だいぶ朝晩涼しくなってきた。夕方など蝉と虫の混声合唱が、小宅に響き渡り、独特な雰囲気を醸し出している。大磯の空も海も、そして山並みも静かに秋の中に入りつつあるのだ。「ぶるうまりん」の12号が、このほど(8月23日)完成し、大磯町立図書館での「第73回ぶるうまりん大磯句会」のときに、皆で発送した。毎度のことながら、同人及び会員の内部俳人、外部俳人、マスコミ、図書館等と発送先は4部に分かれ、なおかつ冊数もそれぞれ異なる。発行所でかなり細かい段取りを事前に組まないと、当日の発送はスムーズにいかない。しかし些かの逡巡があったものの、おおむね作業はスムーズに進行し、約90分で発送作業が完了、午後1時からの定例の句会に繋げることができた。お集まりいただいた皆様に、この場を借りてお礼申し上げる。
発送後数日して、同誌の感想などが発行所に電話や手紙などで寄せられた。今号は「芭蕉の門人」が特集であるために、そのことの内容が多いけれど、拙作50句「ストラディバリウスは燃え」についての読後感のこともある。「ストラディバリウス」は、アントニオ・ストラディバリ(Antonio Stradivari/1644年~1737年)が製作した名器中の名器のバイオリン。彼はイタリア北西部のクレモナで活動した弦楽器製作者である。日本では千住真理子さんが、ローマ法王のもとにあった「ストラディバリウス」(デュランティ)をスイスの貴族から譲り受けて、使用している。運命的な巡り会わせで、彼女が「ストラディバリウス」を自己所有しているのだが、それでも億単位のお金がかかったといわれる。ちなみにタイトルに使用した拙作を含めて5句を掲出しておこう。
蓑虫や時間と空間揺れてます 須藤 徹
相聞や極寒の夜の棒掴み 同
脳中に繭玉繁る尽未来 同
蕗の中ストラディバリウスは燃え 同
雨脚の色は飴色蜷の道 同
「ぶるうまりん」12号を発送してまもなく、ある方(女性)から谷川俊太郎の詩画集『クレーの天使』(講談社)をプレンゼントされた。その人は、前号の同11号で渚の人が「新しい天使」(K.M.追悼のための奥多摩紀行)と題して特別作品を発表した友人K.M.の実のお姉さま。現在、ジュエリー・デザインのプロ作家として都内で活動している。高校時代に親しかった友人の一人、K.M.とお姉さまたち一家は、茅ヶ崎市中海岸の平屋の家(もと大阪の喜劇人曾我廼家五郎所有の別荘だったという)に住まわれており、渚の人は、よくそこへ通っては、K.M.やお母さまなどとフランス文学や源氏物語の話をしたものである。お母さまからすすめられて『ドルジェル伯の舞踏会 』(ラディゲ作)を、新潮文庫で読んだ記憶がある。庭には松林が広がり、平屋の家は、まるで小津安二郎が好んで撮影しそうな佇まいで、お風呂も五右衛門風呂であった。時々プロの能楽師が家に来られて、お父さまなどが謡の稽古をしていることもあった。その影響であろう、友人K.M.は亡くなるまで能を愛し続けた。
著作権の関係で、同詩画集収載の谷川俊太郎の詩を、たとえ一編であっても、ここに全面引用(転写)するわけにはいかないけれど、「天使、まだ手探りしている」の中の「わたしにはみえないものを/てんしがみてくれる」の一節は許されるだろう。「わたしにはみえないものを/てんしがみてくれる」のことばは、まさに俳句創作の秘密をいい当てているし、人間のもっとも大切な「生」のコア(核)を鋭く穿つ。すでに本ブログでも触れたことのある、サンテグジュペリの『星の王子さま』の中の「砂漠が美しいのは、どこかに井戸をかくしているからだよ。」(第22章)とあわせて、私たちが銘記すべき大事なことばであるだろう。私たちは、自らの内のどこかにいる「心の天使」と絶えず対話する必要があるにちがいない。クレーが描くように、天使はいつも完璧であるのではなく、「泣いている天使」や「醜い天使」であったり、あるいは「ひざまずく天使」や「幼稚園の天使」だったりする。
