須藤徹の「渚のことば」

湘南大磯の柔らかい風と光の中に醸される
渚の人(須藤徹)の静謐な珠玉エッセイ集。

6年目になったある拙稿─「週刊読書人」の年末回顧総特集号 text 190

2009-11-27 02:53:33 | text
熊本での第14回「草枕」国際俳句大会を終えて、大磯へ帰ってからも、相変らず多忙をきわめる。2009年11月21日(土)は、某書籍刊行の編集委員会のために、午後から、東京・末広町駅近くのG協会へ。3連休の初日ということもあって、欠席者がいて、少人数での会議開催だった。編集は大詰めをむかえているので、役割分担を明確にして、テキパキと進行するものの、この日のいちばんの難題は、ページ超過の件。しかし企業秘密にかかわることなので、残念ながらこれ以上は書けない。翌22日(日)は、第76回「ぶるうまりん」大磯句会。いつもながら沼津市、秦野市、綾瀬市などから熱心に、この句会に参加する方々の熱意に頭が下がる。参加者の一人K.F氏からまもなく(12月号として)『俳句界』(文學の森)が出るけれど、そこに第2回俳文コンテストの広告が掲載される、というお話をうかがう。(渚の人は、同コンテストの日本語部門の審査委員を務める。)又、句会終了後、『ぶるうまりん』本誌第14号(2010年3月刊行予定)の特集を何にするか皆で協議した結果、どうやら「俳文の研究」(仮題)に、落ち着きそうである。

3連休の中盤(2009年11月22日)からは、長男一家(3人)が大磯の小宅に来て1泊する。長男は某一部上場企業のある営業所(埼玉県内)の責任者(所長)。いつぞや所長に就任したという話を聞いてはいたけれど、この日初めて名刺をもらって、それが実感をもって理解できた。責任者であるがゆえに、経営面の苦労は並大抵ではないと思う。漸く来年の予算作成にメドがついて、ホッとしての小宅訪問であろうが、慢性的な睡眠不足で、やや頬が細くなった事実は否めない。連休最終日の23日(月)は、全員(5人)で、平塚市総合公園に行く。(写真は、平塚市総合公園内の今が見ごろの、黄葉真っ盛りの大きな銀杏の木。)最初長男は、娘のために小田原城址公園にある動物園行きを提案したけれど、名物のゾウ(ウメ子)が死んでしまったので、予定変更せざるをえなくなったのだ。帰宅後、小宅からスープの冷めない距離にある、長男の祖父(渚の人の父)の家に行く。

長男一家が帰ってから(11月23日夜から)、溜まりに溜まった寄贈書籍や雑誌に目を通し、あるいは手紙やハガキを整理し、返信すべきものは、丁重に返事を書くことなどに、ひっきりなしに追われる。じつは、締め切りが迫っている原稿があって、集中してそれを完了する必要がある。「週刊読書人」恒例の2009年回顧(俳句)の原稿だ。渚の人が、「週刊読書人」のその年の俳句の回顧原稿を執筆するようになったのは、2004年(平成16年)からだから、今年で6年目になる。1年間にご寄贈いただいた厖大な量の書籍と俳誌を、書庫に行って確認し、その中からこれと思うものを30冊ほど、デスク周辺に積み上げる。さらにその中から、最終的に10冊内外に絞り込む。けれども最も大切なのは、原稿を書く観点とその内容(トピックス)だから、これらの書籍が、惜しくも外れることがある。

ちなみに渚の人が、今まで書いた同執筆原稿のタイトルを記してみよう。2004年─「新風を待つ状況」、2005年─「相次ぐ大物俳人の逝去」、2006年─「広く深く長く読まれるべき本」、2007年─「視界不良の中の羅針盤」、2008年─「明日の地平を期待させる句群」。2009年の同原稿は、11月26日、「週刊読書人」編集部に、拙稿を送稿したが、同書評紙刊行前に、そのタイトルを明らかにするわけにはいかないので、それはヒ・ミ・ツ…。さて、今後の渚の人の同社での執筆範囲は、どうやら俳句に限らず、文芸評論集又は思想評論集、小説などに拡がる気配がありそうである。であるなら、今まで以上に、広く深く精緻に読書しなければならないだろう。渚の人の書いた2009年の回顧(俳句)は、12月25日付の「週刊読書人」に掲載される(発売はそれより1週間前?)ので、ぜひ書店に行って、ご購入を願う。

