Biting Angle

アニメ・マンガ・ホビーのゆるい話題と、SFとか美術のすこしマジメな感想など。

2011年もありがとうございました。

2011年12月31日 | その他の雑記・メモなど
激動の2011年も、残すところあと数時間となりました。

3月に起こった想像を超える天災と、それに追い討ちをかけるようなとてつもない人災の発生によって
個人から社会レベルに至るまでが混乱し、振り回され、あるいは分断され、その傷跡が癒えないままの
年越しとなりました。
また、震災以後はtwitterやネット中継の威力が大いに発揮されたと同時に、様々な手段で飛び交う
ネット上の情報について、誰が真偽を保証し、その影響について責任を持つのかという問題についても、
大いに考えさせられたところです。

いまのネットは技術がすごいスピードで発達し、ユーザーが表現する幅も大いに広がっている一方で、
ネット上ではどうしても「反射的」な反応をしがちな分、どのユーザーも自らの立場を省みる余裕に
欠けているようにも思えます。
自由であること、人に先んじることばかりを優先するあまり、ネットで繋がった先の相手を見るゆとりが
なくなりつつあるのではないか・・・というのが、twitterを使い始めて2年目の素直な感触でもあります。

本当に成熟したネット社会というのは、誰でも発信者になれると同時に、誰もが言論に責任を持つことが
当たり前になることによって、初めて実現されるはず。
自戒の意味もこめて、来年はネットとの距離感を改めて検証すべき時期ではないか、とも感じています。

それでも、twitterでのつぶやきを通じて様々な方とつながり、いろいろな経験ができたのも事実。
このところ追いかけている『マイマイ新子と千年の魔法』について、今年は念願の防府訪問と野外上映を
体験することができ、さらにスタッフや地元の皆さんと交流を深めることができましたが、それもやはり
twitterからの情報によるところが大きかったです。







防府訪問の際には、震災後に読み直して力づけられた『この世界の片隅に』の作者であるこうの史代先生にも
お会いできたし、自分にとって一番のトピックは今年もやっぱり『マイマイ新子』関係でした。
さらに片渕監督との関連で『空とぶゆうれい船』をはじめて見られたのも、大きな収穫のひとつです。
マイマイは自分にとって出会いの作品であり、それはこれからも変わることがないんだろうと思います。

アニメのイベントは他にもいろいろ行ったけど、印象的だったのは攻殻SAC関係とUN-GOのイッキ見。
こんな時代にアニメとして何ができるか、ということを真剣に考えた作品は、見ていて力づけられます。
その意味では、1年を通して「過去からの罪と罰、そして解放」を問い続けた『輪るピングドラム』も
シュールな映像と相まって見応えのある作品でした。

SF関係では、なんといってもSFセミナーの内容が濃かったです。
上田早夕里先生や巽孝之先生から直接お話を伺えたのは、貴重な思い出となりました。
改めて『ダールグレン』邦訳刊行と『華竜の宮』日本SF大賞受賞を祝したいと思います。

このサインも、大切な宝物になりました。
あ、水鏡子先生と深夜の『大帝国』談義で盛り上がったのも、あの夜の忘れがたい記憶です(笑)。

美術もいろいろ見たけど、質・量ともに圧倒されたのは『酒井抱一と江戸琳派の全貌』。
磯江毅展や犬塚勉展など、リアリズム作品の秀逸な展覧会もありました。

社会も人心も不安定な時期こそ、美術によって心を落ち着けることも必要ではないかと思います。

そして美術に限らず、こんな時代こそ小説や映像によって語られる物語が必要とされ、
さらにその力が試されるときではないか、とも感じてます。
裏返して言えば、それらを受け止める我々の力も、また試されているのかもしれない。

2011年は現実に打ちのめされ、みんなが力をあわせることによって立ち直っていく過程の年でした。
2012年はその経験を糧にして、新たなステージに進む年にしたいものです。社会も、そして我々も。

それでは、今年一年お世話になりました。みなさまも良いお年をお迎えください。
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月食2011

2011年12月11日 | その他の雑記・メモなど
2011年12月10日の9時45分過ぎから12日にかけて、日本各地で皆既月食が観察されました。

関東地方では天気にも恵まれ、見事な天体ショーを見た人も多いはず。
私も寒い中、デジカメと三脚を用意して一部始終を撮影してみました。

18時40分。お盆のように丸い月が出ています。

これが3時間後には欠け始めるのか・・・と思うと、なんとも不思議な気持ち。

そして21時55分。月が欠けてきたのが、はっきりわかるようになってきました。


22時5分。デジカメの感度を落として撮影すると、月に落ちた影がよく見えました。


22時25分。もう半分以上が影に隠れてしまっています。


23時。最後に一筋だけ残った月光が消えていきます。


それからわずか数分、月が完全に地球の影に入りました。


感度を上げて撮った、皆既月食中の月。

肉眼で見ても、黒いというよりは赤っぽい色。まるで熟れたブドウのようにも見えます。

写真ではよく見えませんが、ちょうど真下にはオリオン座が光ってました。


そして12月12日の0時、およそ1時間にわたる皆既月食が終了。


当たり前の話ですが、先に影になったほうから明るくなっていきます。


月にまた光が戻ってきました。

さすがに満月に戻るまで待つには寒すぎたので、月食観察はこれにて終了。

冬の夜空を見上げるのは寒かったけど、天体と天候の二つの天の恵みが重なったおかげで
すばらしい体験ができました。

来年は173年ぶりに関東で金環日食が見られるそうで、今から楽しみです。
前回の日食では悪天候で出番のなかった日食メガネが、今度こそ役に立つかも!

