白洲正子さんと郡上八幡・・・・と雀の庵.2

2011年05月24日 | 新着情報



今日もお仕事お疲れ様でした。

はい、  ビールでも飲んでくつろいでください。


では つづきをどうぞ



ところが、

翌日、とんでもない事件が起きた。ぜひ会いたい
という人がいて、私は宗廣さんと一しょに、郡上八幡まで下
った。宗廣さんの友人で、京都で成功しているが、開拓民の
面倒を見、特に織物関係では全面的にお世話になっていると
いう。町でその方と会ったが、これという話
はなく、ただ私に会えてうれしいといい、しきりに「よろし
く頼む」とくり返した。それだけで私たちは別れ、私は見物
のために八幡へ泊まったが、その方が、その夜、宗廣さんの
家で自殺したのである。

無口な宗廣さんは、翌朝そのことを報告しただけで、詳しい
ことは知らないが、なんでも事業に失敗して、これ以上面倒
を見られないことを謝り、一晩中語りあかした後の覚悟の自
殺であったという。そう言えば、表情にも変に重苦しい影が
あった。それを私は雪国の人に特有な暗さとばかり思ってい
たが、そんな簡単なことではなかったのだ。宗廣さんの嘆き
もさることながら、よろしく頼まれた私の方も狼狽した。店
はまだはじめたばかりで、経験も浅く、人の面倒などみるど
ころではない。そういう風に受けとるのは、或いは僭越なこ
とかも知れない。単なる御挨拶のつもりだったかも知れない。
が、たとえ偶然の巡り合わせにしても、そういう所へ居合わ
せたことは。深い御縁があったのだと私は今でも思っている。

そんなことがあったにも拘らず、私はろくなお手伝いもでき
なかった。少しばかり売ってあげたのと、わずかの人々に紹
介したくらいである。その間に宗廣さんは、自力で大きく育っ
て行った。「郡上つむぎ」といえば、染織界では有名で、伝
統工芸の賞も既にいくつか獲得した。今や彼は一流の作家で
あり、押しも押されぬ一方の旗頭である。だが、その人柄が
変わらぬように、織物もはじめのうぶさを失ってはいない。
どちらかと言えば、技術が巧くなるより、初心を保つ方がむ
つかしいことで、自分の興味をもったものが、そんな風にの
びて行くのを見るほどうれしいことはない。開拓村の方も順
調に発展して、国から借りていた土地も、今ではおおむね個
人の所有に帰しているという。



(白洲正子 「かくれ里」より抜粋。一九七一年 新潮社)






白洲正子さんが見た郡上八幡は、どんなふうに映ったのでしょう。


そして、雀の庵(その当時は個人の別荘でした)は 彼女にとって

心に残る場所であったでしょうか。

なぜなら・・・・・





諸事情により 後半の後半につづ


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