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blueswave 's MIND DROPS

まもろう憲法9条、生かそう憲法25条!

きのうはカンカン照りの中・・・

2012-07-30 20:52:40 | 日記
  昨日の日曜日。東京では原発再稼働反対で国会を包囲する大抗議行動がありました。長崎でもそれに先立ち、正午から長崎随一の繁華街・浜ん街のアーケード街でパレードが行われ、私も行ってきました。総勢80人程度のささやかな行動でしたが、かなり注目を浴び、偶然私の家のお向かいのご主人が通りかかって、私に声をかけ、一緒に歩いてくれました。終着地点での記念写真です。



 ちょうどこの日は長崎港一帯では「みなと祭り」開催中で、ペーロン競漕選手権大会が行われていました。アーケード街でのパレードのあとペーロン会場にまわってみましたが、ちょうど予選が終わり準決勝まえのお昼休みでした。それでも調整練習をしているのか、一隻のペーロンが海に出ていました。



 近くの水辺の森公園の一角にはテント村がありましたが、これは夜の花火大会向けのようで、人通りはまだまばらでした。



 飲食店が並ぶ「出島ワーフ」一帯は海辺のレストランで憩う人々でにぎわっていました。



 やはりたまにはこんな所にも出てきて、楽しまないといけませんね。


 というきょうの日記でした。で、きょうの1曲は50年前のなつかしいオールディーズのナンバーから、バリー・ダーヴェルの「なみだの日記」。日本ではスリー・ファンキーズが歌っていましたね。


涙の日記/バリー・ダーベル(Lost Love-Barry Darvell) 1961

残された日々

2012-07-28 20:56:38 | 日記
 私が今の職場で、今の職員や患者さんたちと一緒に送迎の仕事をするのも、あと1か月となりました。

 ほとんどの患者さんたちはまだそのことを知りません。
 職員たちは知っていますが、そんな彼らも理由は知らないのです。

 デイケアの送迎のスタッフの女性からは、なぜやめるのですか、と聞かれます。
 聞かれるとつらいのです。 自分としてはまだ続けたい。聞いてくれる彼女たちとも
 もっと長く一緒に仕事を続けたい。
 でも、かみさんや娘が心配してくれるのもわかる。

 結局自分で判断し、67歳になるんだし、ちょうど契約更新の時期でもあるのだから、ということで
引退を決意しました。

 たまたま事務長の交代時期とも重なって、8月には歓送迎会をしてくれることになりました。
 

 残された日々を一日一日大切に、記憶にとどめながら仕事しようと思っています。


きょうの1曲。ザ・ドアーズで「ハートに灯をつけて」。

Light my fire the doors

深夜の電話

2012-07-28 06:59:48 | 日記
  私たち夫婦は2年ほど前から夜寝るときに別々に寝ています。私は2階で寝ます。別にけんかしているわけではありませんが、とにかくかみさんがテレビを大きな音でつけたままで、しかも韓流ドラマとかミステリーとかが好きなので、私が逃げ出したわけです。かみさんはやや耳が遠いのです。

 昨晩12時少し前ごろ、私はパソコン遊びでまだ2階の私の机でパソコンに向かっていると、突然ケータイが鳴りました。こんな遅くに誰だろう、といぶかりながらケータイを取ると、発信者はかみさんでした。「なにごと? 降りてきて♥、にしてはもう遅すぎるし・・・」と思いながら電話に出ると、「起きてた?」と妙にやさしい声が。 「うん」とだけこたえると、

 「あんた、いつ帰ってくるね?」 
 「??? なんて?」
 「え? なんね、あんたね。まちごうた。翼かと思うた」
 
 そういえば、息子たちはいつ帰ってくるのか、あとで私が電話して聞いてみる、と言ってたっけ。


  きょうの1曲。エレクトリック・ライト・オーケストラのライブ映像です。「テレフォン・ライン」。ポップなハーモニーづくりでは天才的なバンドですね。

Telephone Line E.L.O.