・・・そんなわけで、お願いだから5月21日は晴れてくれますように(^^;。
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秋葉原で旧日本軍の将校マントが展示されてた

2011年11月13日 | その他の雑記・メモなど
秋葉原のまんだらけコンプレックスのショーケースに、変わったものが展示されてました。

旧日本軍の将校用マント。何でも扱うまんだらけらしいアイテムです。

写真ではちょっとわかりにくいけど、色は薄めのオリーブグリーン。

説明書きには純毛素材のいいものと書かれていたけど、近くで見ると密度があるのに
しなやかそうで、確かになかなかいい生地に思えます。

ただし、古い品なのでシミがあちこちについてるとか。さすがは実用品。

襟も型崩れせず良い状態でした。カラーは学生服のようにホック留めなのがまた渋い。

なお、写真に写りこんでるのは撮影者の手で、別に何かの祟りではありません(^^;。

マントですから、当然袖はなし。上着の上に羽織る形で着用します。

カッコいいけど、さすがに街中で着るのはちょっとためらわれるので、やはりコスプレ用かな。
説明書きにあった「この冬は本物で決めてみてはいかがでしょうか」の“この冬”ってのも、
たぶんコミケのことだろうし。

私のイメージだと旧日本軍のマントといえば真っ先に『帝都物語』の魔人・加藤保憲が思い浮びますが、
最近のキャラだと『絶対可憐チルドレン』の兵部少佐の若いころあたりに需要がありそうですね。

お値段は18,900円なり。どう使うかは、購入者の気持ち次第です(笑)。
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LAMY safari万年筆 フレンドシップペン(日本限定発売)

2011年09月11日 | その他の雑記・メモなど
本日9月11日で、2001年の同時多発テロ発生から10年目。
そして東日本大震災の発生からちょうど半年が経ちました。

日付の一致だけでこの二つを並べるのには今でも違和感があるし、そうすることで何か大切なことを
見落としてしまわないかという不安もありますが、これをひとつの節目として心に留めると共に、
その間に社会の何が変わり、そして何が変わらなかったかを考えるよい機会であるのは確かです。

まあ震災に関してはまだ半年と考えれば、これから変えるべき事柄もそのチャンスも多いのですが・・・。

そんな節目の日に届いたのが、LAMYの「日独友好150周年 サファリ フレンドシップペン」。


150周年にちなんで、日本限定15,000本販売。
といっても特に品薄というわけではないし、ボディ色そのものはシャイニーブラックと同じなんですが・・・

「日独のフレンドシップを表す今回の特別モデルは、売上の一部を東日本大震災の義援金として
 復興支援に役立てる目的で日本赤十字社に送られます。」

という売り文句にも釣られて、つい手を出してしまいました。

クリップの黄色とキャップヘッドの赤、それにボディの黒をあわせてドイツカラーを表現すると共に
キャップヘッドの赤丸が日の丸も意味するという、なかなか機知に富んだデザインです。

2010年のジャパンリミテッドと同じく、サファリの特徴であるキャップヘッドの十字マークが
省略されているのがやや残念ではありますが、神経質な人に「日の丸にバツがついている」
なんて言われたらラミー社としても不本意でしょうから、これはいたしかたないところ。
逆にそこまで気を使ってデザインしたということであれば、ありがたい話です。



レギュラーモデルのシャイニーブラックと異なる、黒いペン先。
シルバーのスチールチップに比べて、全体にタフな印象があります。
そこに黄色のクリップが適度な遊び心を感じさせて、硬軟両面でバランスがとれている感じ。

黒ニブだとペン先からグリップまで独特の一体感があります。

サイズはFのみ。書き味はやや固めだけど、なかなか書き易いです。

PCを使うようになって手書きはめっきり減りましたが、安いとはいえせっかく買ったペンですし
サファリは使い倒すことで真価を発揮するそうですから、機会を見つけて使っていきたいですね。
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雑誌「Pen」2011年 9/1号「円谷プロ大研究!」

2011年08月28日 | その他の雑記・メモなど
興味深い特集があるとちょくちょく買っている雑誌「Pen」ですが、前回の「イスラム特集」から一転、
9/1号は「円谷プロ大特集」と題して、過去から現在までの円谷プロ作品を総力特集しています。

Amazon等の写真ではなんの変哲もない表紙に見えますが、実物はマットブラックのコート紙に光沢写真で
ウルトラマンがプリントされているので、ウルトラマンが立体的に見えるという仕掛けになってます。

光の反射によっては、スペシウム光線を発射しているような感じにも見えたりして。

以下、「Pen」の公式ページ紹介文を転載します。

“ウルトラQからウルトラマンゼロまで。
 円谷プロ大研究!