ところで数日前に、連句に精通する俳人とメールのやりとりをして、話が「連句と郵便的誤配」になった。渚の人はふだん考えていることを、あれこれ書いたのだが、その一部をここに記載してみよう。「東浩紀の『存在論的、郵便的』には、ジョイスの『フィネンガズ・ウエイク』に出てくる<he war>についての言及がありますけれど、<war>は、英語では「戦争」、ドイツ語では<sein>(存在する)の過去ですが、それがパロール(発話)において、意味が変容することについて、彼はデリダの思考法を検証しています。私は私で、ジョイスの『フィネンガズ・ウエイク』に出てくる<he war>こそが、歌仙(連句)のスリリングな秘密であるように読み替えました。」

印刷の冬空めくる楠大樹     須藤 徹 *2009年11月15日肥後の国にて
火が水を水が火を追う肥後の冬   同

詩人という天職─第14回「草枕」国際俳句大会② text 189

2009-11-18 05:25:19 | text
「越す事のならぬ世が住みにくければ、住みにくい所をどれほどか、寛容(くつろげ)て、束の間の命を、束の間でも住みよくせねばならぬ。ここに詩人という天職が出来て、ここに画家という使命が降る。あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。」夏目漱石の『草枕』の初めのほうに出てくることばである。いうまでもなく漱石は、明治29年(1896年)に熊本の第五高等学校に赴任して以来、4年ほど同地に滞在しており、それを基に明治39年(1906年)に、この小説を発表した。「山路を登りながら、こう考えた。/智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい」という有名な文句が冒頭に登場する。

前ブログ(text 188)にて触れさせていただいた野田遊三氏(写真参照)によれば、音楽家のグレン・グールドは熱狂的な『草枕』の読者で、ゆうに300回近くを読み続け、約15,000冊の蔵書のうち、最後まで手元に置いて読み返したのはたった2冊で、そのうちの1冊が『草枕』だったという。(1冊は聖書。)野田氏は、この話の一部を、2009年11月13日開催の第14回「草枕」国際俳句大会の懇親会のスピーチでも触れていた。その野田氏も熱烈なクラシックファンで、家の部屋四つにクラッシク音楽を聴く装置をセットしているという。まさに「詩人という天職」にふさわしい俳人である。鹿児島の奄美のご出身だけれど、地元の高校を優秀な成績で卒業し、特待生枠で某国立大学に進学、宇宙物理学を学んだ。

特待生枠候補者の面接の際、文化人類学者今西錦司教授(故人)の試問を受け、野田遊三氏の成績を一目見るなり、ひとこと「これだけの成績なら、特待生として合格」と即座に言われたという。卒業後、肥後の国(熊本)を気に入り、そこを就職先と同時に永住先にした。長年培った英語力を基に、オックスフォード大学などで語源調査をした後、1999年5月、昭和アカデミー(熊本市)から『こんなに面白い英単語のナゾ』を制作、おもに丸善の流通経路で販売。これがヒットし、約50000部が売れたそうである。ここ10年ほど野田氏は、ニュージーランドの某大学にて、1月から3月の期間、日本語や日本文化等を定期的に教えている。

さて2009年11月15日(日)、渚の人は早起きし、少し時間があったので、「ホテルオークス」で朝食をすませたあと、近くの熊本城へ行ってみたものの、天守閣近くでケータイが鳴った。野田遊三氏からである。約束の午前10時を過ぎてしまっている。大急ぎでホテルに戻る。ホテルから野田氏の運転で、まず「峠の茶屋」へ。明治30年(1897年)12月31日の大晦日の日に、夏目漱石は盟友の山川信次郎とともに、この鳥越の峠を越へ、小天(おあま)温泉に行った。(その時に立ち寄った鳥越の峠の茶屋が、平成元年に復元されたのである。)そしてこの時の思い出をもとに、不朽の名作『草枕』が書かれた。

