12月某日、所用のため、仕事をオフにし、千代田区の外神田及び神田神保町へ行ってきた。午前中に所用をすませた後、秋葉原の電気街にてフラッシュメモリー2点(今かなり安くなっている)と書庫内で使用する小さな懐中電灯を購入する。懐中電灯は、アメリカではフラッシュライト、イギリスではエレクトリック・トーチ(電気松明)と呼ばれる。日本の懐中電灯は、何か古色蒼然とした呼称だけれど、私はこの呼び方に愛着をもつ。しかし最近では米国流にフラッシュライトと呼ぶ向きもある。購入した懐中電灯は、ペンライトタイプよりやや大きめで、高輝度LEDを多く使用したもの。これは消費エネルギーが少なくて、なおかつ長時間使用に耐える。これがあれば、拙宅の書庫内の片隅にある文庫本専用書架の細部を簡単に探索することができるので、今まで苦労して探していた絶版ものの文庫本などが、かなり効率よく見つけることができるだろう。ちなみに、購入した懐中電灯で、早速『俳家奇人談・続俳家奇人談』(竹内玄玄一/岩波文庫)、『芭蕉臨終記 花屋日記』(小宮豊隆校訂/岩波文庫)、『芭蕉文集』(潁原退蔵編註/岩波文庫)、『評釈猿蓑』(幸田露伴/岩波文庫)などを探し出したのだった。読みたい本が、瞬時にしてこの懐中電灯(フラッシュライト)で見つけられる喜びは、何ものにもかえがたい。
その後、JR秋葉原駅から上野駅に向かう。上野公園内を歩き、12月14日に終わってしまう「フェルメール展」を観るため、東京都美術館に行く。しかし美術館では長蛇の行列で、70分待ちといわれ、結局「フェルメール展」鑑賞は諦めた。開催期間終了間際に駆け込んで同展を鑑賞しようとする人は、私だけに限らないらしい。公園内の銀杏の美しい黄落の真っ最中で、私の頬にも多くの銀杏の葉が降りかかる。上野公園を出て、再びJR上野駅に行き、御茶ノ水駅へ。そこから歩いて神保町の古書店街へ。数軒の古書店を中心に、探している古書の探索を行い、じっさい何冊かを購入する。何を購入したかは、ヒ・ミ・ツ…。ここでも街路樹の銀杏の黄落が激しく、田村書店の路上のワゴン内にそれが降り積もる。1時間強の古書探索行の後、神保町交差点から白山通りを水道橋方面に歩く。目的は、私が大学生時代の数年間、受験英語の採点のアルバイトを週三日行っていた、日本最古の大学受験予備校研数学館の建物の所在を確認するためである。
神保町交差点の近くに、富士レコードとTONYレコードがあり、少し行くと古書店の山口書店がある。店構えは、私の学生時代とほとんど変わらず、通路にも本がうず高く積まれている、まるで迷宮図書館のような店だ。その昔、ちょっと変わった店主がいたけれど、その人はいなかった。エリカ、神田白十字という喫茶店が昔と変わらずに存在するのを見て、ふと笑みがこぼれる。英語の採点に疲れたときなど、同僚の学生アルバイトを誘って、これらの喫茶店で休んでいたのだった。その直ぐ先に地下一階地上四階の堅牢な研数学館がある。全共闘世代の私は、学校でドイツ哲学を学び、また文芸誌「紀尾井文学」の編集を行い、そして週三日この予備校で英語の採点をしていたのだった。社学同(ブンド)主導の「お茶の水カルチェラタン闘争」などのデモ行進が、この白山通りで行われ、私たちは研数学館一階で仕事を行いながら、彼らの鋭いシュプレッヒコールを聞いていたのだ。その時代のことを思い出すと、なぜか胸が熱くなり、涙腺が緩みかけてしまう。採点の学生アルバイトは当時英語科がもっとも多く四、五人ぐらいいたように思う。数学科と国語科は各二人か三人だったのではないか。その中で、大学卒業後出版社に就職したのは、国語科のT.Y氏(小学館)と私だけである。(現在、研数学館は財団法人として存在するものの、大学受験予備校としては機能していない。)
研数学館を後にして、再び神保町に戻り、書泉グランデの前の靖国通りから神保町一丁目に行く。本ブログのtext129「重力の思想を超えよう」で紹介した「いにしえ文庫」のN.O氏に会うため。昭和30年代の良き東京の路地の面影が残るこのあたりは、何とも心地よい空間である。「いにしえ文庫」のそばに演劇、邦楽などの専門古書店があり、じじつ私が行った時、自転車の後部に古書を積み込んでいる店主がいた。「いにしえ文庫」に入り、N.O氏といろいろ話すのだけれど、開口一番、私の息子と同じ会社に勤務するT君が、私の来る前にしばらく店内にいたということだった。T君は、私の息子をよく知っているという。(しかも彼は息子と同じW大学の卒業生だ。)しばらく談笑した後、近隣の居酒屋に行って、N.O氏と旧交をあたためる。