 テレビ創生の時代、特撮の神様・円谷英二、そして円谷プロのスタッフたちが、
 いかにして世代を超え愛される国民的ヒーロー「ウルトラマン」を誕生させたのか。
 彼らを支えたのは特撮技術であり、新しい分野に取り組み、挑戦を続ける開拓者精神だった。
 円谷英二のもと、金城哲夫、成田亨、高山良策、実相寺昭雄ら、
 キラ星のような若い才能が何を考え、どのように作品を生み出したのか?
 当時を知る関係者の証言をもとに、円谷プロのクリエイションを徹底解剖する。”

「円谷プロ大研究」と銘打ってはいますが、メインはやっぱりウルトラマンシリーズなので
「怪奇大作戦」とか「マイティジャック」などの記事を期待すると肩透かしを食いますが、
さすがは中年世代をターゲットにした雑誌だけに、平成ではなく昭和のウルトラシリーズに
かなりのページを割いています。

内容としては次のとおり。

・ウルトラQ~メビウスまでの作品ガイド
・円谷作品年表&円谷プロの社史
・ウルトラマンゼロまでの36戦士勢ぞろい(ウルトラサインつき)
・ウルトラマン~レオまでの必殺技解説
・クリエイター紹介(円谷英二、飯島敏宏、満田かずほ、市川森一、佐川和夫、中野稔、池谷仙克の各氏)
・池谷仙克氏が語る、ウルトラシリーズ成功の立役者たち(成田亨、実相寺昭雄、高山良策の各氏)
・上原正三氏が振り返る、天才・金城哲夫氏。
・ウルトラシリーズ歴代人気怪獣ベスト50
・地球防衛チームのマーク&グラフィックのデザイン
・各界有名人が語るウルトラシリーズの魅力
・円谷プロ造形工房&円谷プロデザイン室の紹介
・ウルトラQ総天然色化計画&今も活躍するソフビ職人
・地球防衛チームの秘密兵器紹介
・いま買えるウルトラグッズ&この夏の展覧会

記事については細かい研究書にこそ劣るものの、各分野を幅広く網羅しているあたりはちょっとした
「ウルトラシリーズ大百科」と呼べるようなもの。
平成ウルトラマンはマックスの「狙われない街」しか見てない私ですが、逆にそのあたりの情報が
目新しかったりと、特集全体を通して楽むことができました。

表紙でもわかりますが、写真などのビジュアル面もかなりの充実ぶりです。





車両の写真の中には、先日TVで放映された「新劇場版ヱヴァンゲリヲン:破」でも数回出てきた
マットビハイクルの雄姿もあったりします(笑)。

Amazonではすでに品切れですが、書店を探せばまだあるはず。
このレベルの特集は専門誌でもなかなかできないと思うので、興味のある方はお早めにご購入を!
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夏越の祓

2011年06月30日 | その他の雑記・メモなど
6月30日は、「夏越の祓(なごしのはらえ)」を行う日。
この日に厄払いとして、夏氷を模した和菓子の「水無月」を食べれば
その年は無病息災であると、昔から言い伝えられているそうです。

今年は鶴屋吉信さんの「水無月」を買ってきました。

掛け紙のデザインが、なかなか涼しげでいいですね。
ちなみに黄色の包み紙はきれいにのばしてあげると、新書サイズのブックカバーに
ちょうどいい大きさになります(笑)。

箱のふたを裏返すと、いかにも老舗らしい商標が刷られてました。


中身は三角に切ったういろうの上に、煮小豆を乗せたものです。
下のういろうが氷を表し、上の小豆は厄除けの豆を意味しているとか。

ういろうはぷりぷり、豆はふっくらと煮上がっていて、この時期の茶菓子にぴったりです。
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ボデガス・ロマブランカ バルドサ07

2011年06月12日 | その他の雑記・メモなど
安くておいしいワインを見つけたので、同じご趣味の方にご案内。

スペインはカリニェナ地域で生産された赤ワインです。
うちの記事でワインを取り上げるのって、これが初めてだったかな?
ムートンの記事では、ラベルの話しか書いてないし・・・。)



酒のディスカウントショップで、1,000円プラス消費税にて購入。
この価格帯のスパニッシュはアタリとハズレの差が極端に出るのですが、
このバルドサは大当たりと行ってよいでしょう。

濃くて甘酸っぱくて、アルコール度はなんと14.5度。
ボリューム感も果実味もあって、かつ適度の酸が全体を引き締めており、
濃い目の赤が好きな人にはもってこいのワインです。
余韻に煮詰めた紅茶のような香りが残るのは、テンプラニーリョの個性と
ガルナッチャ由来のタンニンの多さに由来するものでしょう。

飲みごたえのある赤なので、料理は肉料理やトマトソースのパスタ、
おつまみはクリームチーズを乗せたクラッカーなどがオススメです。
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震災に負けるな、茨城の蔵元!

