昨日の日曜日。東京では原発再稼働反対で国会を包囲する大抗議行動がありました。長崎でもそれに先立ち、正午から長崎随一の繁華街・浜ん街のアーケード街でパレードが行われ、私も行ってきました。総勢80人程度のささやかな行動でしたが、かなり注目を浴び、偶然私の家のお向かいのご主人が通りかかって、私に声をかけ、一緒に歩いてくれました。終着地点での記念写真です。

ちょうどこの日は長崎港一帯では「みなと祭り」開催中で、ペーロン競漕選手権大会が行われていました。アーケード街でのパレードのあとペーロン会場にまわってみましたが、ちょうど予選が終わり準決勝まえのお昼休みでした。それでも調整練習をしているのか、一隻のペーロンが海に出ていました。

近くの水辺の森公園の一角にはテント村がありましたが、これは夜の花火大会向けのようで、人通りはまだまばらでした。

飲食店が並ぶ「出島ワーフ」一帯は海辺のレストランで憩う人々でにぎわっていました。

やはりたまにはこんな所にも出てきて、楽しまないといけませんね。
というきょうの日記でした。で、きょうの1曲は50年前のなつかしいオールディーズのナンバーから、バリー・ダーヴェルの「なみだの日記」。日本ではスリー・ファンキーズが歌っていましたね。
涙の日記/バリー・ダーベル(Lost Love-Barry Darvell) 1961

ちょうどこの日は長崎港一帯では「みなと祭り」開催中で、ペーロン競漕選手権大会が行われていました。アーケード街でのパレードのあとペーロン会場にまわってみましたが、ちょうど予選が終わり準決勝まえのお昼休みでした。それでも調整練習をしているのか、一隻のペーロンが海に出ていました。

近くの水辺の森公園の一角にはテント村がありましたが、これは夜の花火大会向けのようで、人通りはまだまばらでした。

飲食店が並ぶ「出島ワーフ」一帯は海辺のレストランで憩う人々でにぎわっていました。

やはりたまにはこんな所にも出てきて、楽しまないといけませんね。
というきょうの日記でした。で、きょうの1曲は50年前のなつかしいオールディーズのナンバーから、バリー・ダーヴェルの「なみだの日記」。日本ではスリー・ファンキーズが歌っていましたね。
涙の日記/バリー・ダーベル(Lost Love-Barry Darvell) 1961