須藤徹の「渚のことば」

湘南大磯の柔らかい風と光の中に醸される
渚の人(須藤徹)の静謐な珠玉エッセイ集。

美術と俳句のアマルガム─ぶるうまりん26号の校了 text 301

2013-06-10 17:05:04 | text

 「美術と俳句のアマルガム」を特集とする「ぶるうまりん」26号が、このほど校了になった。発刊予定は、2013年6月22日(土)。「アマルガム」とは、「合金」という意味であるけれど、そんなに大げさに考える必要はない。美術展に行って、あるいは好みの画集をみて、インスピレショーンを受け、それを俳句にする、ということだ。 

企画の趣旨は、同号の「編集後記」に詳しく書いたので、繰り返さないが、たとえば江戸時代は、俳諧と絵画が地続きで、絵師を含めた壮大な俳諧ネットワークが構築され、そのような中から、与謝蕪村という傑出した画人も出た。貞門の重鎮の一人野々口立圃(りゅうほ)は、狩野探幽に学んだ本格派で、元禄以降の俳画の一大隆盛は、ひとえにこの人に負うところが大きい。 

緒方光琳に私淑し、江戸琳派の祖となった酒井抱一(ほういつ)は、当時の俳諧ネットワークの中から、馬場存義(一世)に入門し、俳諧にもそうとうな情熱を傾けた。彼は、『屠龍之技』という自撰句集をもつほどである。後に、江戸座の遠祖宝井其角に惚れ込み、都会的ではあるが、一面機知に富み、難解な彼の俳諧を研究し、自身の創作の糧とした。 

星一つ残して落る花火かな  酒井抱一 『屠龍之技』より 

正岡子規も、その『俳諧大要』の中で繰り返し、「文学に通暁し、美術に通暁」する必要性を述べるものの、いうほどに俳句と美術は近寄らなかった。ましてや現代の時代は、いささか俳句と美術が遠くなった。一九八八年に『俳句・イン・ドローイング』(ふらんす堂)という本が出たが、これは俳人の作品と画家のコラボレーションで、両者がどう個性的に作品を構成するかが問われる、スリリングで画期的な作品集であった。このような出版物は、現代では非常に希になったように思う。

 「ぶるうまりん」26号では、伊藤若冲、円空、磯江毅、熊谷守一、柴田是真、青木繁、フィンセント・ファン・ゴッホ、ヴィルヘルム・ハンマースホイ、アンリ・ルソー、カジミール・マレーヴィチ、フランシス・ベーコン(順不同)等の美術作品から、同人が5句創作し、それに一頁のエッセイを執筆した。著作権のあるものをのぞいて、一色ではあるけれど、原則的に該当の美術作品を、俳句の下に掲載した。ご期待ください。

スイートピーは柔らかい円である   須藤 徹

鳥帰る棺の形(なり)の貯水槽       同

春寒の浪が責め入る違い棚        同

*作品40句「存在の窓」より、3句抄出