2011年04月07日 | その他の雑記・メモなど
長かった寒さもようやく緩み始め、関東でもそろそろ桜が見ごろを迎えました。
今日あたりから週末にかけて、満開となるところも多いと思います。

世間では花見の自粛ムードも出ていて、これについてはいろいろ思うところもありますが
個人的に「無礼講は抜きで、静かに花と酒を愛でつつ春を慶ぶ」という姿勢にやましさは
感じないので、強い決意のもとに花見酒を実施させてもらいました。

用意した酒は、茨城の蔵元「府中誉(株)」の「渡舟 濾過前五十五 生詰」。

桜はうちの近所で咲いていた枝から、少しだけ拝借してきたもの。

こちらの蔵元が主導して復活させた、明治・大正期の幻の酒米「渡舟」を使用し、精米歩合55%の
純米吟醸クラスとして作られたお酒を濾過せずに生詰したものです。
濾過していないとはいえ、かなり磨いているので雑味はほとんどなく、控えめな香りの中に米の味と
しっかりした酸が感じられます。
冷やで飲むなら香りを開かせ、甘みを引き出すために、広口の酒盃で飲むのがオススメです。

この蔵元さんですが、購入した酒屋さんから聞いた話では、震災でかなりの被害を受けたとのこと。
今回の地震では茨城県もかなり大きく被災しているのですが、津波による被害がより大きかった
東北の様子が連日報道される一方、茨城についてはマスコミが大きく取り上げることも無いまま
時ばかりが過ぎ、落胆している地元の方も多いようです。

また、茨城県の産品も原発による放射能に関する風評被害を受けており、こちらの府中誉さんでも、
商品の酒や仕込み水について放射能の検査を実施した結果、問題はなかった事を公表しています。

今後は酒米の出来が気にかかるとのことで、いろいろ不安もあると思いますが、この試練を
何とか乗り越えて、今後も良い酒を造り続けて欲しいものです。
そして日本酒を愛する多く皆さんには、東北の蔵元だけでなく、茨城の蔵元についてもぜひ
応援していただき、花見のお供に茨城のお酒も加えていただければと思います。



桜の花を浮かべて、船に見立ててみました。

“震災も 自粛も超える 渡舟”
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3月19日、無常の月

2011年03月19日 | その他の雑記・メモなど
2011年3月19日から20日は、月が地球に最接近する日だそうです。



たしかに、今夜の満月は本当に大きく見えます。
目のよくない私でも、肉眼で月の海が見えたほどですから。

肉眼で月の海が見えるといえば、思い出すのがスティーヴン・バクスターの短編「月その6」。
月を見上げた主人公が、見慣れたはずの月の地形の違いに気づくという導入部が印象的な作品でした。
・・・そういえば、あれも大きな自然災害に関するSFだったなぁ。
ラリイ・ニーヴンにも「無常の月」という短編がありましたが、こちらも太陽面爆発による大災害の話でした。

煌々と輝く月の光の下では、高圧線の鉄塔もちっぽけな影でしかありません。
こういう時、自然の前では人間のやってることなんて小さいものなんだなと、つくづく感じます。

それでも、この線のはるか先には、いまも原発の危機に立ち向かっている人がいます。
その人たちの懸命の作業に、この月の光が少しでも助けになってくれるとよいのですが。
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東北地方太平洋沖地震、発生から七日目

2011年03月17日 | その他の雑記・メモなど
東北地方太平洋沖地震の発生から、今日で7日が経過。

連鎖的な地震に加え、巨大津波とそれに続く原発事故に見舞われたこの7日間は、まさに「大地の怒り」、
そして「火と水の七日間」として、わが国とその国民である我々に大きな痛手を与えました。

七日も経てば、普通なら本格的に復興の動きが出てきてもいい時期のはず。
しかし今回の震災では、未曾有の規模で起こった地震と津波に加え、政府が福島第一原発での連日の
危機的状況への対応に追われていること、そして計画停電とは名ばかりの行き当たりばったりな停電が
もたらした混乱により、むしろ被災地以外の東日本各地にも動揺が広がっています。

福島第一原発は文字通り火急の問題ではありますが、同時に今後の復興に向けた展望も示していかないと、
国民の日常生活はいつまでも安定せず、不安も解消されません。
少なくとも、現在の計画停電が通勤や生産の足かせになり、それがさらなる社会不安を呼ぶ大きな一因に
なっているのは明らかなので、まずは東電と経産省でこれを早急に見直し、代替となる案を提示すべきです。

既に経団連や経済同友会からは「計画停電ではなく、総量規制が望ましい」として、企業の操業時間や
操業日数の計画的な短縮についての提案が出ているようです。
少なくとも震災直後の日曜に電力が足りたことを考えれば、企業側の自主的な計画休業と一般家庭の
積極的な節電による対処は、十分に検討の余地があるはず。
原発のほうは首相と枝野さんに任せて、海江田さんと東電のトップはむしろ経済界との協議にでも
着手したほうがいいんじゃないでしょうか。
特に東電の偉い人については、原発事故であんまり役に立ってるように見えないし。

そして同時に、国民もある程度の自制心と忍耐を持つようにしたいものです。
特に買だめ問題については、枝野さんが「法的措置も検討するが、国民の良識に期待したい。」
とまで言いだすほどに深刻な話。