<春風や惟然が耳に馬の鈴>という夏目漱石の句碑があるのを見て、黒岩展望所へ。そこで野田氏の写真を撮影したが、この日の天候と同様に、素晴らしい表情をしているではないか。そこを見学した後、宮本武蔵が籠って『五輪書』を書いたという「霊巌洞」へ行く。何と野田氏はここに来てはいつも座禅を組むそうで、この日もいつもと同じように渚の人の前で、座禅を組んだのだった。近くの五百羅漢が圧巻だった。(その後、日蓮宗の「本妙寺へ行く。)渚の人は、午後2時ごろから野田氏の指導する熊本市内の句会にも参加。句会終了後近くの料亭で、句会出席の皆様とともに、和気藹々(あいあい)と懇親会を楽しむ。

野田遊三氏によると、『五輪書』は日本語で読むより、英語で読んだほうが読みやすいという。これはまったく同感である。あるいは日本の名著として3冊をあげるとすれば、この宮本武蔵の『五輪書』以外に、夏目漱石の『草枕』と松尾芭蕉の『おくのほそ道』をあげるべきであろうか。渚の人は、日本語と同時に英訳本もこの3冊にかぎって座右の書とすべきだと思うけれど、いかがなものだろう。ところでこの「霊巌洞」をかつて、小川双々子、鈴木六林男、塚本邦雄の3氏(いずれも故人)を野田氏がそれぞれ案内したところ、大変感動されて帰られたという。その塚本邦雄氏たちに絶賛された俳句(旧作)を、野田氏に頼んで、10句自選してもらった。

<「芥子を抱く」─野田遊三の作品10句>
含み酒しずかに沁むは熇尾蛇(ひばかり)か   
口うつす黄泉の勾玉きえてなし            
桃を刺すこのひとときを赦されよ            
乳房をそらすは卵性のかきつばた          
芥子を抱く影やわらかに犯さるる          
くちなわの口中ももの匂いかな          
汝がからだあぶれば滲む歌麿よ           
いっせいに鶴が膝折る暖炉かな           
水子よりまずかげろうを取り出せり         
死がひとつ水びたしとなる雑木山          

絶妙な詩的感受性、エロティシズム、死への震えるよう眼差し、それらが浪漫性豊かにかつスリリングに書かれた秀作群と思う…。こうした俳句作品の書き手は、最近めっきり少なくなってしまっているだけに、本当に貴重な俳人であろう。

水と緑と文化の豊かな熊本へ─第14回「草枕」国際俳句大会① text 188

2009-11-18 04:06:22 | text
2009年11月13日(金)、第14回「草枕」国際俳句大会選者の仕事のために、JAL1809便(羽田発13:40分発)にて熊本へ。この日、アメリカのオバマ大統領が来日するとあって、羽田空港内はごった返していた。同空港内レストランで昼食をおえ、保安チェックを通ろうとすると、長蛇の列である。出発時刻の40分以上前に並んだにも関わらず、指定された座席に着いたのは、わずか5分前だった。約90分の飛行を終え、熊本空港についてから、タクシーで懇親会場の「水前寺コンフォートホテル」へ。タクシーの運転手さんが話好きで、熊本の歴史やら文化やらをいろいろレクチャーしてくれた。

話題が熊本城と細川家になったとき、彼はこのように話された。「じつは昨日、『夜回り先生』のテレビで著名な作家、水谷修さんを偶然乗せたんですが、総理大臣をなさった細川護熙さんと水谷さんは同じJ大学の卒業生なんだそうですね。」たまたまの話題で、驚いたのはいうまでもない。渚の人も同じJ大学の卒業生だったからである。(水谷修さんが、学生時代にご指導いただいた当時の渡辺秀哲学科教授は、渚の人の師でもあった)。渡辺秀教授(故人)と水谷修さんの並々ならぬ師弟関係は、過日、朝日新聞のコラムで知ったばかりなので、渚の人はこの話題におおいに興味をもったのである。

「水前寺コンフォートホテル」の懇親会場では、英語部門の受賞者スコット・メイソン氏もアメリカから来場され、落ち着いたスピーチをなされた。日本語部門の選者の番になり、指名されるままに渚の人も拙いスピーチをした。学生時代(高校生時代)に読んだ夏目漱石の『草枕』は、今でも脳内につよくインプットされていて、たとえばイギリスのロマン派詩人パーシー・ビッシュ・シェリー(Percy Bysshe Shelley/1792年~1822年)の詩「雲雀に寄せて」のことが同著の最初のほうに出てくるけれど、「シェリー」を、漱石がスペリングどおりに「シェレー」と書いていることや、大磯に住んでいた作家大岡昇平(故人)が「草枕」論を、「水とオフィーリア」の視点で書いていること(この部分はきちんと伝わっただろうか)などに触れたほか、僅かながら自己紹介も行った。

