえば後者の見方に立つならば、アジア地域における世界システムを考えるとき、「冷戦」を重要なメルクマールに含むことはそれほど意義が大きくないといえるだろう。それよりも、戦後アジアの国際関係を見たとき、圧倒的にアメリカの覇権/存在が横たわっていたことがその底流にあり、そこに吉見俊哉が指摘するようなアメリカニズムの受容と変容をめぐる政治が介在することで、米ソ冷戦やヨーロッパ冷戦とは異なる構図が成立する空間が出現したといえる(「冷戦体制と『アメリカ』の消費――大衆文化における『戦後』の地政学」『近代日本の文化史(9)1955年以後1・冷戦体制と資本の文化』岩波書店, 2002年)。

ここにおいて、アメリカの覇権の衰退に関して述べた点が、「冷戦」認識の検討を通って、再び浮かび上がってくる。すなわちアジア地域をみたとき、そこに現出している「新しい中世」は、ヨーロッパ中世よりも華夷秩序を基調とするようなアジア的な中世に範を求められる世界システムではないだろうかという点である。「新しい中世」(論)が主権国家システムの後に到来する秩序イメージの一つとして語られている現状において、「good question/wrong answer」的な把握を超えたより内在的な考察が要請されると同時に、そうした視座によってこそ著者がいうような「西洋中心的な思考」から脱却する道が切り開かれるように思われる。

ソフト・パワー論とマゾヒズムの共鳴

2005年06月12日 | knihovna
ジョセフ・S・ナイ『ソフト・パワー――21世紀国際政治を制する見えざる力』(日本経済新聞社, 2004年)

1980年代、ポール・ケネディの『大国の興亡』の刊行が火をつける形で、アメリカ衰退論が学界や論壇を賑わせた。アメリカ発の理論・議論に過敏で、無批判に追従する傾向がある日本のアカデミズムの世界でも、ギルピンの覇権安定論やモデルスキーの覇権循環論を翻訳・紹介する「ヨコをタテに」した「輸入代理店」的な論考が溢れ、バブル前夜の楽観的雰囲気と相俟って、一部には「パクス・ニポニカ/ジャポニカ」の到来を声高に宣言する、現在から見れば視野狭窄的な論調が受け入れられる時代であった。

そのような状況に対する反論の意味合いとして提起されたのが、ジョセフ・ナイによる「ソフト・パワー」概念であった(初出は『不滅の大国アメリカ』読売新聞社, 1990年)。アメリカ衰退論の多くが、軍事力・経済力といった物質的側面に注意を向ける傾向に対し、文化など非物質的な側面を考慮に入れれば、アメリカの覇権は喧伝されているように衰退しているわけではないという主張を提起した。

それ以降、「ソフト・パワー」は単なる学術用語にとどまらず、あらゆる領域/分野で使用されるようになった。とくに、軍事力に象徴されるハード・パワーに制約が課されている日本政府にとって、殊の外「ソフト・パワー」は外交理念として魅力的に映り、とくにアニメやマンガなど「サブカルチャー」の振興・海外発信に積極的に動いている(『外交フォーラム』2004年6月号参照)。

ナイによれば「ソフト・パワーとは、自国が望む結果を他国も望むようにする力であり、他国を無理やり従わせるのではなく、味方につける力」と定義される(26頁)。したがって、「ソフト・パワー」を発揮する基盤として、軍事力よりも文化などの重要性が強調される。その意味で、現在のブッシュ政権がハード・パワーに固執することで、「ソフト・パワー」を有効に活用できていないと批判するのは当然の論理だろう。

以下、「ハード/ソフト」という形容詞が暗に醸し出すジェンダー・イメージは「サディズム/マゾヒズム」にみられる関係性との共通点を示唆しているのではないかという問題意識から、そこにセクシュアリティ/ジェンダー的解釈の余地があるように思われる「ソフト・パワー」概念に関する些か強引な議論を展開してみたい。

おそらくその外観から、サディストが支配し、マゾヒストが服従するという関係の構造が一般的にイメージされる。また人口に膾炙する両者の視覚的イメージであるマッチョなサディストと弱々しいマゾヒストという表象は、「ハード・パワー」の非対称性に基因するという解釈が成り立ちうる。