さらに私の身近なところで聞いた話では、こんなとんでもないことを言い出す人も出ているとか・・・。

「被災地は今すぐ復興できるわけじゃないんだから、国はむしろ被災地よりも、いま働いている我々に
 優先して物資を回すべきだ」

・・・こんなことを思うだけでも悲しいことですが、さらに周囲に向かって口に出してしまうとは、
もうなんと言うべきやら。
いまこの人がぶつぶつ言っている間にも、一刻を争うほど危機的な状況にある人がいるというのに・・・。

ちなみに現場を見ればわかりますが、今の物不足は常識を超えた買いだめによるものが主因です。
お客がいつもの倍以上も商品を買っていってしまえば、いつも通りに入荷してもすぐなくなってあたりまえ。

そして、今は首都圏のコンビニだと食品も水もそこそこ入ってきてるのに、意外と売れてません。
これも理由は簡単で、大手スーパーの安売りに比べて高いという理由から、あまり買われないのです。
つまり、本当に危機的な「モノ不足」になっているわけではないのですね。

これまでのように潤沢に物資があって、いつでもどこでも何でも買えるという状況にはなかなか戻らなくても、
今日を暮らすのに困ることはないはずです。
それに対して、被災地の人は今日一日を生きるのに懸命なのだということを、文句を言う人にも考えて欲しい。

そして、軽々しく「戦中のように物品を配給制にすべき」という人。
もし配給制を復活させるなら、それはどんな形であれ、政治権力が国民の自由を制限することを意味します。
その結果がどのようなことになったかを一番よく知っているのは、戦中を生きた人たち自身のはず。
そして国民が自制心を持てず自ら権力に全てを委ねたとしたら、それはもはや民主国家とは呼べません。
枝野さんがどういう意味で「国民の良識に委ねる」と言ったのか、それをちゃんと考えていただきたい。

そして、かつて「もう一度日本を再生させるためには、戦争しかない」と言った人たちへ。
津波による被災地の姿は、まさしく戦争直後の日本の光景です。
あなたたちはこんな状況を人為的に作り出して、その犠牲の元に日本を再生させようと考えていたのですか?
もしそうだとすれば、私はその考えに断固として反対するしかありません。

最後に、この震災を「9.11」になぞらえて「3.11」と略して呼ぶ動きがあるようですが、個人的には
これにもちょっと賛同しかねるところ。

9.11は「人間の悪意と愚かさ」による惨劇であり、多くの教訓と戒めをも含む「事件」だと思います。
それに対し、今回の東北地方太平洋沖地震は、原発の問題こそありますが、基本的には人智の及ばぬ
「自然の脅威」による「天災」です。
これだけ性質の違うものを、被害の大きさと日付の類似だけでさも似ているもののように表現するのは、
ある意味ではかなり不謹慎なことにも思えます。

ここは安易に「3.11」などと記号化するよりは、被災地への哀悼と復興への願いをこめる意味でも、
「東北・関東大震災」などとしっかり表記するほうが、よりふさわしい表現ではないかと思います。

被災地の一刻も早い復興と、平穏な日常の回復を何よりも強く願っています。
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マンガ・アニメは、はたして「芸術」であるべきか?

2011年01月04日 | その他の雑記・メモなど
(前回の記事に追記した部分が長くなったので、やや修正して独立させました。)

さて、村上氏の作品についてデュシャンとの比較で論じられることがあるようですが、そもそも
表現者としての立場が大いに異なるこの両者を同列に並べるのは、あまりフェアなやり方とは
思えません。

そもそもデュシャンの場合は「芸術家の立場から芸術を否定・嘲笑する」という表現によって
自らの属する芸術ジャンルへの疑問を提起するという「異議申し立て」を敢行したのであり、
そこには自らの立場を投げ捨てるという芸術家としての自決、あるいはジャンルそのものを
巻き込んでの自爆テロに近いような衝撃があったはずです。

これに対して、村上氏の作品をデュシャンと同様の位置づけでで解釈した場合には
「芸術家としての立場から、アニメ・マンガを否定・嘲笑する」という図式になり、
内部からの「意義申し立て」という衝撃は成立しないことになります。
そしてこの文脈を書き換えることで、「意義申し立て」として有効化するためには、
村上氏がマンガやアニメという表現の側に入り込んでいくか、逆にアニメやマンガを
「芸術」の領域へと引き込むことが必要なのです。
このように解釈すれば、村上氏がアニメやマンガを「芸術」として売り込む戦略の意味も、
自然に見えてくるのではないでしょうか。

まあいわゆる「現代芸術」に関しては、その評価と価格が情報戦と価値感の操作によって
相対的に上下するというのは、ごく当たり前の話。
ですから、それを狙ったとおりに行っている村上氏は「現代芸術」に携わる専門家として
正しいことをしているし、また非常に頭のいい人物であるとは思います。

ただし、そのような操作の結果で生まれる「価値」が、マンガやアニメといった表現において
本来評価されるべき「価値」と同質かと問われれば、私としてはノーと言わざるを得ません。
そして結局のところ、それが村上氏に対して感じる「異物感」の理由でもあるのでしょう。

私はむしろ、村上作品に対してはリキテンシュタインやウォーホルに見られる色彩感覚や
パターン化といった傾向を強く感じます。
そして村上氏はこれらを十二分に研究し、その手法を(マーケティング戦略も含めて)
自らのルーツにある「日本美術」と「オタク表現」へと転用することで「自己の作風」を
確立したのではないかと考えています。

