そもそも「維新」とはなんぞや、と気になって、手元にある学研の辞書、数年前に買いなおした「大きな字の常用国語辞典」で調べてみました。
実に簡潔にこう書いてあります。「改革され、新しくなること」。
「大阪維新の会」や「日本維新の会」のどこが新しいのでしょうか? どこが「改革」なのでしょうか?
橋下氏と大阪維新の会が大阪で強行した「職員基本条例」や教育関連条例などであからさまに思想統制をし、違反者は懲戒処分、というかたちで市長や市政への批判を封じ込める、ということをやっています。学校の現場でも、厳しい管理の下でひとりひとりの個性を封じ込め、お上に従順に従う生徒をつくる。これのどこが新しいといえるのでしょうか。まさに一世紀近く前の古い体制の復活ではないでしょうか。
軍事面での「国を守る」は強調しても、「脱原発」での態度、日本の農業なんてやめちまえ、と言わんばかりの「TPP」推進や社会保障の削減などのように、国民の「暮らしを守る」政策はありません。つまり、政策的には民主や自民と変わらない。これは改革とは呼べないでしょう。まさに「看板に偽りあり」の典型だと思います。歯切れの良さや威勢の良さは、弱点を隠す虚勢なのではないでしょうか。もちろん、維新の会との合流や連携を画す諸政党も議席欲しさの同類です。そもそも政治家を志した原点は何なのか、疑問に思います。
今月22日付朝日新聞のインタビュー記事で右翼の一水会顧問・鈴木邦男氏がこう言っています。
「今のように軸が右に大きく動いている状況下で、石原さんが多数派の親分になることに対しては違和感を覚えるというか、危うさが先に立つ感じがします。」「いま右翼的な主張をしている人は、天敵がいなくなった動物みたいなものですよ。威張るし増殖するし。このままでは生態系が破壊されてしまうのではないかと心配です」・・・「安倍氏などは左翼憎しで純粋培養されてしまった感じがします」。
この言葉は傾聴に値すると思いました。左翼が天敵でなくなった、という言葉には忸怩たるものがありますが、言われても仕方ない現状なのかもしれません。もっと恐れられる存在にならなくては。
きょうの1曲。ステータス・クオの演奏を続けます。少しイメージの違う、なかなかの名曲だとおもいます。「ジョニーとメアリー」。このボーカルのおじさん、どこかの国の大統領かなにかに似ていませんか?
Status Quo - Johnny & Mary
実に簡潔にこう書いてあります。「改革され、新しくなること」。
「大阪維新の会」や「日本維新の会」のどこが新しいのでしょうか? どこが「改革」なのでしょうか?
橋下氏と大阪維新の会が大阪で強行した「職員基本条例」や教育関連条例などであからさまに思想統制をし、違反者は懲戒処分、というかたちで市長や市政への批判を封じ込める、ということをやっています。学校の現場でも、厳しい管理の下でひとりひとりの個性を封じ込め、お上に従順に従う生徒をつくる。これのどこが新しいといえるのでしょうか。まさに一世紀近く前の古い体制の復活ではないでしょうか。
軍事面での「国を守る」は強調しても、「脱原発」での態度、日本の農業なんてやめちまえ、と言わんばかりの「TPP」推進や社会保障の削減などのように、国民の「暮らしを守る」政策はありません。つまり、政策的には民主や自民と変わらない。これは改革とは呼べないでしょう。まさに「看板に偽りあり」の典型だと思います。歯切れの良さや威勢の良さは、弱点を隠す虚勢なのではないでしょうか。もちろん、維新の会との合流や連携を画す諸政党も議席欲しさの同類です。そもそも政治家を志した原点は何なのか、疑問に思います。
今月22日付朝日新聞のインタビュー記事で右翼の一水会顧問・鈴木邦男氏がこう言っています。
「今のように軸が右に大きく動いている状況下で、石原さんが多数派の親分になることに対しては違和感を覚えるというか、危うさが先に立つ感じがします。」「いま右翼的な主張をしている人は、天敵がいなくなった動物みたいなものですよ。威張るし増殖するし。このままでは生態系が破壊されてしまうのではないかと心配です」・・・「安倍氏などは左翼憎しで純粋培養されてしまった感じがします」。
この言葉は傾聴に値すると思いました。左翼が天敵でなくなった、という言葉には忸怩たるものがありますが、言われても仕方ない現状なのかもしれません。もっと恐れられる存在にならなくては。
きょうの1曲。ステータス・クオの演奏を続けます。少しイメージの違う、なかなかの名曲だとおもいます。「ジョニーとメアリー」。このボーカルのおじさん、どこかの国の大統領かなにかに似ていませんか?
Status Quo - Johnny & Mary