須藤徹の「渚のことば」

湘南大磯の柔らかい風と光の中に醸される
渚の人(須藤徹)の静謐な珠玉エッセイ集。

文体こそすべて text 17

2005-06-27 01:41:35 | text
「パルタイ」で知られる作家の倉橋由美子さんが亡くなった。(6月10日)。69歳だった。「ある日あなたは、もう決心はついたかとたずねた。」という出だしではじまるこの小説を、私は学生時代に読んだ。抽象的(寓話的)な作風は、「パルタイ」からのもので、カフカの物語構成法に似ていると、私は思う。

大磯図書館では物故作家の書籍サービス(陳列棚に本を並べるなど)を行う。倉橋由美子さんの『パルタイ』(1960年、文藝春秋社発行、定価240円)が、やはりその場所に陳列されていて、その赤いハードカバーの本が懐かしくて、私はさっそくそれを借りた。口絵の若き日の倉橋さんの姿は、じつに印象的だった。(彼女が通っていた明治大学で撮影されたものだろう。)

シンガーソングライターの未映子さんの「純粋悲性批判」というWebサイトで、倉橋由美子さんのことが取り上げられている。彼女は読書に乱読没頭、文章表現に熱中するという。驚いたことに、小林秀雄に逆上するほど感激し、中原中也を愛するそうだ。こういう若い女性が、日本にまだいるということが、私を勇気付ける。

「倉橋由美子、第九感界彷徨」という未映子さんの日記(4/19)は、一度読む価値があるものだろう。彼女はいう。「内容、物語、小説を作る要素すべてのものに先立って、文体。文体こそが目的。」たぶん「パルタイ」の本質をきっちりといい当てているのではないか。

紫陽花が百一歳を大笑す  徹

覇者の条件 text 16

2005-06-27 00:08:48 | text
ウィンブルドンの女子テニス3回戦、マリア・シャラポワ(ロシア)対カタリナ・スベトロニク(スロベニア)の試合を深夜から朝方にかけて、TV観戦した。評判になったシャラポワのシューズ(黄金のラインが入っている)は、特にアップされることはなく、ファンとしてはとても残念だった。

去年のウィンブルドンの覇者であるマリア・シャラポワの集中力は、やはり、すごいの一言に尽きる。サーブ、バックハンドの強烈なストローク、そして何よりも防御のときの鋭いダッシュが、みごとだった。

ところで、テニスでのバックハンドの強烈なストロークは、人間の生き方にも、また俳句のありようにも、どこかで通底するところがあるようだ。マリア・シャラポワの完璧なバックストロークをみて、ふとそう思った。今年のウィンブルドンで、彼女は優勝できるだろうか。





永遠への眼差し text 15

2005-06-19 07:06:55 | text
わが家には連日、俳句の雑誌や個人句集、さらに私信などが送られてくる。ハガキや封書類などの私信は、できるだけそのつど目を通すようにしているが、俳誌や句集の類は、だいたい1週間から10日、封を切らずそのままにしておく。それだけの時間がないのだ。ある間隔でまとめて開封したら、集中的にそれらを整理し、返信を書くものとそうでないものを分ける。いったん返信を書くと決めたら、ていねいにじっくり読み出す。中には時間を忘れてしまうほど、その内容に触発されて、熟読することもある。

一方で、新聞や雑誌などの書評で話題になったもの、あるいは執筆に際し必要になった資料、またそれらとはまったく関係なくただ読みたいものなどの書物もある。それらの書物はできるだけ購入するか、図書館で借りる。もっとも、句集や小説、評論集などの書評を新聞社や出版社の編集部から依頼されることがあり、その場合はただひたすら「仕事」として、そうした本を読む。

昨年(2004年)の1月に出版された詩人多田智満子さんの遺著である『封を切ると』は、書店に駆けつけて購入したものだった。その書物は、詩集と付録があって、詩集もさることながら、付録がなかなか充実している。遺句集「風のかたみ」が、付録に入っているのだ。

古池も花の色なり風溜めて
若葉みな心臓のかたち眼のかたち
銀やんま水を均(なら)して濡れもせず
驟雨すぐ無數の脚を光らせて
星屑もまじりてゐるや落葉掻き

読後、印象に残った作品を掲出してみた。やはり詩人としての独自の鋭い感性と視点があるように思う。個人的には特に2句めの<若葉みな心臓のかたち眼のかたち>と5句めの<星屑もまじりてゐるや落葉掻き>の作品が、私は好きである。万物のいのちと永遠への静謐な眼差しがすがすがしい。




