須藤徹の「渚のことば」

湘南大磯の柔らかい風と光の中に醸される
渚の人(須藤徹)の静謐な珠玉エッセイ集。

ハイデガーの『存在と時間』全83節を読む─第13節〔内・存在の例示。世界認識〕 extra A-13

2013-05-27 17:39:26 | extra A

[マルティン・ハイデガー『存在と時間』/第1部「時間性へ向けての現存在の解釈、および存在についての問いの先験的視界としての時間の解明」・第1編「現存在の予備的基礎分析」・第2章「現存在の根本構えとしての『世界・内・存在』の一般」・第13節「在る基礎づけられた様相における内・存在の例示。世界認識」/1969年8月30日第11刷の桑木務訳岩波文庫]

 A世界・内・存在は、配慮された世界から配慮を取り去っています。認識作用が、目の前にあるものを観察しながら規定することとして可能であるためには、予め世界と配慮しながら交渉をもつということのひとつの欠如態を必要とします。1969年8月30日第11刷の桑木務訳岩波文庫) 

B世界の=内に=有ることは、配慮することとして、配慮された世界に気をとられている。認識することが直前に有るものを考察し規定することとして、可能になるためには、それに先立って、配慮するという仕方で世界と関わっているということの或る失陥が必要である。(1969年7月1日第3版の辻村公一訳「世界の大思想」/河出書房) 

C世界=内=存在は、配慮として、それが配慮する世界に気をとられている。客体的存在者に考察的規定という態度としての認識が可能になるためには、それよりもさきに、世界との配慮的交渉の欠如的変様が起こることが必要である。(2005年6月30日第13刷の細谷貞雄訳ちくま学芸文庫) 

D世界内存在は、配慮的な気づかいとしては、配慮的に気づかれる世界に気をとられている。だから、認識作用が、目の前にあるものを観察しながら規定するはたらきとして可能となるためには、それに先だって、世界と配慮的に気づかいつつかかわるというありかたが欠損していることが必要となる。(2013年4月16日第1刷の熊野純彦訳岩波文庫)

 Das In-der-Welt-sein ist als Besorgen von der besorgten Welt benommen. Damit Erkennen als betrachtendes Bestimmen des Vorhandenen mogelich sei,bedarf es vorgaengig einer Defizienz des besorgenden Zu-tun-habens mit der Welt.

 今回は、桑木務、辻村公一、細谷貞雄の、いわば定番的訳書と、新訳の熊野純彦の訳を並べ、それぞれどう訳しているかを見てみたい。ハイデガーの原文は、四人の訳文の下にあるので、ご興味のある方は、熟読して欲しい。この他に、松尾啓吉(勁草書房)、寺島実仁(三笠書房)の訳書もあるけれど、この二冊は未入手であるので、省きたい。 

第13節において、いささか大事な部分なので、四書の訳文を比較してみたのだ。どの訳文も、非常に苦労して訳していることがわかるものの、読者にはやはりわかりにくいだろう。「認識作用」は、「世界・内・存在」の具体的な一つの存在の在り方であるが、ハイデガーは、その際に人々が無意識に行ってしまう「配慮的気づかい」を中止しなければ、目の前にあるものが、認知できない、とするのである。すなわち純粋に「存在論的に」考えるのでなければ、対象を認識できない。 

遮断機の死角に真の実存はあり   須藤 徹


叫ぶ教皇とフランシス・ベーコン─世界は一瞬にして脱臼され、意味を失う text 300

2013-05-11 15:53:06 | text

二○一三年五月一日(水)、東京国立近代美術館(東京都千代田区北の丸公園三-一)に、「フランシス・ベーコン展」(二○一三年三月八日~五月二十六日)を観にゆく。日本でのベーコン展は、一九八三年に初めて開催され、今回はじつに三十年ぶりの二回目である。それを考えると、今後近い将来のうち、容易にベーコン展が開催される保証はない。

フランシス・ベーコンといえば、「知は力なり」で知られる、シェークスピアと同時代の英国の哲学者を思い浮かべる方もいようが、こちらは画家である。一説によると、画家のベーコンは、哲学者のベーコンと血のつながりがあるという。二十世紀において、最も重要な画家の一人と目され、ピカソと並べる人さえいる。過去にプラド、メトロポリタンなど世界でもトップクラスの美術館、さらには一九七一年にはパリのグラン・パレで大回顧展が行われた際は、時のポンピドー大統領が儀仗兵を従えて、開会式を執り行ったのは、何とも凄い。

しかし、私見によれば、日本での知名度は、それほど高いとは思えない。現に筆者が観に行った日も、比較的空いており、じっくり絵を鑑賞するには、最適な環境だったほどだ。「移りゆく身体」「捧げられた身体」「物語らない身体」「エピローグ─ベーコンに基づく身体」の四テーマに分類され、単なる回顧展ではなく、「身体」にフォーカスを当てた展覧会である。その結果、ベーコンの作品は三十数点に絞られている。ベーコンの作品に加え、土方巽の「疱瘡譚」の舞踏映像記録や舞踏譜「ベーコン初稿」なども展示されていた。

