須藤徹の「渚のことば」

湘南大磯の柔らかい風と光の中に醸される
渚の人(須藤徹)の静謐な珠玉エッセイ集。

錨(アンカー)を引き摺る祖父 text 135

2008-08-10 06:32:28 | text
「ぶるうまりん」9号と同会報第59号が、ほぼ同時に刊行された。今号の雑誌の特集は前号に続く「平成の新興俳句」と「平成の女流俳人」。同人の小倉康雄氏が「ぬばたまの夜の詩人─須藤徹の世界とその周辺」として、拙句集『荒野抄』を中心に、須藤徹論を5ページで展開。また『浅井一邦全句集』が限定50部で発刊されたのを踏まえ、渚の人(須藤徹)が、「覚醒されたことば」と題して6ページを掲載した。その浅井氏からお便りをいただいた。既刊の「ぶるうまりん」の会報第57号に出ていた拙句に対して、彼は次のように示唆してくれたのである。

駅の容(かたち)へ南麻布の葉桜は   須藤 徹

「月三回の句会は精力的ですね。<駅の容へ南麻布の葉桜は>は絶景でした。時空と美と感性が見事に調和された大きい作品と思います。こういうものを私も書きたいのですが、なかなかできません。忘れられない一句となります。」

ところで、今年の1月から地元の病院及び会社の精密検査等で、徹底的にからだのチェックを行った。私の人生で、これだけのチェックを行ったのは、初めてであろう。別にからだに変調をきたしているわけではなく、現在のやや過剰な仕事ぶりに、あらためて最大規模の健診を行ってみたかったのだ。

頭を除く、全身の健康診断は、循環器(心臓、腎臓、血液)、呼吸器(肺、気管)、消化器(食道、胃、小腸、十二指腸、肝臓、膵臓、大腸)などをレントゲン、バリウム検査、血液検査、尿検査、超音波、CT、あるいは心電図、眼底検査等で行ったのだけれど、結果的にすべてをクリアし、悪いところは発見されなかった。

主に東海大学大磯病院での半年近くにわたる全身の検査結果が出て、かなり健康に自信がついたけれど、やはり過信は禁物だろう。必ずしも睡眠が十分にとれず、またリラックスできる休日がほとんどない(休めるのは月に1、2度)、仕事(会社と俳句)漬けの毎日だから、危険極まりない綱渡りの生活を過ごしていることになる。

切迫した緊張感のある日々を生きているので、刺激的な場面が連続する分、どうしてもストレスが溜まる。とはいえ、それを何とかやり過ごす術も覚えた。これは、私自身が多重の仕事を抱えているのをうまく利用し、ある仕事に沈みそうになった瞬間、気分転換をかねて、別の仕事に切り替えるのだ。その橋渡しになるのが、集中的な読書。これによって淀んだ精神が活性化し、見事に次の仕事に取り掛かれる。そうして次の仕事に専心するのだ。

愛用していた富士フィルムのFinePixのデジカメが不調で、このほどアサヒペンタックスのOptioシリーズの一つを購入した。810万画素あり、前のものより小型で軽量だ。しかし慣れないせいか、使い勝手がイマイチである。もう一つの私の眼となるには、今しばらく時間がかかりそうだ。

一閃の香水恐竜の骨の中  須藤 徹
大瀑布空より堕ちる美しき自死  同 
錨(アンカー)を引き摺る祖父へ寝返りす  同 
肘の中は雨降り夜の蚯蚓鳴く  同

一句目は第6回ぶるうまりん東京句会(7/19)、二句目は第59回ぶるうまりん大磯句会(7/27)、三句目と四句目は、第29回俳句W(8/3)での拙作の一部。三句目の<錨(アンカー)を引き摺る祖父へ寝返りす>について、当日出席された長澤ちづさん(歌人/「氷原」発行人)は、「錨(アンカー)を引き摺る祖父」を「喩」として読むすばらしい解釈をなされた。まさに作者冥利につきるもので、たいへん光栄なことだった。

写真は、最近購入した、アサヒペンタックスのOptioで撮影した、拙宅付近の「あさがお」。今回より新しいデジカメで撮影した写真が、ブログに掲載されることになる。