しかし、こうした表象レベルの関係性からその深層レベルへと目を向けるならば、サディスト・マゾヒストの関係性は逆転してしまう。すなわち、両者の関係において、イニシアティヴを握っているのは、攻撃しているサディストよりも、攻撃するように仕向けているマゾヒストの方であり、サディストの加虐行為は、サディストの自由意志というよりもマゾヒストが作り出した環境/構造によって規定された行為としての側面が強くなる。ナイの表現を借りれば、サディストの行為は「所有目標」に属す一方で、マゾヒストのそれは「環境目標」とみなすことが妥当だろう。

この「環境目標」の達成、あるいはアジェンダ設定において、より効果的なのが「ソフト・パワー」であるならば、マゾヒストは、被虐による快楽を得るために、サディストがマゾヒストを加虐するような環境/構造を作る「ソフト・パワー」を行使しているともいえる。言い換えれば、サディストが持つ加虐行為への衝動は、マゾヒストによる強制ではなく、その魅力(加虐を誘/挑発する仕種など)によって充足される点で、サディストとマゾヒストの関係性は、一方的な支配・従属関係に還元できない潜在性を持っている。

たとえば、映画化もされた喜国雅彦『月光の囁き』(小学館)で描かれる拓也と紗月の関係を「ソフト・パワー」論の観点から解釈することもできるだろう。「普通の」恋愛関係から出発した関係は、拓也の性癖の発覚によって、変質していく。紗月にとって忌避・唾棄すべき対象である拓也の存在が、それまで以上に紗月の中で大きくなっていき、最終的に拓也が望んでいた関係性に落ち着くストーリーは、拓也が設定した環境/構造に紗月が取り込まれていくプロセスでもあり、紗月のサディスト的性向を引き出した点で、拓也の「ソフト・パワー」が発揮された事例ともいえるだろう。

一方で、「戦後最大の奇書」とされ、マゾヒズム文学の域を越える射程をもつ沼正三『家畜人ヤプー』(幻冬舎)の場合、「ソフト・パワー」が行使される場裡は、クララと麟太郎という当事者間の関係性においてよりも、むしろ二人を取り巻く環境/構造にある。ポーリーンなどのイース帝国の人々やその社会規範が、麟太郎に対するクララの態度を恋人同士から主人と家畜の関係に変容させてしまう点で、マゾヒスト化する麟太郎による「ソフト・パワー」の行使を看取することは難しい。しかしイース帝国の規範/文化構造に社会化されていくクララにとって、そのプロセスは強制や報酬によってではなく、まさに魅了されたものであることに注意を向ければ、『月光の囁き』のそれとは別次元において「ソフト・パワー」が作用していると理解できる。

以上の点を踏まえたとき、現在のブッシュ政権が「ソフト・パワー」を軽視してしまい、ナイの批判を招いている理由の一端が見えてくるのではないだろうか。マスキュリニティを誇示し、「強いアメリカ」を体現する衝動に囚われているブッシュ政権は、「ソフト・パワー」論が含意するジェンダー的位相を無意識的に嗅ぎとっているため、自らのアイデンティティー基盤を掘り崩す可能性を秘めた「ソフト・パワー」に基づいた外交政策のオプションが先験的に排除あるいは否定的に評価されているという解釈もありえるだろう。

欲望のミドルパワー

2005年05月22日 | knihovna
添谷芳秀『日本の「ミドルパワー」外交――戦後日本の選択と構想』(筑摩書房, 2005年)

60年代終わりに高坂正堯が提起し、80年代に永井陽之助がドクトリンとして昇華・定式化させた「吉田ドクトリン」に対する「修正主義」的視座を代表するのが、講和条約交渉過程における吉田の稚拙さを批判し、その背後に天皇の存在を嗅ぎ取ろうとする豊下楢彦『安保条約の成立――吉田外交と天皇外交』(岩波新書, 1996年)であった。豊下の議論から、吉田の選択を「現実主義」に立脚したものであるとする認識自体が現実を見失わせることになったという「現実主義」思考のパラドクスが提起された。

それに対し、田中明彦『安全保障――戦後50年の模索』(読売新聞社, 1997年)坂元一哉『日米同盟の絆――安保条約と相互性の模索』(有斐閣, 2000年)は、当時の国際環境から判断すれば、吉田のとった選択は妥当であり、豊下が指摘する政策の実現可能性はきわめて乏しいものだと論じる。「ポスト修正主義」とも形容できる立場であり、従来の主張を公文書によって補強する点で、「正史プラス公文書(orthodox plus archive)」という冷戦史研究の冷笑的なジャーゴンに擬えることもできる。