渚の人は、そんなクレーの優しい「天使」がこのうえなく好きなのである。そして「わたしにはみえないもの」を、内にいる数々の「天使」に教えてもらおうと思う。「ぶるうまりん」12号の特集「芭蕉の門人」には、金子晋、二上貴夫、小倉康雄等の皆様、また恒例の「特別作品30句」は、後藤昌治、片岡秀樹の皆様が執筆(発表)されている。ご多端のおり、本誌のために、お時間を割いていただいたことに、心よりお礼申し上げたい。写真は、クレーの「高いC音の勲章」というタイトルがついた作品。「言葉というものは、やはり神秘そのものと隔たること著しい。音と色彩にこそ秘儀がひそんでいる。」とのクレーのことば(日記)がある。
発送後数日して、同誌の感想などが発行所に電話や手紙などで寄せられた。今号は「芭蕉の門人」が特集であるために、そのことの内容が多いけれど、拙作50句「ストラディバリウスは燃え」についての読後感のこともある。「ストラディバリウス」は、アントニオ・ストラディバリ(Antonio Stradivari/1644年~1737年)が製作した名器中の名器のバイオリン。彼はイタリア北西部のクレモナで活動した弦楽器製作者である。日本では千住真理子さんが、ローマ法王のもとにあった「ストラディバリウス」(デュランティ)をスイスの貴族から譲り受けて、使用している。運命的な巡り会わせで、彼女が「ストラディバリウス」を自己所有しているのだが、それでも億単位のお金がかかったといわれる。ちなみにタイトルに使用した拙作を含めて5句を掲出しておこう。
蓑虫や時間と空間揺れてます 須藤 徹
相聞や極寒の夜の棒掴み 同
脳中に繭玉繁る尽未来 同
蕗の中ストラディバリウスは燃え 同
雨脚の色は飴色蜷の道 同
「ぶるうまりん」12号を発送してまもなく、ある方(女性)から谷川俊太郎の詩画集『クレーの天使』(講談社)をプレンゼントされた。その人は、前号の同11号で渚の人が「新しい天使」(K.M.追悼のための奥多摩紀行)と題して特別作品を発表した友人K.M.の実のお姉さま。現在、ジュエリー・デザインのプロ作家として都内で活動している。高校時代に親しかった友人の一人、K.M.とお姉さまたち一家は、茅ヶ崎市中海岸の平屋の家(もと大阪の喜劇人曾我廼家五郎所有の別荘だったという)に住まわれており、渚の人は、よくそこへ通っては、K.M.やお母さまなどとフランス文学や源氏物語の話をしたものである。お母さまからすすめられて『ドルジェル伯の舞踏会 』(ラディゲ作)を、新潮文庫で読んだ記憶がある。庭には松林が広がり、平屋の家は、まるで小津安二郎が好んで撮影しそうな佇まいで、お風呂も五右衛門風呂であった。時々プロの能楽師が家に来られて、お父さまなどが謡の稽古をしていることもあった。その影響であろう、友人K.M.は亡くなるまで能を愛し続けた。
著作権の関係で、同詩画集収載の谷川俊太郎の詩を、たとえ一編であっても、ここに全面引用(転写)するわけにはいかないけれど、「天使、まだ手探りしている」の中の「わたしにはみえないものを/てんしがみてくれる」の一節は許されるだろう。「わたしにはみえないものを/てんしがみてくれる」のことばは、まさに俳句創作の秘密をいい当てているし、人間のもっとも大切な「生」のコア(核)を鋭く穿つ。すでに本ブログでも触れたことのある、サンテグジュペリの『星の王子さま』の中の「砂漠が美しいのは、どこかに井戸をかくしているからだよ。」(第22章)とあわせて、私たちが銘記すべき大事なことばであるだろう。私たちは、自らの内のどこかにいる「心の天使」と絶えず対話する必要があるにちがいない。クレーが描くように、天使はいつも完璧であるのではなく、「泣いている天使」や「醜い天使」であったり、あるいは「ひざまずく天使」や「幼稚園の天使」だったりする。
渚の人は、そんなクレーの優しい「天使」がこのうえなく好きなのである。そして「わたしにはみえないもの」を、内にいる数々の「天使」に教えてもらおうと思う。「ぶるうまりん」12号の特集「芭蕉の門人」には、金子晋、二上貴夫、小倉康雄等の皆様、また恒例の「特別作品30句」は、後藤昌治、片岡秀樹の皆様が執筆(発表)されている。ご多端のおり、本誌のために、お時間を割いていただいたことに、心よりお礼申し上げたい。写真は、クレーの「高いC音の勲章」というタイトルがついた作品。「言葉というものは、やはり神秘そのものと隔たること著しい。音と色彩にこそ秘儀がひそんでいる。」とのクレーのことば(日記)がある。