須藤徹の「渚のことば」

湘南大磯の柔らかい風と光の中に醸される
渚の人(須藤徹)の静謐な珠玉エッセイ集。

輝ける俳句的文体 text 41

2005-11-23 18:26:08 | text
通勤の車中、開高健の『輝ける闇』を読んだ。1968年(昭和43年)、新潮社から書き下ろされたもので、同年毎日出版文化賞を受賞した記念碑的な作品である。この小説のどのセンテンスをとっても、あるいはどのことばのフラグメントをとっても、人を酩酊させ、あるいは金縛りにする。それはさながらこの小説に登場する、ウェイン大尉と私(従軍記者)のやりとりに出てくるバーボン・ウイスキーの一滴が醸し出す「ワイン・スメル」のようなものかもしれない。私はそれを俳句的文体という。

「ジャングルは長城となって地平線を蔽っている。その蒼暗な梢に夕陽の長い指が届きかけている。農民も子供も水牛もいない。謙虚な、大きい、つぶやくような黄昏が沁みだしている。その空いっぱいに火と血である。紫、金、真紅、紺青、ありとあらゆる光彩がきょう最後の力をふるって叫んでいた。巨大な青銅盤を一撃したあとのこだまのようなものがあたりにたゆたって、小屋そのものが音たてて燃え上がるかと思われる瞬間があった。」

冒頭のすぐ後に、この文章が続く。こうした粘液質のエネルギーに満ちた文章は、そう簡単に書けるものではない。ある輝きに満ちた作家の栄光の瞬間に、こうしたセンテンスが立ち上がるのであろう。それは、真正な作家の奇跡に近いものがある。このとき開高健は30代後半だった。

その開高健が選者を務める小説コンクール(大学のソフィア祭賞)に、私は二十歳のときに応募した。昭和40年代前半だから、ちょうど開高健が『輝ける闇』を発表するころだ。そのとき私の小説は、最終四作に残ったものの、賞は逸した。(入選作なし。)開高健は、大学の発行する新聞紙上で、私の作品を徹底的にこき下ろし「大江健三郎のエピゴーネン!」と書いた。冗談のような話だが、私のそのときの小説のタイトルは「出発できない朝」であった。

開高健の命日12月9日が近づくたびに、私はこの真正な作家のことを思い出し、俳句をまったく離れて、彼の作品を読み直す。写真は茅ヶ崎市にある開高健記念館。(フォトは同館のHPに掲載されているものを転載。)http://www.city.chigasaki.kanagawa.jp/newsection/bunsui/kaikou/kaikouidx.html


戦略的という繊細な生き方 text 40

2005-11-14 00:48:49 | text
『金子兜太養生訓』(黒田杏子著/白水社・1890円)には、俳人金子兜太が長寿に対し、いかに戦略的に生きてきたかが如実に示されている。それと同時に、その兜太が俳句の何をポイントとしてきたかについても明瞭に書かれ、兜太ファンのみならず一般読者にとっても、「人生三度生きる」兜太のすべてが分かる仕組みになっていよう。兜太からの黒田杏子の話の引き出し方が上手なため、単に生き方の方法に終始することなく、本質的な俳句の方向性にまで、内容が膨らんでいるのが、とても魅力的だ。

たとえば「定住漂泊」や「アニミズム」は、金子兜太を理解するうえで、特に大事なキーワードである。本書を読めば、それらがどのような経緯で出てきて、どうして重要なのかが、じつに懇切丁寧に紹介されている。兜太はその「定住漂泊」から一茶と山頭火への傾倒を始めた。「諾うにせよ、絶つにせよ、気分の無と争うとき、流魄の情念は燃える。精神といえるものがその争いのなかに見えてくるとき、流魄は求道のおもむきを具える。私は、この争いのなかの流魄情念を定住漂泊と呼ぶわけだが、その有り態は一様ではない。」『定住漂泊』の有名な一節も、本書にさりげなく差し挟まれていて、読者にはたいへん親切である。

また「アニミズム」についても、本書の中で「一木一草に神が宿ると思うのはまさにアニミズムなのです。日本人はその固まりだ。そういうこともあって、身をもって表現できたのが大衆性と一流性を獲得している現実ではないか。俳句はそれをあんがい獲得しやすい芸術でもあると考えます。」と兜太はいっている。そしてここがキーポイントなのだが、こうしたアニミズムを具えた俳句に親しめば、間違いなく長寿につながると兜太ははっきりと主張する。

『金子兜太養生訓』は、第一章「長寿への意思をもつ」、第二章「俳句を生きる」、第三章「森羅万象あらゆるものから『気』をいただく」、第四章「日記をつけ続ける人生」、第五章「荒凡夫としてゆったりと生ききる」の五章から成立していて、どの章から読んでも面白い。筆者はとりわけ第三章と第四章がつよく印象に残った。第三章に、金子兜太の盟友原子公平の死のことが記されている。兜太は公平の骨上げに際し、その骨をじっと見つめて「原子よ」と呼びかけたそうである。これは兜太にとっても初めての経験だった。さらに凄いのは、盟友の骨を見ていたら「気」が入ったという。「私は『気』をもらったから、原子の分まで生きますよ」兜太は奥さんたちに、そういって帰ってきた。

第四章「日記をつけ続ける人生」を読んで、金子兜太が綿密に日記を書く人だということを知って、筆者は少なからず驚いた。「長寿への意思」をもち、戦略的に生きることは、とりも直さず、兜太が細心の注意を払う、非常に繊細な人であるからだろう。筆者は過去NHKテレビの兜太主宰の番組に二回出演(東京と松山)し、一方ある俳句総合誌において、兜太が司会を務める座談会にも参加したことがある。いずれも兜太の用意周到さに大きな感銘を受けた。どうしたら番組(記事)が盛り上がるか、兜太は全神経をその一点に集中しては、出演者(参加者)のすべてに気配りをする。当意即妙かつ瞬時にしてその場を明るくする話術の巧みさ、これは兜太の天性のものもあるけれど、その緻密な準備によるのにちがいない。このような良書をまとめられた黒田杏子の才覚と努力に、心から敬意を表したい。

*「週刊読書人」第2613号(2005年11月18日)より転載。(須藤徹執筆。)写真は大磯の高麗神社にある狛犬。

風景の向こう側へ text 39

2005-11-04 01:59:21 | text
わが家の生垣のとあるところに、美しい黄色のつわぶきが咲いている。秋が深まる中に、この花を見ると、季節の移り変わりをふと感じてしまう。

第42回現代俳句全国大会が、10月22日(土)、東京・上野の東天紅で行われた。私も実行委員の一人であるために、午前中より出席した。今年の応募作は約14000句。その中から次の二句が現代俳句全国大会賞に選ばれた。

八月やいっぽんの木に逢いにゆく    森壽賀子
麦を踏む富士へ近づいては戻り     田口武

作品の講評を行った松澤昭現代俳句協会会長は、昨年あたりからこうした自然への眼差しに満ちた作品、具体的には、植物から人間存在の在り方を問うような俳句が増える傾向にある、と指摘した。風景を通し、ついには風景を越える作品の良さということなのだろう。風景の向こう側にある真実を見出す眼が、俳人には必要ということにもなる。私も当日選者の一人であったので、選句した中から、ここに特選一位の作品を掲出する。青木一夫氏には、私の染筆短冊を進呈した。

<須藤徹選>
田を植えて皆んな気泡になってゆく   青木一夫