「吉田ドクトリン」をめぐる近年の論争は、当初「堂場肇文書」として、後に「平和条約の締結に関する調書」(「西村調書」)として公開された一次史料の検討・解釈を足場として展開されてきた。その意味で、戦後の日本外交に対する視座が、対外的には冷戦の、国内的には55年体制の束縛から解放された、生産的な論争という性格を有している。

こうした文脈において、添谷『日本の「ミドルパワー」外交』は、議論の大枠において田中や坂元の主張を踏襲する点で、「正史」の系譜に連なるものである。その上で、著者が提起しようとするのは「吉田ドクトリン」を「ミドルパワー」という視点から読み替えることによって切り開かれる選択と構想の可能性であると整理できるだろう。

であれば、本書の評価は、「ミドルパワー」の視角が戦後日本外交を論じる有効な視座として機能しているかという点に集約される。しかし、その試みが所期の目的を十分に達成したといえる印象は残らなかったというのが率直な感想である。左の平和主義と右の国家主義の双方を拝しての中庸の選択を「ミドルパワー」と読み替える積極的意義はいったい何だろうか。終章で提起される「ミドルパワー外交の構想」にしても、その内実として列挙されている人間の安全保障にしろ、東アジア共同体にしろ、わざわざ「ミドルパワー」という言葉を使わなければならない必然性は乏しい。穿った見方をすれば、二重の外交アイデンティティーを止揚するよりも、むしろ凍結させてしまう形で現実から目を逸らさせるスローガンの域を出ていないともいえる。

言い換えれば、戦後日本外交を分析する概念としての「ミドルパワー」と、外交実践のシンボルとしての「ミドルパワー」が明確に区別されないままになっていることに起因する問題ともいえる。このことは、政府の懇談会「21世紀日本の構想懇談会」に携わる中で「ミドルパワー」概念を提唱してきたという出自にも関連している。つまり「知/治」の関係をめぐる問題を図らずも示唆している点で、吉見俊哉が『万博幻想――戦後政治の呪縛』(筑摩書房, 2005年)で論じた、万博をめぐる「政治」と知識人の関わりが、外交という別の領域で展開された事例とみなすことができる。シンボルとしての「ミドルパワー」で含意する構想がどれだけ日本外交の実践に活かされているのかと考えた場合、日本外交の3本柱(日米関係、国連、アジア)が、正三角形を描くのではなく、日米関係が突出した、底辺の狭い二等辺三角形となっている動きに対して、「ニッチ外交」と規定された「ミドルパワー」外交は総じてアメリカの機嫌を損ねない、あるいはアメリカの関心が低い分野で活動する下請けの意味合いしか帯びないのではないだろうか。

シンボルとしての「ミドルパワー」論に関する積極的意義を提示できていないといえる本書であるが、戦後外交を分析する視点としての「ミドルパワー」論については、検討に値する価値を持っている。その意味で類書から本書を際立たせているのが、中曽根個人および彼の外交政策を論じた4章「非核中級国家論の実践」であろう。吉田が敷いた保守本流から外れた、異端として描かれることが多い中曽根を、「吉田ドクトリン」の継承者に位置づけなおす視座は、国内政治史における「正史」に対する「修正主義」であると同時に、米中和解に見られる1970年代のアジア国際政治の転機、あるいは冷戦対立の「部分的終焉」をどのように理解するかという問題とも通底する。教科書的理解による冷戦期と冷戦後の区分によって不可視化されてしまうアジア冷戦の特異性を考慮したとき、中曽根の登場と彼の政策が、そうした転機と軌を一にし、湾岸戦争後に台頭した国際貢献論など「ポスト冷戦」的状況を先取りした形で展開していったと見ることができる。

したがって本書は、構想としての「ミドルパワー」ではなく、選択としての「ミドルパワー」の視点にその意義がある。別言すれば、2つの「ミドルパワー」の間に適切な均衡解を見出すことが困難であることを示すものでもある。