ただし、これはあくまで美術的価値における「読み換え」や「書き換え」を伴う行為であって、
いわゆる「生のままの表現」としてのアニメやマンガに対する評価とは性質を異にするものと
思います。

そしてアニメやマンガについての、表現的な「異議申し立て」については、既に業界内部から
より刺激的なものが登場している・・・とも言えます。
そもそも芸術との境界性を持つノルシュテインらの海外アニメはもちろんのこと、国内でも
ガイナックスの『新世紀エヴァンゲリオン』、プロダクションI.G.の『立喰師列伝』、そして
シャフトによる一連の作品などは、その手法や表現の成否、そして芸術性の有無などについて
多くの議論があり、そのこと自体に「異議申し立て」としての存在価値があるとも言えます。
私がこのタイプの代表的な作家をひとり挙げるなら、マッドハウスの「四畳半神話体系」などで
高い評価を受けている、湯浅政明監督ですね。

また逆にサンライズの『カラフル』では、原恵一監督がアニメから意図的にデフォルメや
省略といった既成の記号を排除し、リアリズムへの接近を試みるという形での「異議申し立て」
を行った例も見られます。

マンガについては最近とみに疎いのでいい例を挙げられませんが、例えばアフタヌーンや
IKKIといった青年向け雑誌では、以前から積極的に実験性の高い作品を取り上げて、
マンガ表現の幅を広げてきたように感じています。

そして私としては、外部からとってつけられたような「マンガ・アニメの芸術性」よりも、
(好き嫌いはともかく)業界内部からの自発性を伴ったチャレンジについてより好ましく
思いますし、そちらのほうがよほど興味をそそられます。
またさらに言えば、あえて「現代芸術」というカテゴリーの中に「マンガ・アニメ」を
含める必然性はあるのだろうか?という疑念も浮かんできます。

実のところ、マンガ・アニメ的な表現を海外へと売り込むため、「カワイイ」や「萌え」そして
「クール」という単純な記号に置き換えたうえ、作品ごとの細かな差異を軽視した売り込みを
計ったことにより、逆に国内におけるアニメやマンガというジャンル内に「主流」と「非主流」の
線引きが生まれやすくなったのではないか・・・という危惧を、最近特に強く感じています。
(「萌え」は国内に特化した現象と思われているようですが、そもそも2004年のヴェネチアで
  開催されたビエンナーレの日本館で大々的に取り上げられた言葉が、この「萌え」です。)

そして多くの制作会社が「主流」と目される傾向の作品を連発する裏で、「非主流」の作品は
製作することも困難になっています。
一方で「主流」のほうも、数の多さと傾向の類似性が限られたパイの取り合いを生むことになり、
結局は一握りの大勝ち組とそれを取り巻く2番手以降がほとんどの取り分を持っていく状態で、
業界全体が大いに活性化しているようには見えない、という現状です。
さらにこのような傾向は、作り手とファンの双方にある種の「閉塞感」をも感じさせています。

安易な定義づけとそれを権威化・偶像化して持ち上げる傾向が、そもそもアニメやマンガの持つ
多様なテーマや多彩な表現への可能性を閉ざすということにはなっていないでしょうか?
結果的に、アニメ・マンガのポテンシャルは落ちてきているのではないでしょうか?

当たり前の話ですが、アニメやマンガをシンボル的・ファッション的に流用した「芸術」に
頼ることなく、作品そのものを世に問い、その価値を認めさせていくことが重要だと思います。
本来とは違う形で世界に広まったところで、長期的に見て益があるとは考えにくいのですから。
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北久保・村上論争についての個人的まとめ

2011年01月02日 | その他の雑記・メモなど
新年早々、アニメーターで監督の北久保弘之氏と美術家の村上隆氏による、twitter上での
激しいやり取りがありました。

Togetterまとめ「北久保弘之氏と村上隆氏、新年早々ガチバトル」


これについて、自分なりに感じたことをまとめてみます。

まず北久保さんのつぶやきですが、一部で指摘されている嫉妬というよりは、シンプルに
「村上作品が嫌い」で、かつ「アニメ・マンガ業界が体よく利用され、搾取されている」
という感覚の2点に整理できると思います。

アニメーターが職人なのに対して、村上さんの立場は、いわばコンセプトデザイナー兼現場の親方。
そして技術を偏重しがちなオタク的視点からは「職人が偉い」という捉え方が主流になるだろうし、
かたや昔から目利きの権威を重んじる美術業界的な視点では「親方の目のつけどころや采配がいい」
ということになるのでしょう。

では職人と親方の関係が不公平か否か、あるいは手柄の横取りになるのかという点については、
もう見方次第になるでしょうね。
美術的に例えるなら、乾山や魯山人の焼き物を「器形」で評価するか「絵付け」で評価するか
「ブランド」で評価するか、それともそれら全体をひっくるめて評価するか、という視点です。

ただし村上氏のオリジナリティや職人的製作力については、私も疑念を持っています。
例えば近作の「智・感・情」は私も好きですが、それはTONY先生の絵と黒田清輝の構図が
生み出すもの。村上氏によるアレンジは、いわば「編集」のレベルに留まるものだと思います。

