沈丁花をダフネと呼びて若かりし伯父や燦たる借財遺す (塚本邦雄『豹變』・花曜社より)
筆者小宅の庭に咲き誇る紅白の二本の梅の花が、にわかに散りだした。飛び石が雪のように白くなり、思わずため息をついてしまう。そのかわり、その飛び石近くに、数年前家人が植えた一株の沈丁花が、ようやく蕾を綻ばせ、鋭い香りをあたりに漂わせている。椿の木の下には、二つの蕗の薹が、首を覗かせて、かわいらしく筆者の様子をうかがう。さらにあたりを見渡せば、黄色いミニ水仙やヘレボルス(クリスマスローズ)も咲いているではないか。二本の杏の木も、もう少しで花を咲かせるだろう。
塚本邦雄の第14歌集『豹變』には、<沈丁花をダフネと呼びて若かりし伯父や燦たる借財遺す>の一首が掲載されている。小宅の庭の沈丁花を見つつ、この歌を思い浮かべるのだけれど、本来の「ダフネ」の話は、アポロンに追われて月桂樹に姿をかえた、ギリシア神話の美しいニンフのことだろう。つまり「ダフネ」は、月桂樹の異名としてのほうが格段に名高いような気がする。しかし沈丁花は、学名を「Daphne odora」といい、やはりギリシア神話の女神ダフネにちなむ。「odora」は「芳香」を意味するそうだ。
掲載した歌に出てくる「燦たる借財」を遺した、「若かりし伯父」は、いったい何をしたのだろうか。親の莫大な財産を懐に、ある種の仕手株に手を出したのか、あるいはラスベガスのカジノに行って、巨額の損を出したのか、そのへんはまるで分からない。この若い「伯父」は、もともとまともな仕事を地道に行うタイプではなく、きっと根っからの投機筋のような人種であるにちがいない。しかし、それでもその本来の気風(きっぷ)の良さから、小さい姪は、歳がそう遠く離れていない「伯父」を心から愛する。その「伯父」は、姪に「沈丁花は、別名ダフネともいうんだよ。花言葉は『栄光』『不滅』!」とそっと教えてくれたのだった。
「遠山に日のあたりたる枯野」より還り来て悲をみごもれり 母 (同)
冬霞たつやカルロス・ガルデルの「沈黙(シレンシオ)」わが挽歌となさむ (同)
壮年のあとかたもなき夜のリラ何に執して死なざりけるか (同)
塚本邦雄第の『豹變』に登場するこの4首から、若き「伯父」の一生の「生きざま」を、それとなく読み取りたいと思うのは、果たして筆者だけではないにちがいない。
沈丁に拳銃隠す夜の怒涛 (須藤 徹『幻奏録』・邑書林より)
最近、ドイツ文学者の氷上英廣(ひがみ・ひでひろ/1911-1986)のエッセイ集『ニーチェの顔』(岩波新書)を読んでいたら、特に「犀・孤独・ニーチェ」の章がつよく印象に残った。氷上英廣といっても、なかなか馴染みのない名前と思うけれど、一校時代は、同級生の中島敦と親交が厚く、後に『中島敦全集』を編纂する。彼は当時、中島敦にカフカを教えられたという。戦後1950年に新制・東大教養学部助教授、1957年に同教授へ就任した。ニーチェについての著作物が多く、『ニーチェの顔』を読んでも分かるとおり、達意の文章を書く人でもある。妻は南原繁の長女で、歌人であった待子…。「犀・孤独・ニーチェ」では、ショーペンハウアーに強い影響を受けたニーチェの人物像を、表情を含めて「犀」に模しているところが、じつにユニークで面白い。
その「犀」は、ゾウに次ぐ大型の哺乳類であり、特に最大のシロサイは体長4m、体重2.3tにも達するという。巨体に似合わず最高時速50kmで走る。「犀」の皮膚は非常にぶあつく硬質で、体全体を鎧のように覆っているところが、なんとも興味深い。版画家のアルブレヒト・デューラーが1515年に製作した木版画(写真参照)を見るのが、筆者の楽しみの一つでもあり、いろいろなイメージが湧いて楽しい。そういえば、不条理演劇の代表的作家として知られる、ウジェーヌ・イヨネスコの代表作である「犀」は、ある日突然街にあふれ出す犀を人間と重ね合わせ、人々に相当な戦慄をあたえる。ある意味で、集団ヒステリーの内実と個的人間の尊厳を描いた作品だが、イヨネスコ自身は明らかに「ファシズム」をイメージしたといっている。そのイヨネスコの「犀」を現代詩にイメージしたのが、坂井信夫の『日常へ』(漉林書房)である。