懇親会ではかねてより親交のある野田遊三氏(俳誌「夜行」編集人/第14回「草枕」俳句大会実行委員であり、同選者)ほかの方々とおいしい焼酎を飲みながら、しばし歓談。今大会において渚の人の選考で入選されたという、京都の若い女性俳人(詩人)から挨拶を受ける。また、十数年前、NHK松山放送局制作の俳句のテレビ番組で一緒に出演した(渚の人は記憶がほとんどないけれど)熊本の俳人(女性)からも話しかけられ、当時の思い出などを語りあった。懇親会終了後もさらに、同ホテルロビーでコーヒーを飲みながら、同俳句大会の会長である岩岡中正氏(俳誌『阿蘇」主宰/熊本大学法学部教授)、野田氏、渚の人の三人でいろいろ話合ったのである。

驚いたことにこの三人、年齢がきわめて近い。野田遊三氏(=昭和18年)、渚の人(=昭和21年)、岩岡中正氏(=昭和23年)という按排(あんばい)だ。岩岡氏はイギリスにも長く留学され、英国のロマン主義の政治思想の研究に没頭され、そして学位(博士)も取られたという。歓談中に、ご執筆中の草稿を披露される場面もあり、俳句評論へのみずみずしい情熱が迸っていて、話は非常に盛り上がった。話は尽きぬものの、明日の本番のことを考え、午後十時前に散会。翌2009年11月14日(土)は、午前10時から、熊本市総合体育館(青年会館)にて、選句作業。お昼をはさんで、約4時間集中して特選作1句と入選作5句を選出した。(その間、会場では川口恭子氏による「殿様の俳句」の講演や各部門の表彰式があった。)

その後、午後4時位より、当日作品を各選者が講評し、さらに岩岡会長の司会による各選者の意見交換会「俳句の楽しみ」を行い、午後5時過ぎ終了。分刻みのスケジュールであったけれど、楽しく充実した1日だった。なお事前の一般部門の選者は、今井千鶴子、岩岡中正、宇多喜代子、大岳水一路、鍵和田秞子、岸原清行、倉田絋文、須藤 徹、寺井谷子、坊城俊樹の10名だった。(五十音順、敬称略。)当日投句部門の選は小川濤美子、野田遊三、星永文夫の他に、出席した一般部門の一部選者である。公式行事のすべてが終わった渚の人は、市電で「通町筋」まで行き、そこから宿泊する「ホテルオークス」へ。熊本市内でもいちばんの賑わいをみせる目抜き通りにある。

「ホテルオークス」は、なるほど目の前に楠の大木が聳える緑豊かなところ。地下水で水道水をまかなうという熊本は、このように水と同時に、緑がとても豊かな場所で、野田遊三氏が、永住の地として選んだ理由が分かるというものだ。一休みして近くの「一水」という郷土料理とお寿司を食べさせてくれる和食処へ行く。板前さんや女将さんと楽しく話しながら、「茂作」という地元の芋焼酎を飲み、馬刺し、辛しレンコンなど、熊本ならではの名物料理や、天草で採れた章魚などを食べ、さらに仕上げにお寿司をいただいた。大満足…。その晩はぐっすり眠る。写真は熊本城。直ぐ近くを市電が走る。市電は幾度か廃止の憂き目にあったものの、市民の力により、立派に延命。この地の文化・伝統の力のつよさの一例を、まざまざと見る思いがする。