そしてTONY先生に「智・感・情」を描くように仕向けた村上氏の功績を、作品そのものの
評価に含めるかは、「パトロンや絵画商の影響力も含めて絵の良し悪しを評価するべきか」
という問題に近いように思います。
(村上氏の発想では、そこを抜きにして美術としての評価は成り立たないということになります。)

美術業界、それも特に海外では、村上氏の名前で出したほうが絶対に取り上げられやすいでしょう。
しかし日本では逆に「シャイニングシリーズ」などであらかじめTONY先生を知っている人が多いだけに
「なんで村上の名前で出てるんだ、これはTONYの絵じゃないか」と思う人がいてもおかしくはありません。
この点は、国内と国外における村上氏の評価が異なる大きな要因でもあると思われます。

また自らの造型能力や独創性といった面に関しては、村上氏自身が一番よく承知しているはずです。
だからこそ職人としての一点突破を計るのではなく、有能な作り手のプロデュースとその売り込みに
全力を注いでいるのでしょう。
そして本人はそれも「芸術」として認められるために必要な行為であるとの信念を持っているはずです。

さらに言うと、村上氏の手法のキモは「アニメやマンガというジャンル内表現を美術的評価に変換する」
というプロセスにより、そこに新たな価値と経済が生まれるということにあります。
ただしそれが一種の錬金術的な胡散臭さに見えるのはやむを得ないでしょうし、アニメやマンガという
ジャンル性を大事にするファンからは、美術的価値など知ったこっちゃないという意見が出てきても
おかしくはありません。

これはそもそも村上氏が、既存の日本美術とアニメやマンガといった「未だ価値を認められないもの」を
統合するために「スーパーフラット」という概念を提示したときから、ジャンルの解体や書き換えという
要素が内包されていたものであり、いずれはオタク的な価値概念との対立は避けられなかったとも思えます。

このように美術という土俵とは別の部分に立脚するオタク的な価値観との対立を、
村上氏はどのように扱うつもりなのでしょうか。
オタク的なものとの対立を本気で乗り越え、あるいは和解する気があるのか。
それとも教化できない層は無価値な存在として切り捨てるのか。
あるいは美術的な価値観と経済的・文化的な名声で有無を言わさず捻じ伏せるのか、
あるいは単に黙殺するのか。

いずれにしろこの溝を埋めるのは容易ではないし、懸命な村上氏のことですから、
このような対立構造は最初から予想済みであったのかもしれません。

このように考えた結果、無難ではあるものの、やはり北久保氏と村上氏の意見は
どちらにも一理ある、との結論に至りました。
ただし前述したように、両者の主張は土台が同じように見えて実は全く異なるので、
互いの妥協がないかぎり、歩み寄りは困難でしょう。

ただし議論の発端となった「村上作品が好きか嫌いか」を個人的に言うなら、最も村上氏らしい作品である
ゲロタンやHIROPONについては、人の生理感覚を即物的に逆撫でする表現と、リスペクトしているはずの
アニメやマンガについて露悪的なカリカチュアを行っている点が、どうにも好きになれません。

そしてアニメやマンガのファンは、美術的な批評性など求めていません。
だからカリカチュアがいかに美術表現として的を射ていたとしても、それは原典を貶める行為にしか
見えないのです。(結局のところ、私もオタク的感性の持ち主なもので・・・。)

そういうわけで、最後に私個人としての結論を述べさせていただきます。

「村上氏の方法論は確かに正しい。でも村上氏をイメージさせる代表作は好きじゃない。
 だから自分の好きな作家を村上ラベルつきで売られる事は、正直言って不本意である。」
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2011年もよろしくお願いいたします

2011年01月01日 | その他の雑記・メモなど
皆様、明けましておめでとうございます。



2011年はウサギ年ということと、クリスマスにラブマシーンを使ったということで
年始のご挨拶はキングカズマのfigmaを起用してみました。
目つきは悪いけど、色合いが紅白で縁起もいいことですし・・・。

暮れから元旦にかけては何をするまでもなくTV見たりネット見たりしてたわけですが、
そんな中でも人とつながれるtwitterというのは大きいですね。
やってることは些細でも、みんなが集まることで即席の祭りなり共同体なりが形成され、
そしてその中で比較的フラットなやり取りができるというのはすごく刺激的です。

しかし一方で、これやUstreamをあたり前に使っているうち、自分から外に出る意欲が
減ってしまうのはマズいんじゃないか・・・とも思ったりして。
新しい技術は積極的に活用しつつ、外での体験や生の感動も大事にすることによって
少しでも感性や表現力を鍛え、それをネットなどにフィードバックしていけるように
がんばりたいものです。

twitterとブログの併用も、今後の課題です。
即席の感想などは140字でつぶやけてしまうのですが、やはりじっくりまとめて
ある程度は長持ちする内容にしたいときは、やはりブログという場が必要。
ということで、更新頻度は上がりませんが、ブログのほうも続けていこうと思います。
twitterでのつぶやきをうまいことブログに反映させられれば、一石二鳥なんですが・・・。

そんなわけで、今年もよろしくお願いいたします。
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2010年もお世話になりました