「……あのころ犀をみかけることは稀だった。だが、いまはどうだ。わずか二十年が経っただけなのに、路上を往きかうのは犀ばかりだ。かたい角をふりかざしながら挨拶を交わしているではないか。かれらは、いつ自分が犀になったかも気づかないままスーパーTOPにつめかけ、デニーズを満席にしている。だれもが犀でいることを疑いさえしない。それはたんに慣れてしまったからなのか。かつて犀となった者は白い眼でみられていたが、いまではだれも異様とは思わない。むしろ人間のほうが歩道のはしっこを遠慮がちに歩いている。……」(坂井信夫の『日常へ』の25より)
原発が54基ある日本列島のどこもかしこも、今「犀」だらけだと思うのは、果たして筆者だけであろうか。それはむろん国会の中もそうであるし、巷も多くの「犀」に溢れている。たとえば、テレビや新聞によく登場する、巨悪の権化(!?)としての東電も、よく考えてみるまでもなく、会社設立期から現代に至るまで、幹部の多くが、体全体を鎧のように覆った巨大な「犀」に変身、巷をわがもの顔にして、跋扈(ばっこ)往来したのではないか。そして悲しいことに、東日本大震災の被災者たちは、詩人のいうように、今まさに「歩道のはしっこを遠慮がちに歩いている」のである。
最後にお知らせ一つ。『ぶるうまりん』21号が完成、3月下旬に大磯より発送の予定です。特集は「無季俳句への射程」。筆者(須藤徹)は「喩の声」50句を同誌に発表しました。乞うご期待!!です。本ブログをご覧になり、購入ご希望の方は、次のメールアドレスへご連絡いただければ、幸いです。1冊税込み・送料込み、千円です。
White4002cat@yahoo.co.jp
筆者小宅の庭に咲き誇る紅白の二本の梅の花が、にわかに散りだした。飛び石が雪のように白くなり、思わずため息をついてしまう。そのかわり、その飛び石近くに、数年前家人が植えた一株の沈丁花が、ようやく蕾を綻ばせ、鋭い香りをあたりに漂わせている。椿の木の下には、二つの蕗の薹が、首を覗かせて、かわいらしく筆者の様子をうかがう。さらにあたりを見渡せば、黄色いミニ水仙やヘレボルス(クリスマスローズ)も咲いているではないか。二本の杏の木も、もう少しで花を咲かせるだろう。
塚本邦雄の第14歌集『豹變』には、<沈丁花をダフネと呼びて若かりし伯父や燦たる借財遺す>の一首が掲載されている。小宅の庭の沈丁花を見つつ、この歌を思い浮かべるのだけれど、本来の「ダフネ」の話は、アポロンに追われて月桂樹に姿をかえた、ギリシア神話の美しいニンフのことだろう。つまり「ダフネ」は、月桂樹の異名としてのほうが格段に名高いような気がする。しかし沈丁花は、学名を「Daphne odora」といい、やはりギリシア神話の女神ダフネにちなむ。「odora」は「芳香」を意味するそうだ。
掲載した歌に出てくる「燦たる借財」を遺した、「若かりし伯父」は、いったい何をしたのだろうか。親の莫大な財産を懐に、ある種の仕手株に手を出したのか、あるいはラスベガスのカジノに行って、巨額の損を出したのか、そのへんはまるで分からない。この若い「伯父」は、もともとまともな仕事を地道に行うタイプではなく、きっと根っからの投機筋のような人種であるにちがいない。しかし、それでもその本来の気風(きっぷ)の良さから、小さい姪は、歳がそう遠く離れていない「伯父」を心から愛する。その「伯父」は、姪に「沈丁花は、別名ダフネともいうんだよ。花言葉は『栄光』『不滅』!」とそっと教えてくれたのだった。
「遠山に日のあたりたる枯野」より還り来て悲をみごもれり 母 (同)