第14回「草枕」国際俳句大会一般部門<須藤 徹特選>
眼まで空蝉となりおほせけり  中路哲郎

同当日投句部門<須藤 徹特選>
この星に大字小字水澄めり   水田絹子


俳句革新の功罪─『ぶるうまりん』13号の特集 text 187

2009-11-12 02:22:41 | text
11月9日(月)、日本の主要な俳句団体の一つ、G協会(東京都千代田区)への所用により、午前中から自宅を出る。大磯と平塚で用事をすませ、JR平塚駅から東海道線に乗車。二通りある交通経路のうちの一つ、新橋駅から地下鉄「銀座線」に乗り換え、末広町駅に行く。そこからは、数分でG協会に着く。ある俳句書籍刊行のためのデータ原稿がすべてそろったので、同協会で装丁家G.N氏と編集(装丁)打ち合わせをすませ、その場で全データが収録されているCDを渡す。ここに至るまで、仲間とともにいささか苦労したので、少し安堵感が出たのも、しぜんの成り行きであろう。とはいえ、むしろ編集の本番はこれからである。校了になるまで、いっさいの油断は禁物だ。

その後、御徒町駅方面に歩き、アメ横へ。(写真参照。)お目当ての有名な万年筆ショップTに行くと、女性店員がデルタの高級万年筆、あの魅惑的なオレンジ色をした「ドルチェビータ」を磨きながら、あれこれと話をしてくれる。デルタは1982年創業のイタリア万年筆のトップクラスのブランド。浅い歴史ながら、意欲的な開発が功を奏し、高級筆記具メーカーとして、今や大変な名声をもつに至った。渚の人はイタリア本国で買ったアウロラの万年筆を時々使用するけれど、このデルタのものを所持してもいいと思っている。どうせ購入するなら、世界限定2500本という、超高級万年筆であるデルタの「青の洞窟」あたりが狙い目。しかし、残念ながらその万年筆は、店内のどこにも見当たらない…。(未熟な探し方のためかもしれない。)

御徒町駅から御茶ノ水駅まで電車で行き、そこから神保町の古書街をのぞくことにした。同じビル内にある三省堂の古書館と古書モールを、少し時間をかけて見たせいか、午後5時をとうに過ぎ、はや窓の外は真っ暗である。思い立って、元G社の某編集部門で一緒に仕事をした、N.O氏の経営する古書店「いにしえ文庫」(詳細はtext 129「重力の思想を超えよう」に紹介ずみ)に行くと、何と珍しく店主が店にいるではないか。ジャズの好きなある老人から、2000枚近くのCD販売を委託されたというので、速攻で新品同様のケニー・バレル(ギタリスト)のアルバムを探し当て、その場で2枚購入した。<BLUE  MOODS>(1957年録音/サイドメン省略)と<GOD BLESS THE CHILD>(1971年録音/サイドメン省略)である。すっかり夜の帳が降りた神保町を、その後二人で歩き、著名な居酒屋「あおと」と「兵六」に行って、親睦を深めたのはいうまでもない。

じつは11月13日(金)から同15日(日)まで、渚の人は、第14回「草枕」国際俳句大会(熊本市ほか主催)の選者のために、熊本に出張する。すでに事前作品は選をすませ、講評も書いて事務局に送稿しているけれど、当日作品は行ってその場で選をしないといけない。すべての公式行事が終わっても、親交のある熊本の俳人から、自分たちの句会に出ないかと誘われている。もしそれが実現すると、観光は又の機会ということになるにちがいない。熊本出張の前に『ぶるうまりん』13号(12月刊行)の約100ページ分の編集を、スタッフの協力を得ながら大車輪で行い(10日と11日)、これは、お蔭様でおおかたメドがついた。特集は「俳句革新の功罪」。19字70行の「編集後記」も書き上げ、ホッとしている。

『ぶるうまりん』13号の内容の詳細は、本誌を見ていただきたいが、幕末から明治にかけての俳諧(俳句)動向に詳しい専門研究家(女性)にもご執筆いただき、また渚の人は社団法人日本ペンクラブの「電子文藝館」のために執筆した、「現代俳句の起源」(400字約60枚/2009年6月発表)を、同事務局のご許可をいただき、転載することにしている。さらには11月1日に大磯で、「俳句W,W.W.」の後続として「ぶるうまうんてん歌仙」が立ち上がり、幸いこれが好評であったので、手前味噌ながら、小会「ぶるうまりん俳句会」は勢いづき、燃えている。しかし「歌仙」(連句)はなかなか難関なため、相当勉強を行い、試行錯誤を繰返しながら、地道にステップを登っていくしかない。大事なことは、「歌仙」(連句)と俳句が、相乗効果で上向くことだろう。だとすれば、当たり前のことではあるけれど、渚の人も含めて連衆すべてが、やはり二倍三倍の努力を惜しむべきではない。何にせよ、道は決して平坦ではないのだから…。