颯爽とまた凛凛と text 14

2005-06-12 16:03:20 | text
歌人の塚本邦雄さんが、亡くなった。84歳だった。短歌界の巨星ともいうべき存在で、特に若い
歌人に与えた影響は絶大なものがあった。その喪失感は拭いがたく、また大きいだろう。

塚本邦雄さんのご著書に『句風颯爽』(「俳句への扉」3巻のうちの1冊)がある。これは秀句と詞珠で飾られた瀟洒な書物(1982年発行)だが、その中に拙句が取り上げられた。

春雷を背に疾走す野生馬   徹

二十代に書いたこの作品が、どのような経緯で塚本邦雄さんの目に留まったのかは、いまだに謎だけれども、私としては、素直にうれしかった。このことが、きっかけで塚本さんに、私の第一句集『宙の家』へ、栞文を書いてもらうことをお願いしたのだった。塚本さんはその栞文で拙作を取り上げ、このように書いてくださった。

大地より天へ雪降る鳥のこゑ  徹
はかなき仰臥の刻をたまはりて雪青天に降りかへるさま  邦雄

「抄出した作品群は、何を表現すべきかと、改めて、自身に問ひかけた趣の感じられるものであり、力量も明らかである。特に<大地より天へ雪降る鳥のこゑ> は数年昔、私自身が歌つた<はかなき仰臥の刻をたまはりて雪青天に降りかへるさま>を思ひ出し、天変地異に似た現象を淡淡と言ひ捨てる業(ごう)を、この人もいつの日にかわがものとしてゐることに、深い感慨を催したことである。」

塚本邦雄さんとは、生前、一度だけ東京でお話する機会を得た。句集『宙の家』の上梓直後であった。あれから二十年近くになる。あのときのお顔とことば、そして身振りなどが今鮮明になつかしくよみがえる。合掌。



薔薇と吐息 text 13

2005-06-11 23:22:21 | text
梅雨に入ったとか。紫陽花の鞠もふくらみ、色彩も濃さを増している。この季節は、梅雨曇や雨の中でも、けっこう色彩の豊かな花が多い。拙宅の庭では、さつきとガーベラが満開で、近辺では薔薇がみごとに咲き誇っている。

薔薇萎えてとげに吐息をゆずるかな    道

関西にお住まいの澁谷道さんから、ご著書『あるいてきた』という立派な文章集がおくられてきた。澁谷さんは、句集や文章集などを発行するたびに、それらを私に送ってくださる。今回のは過去に各誌に発表された文章を1冊にまとめられたもので、扉のうらに多田智満子さんの詩が載っている。ご著書のタイトルは、その詩の中のことばを使用。

さっそく「星と蝉」という文章を読む。そこに、こんなことが書かれている。芭蕉は蝉を手にとって鳴かせ、趣向をこらした一句をつくろうとしたが、けっきょくそれを放棄したそうだ。「黒冊子」の中に書かれていることで、芭蕉は「古み」の元の木阿弥に戻ることを恐れたからだという。明晰で沈潜したこの文章は、タイトルにあるように、天の川のことにも触れ、その深い内容に頷くことしきりだった。

初蝉のふと銀箔を皺にせる    道

略奪される影 text 12

2005-06-05 19:25:25 | text
やや重い曇り空が頭上に広がっている。その空を眺めて、映像の詩人テオ・アンゲロプロスの映画のことを思い出す。「霧の中の風景」「ユリシーズの瞳」「永遠と一日」「エレニの旅」(新作)など、どの映画も曇天か雨・雪で、季節も冬が多い。中でも「ユリシーズの瞳」が独特な昏さで、観るものを圧倒する。冒頭の漆黒の闇に突如現れる青い船。これは、箱舟かオデッセウスの船か。たとえばバルカンの過去と現在を貫く夜霧のような昏さ、そしてサラエボの凍てつく翳が、みごとな映像と音楽を基に、「ユリシーズの瞳」に粛々と描かれる。人間と世界はとてつもなく残酷で、かぎりなく生は厳しいのか。

たましいの船消えてゆく海坂(うなさか)よ    徹

難民と国境、生と死、愛と絶望、現実と幻想などが、テオ・アンゲロプロスの主要なモチーフなのであろう。それにしても、ギリシャ語等の美しいことばを、詩的言語に昇華する池澤夏樹の字幕(翻訳)の技は、すばらしい。<バルコニーの風に/干し忘れのあなたのシャツ/嘘をついたあなたは/部屋の影に隠れ-/夜の声に略奪される/私は/目を閉じて あなたを見る/耳を閉じてあなたを聞き/口を閉じて 訴える>(永遠と一日)。