2010年12月31日 | その他の雑記・メモなど
12月31日、いよいよ2010年も終わりです。

自分の中では、なんといっても『マイマイ新子と千年の魔法』の年でした。

2009年の映画を今年のトピックに挙げるのはどうかと思いますが、一度表舞台から消されかけた作品が
結果として1年以上の時間を経て評価を高め、今もなおファンの輪を広げているということ自体が、
アニメというジャンルの、そして閉塞気味な日本にとってのひとつの希望であると思います。
おりしも6月の「はやぶさ帰還」は、まるでマイマイ復活の動きと呼応するかのように感じられて、
両方を注視してきた私にとっては二重に喜ばしいことでした。

そしてマイマイを経由して、同じ片渕須直監督の作品『アリーテ姫』を知ることができたこと、さらに
片渕監督の関わる多くのイベントに参加できたことも、大きな宝物です。

いまや『アリーテ姫』は、自分にとって決定的な影響力を持つ作品になってしまいました。

新文芸坐の片渕監督イベントで、リアルアリーテ姫こと桑島法子さんを拝見できたのもうれしかった。

実は昔から桑島さんのファンんなもので、このサプライズはありがたかったな~。
(仕掛け人はマッドハウスの丸山社長。本当に粋なはからいをされる方です。)

さらにtwitterを経由して監督や多くのマイマイファンとつながりを持ち、さらに劇場などでもお会いして
ご挨拶できるようになるとは、考えもしていませんでした。
振り返ってみれば、マイマイを応援しているつもりが、逆に応援されてきた1年だったようにも思います。
ここまで濃密な経験ができた作品は、今までなかったです。本当に感謝しています。

そして明けて2011年2月、文化庁メディア芸術祭にて『マイマイ新子と千年の魔法』が登場します。
期間内には作品上映や関連資料の展示に加え、片渕監督を含む豪華参加者によるシンポジウムなど
様々な企画が予定されていますので、マイマイファンを含む多くの方にご参加いただきたいですね。

ということで、2011年もきっとマイマイな年になるでしょう。
さらにSFや美術、もちろん「トップをねらえ!」関連にも手を出し続けていきますので、
来年も引き続きよろしくお願いいたします。

それでは、皆様良いお年をお迎えください!
コメント (2)
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はやぶさカプセル内の粒子、イトカワ由来と断定!

2010年11月16日 | その他の雑記・メモなど
既に各所で報じられていますが、小惑星探査機「はやぶさ」が持ち帰ったカプセルに入っていた
微粒子を分析した結果、これが小惑星「イトカワ」のものであることが確認されたそうです。

以下、中日新聞の記事より説明文を引用。

“地球以外の天体の表面から岩石試料を持ち帰ったのは1960~70年代の米国の
 アポロ計画、旧ソ連のルナ計画の月の石以来となる。”

“微粒子の多くが鉄とマグネシウムを主成分に持つ「かんらん石」や「輝石」と呼ばれる
 鉱物だった。地球上のかんらん石に比べて鉄が多く、鉄とマグネシウムの比率がイトカ
 ワの観測値とよく合っていたという。また、国内の大学の研究者らとともにデータを精
 査。1500個のほぼすべてが地球外物質の特徴を示した。”

日本の科学技術は確かにすばらしいのですが、その業績の中で世間一般に「これが世界初です!」
と言ってすぐに理解できるものが、はたしてどれだけあったことでしょうか。
しかし「はやぶさ」の場合は、「月より遠くまで行って、そこの岩を持ち帰った世界初の探査機」
と言えば、誰にでもすんなり理解してもらえるはず。
この“誰にでもわかる偉業”というところが、これまでの成果との決定的なちがいでしょう。

さらに今回「はやぶさ」が達成したミッションの数々は、今後の宇宙開発史に永遠に刻まれるほどのもの。
そしてJAXAの立川理事長も、次のような談話を発表しています。

“幾多の困難に見舞われながらも、カプセルを無事地球に届けた「はやぶさ」がもたらした成果の
 総仕上げとして、始原天体である小惑星からの微粒子が極めてクリーンな状態で世界で初めて
 地球に持ち帰られたことは、人類にとって共通の価値ある財産を獲得した大変画期的なことであり、
 大きな喜びを感じております。”

いや~「世界初」そして「人類共通の価値ある財産」ときましたよ。
日本の探査機の成果を世界に向けて発信する際に、こんな言い回しが通用する時が来るとは・・・。

そしてタイミングよく、我が家にも「はやぶさ」が到着しました。

国立科学博物館で開催中の「空と宇宙展」会場限定のプラモデルです。
右下に貼られたこの「糸川博士と人工衛星おおすみ」のシールが、その証し。
会場で品切れだったために通販を頼んでおいたのが、ようやく届きました。


11月16日現在では、会場にも再入荷しているようです。

え、パッケージの中が見たい?
・・・申し訳ないけど、もったいなくて開けられません!
それに自分のウデ前ではたぶんうまく作れないので、記念にこのままとっておくつもりです。

また「空と宇宙展」では、こんな記念キャンペーンをはじめたとか。
今回のニュースを弾みに、カプセル型根付の売れ行きも急増するかも(笑)。
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