須藤徹の「渚のことば」

湘南大磯の柔らかい風と光の中に醸される
渚の人(須藤徹)の静謐な珠玉エッセイ集。

略奪される影 text 12

2005-06-05 19:25:25 | text
やや重い曇り空が頭上に広がっている。その空を眺めて、映像の詩人テオ・アンゲロプロスの映画のことを思い出す。「霧の中の風景」「ユリシーズの瞳」「永遠と一日」「エレニの旅」(新作)など、どの映画も曇天か雨・雪で、季節も冬が多い。中でも「ユリシーズの瞳」が独特な昏さで、観るものを圧倒する。冒頭の漆黒の闇に突如現れる青い船。これは、箱舟かオデッセウスの船か。たとえばバルカンの過去と現在を貫く夜霧のような昏さ、そしてサラエボの凍てつく翳が、みごとな映像と音楽を基に、「ユリシーズの瞳」に粛々と描かれる。人間と世界はとてつもなく残酷で、かぎりなく生は厳しいのか。

たましいの船消えてゆく海坂(うなさか)よ    徹

難民と国境、生と死、愛と絶望、現実と幻想などが、テオ・アンゲロプロスの主要なモチーフなのであろう。それにしても、ギリシャ語等の美しいことばを、詩的言語に昇華する池澤夏樹の字幕(翻訳)の技は、すばらしい。<バルコニーの風に/干し忘れのあなたのシャツ/嘘をついたあなたは/部屋の影に隠れ-/夜の声に略奪される/私は/目を閉じて あなたを見る/耳を閉じてあなたを聞き/口を閉じて 訴える>(永遠と一日)。