セミの抜け殻がいじらしい・・・

2012-07-27 10:45:21 | 日記
先日、私はセミが好き、とここに書きました。するとどうでしょう! 昨日の朝、セミがお礼に来てくれたのですよ。

 朝、ゴミステーションにゴミを出してから、玄関に戻りながら玄関戸脇の壁になにやらくっついているのが見えました。近づいてみるとセミの幼虫の抜け殻だったのです。





 形や模様からしてアブラゼミだろうと思います。もっと早く、夜明け前に気づいていれば羽化するところを見られたでしょう。しかし、この壁の下も周辺もコンクリートですし、道路はアスファルト。いったいどこからここまでやってきたか。土のある裏の庭からは10m以上離れています。私がセミが好きなことを知ってわざわざ来てくれたのかな、と思い、抜け殻がいじらしくていまもそのままにしています。


 きょうの1曲。私はポール・バタフィールド・ブルース・バンドのポール・バタフィールドという人のブルース・ハープ(ハーモニカ)の演奏が好きですが、その彼がやはり私が好きなザ・バンドと共演している映像がありました。味があっていいなぁ、とすっかり気に入りました。ポールはブルース・ハープと歌も歌っています。もう一人一緒にドラムを叩きながら歌っている人はザ・バンドのリヴォン・ヘルムという人ですが、この人は今年の4月に惜しくも亡くなっています。
 では、どうぞ。「「ミステリー・トレイン」です。↓

The Band & Paul Butterfield - Mystery Train (11.25.1976)

イチローの選択

2012-07-25 20:52:22 | 日記
  昨日の昼休み、家に帰ってテレビをつけると、なぜかイチローが神妙な顔をして何事かしゃべっていました。そのときまで、私はイチローがマリナーズからヤンキースへ移籍したことを全く知りませんでした。

 私は、私のIDが示しているように、オリックス・ブルーウェーブ(現・バファローズ)のファンです。もちろん、イチローがまだブレイクする前の鈴木一朗時代から彼に注目し、ずっと応援して来ていました。
 オリックス球団を離れ、メジャーリーグに行ったときには応援する気はありながらも、とても寂しい思いがしたものです。

 その彼が11年の長き間、シアトル・マリナーズで全米が認める大スターとして活躍してきたことは非常な喜びでした。そんな彼が突然のヤンキースへの移籍。さまざまな思いがあり、悩んだ末、みずから球団に、トレードに出してほしい、と要望したそうです。今のマリナーズは若い有望な選手たちがたくさんいて、自分の存在はかえってそのような選手たちが伸びるための障害になる。チームのためにも自分のためにも、外に出た方が良い、との結論に至ったようです。

 その彼の引き際の鮮やかさ。移籍発表のその日、新しく加入したヤンキースの選手としてきのうまで所属していたマリナース相手の試合に出場し、しかも第1打席でクリーン・ヒットを放ち、2塁への盗塁までやってしまいました。しかも、打席に入る前にヘルメットを脱ぎ、スタンドのファンに向かって深々と何度もお辞儀をしています。この行為の中に、彼のファンに対する感謝と惜別の気持ちが十二分に読み取れます。このプロフェッショナルの極地のようなプレーは彼の価値をより高いものとしたように思います。私が古くからの彼のファンであったということは、どおってことないでしょうが、私としては秘かな誇り、であります。
 今シーズンは、そのような迷いや葛藤があったせいか、彼としては低調な成績で推移していますが、これを機会に新たな峰に向かって頑張ってくれるものと期待しています。

 下の写真は我が家にあるイチロー・グッズの「うちわ」と、1995年のオリックス優勝当時の「イヤーブック」です。ブックの左下は優勝祝賀会でビールを浴びる若き日のイチローくんです。





  きょうの1曲。「僕を野球場に連れてって」。アメリカの球場ではこの曲が流れるそうですが、こんなにも野球の試合を見ることが、アメリカの子どもたちにとって夢のように楽しみなことなんですね。


Take Me Out to the Ball Game