うくすつぬふむゆるうとうとうげふゆ  須藤 徹


存在の根源をたずねる俳句─増補版『安井浩司全句集』の刊行 text 186

2009-11-02 06:54:36 | text
このほど増補版『安井浩司全句集』(沖積舎)が刊行された。今から16年前の平成5年(1993年)に大部の個人全句集(沖積社)が出版されたけれど、その後『四大にあらず』(平成10年/沖積舎)、『句篇』(平成15年/沖積舎)が出されたので、今回それを増補したもの。とにかく、今回の増補版『安井浩司全句集』(沖積舎)を手にとったとき、その重さは地球の全重量より重いような感じがした。これはオーバーにいっているのではない。

渚の人は『俳句という劇場』(平成10年/深夜叢書社)において、「天蓋のドーリア─安井浩司の俳句世界について」という文章を収録しているけれど、その中に武満徹の「弦楽のためのレクイエム」について、音楽家のハチャトリアンが「この世の音楽ではない。たとえば深海の底のような音楽」と述べたという、巷間に流布する有名な一エピソードを紹介して、安井浩司論を展開したことがある。今回の増補版『安井浩司全句集』を読んでみても、その思いは変わらない。

ただ、「この世の音楽ではない。たとえば宇宙の底からわきでる音楽」としたい点は、少し異なる。現在Webサイトには、Nasaのボイジャーが収録した「土星」の音が、ユーチューブにあるが、その音は本当に「この世の音楽ではない」ように思える。増補版『安井浩司全句集』の「後記」において、安井浩司は[改めて来し方を振り返れば、そこに己が確たる道などと称するものは無く、まさに我が迷いの文学として、荒野をただに彷徨うて来たように思える」と記し、さらに「存在の根源と、詩の本質的有りようを尋ねての迷夢の連続であった」と述べる。
*ユーチューブ(土星の音) http://www.youtube.com/watch?v=e3fqE01YYWs

増補版『安井浩司全句集』の巻頭と最後の句集は、『青年経』(昭和36年/砂の会)と『句篇』(平成15年/沖積舎)である。それらの句集の巻頭と巻軸(一番最後)の句を転写してみよう。

<『青年経』>
渚で鳴る巻貝有機質は死して
青胡桃井戸にわれらの太鼓落つ
<『句篇』>
乳頭山の春より現れ始むべし
睡蓮や今世(こんぜ)をすぎて湯の上に

写真は、『安井浩司全句集』(右/平成5年/沖積舎)と増補版『安井浩司全句集』(左/平成21年/沖積舎)。装釘は両著とも、西岡武良氏。なお2007年7月20日、本ブログ[渚のことば」にて、「詩法と山脈」(text 107)のタイトルのもとに、安井浩司の『山毛欅林(ぶなばやし)と創造』(平成19年/沖積舎)を取り上げて、拙い見解を披露したので、ご興味のある方は、ご高覧のほどを…。


歌仙(連句)はデリダの「散種」に似ている─10月から11月への日々抄 text 185

2009-11-02 04:34:53 | text
はなはだ個人的なことからはじめて恐縮だが、相変らず多忙をきわめている。毎日がものすごいスピードで疾走、または超高速で飛行しているように思える日々を過ごす。むろん私などまだほんの序の口で、もっと忙しくしている人々が大勢いるだろう…。10月30日(金)午前中は、仕事を半日オフにして、地元の大磯町役場4階へ。この日より2年間「大磯町行政改革推進委員会委員」なるものに、渚の人が着任するので、その委嘱式に出席したのだ。同日、三好正則大磯町町長より、渚の人を含めて6人の同委員に委嘱状が渡されたのだった。その後約2時間、町職員を含めて初の同委員会が行われた。

渚の人が、「行政」という文芸以外の委員に就任するのは初めてである。今まで「G」という東京の出版社が中心の生活を送り、大磯にはほとんど寝るために帰るような毎日を、大学卒業後40年近く過ごしていたので、これからささやかながら地元に貢献してみようと思う。31日(土)は、第46回現代俳句全国大会出席のために、上野不忍池畔にある「東天紅」本店へ。金子兜太氏の講演「生きもの諷詠」が、大盛況のうちに行われる。本年より現代俳句協会の「参与」というポジションにあるものの、やはり出席を免れえる立場にはない。定刻まで少し時間があったので、「丸善」丸の内本店4階にオープンした今話題の、松岡正剛氏プロデュースの「松丸本舗」に寄ってみた。