リバタリアン・パラドクス

2005年05月02日 | knihovna
何気に手に取った森村進編『リバタリアニズム読本』(勁草書房, 2005年)に、笠井潔『国家民営化論』(光文社, 2000年)を発見。リバタリアニズムの中でも極北型ともいえる無政府資本主義の立場に当たるそうだ。

リバタリアニズムといえば、「市場万歳」という経済至上主義で、政治的なるものの意味を考えていないという予断が働いていたのだが、どうもそんなステレオタイプ化された理解よりも奥が深い。アメリカの歴史的経験に内在する権力(=政府)に対する悲観主義がこの思想潮流の根底にあることは明らかで、その点で、昔ながらの共同体を先見的に定位する「保守主義」と市民社会という別様の共同体に期待を寄せる「サヨク」との対立構図は、リバタリアンからすれば同じ穴のムジナということだろう。

しかし、大澤真幸『帝国的ナショナリズム――日本とアメリカの受容』(青土社, 2004年)によれば、国家の役割を最小化するリバタリアニズムの論理は、皮肉にも安全保障国家(national security state)という形の最大国家を要請してしまうパラドクスがあるという。リバタリアンにとって、正当で、一義的な国家の役割とはセキュリティの提供である点から否応なく導かれるそうだ。たしかに、レーガン以降の共和党政権は、国内では最小国家路線を走りつつも、対外的には「帝国」化を邁進する道を歩んでいると理解できる。

「左翼リバタリアニズム」という潮流もあるそうで、その多義性を見ると、すくなくとも思想的にはリバタリアニズムの潜在力は大きいといえそうだ。

共通性としての危機感

2005年04月22日 | knihovna
アンドレイ・クルコフ『ペンギンの憂鬱』(新潮社, 2004年)

昨日の『朝日新聞』夕刊の記事「イラク戦後、漂うムード 「仕方ない」へ広がる疑問 共感を呼ぶ不条理小説」で、『となり町戦争』などと一緒に紹介されていた本。現在、2万部近く売り上げているそうだ。

一時話題になったフランク・パヴロフ『茶色の朝』(大月書店, 2003年)も、『朝日』の記事に無意識的に流れる危機感、つまり無力感が支配するファシズム的状況の到来へのそれに連なる潮流に位置づけられるだろう。

「危機」の喧伝という点では、「右」が言説および行動の双方で「左」を圧倒的に凌駕している現状において、その底流では、現状に対する悲観主義、あるいは否定形/欠如が優位性をもつ思考様式という共通基盤がしっかりと据えられている。

その意味で、しばしば引用されるドイツの神学者マルチン=ニーメラーの以下の言葉に単なる回想以上の意味合いを見出そうとする心理が作用しているのが「左」の思考のプロトタイプといえる。と同時に警句の骨子を簡潔にいえば、「先制行動」という「左」の批判対象であるブッシュ政権の発想であり、深奥において同じ論理を持ちつつも、表層的に対立しあう近親憎悪ともいうべき構造が現在の言論や運動を規定していると理解すべきかもしれない。

ナチスが共産主義者を弾圧した時、
私は不安に駆られたが、
自分は共産主義者でなかったので、
何の行動も起こさなかった。
その次ナチスは社会主義者を弾圧した。
私はさらに不安を感じたが、
自分は社会主義者ではないので、
何の抗議もしなかった。
それからナチスは学生、新聞人、ユダヤ人と
順次弾圧の輪を広げていき、
そのたびに私の不安は増大した。
が、それでも私は行動に出なかった。
ある日ついにナチスは教会を弾圧してきた。
そして私は牧師だった。
だから行動に立ち上がった。
が、その時はすべてが、あまりにも遅かった。

間主観未満の主観

2005年04月18日 | knihovna
桐野夏生『グロテスク』(文藝春秋, 2003年)

数年前にメディアを賑わした「東電OL殺人事件」を素材とした小説。

ストーリーは、主人公である「わたし」による語りによって展開する。そのため、読者は最初この「わたし」の語りあるいは眼差しを通して、彼女の妹ユリコと、高校時代の同級生和恵が相次いで娼婦とて生き、絞殺されたのか、そのプロセスを追うことになる。つまり「わたし」は、完璧なまでの美貌を持つユリコや、滑稽なまでに高校生活に「同化」しようとする和恵の姿に「グロテスク」を見出し、その印象を読者と共有する方法として、彼女たちの「声」によって語らせる。いわば、「わたし」が抱く主観が作りあげた世界に客観性を付与する行為として、別の主観を織り込みながら、間主観性という名の客観性を構築するプロセスと捉えることができる。