冬木燦燦 空より滑るしゅぷれっひこーる 須藤 徹
写真は上野公園内の東京都美術館そばに立つ「フェルメール展」の看板。黄落の中の看板は、なかなか雰囲気があってよい。「フェルメール展」は観ることができなかったけれど、一番美しい季節に巡り合ったことをまず感謝すべきであろう。
その後、JR秋葉原駅から上野駅に向かう。上野公園内を歩き、12月14日に終わってしまう「フェルメール展」を観るため、東京都美術館に行く。しかし美術館では長蛇の行列で、70分待ちといわれ、結局「フェルメール展」鑑賞は諦めた。開催期間終了間際に駆け込んで同展を鑑賞しようとする人は、私だけに限らないらしい。公園内の銀杏の美しい黄落の真っ最中で、私の頬にも多くの銀杏の葉が降りかかる。上野公園を出て、再びJR上野駅に行き、御茶ノ水駅へ。そこから歩いて神保町の古書店街へ。数軒の古書店を中心に、探している古書の探索を行い、じっさい何冊かを購入する。何を購入したかは、ヒ・ミ・ツ…。ここでも街路樹の銀杏の黄落が激しく、田村書店の路上のワゴン内にそれが降り積もる。1時間強の古書探索行の後、神保町交差点から白山通りを水道橋方面に歩く。目的は、私が大学生時代の数年間、受験英語の採点のアルバイトを週三日行っていた、日本最古の大学受験予備校研数学館の建物の所在を確認するためである。
神保町交差点の近くに、富士レコードとTONYレコードがあり、少し行くと古書店の山口書店がある。店構えは、私の学生時代とほとんど変わらず、通路にも本がうず高く積まれている、まるで迷宮図書館のような店だ。その昔、ちょっと変わった店主がいたけれど、その人はいなかった。エリカ、神田白十字という喫茶店が昔と変わらずに存在するのを見て、ふと笑みがこぼれる。英語の採点に疲れたときなど、同僚の学生アルバイトを誘って、これらの喫茶店で休んでいたのだった。その直ぐ先に地下一階地上四階の堅牢な研数学館がある。全共闘世代の私は、学校でドイツ哲学を学び、また文芸誌「紀尾井文学」の編集を行い、そして週三日この予備校で英語の採点をしていたのだった。社学同(ブンド)主導の「お茶の水カルチェラタン闘争」などのデモ行進が、この白山通りで行われ、私たちは研数学館一階で仕事を行いながら、彼らの鋭いシュプレッヒコールを聞いていたのだ。その時代のことを思い出すと、なぜか胸が熱くなり、涙腺が緩みかけてしまう。採点の学生アルバイトは当時英語科がもっとも多く四、五人ぐらいいたように思う。数学科と国語科は各二人か三人だったのではないか。その中で、大学卒業後出版社に就職したのは、国語科のT.Y氏(小学館)と私だけである。(現在、研数学館は財団法人として存在するものの、大学受験予備校としては機能していない。)
研数学館を後にして、再び神保町に戻り、書泉グランデの前の靖国通りから神保町一丁目に行く。本ブログのtext129「重力の思想を超えよう」で紹介した「いにしえ文庫」のN.O氏に会うため。昭和30年代の良き東京の路地の面影が残るこのあたりは、何とも心地よい空間である。「いにしえ文庫」のそばに演劇、邦楽などの専門古書店があり、じじつ私が行った時、自転車の後部に古書を積み込んでいる店主がいた。「いにしえ文庫」に入り、N.O氏といろいろ話すのだけれど、開口一番、私の息子と同じ会社に勤務するT君が、私の来る前にしばらく店内にいたということだった。T君は、私の息子をよく知っているという。(しかも彼は息子と同じW大学の卒業生だ。)しばらく談笑した後、近隣の居酒屋に行って、N.O氏と旧交をあたためる。
冬木燦燦 空より滑るしゅぷれっひこーる 須藤 徹
写真は上野公園内の東京都美術館そばに立つ「フェルメール展」の看板。黄落の中の看板は、なかなか雰囲気があってよい。「フェルメール展」は観ることができなかったけれど、一番美しい季節に巡り合ったことをまず感謝すべきであろう。