冬霞たつやカルロス・ガルデルの「沈黙(シレンシオ)」わが挽歌となさむ (同)
壮年のあとかたもなき夜のリラ何に執して死なざりけるか (同)
塚本邦雄第の『豹變』に登場するこの4首から、若き「伯父」の一生の「生きざま」を、それとなく読み取りたいと思うのは、果たして筆者だけではないにちがいない。
沈丁に拳銃隠す夜の怒涛 (須藤 徹『幻奏録』・邑書林より)
最近、ドイツ文学者の氷上英廣(ひがみ・ひでひろ/1911-1986)のエッセイ集『ニーチェの顔』(岩波新書)を読んでいたら、特に「犀・孤独・ニーチェ」の章がつよく印象に残った。氷上英廣といっても、なかなか馴染みのない名前と思うけれど、一校時代は、同級生の中島敦と親交が厚く、後に『中島敦全集』を編纂する。彼は当時、中島敦にカフカを教えられたという。戦後1950年に新制・東大教養学部助教授、1957年に同教授へ就任した。ニーチェについての著作物が多く、『ニーチェの顔』を読んでも分かるとおり、達意の文章を書く人でもある。妻は南原繁の長女で、歌人であった待子…。「犀・孤独・ニーチェ」では、ショーペンハウアーに強い影響を受けたニーチェの人物像を、表情を含めて「犀」に模しているところが、じつにユニークで面白い。
その「犀」は、ゾウに次ぐ大型の哺乳類であり、特に最大のシロサイは体長4m、体重2.3tにも達するという。巨体に似合わず最高時速50kmで走る。「犀」の皮膚は非常にぶあつく硬質で、体全体を鎧のように覆っているところが、なんとも興味深い。版画家のアルブレヒト・デューラーが1515年に製作した木版画(写真参照)を見るのが、筆者の楽しみの一つでもあり、いろいろなイメージが湧いて楽しい。そういえば、不条理演劇の代表的作家として知られる、ウジェーヌ・イヨネスコの代表作である「犀」は、ある日突然街にあふれ出す犀を人間と重ね合わせ、人々に相当な戦慄をあたえる。ある意味で、集団ヒステリーの内実と個的人間の尊厳を描いた作品だが、イヨネスコ自身は明らかに「ファシズム」をイメージしたといっている。そのイヨネスコの「犀」を現代詩にイメージしたのが、坂井信夫の『日常へ』(漉林書房)である。
「……あのころ犀をみかけることは稀だった。だが、いまはどうだ。わずか二十年が経っただけなのに、路上を往きかうのは犀ばかりだ。かたい角をふりかざしながら挨拶を交わしているではないか。かれらは、いつ自分が犀になったかも気づかないままスーパーTOPにつめかけ、デニーズを満席にしている。だれもが犀でいることを疑いさえしない。それはたんに慣れてしまったからなのか。かつて犀となった者は白い眼でみられていたが、いまではだれも異様とは思わない。むしろ人間のほうが歩道のはしっこを遠慮がちに歩いている。……」(坂井信夫の『日常へ』の25より)
原発が54基ある日本列島のどこもかしこも、今「犀」だらけだと思うのは、果たして筆者だけであろうか。それはむろん国会の中もそうであるし、巷も多くの「犀」に溢れている。たとえば、テレビや新聞によく登場する、巨悪の権化(!?)としての東電も、よく考えてみるまでもなく、会社設立期から現代に至るまで、幹部の多くが、体全体を鎧のように覆った巨大な「犀」に変身、巷をわがもの顔にして、跋扈(ばっこ)往来したのではないか。そして悲しいことに、東日本大震災の被災者たちは、詩人のいうように、今まさに「歩道のはしっこを遠慮がちに歩いている」のである。
最後にお知らせ一つ。『ぶるうまりん』21号が完成、3月下旬に大磯より発送の予定です。特集は「無季俳句への射程」。筆者(須藤徹)は「喩の声」50句を同誌に発表しました。乞うご期待!!です。本ブログをご覧になり、購入ご希望の方は、次のメールアドレスへご連絡いただければ、幸いです。1冊税込み・送料込み、千円です。
White4002cat@yahoo.co.jp