しかし、「わたし」の語りの合間に挿入される、ユリコの「手記」、「犯人」チャンの「上申書」、和恵の「日記」、関係者の手紙などは、「わたし」の語りの客観性を担保するよいうよりもむしろ、それに対して疑念を抱かせる役割を担っている。「わたし」が、ユリコや和恵の「グロテスク」さを強調すればするほど、別言すれば、「異常性」を際立たせることによって、得られるはずの「普通さ」や「正常性」という装いは、「わたし」から剥ぎ取られていく。

間主観性を成立させるべき主観、あるいは事実を補強するための「証言」は、「わたし」の存立基盤そのものを掘り崩してしまい、最終的に、「わたし」もユリコや和恵が立った場所に居場所を見出すことになるエンディングが用意される。ここにおいて、「グロテスク」という形容が「わたし」という語り手をも包摂するものであること、それ以上に「わたし」自身の語りによって構成される小説自体が一種の「グロテスク」性を醸し出していると見ることができるのではないだろうか。

・余談
作中にある「リズミカル体操」の場面を読んでいたとき、そのアンバランスで整合性のない動きという記述から、メロディーとして頭の中に流れてきたのは、安室奈美恵「WANT ME WANT ME」。

主人と飼い犬

2005年04月13日 | knihovna
「ポスト冷戦」を象徴する内戦やその解決において、国際機関やNGOなどと並んで、重要な主体として民間軍事会社/戦争請負会社が注目されるようになり、その存在や活動はすでに常識となりつつある。

その先行形態として容易に想起されるのが、傭兵や海賊、つまり正当な/公的暴力の行使主体であるところの国家の枠外に在り、競合する私的暴力を行使する主体であろう。フレデリック・フォーサイス『戦争の犬たち』(角川書店)は、プラチナの採掘権を得るために、アフリカの小国ザンガロの独裁政権の転覆を画策する企業に雇われた「傭兵」を扱った作品として古典的な地位を占めている。

転覆作戦当日の描写を最小限にとどめ、そこまでの過程、つまり武器や装備の調達、資金の流れなどを克明に追っていくストーリー展開は、いくつかの山場を作って、読者の関心をつなぎとめるといったありきたりの構成と一線を画する。静かに淡々と、しかし確実に政府転覆というクライマクスへ向かっていく流れによって、簡潔に抑制の効いた描写となった転覆作戦のインパクトが担保されている。またこの手の小説であればメインとなるべき戦闘シーンに「傭兵」をめぐる問題を矮小化させず、戦争を取り巻く政治経済構造というより広範な文脈に位置づける試みゆえに、こうしたストーリー構成となるのはある意味必然であったといえるだろう。

そして「飼い犬に手を噛まれる」という言葉が相応しいエンディングは、THE MAD CAPSULE MARKET'S の曲「家畜」(アルバム「SPEAK!!!!」)の歌詞が描き出す情景と重なり合う。まさに主人の首を喰いちぎるスキが訪れるまで、騙されたフリをし続けたのが主人公キャット・シャノンであり、そこに権力関係の逆転現象を看取することは容易い。言い換えれば、動かないものと定位される強者と弱者の関係に内在する揺さぶりの契機を示唆していると解することができるだろう。

コンティンジェンシーの自然化

2005年04月05日 | knihovna
『オイディプス症候群』を読了。865ページを読みきるのに、2日を費やすことになった。

無関係なものに何らかの因果関係を見出そうとする思考。あるいは、偶発的な出来事に必然性という網をかける思考。それが物事を複雑化し、いっそうの混乱を招く。ナディアの推理を追いかけることで、読者もこの陥穽に引きずられ、最後に駆の現象学的本質直観による解明で溜飲を下げる。乱暴にまとめれば、これが基本的な軸といえるかもしれない。

ところで、本作に流れるのがフーコーの思想であることは明らかだったので、どうしてもフーコーをモデルにしたタジールの行動に注意が向いてしまう。しかし、結局のところ、タジールあるいはその思想が物語の中心かというと、そうでもない読後感を抱いた。

