須藤徹の「渚のことば」

湘南大磯の柔らかい風と光の中に醸される
渚の人(須藤徹)の静謐な珠玉エッセイ集。

多田裕計の「評伝の花園」を発見─月報の読み方と楽しみ方 text 282

2012-07-22 23:14:48 | text
東京の某老舗出版社から依頼されている、ある書籍のまるまる書き下ろしの仕事に従事しているけれど、亀のようなのろのろした歩みが続いている。基本的に編纂ものの書籍なので、取材・調査などに時間がかかり、いっぽうページ構成要素も少々複雑なため、なかなか思い通りに進捗しないのが実状である。また、現実にこの仕事だけに多くの時間を割くこともできはしない。何やら言い訳がましい書き方に始まってしまったけれど、これは本当の話なのだ。出版社の担当編集者から、進行確認のお電話をいただくたびに、胃が痛くなるような思いがし、本当に申し訳ないと思う。

この仕事のために、昭和30年代(初版)と40年代(再版)に刊行された、ある俳句シリーズ(10巻本)を、Webサイトで探したところ、東京・神保町の某老舗古書店にヒットしたので、これを即座に購入した。筆者の必要とするのは、10巻本のうち、数冊だったものの、今後のこともあるので、10冊セットの1シリーズを取り寄せたのである。購入後少し時間を置いて、必要な巻をひもといたところ、中から月報が出てきたので、それを何気なくみていたら、執筆者のところに、何と多田裕計の文字…。タイトルは、「評伝の花園」とある。

筆者のもとめたシリーズは、再版なので、多田裕計が執筆したのは、昭和44年である。筆者が20歳代前半の頃で、むろん多田裕計に入門前のことだ。思わず、この月報に釘付けになり、これを一気に読了してしまった。全集などに挟まれている月報は、手ごろな分量もあり、気に入った執筆者の場合は、大体読むようにしている。今回は、多田裕計が書いたものであり、まさに筆者が知りたかった内容にも即していた。読んでいる間、すぐそこから恩師の懐かしい声が聞こえるようで、素晴らしく貴重な時間を過ごすことができたのだった。

「……学問的評伝書は、私たちに実に清明で楽しい花園の散歩公園である。そこには作家的な想像力(主として心理的で人間的なもの)を触発する、たくさんの暗示がかくされている。『無限の可能性』と言いたいが、そうではない。学問的な資料に裏づけられ制限された、しかもある程度自由な可能性である。蝶の羽のように軽くではなく、鳩の羽音のようにである。」

多田裕計は、まずこのように書き、次のセンテンスに続く。

「芭蕉を小説化したとき、私はそれらの問題にたくさん直面した。その幾つかは作品のなかで追求してみたが、割愛せねばならなかったほうが、ずっと多かった。一つの作品には、それ自体の運動量と方向づけがあり、それにあわせて、多くの問題を別の機会にゆずるほかはないからである。/とり残した一つに、たとえば、凡兆と芭蕉とのことがある。──『猿蓑』の編集の際についての、作家としての考察、ことに両者の人間性や心理交錯についての考察である。具体的にいうと、『猿蓑』には、凡兆の句が(連句の発句を含めて)四十三句入集している。ところが、その師であり、指導者であった芭蕉の句は(几右日記中の一句を加えても)四十句前後、とにかくほんのわずかに芭蕉の方が少ないことは確かだ。差が非常に少ないだけに、これは小説化の場合には、つきせぬ興味と注意をひかれるのである。凡兆と芭蕉との心理関係に注目せずにはいられない。」

そして、ここからが、月報「評伝の花園」のハイライト部分になる。多田裕計の作家的眼差しの面目躍如たるところだろう。

「そして、作家としては、いろいろな心理関係のあり方を、少なくとも三、四種、いや五、六種もあれこれと想像する。たとえばその一つは案外素直に、和気のなかに一句一句ふるいにかけてゆき、あとで数えてみたら、偶然そうなった、という見方が出来る。たしかに凡兆のその頃の句はすばらしく、おそらく芭蕉も驚嘆していたにはちがいない。同じ編集者の去来なぞは二十数句入集にすぎないから、この想定はまんざらではないのだが、しかし数えてみたら師の句数との差がせいぜい二、三句というとき、凡兆が『先生のをもう三、四句……』と言いださなかったのか。一度は言ったのか。芭蕉が、それを大らかにゆとりをもって、『そんな配慮は無用』と手ふったのか。そこらの想像は、ひとまわり大きく芭蕉の人格や性格の想定考察ともかかわるところである。ひょっとすると、芭蕉は心理的になかなかの忍者であったから、去来の入集句の少ない不満を押さえるために、自らの句数を削ったのではないか。いや、もっと直接に凡兆と芭蕉との間には、緊迫した心理的対決があり、その編集時点になんらかの凡兆の強い立場があったのではないか……ここらの考察は、いわゆる小説化の面白さでもあり、また危険なボーダアラインである。」

このように、多田裕計は想像力を膨らませる。ちなみに多田裕計は昭和38年(1963年)、三部作の『小説芭蕉』を完成させているけれど、このときの執筆過程において、月報「評伝の花園」の内容に思いをめぐらせていたのであろう。『小説芭蕉』も、今では古書でしか入手できない。筆者の持っているのは、学習研究社が昭和39年(1964年)に発行した『芥川賞作家シリーズ』の1冊で、奥野健男が力のこもった良い解説を記している。その奥野健男によれば、『小説芭蕉』は「多田裕計の芸術論であり、人生論であり、自己告白であり、自己主張であり、そして芭蕉への尽きざるオマージュでもある。ゆがめられた芭蕉観への抗議でもあり、新しい芭蕉の発見でもある。」と記す。

最後に、月報「評伝の花園」における多田裕計のラストのことばを転写してみよう。

「いずれにしても、評伝を読むことは、つきせぬ花園の散歩に似て、豊かな人間心理の綾取りのヒントと楽しみを与えてくれる。また、そのように豊かに読みとりたいものである。」

キリトリ線の溜息ニッポンを棄てようか    須藤 徹

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