 三十数点のベーコン作品のうち、最もつよいインパクトをあたえられたのは、「叫ぶ教皇のための頭部の習作」である。ベーコンは、一九五○年に、ベラスケスの「インノケンティウス十世の肖像」に基づく、「叫ぶ教皇」シリーズの作品を描き始めた。出展されたのは、二年後の一九五二年の作品で、全身像ではなく、頭部だけなので、いやおうなく「教皇の叫び」が観る者を圧倒する。

教皇の座る玉座の枠の黄色と、線のような白い衣服と顔の表情、闇に消え入るような頭の上部のほかは、漆黒の闇だ。その中で大きく開けられた口の闇の中に、上下の歯が異様に描かれる。顔の目のあたりに、壊れかけた眼鏡…。ベラスケスの絵画、エイゼンシュタイの映画「戦艦ポチョムキン」の「叫ぶ乳母」のワンショット、口腔内の医療用写真などから多彩に引用された、ベーコンの「叫ぶ教皇」は、しかしタイトルの「叫ぶ教皇」にのみ収斂される。

線・形・色彩・構図などの絵画を構成する全ての要素は、完璧であり、文句のつけようがない。その完璧さによって、世界は一瞬にして歪められ、脱臼され、還元される。キリスト教の秩序崩壊という些細なレベルではなく、言葉を持たず、叫ぶだけの人間の原始的身体性そのものの姿に回帰しようとする「教皇」、そこには一切の物語(意味)も終焉していよう。

「他者の身体でも自己の身体でも、人間の身体というものを認識するためには、これを〈生きる〉しかない」(知覚の現象学)とモーリス・メルロ=ポンティはいうけれど、まさにベーコンは「叫ぶ教皇」の絵の中に「生き」、私たちもまた、この作品によって「生きる」にちがいない。

叫ぶ教皇重低音の蠅生る   須藤 徹

*フランシス・ベーコンの「叫ぶ教皇のための頭部の習作」は、東京国立近代美術館のHPで観られます。

http://bacon.exhn.jp/

 


海も山も蒼い大磯─四月下旬から五月上旬の日々抄 text 299

2013-05-06 21:46:23 | text

 2013年4月27日(土)は、第117回ぶるうまりん大磯句会。また5月5日(日)は、同第7回横浜句会。いずれも熱心な方々の参加により、句会は盛り上がった。「ぶるうまりん」26号(6月末日発行)の原稿締め切りも、すぐそこに近づいている。特集は、「俳句と美術のアマルガム」。「アマルガム」とは、ほんらい「合金」という意味であるけれど、美術作品を通して、それを俳句でどうとらえるかを、参加者各位が大胆に実験することになる。さて、どういうページが構成されるだろうか。 

<第117回ぶるうまりん大磯句会>  *5句抄出

廃屋の明るい抒情ひやしんす   松本光雄 

青き踏む楕円を出ればさあ大人  山田京子 

菜の花と玄米食の夕暮れ     山田千里 

海女の笛ガム噛んでいる独り者  田中徳明 

前方後円墳を遊んでいたり花筏  普川 洋 

4月某日、「草枕」国際俳句大会実行委員会より、第18回「草枕」国際俳句大会の「事前投句一般部門」の選者依頼が来る。選考の締め切り(2013年9月中旬)を確認し、「諾」の返事を書いて、同事務局宛へ投函する。2009年の第14回「草枕」国際俳句大会から選者を務めているもので、毎回選句の真剣勝負があって、緊張度は高い。 

4月30日(火)、東京の某老舗出版社より依頼されている一冊の書籍(タイトルほかの詳細は、現段階では非公表にさせていただきます)の原稿約三分の一(四百字詰め換算約150枚)を送稿。基本的には、かなり厳しいスケジュールで、正直いって、その日程に合わせるのは難しいが、出版社からは「校正と同時に入稿を!」と釘を刺されている…。 

5月1日(水)、東京国立近代美術館(東京都千代田区北の丸公園3-1)に、「フランシス・ベーコン展」(2013年3月8日~5月26日)を観にゆく。予想したとおり、相当な衝撃を受ける。これについては、別途、拙文を、本ブログのテキスト版に書きたいと思っているものの、実現できるかどうか。幸い大礒町立図書館に、ミッシェル・ライリー著佐和瑛子訳の『現代美術の巨匠-FRANCIS BACON』(美術出版社/1990年1月10日発行)があったので、これを早速借用する。

5月3日(金)、未開封の俳句結社誌・同人誌をいっせいに開封したところ、京都の俳誌(きりん136号=梶山千鶴子主宰/2013年5月1日発行)に釘付けになってしまった。俳誌の中に「謹告」の別刷り用紙が挿入され、梶山千鶴子主宰が、4月24日に逝去されたという。八十八歳。多田裕計特集号の「ぶるうまりん」25号(3月23日発行)に、貴重な文章をいただいていた。 

またご自身の『梶山千鶴子全句集』(東京四季出版/2013年2月12日発行)を出され、刊行前の2月10日頃、梶山千鶴子さんから直接お電話をいただき、そのときはまったくご病気の気配は感じられなかった。(ただ、今から考えると、何かを急がれているような雰囲気が心なしかあったのも、事実…。)衷心より、ご冥福をお祈り申し上げます。 

魂のわれに戻りて花野まで   梶山千鶴子 *全句集中の第七句集『墨流し』より