それよりも舞台設定の背後にあるギリシャ神話をめぐる関係性が重要だと感じた。タイトルからして、ソポクレスの『オイディプス王』がモティーフのひとつだということが容易に察しがつくが、それを読んだことがあっても、古代ギリシャにおけるその位置づけが欠落していると、『オイディプス王』というテクストが孤立化し、コンテクストを理解できない構成になっている感じ。

作中でも言及されていたように、孤島という密室に閉じ込められた登場人物たちが次々と殺されていく舞台設定は、アガサ・クリスティーの『そして誰もいなくなった』を連想させる。ということで、今まで読んだことがあるのが『ABC殺人事件』と『オリエント急行殺人事件』の2作だけであるクリスティーの世界に足を踏み入れる予定。

ダイダロスの館

2005年04月03日 | knihovna
笠井潔『オイディプス症候群』(光文社, 2002年)

『硝子のハンマー』を読んだことに触発されて、ミステリー物を求めていたところ、笠井潔の「矢吹駆」シリーズを思い出す。

本来ならば、小説世界の時系列に沿って、『バイバイ、エンジェル』から読み始めたいのだが、すでにこのシリーズの第2作である『サマー・アポカリプス』を読了済みで、そんなルールなど無意味化しているので、現在のところの最新作である『オイディプス症候群』を手に取る。

現在、第3章「ミノタウロスの神像」まで読み進めた。ようやく小説の舞台である牛首島(ミノタウロス島)にあるダイダロス館に、主要登場人物たちが揃ったところ。

20世紀の代表的思想家をモデルにした人物と矢吹駆の現象学的推理がこのシリーズの「売り」。『サマー・アポカリプス』の場合は、ヴェイユだそうだが、ヴェイユの著作はもちろんのこと、解説書や入門書なども読んだことがなかったので、いまいちピンとこなかったが、今回の『オイディプス症候群』で登場するフーコーについては、『監獄の誕生』や『性の歴史』で展開されている議論を曲がりなりにも聞きかじっているので、入りやすい。

ロクセンビル

2005年04月01日 | knihovna
貴志祐介『硝子のハンマー』(角川書店, 2004年)

刊行からほぼ1年経った今日になって、ようやく図書館で借りる。すでに書評などで、2部構成に分かれるストーリーの大枠や「密室」が鍵であることを織り込み済みで、読み進めたので、謎解きに至る伏線の一端がなんとなく見当がついてしまったが、それでも一気に読ませるストーリーだった。

いくつか印象を箇条書き風に列挙すると、弁護士・青砥純子と「防犯コンサルタント」榎本径が、さまざまな可能性を推理し、解決の糸口が見え始めたと思ったら、根本的なところで行き詰まるというパターンが、なんとなく中井英夫の『虚無への供物』(講談社)における奈々村久生たちの推理合戦を想起させた。

介護サルの登場で、否応なく『天使の囀り』を連想してしまい、重要な鍵を握っているのかと思わせる。これは貴志作品の既読者に対するある種のフロックとして機能しているかもしれない。

どうも殺害方法の描写がすっきりしないとうか、十分にその光景が浮かんでこなかった。過去の作品と同様、博学的な情報量は圧倒的だが、どうも一気に読み切る形では、消化不良を引き起こしてしまうのだろう。しかもミステリーになると、なかなかすぐに再読しようという気が起きにくい。

戦いの鐘

2005年03月29日 | knihovna
本屋で目に留まった本。

福井晴敏『月に繭地には果実』(幻冬舎)

文庫版からハードカバーという通常とは反対のプロセスで刊行。表紙はディアナとキエルで、各章の扉絵は、ハルキノベルスとは別ヴァージョン。ただ大幅な加筆修正はないようなので、購買意欲を掻き立てるほどではない。

村上龍『半島を出よ(上・下)』(幻冬舎)

今日の『朝日新聞』で村上龍が語っていた。『希望の国のエクソダス』に通じる雰囲気という印象。

三崎亜記『となり町戦争』(集英社)

以前『日経エンターテイメント』で紹介されていて、気になっていたが、なぜか本屋に行ったたびに、チェックするのを忘れていた本。内容の一部は『すばる』に掲載されているそうで、まずそっちのほうを読んでから、今後の方針を確定することになるだろう。