「松丸本舗」は、65坪のスペースを、他の売り場から完全に独立させた。編集工学研究所の松岡正剛氏が同店舗の設計図を書き、すべてを取り仕切って完成させたものである。5万冊を超える書籍は、「知を広めるツールである書籍を通じ、知のプラットフォームを作りたい」と同氏が語るように、既存の書店とは並ぶ書籍の顔ぶれがぜんぜん異なる。しかし、と渚の人は思う。このほとんど迷路のような65坪の空間に、戸惑いをおぼえる人もすくなくないのではないか。また本の分類方法と陳列方法も、かなり斬新であるけれど、これに反発する人もいるような気がする。一例をあげれば、「脱構築・脱近代」というテーマ(写真参照)のところには、こういう観点での読者には面白いのかもしれないが、ジャック・デリダやスラヴォイ・ジジェクのあらゆる本を探している人には、まったく期待はずれであるだろう。

基本的に本を読みたい(買いたい)人は、あらかじめ誰のどんな本、というイメージをすでにもっており、さらに出版社と定価まできっちり把握しているのではないか。そのイメージを前提にして、それを図書館で借りるか、Webサイトで購入するか、あるいは新刊書店か古書店のどちらで購入するかを決めるのではないだろうか。ちなみに渚の人の場合は、新刊書で欲しいものは、一部書籍をのぞいて、地元の図書館で借り、ぜひ手にとって読んでみたい古書は、Webサイトで検索して購入する。しかし古書類にかぎっては、前提によらず、ときどき神保町にいっては、欲しい本を買う場合もある。つい最近は、本ブログでも少しご案内した、夏見知章著『芭蕉と紙子─侘びと風狂の系譜』(昭和47年/清風出版社)を、大阪の古書店「天牛書店」のWebサイトに注文したところ、速攻で本が届いた。

こういう渚の人にとっては、市川亀治郎、福原義春、山口智子などの書棚(「松丸本舗」の一スペースに設営)などには、いっこうに興味をもたないし、むしろ申し訳ないけれど、まったくの邪道と切り捨ててしまいたい。とはいえ、その日「松丸本舗」店内で、ボルヘスの『砂の本』(篠田一士訳/集英社文庫)を購入した渚の人ではあった。同本舗のブックカバー(紙)がついたので、これはちょっとうれしい気持になる。11月1日(日)は、午前11時から大磯町立図書館で、第1回「ぶるうまうんてん歌仙」を開催。俳人・歌人8名が予定どおり集結し、熱っぽく歌仙をまいた。今後の進め方等を話し合い、若干歌仙(連句)の何たるかを渚の人がトークして、実作を開始。初折表6句を終了し、同裏の2句まで進んだ。次回は12月6日(日)正午から、同図書館で第2回目を行う。(ご興味のある方は、ぜひお出かけ下さい。)

当日の様子は、会員向け月刊俳句マガジン「ぶるうもんく」(新規名称)に掲載発表する。今回は初めての人がほとんだったので、式目が分からない参加者が多かった。そのために式目違反が続出したのである。(いちおう定稿としたものの、)あとで見直すと何箇所か修正しないといけない部分が出てきたので、それを調整したのち、「ぶるうもんく」と本誌「ぶるうまりん」に発表するつもりだ。式目のハードルの前に歌仙を諦めてしまう人が多いので、何とかここを我慢して頑張ってもらいたいものである。さて、冒頭に渚の人が話したトークの一つに「歌仙(連句)と脱構築」がある。おもにデリダの「散種」(Dissémination)を思い浮かべての話であるけれど、たとえば1句から1句への収束(回収)と拡散(飛散)は、デリダのいう差延的運動を孕むもので、歌仙(連句)は、もっともその可能性がある文芸であると思うが、これについては、機会をあらためて、別に文章を起こしてみよう。

ナナハンの女銀河を股挟み  徹 *第1回「ぶるうまうんてん歌仙」<ナナハンの女の巻>の発句(2009年11月1日)