東北地方太平洋沖地震の発生から、今日で7日が経過。
連鎖的な地震に加え、巨大津波とそれに続く原発事故に見舞われたこの7日間は、まさに「大地の怒り」、
そして「火と水の七日間」として、わが国とその国民である我々に大きな痛手を与えました。
七日も経てば、普通なら本格的に復興の動きが出てきてもいい時期のはず。
しかし今回の震災では、未曾有の規模で起こった地震と津波に加え、政府が福島第一原発での連日の
危機的状況への対応に追われていること、そして計画停電とは名ばかりの行き当たりばったりな停電が
もたらした混乱により、むしろ被災地以外の東日本各地にも動揺が広がっています。
福島第一原発は文字通り火急の問題ではありますが、同時に今後の復興に向けた展望も示していかないと、
国民の日常生活はいつまでも安定せず、不安も解消されません。
少なくとも、現在の計画停電が通勤や生産の足かせになり、それがさらなる社会不安を呼ぶ大きな一因に
なっているのは明らかなので、まずは東電と経産省でこれを早急に見直し、代替となる案を提示すべきです。
既に経団連や経済同友会からは「計画停電ではなく、総量規制が望ましい」として、企業の操業時間や
操業日数の計画的な短縮についての提案が出ているようです。
少なくとも震災直後の日曜に電力が足りたことを考えれば、企業側の自主的な計画休業と一般家庭の
積極的な節電による対処は、十分に検討の余地があるはず。
原発のほうは首相と枝野さんに任せて、海江田さんと東電のトップはむしろ経済界との協議にでも
着手したほうがいいんじゃないでしょうか。
特に東電の偉い人については、原発事故であんまり役に立ってるように見えないし。
そして同時に、国民もある程度の自制心と忍耐を持つようにしたいものです。
特に買だめ問題については、枝野さんが「法的措置も検討するが、国民の良識に期待したい。」
とまで言いだすほどに深刻な話。
さらに私の身近なところで聞いた話では、こんなとんでもないことを言い出す人も出ているとか・・・。
「被災地は今すぐ復興できるわけじゃないんだから、国はむしろ被災地よりも、いま働いている我々に
優先して物資を回すべきだ」
・・・こんなことを思うだけでも悲しいことですが、さらに周囲に向かって口に出してしまうとは、
もうなんと言うべきやら。
いまこの人がぶつぶつ言っている間にも、一刻を争うほど危機的な状況にある人がいるというのに・・・。
ちなみに現場を見ればわかりますが、今の物不足は常識を超えた買いだめによるものが主因です。
お客がいつもの倍以上も商品を買っていってしまえば、いつも通りに入荷してもすぐなくなってあたりまえ。
そして、今は首都圏のコンビニだと食品も水もそこそこ入ってきてるのに、意外と売れてません。
これも理由は簡単で、大手スーパーの安売りに比べて高いという理由から、あまり買われないのです。
つまり、本当に危機的な「モノ不足」になっているわけではないのですね。
これまでのように潤沢に物資があって、いつでもどこでも何でも買えるという状況にはなかなか戻らなくても、
今日を暮らすのに困ることはないはずです。
それに対して、被災地の人は今日一日を生きるのに懸命なのだということを、文句を言う人にも考えて欲しい。
そして、軽々しく「戦中のように物品を配給制にすべき」という人。
もし配給制を復活させるなら、それはどんな形であれ、政治権力が国民の自由を制限することを意味します。
その結果がどのようなことになったかを一番よく知っているのは、戦中を生きた人たち自身のはず。
そして国民が自制心を持てず自ら権力に全てを委ねたとしたら、それはもはや民主国家とは呼べません。
枝野さんがどういう意味で「国民の良識に委ねる」と言ったのか、それをちゃんと考えていただきたい。
そして、かつて「もう一度日本を再生させるためには、戦争しかない」と言った人たちへ。
津波による被災地の姿は、まさしく戦争直後の日本の光景です。
あなたたちはこんな状況を人為的に作り出して、その犠牲の元に日本を再生させようと考えていたのですか?
もしそうだとすれば、私はその考えに断固として反対するしかありません。
最後に、この震災を「9.11」になぞらえて「3.11」と略して呼ぶ動きがあるようですが、個人的には
これにもちょっと賛同しかねるところ。
9.11は「人間の悪意と愚かさ」による惨劇であり、多くの教訓と戒めをも含む「事件」だと思います。
それに対し、今回の東北地方太平洋沖地震は、原発の問題こそありますが、基本的には人智の及ばぬ
「自然の脅威」による「天災」です。
これだけ性質の違うものを、被害の大きさと日付の類似だけでさも似ているもののように表現するのは、
ある意味ではかなり不謹慎なことにも思えます。
ここは安易に「3.11」などと記号化するよりは、被災地への哀悼と復興への願いをこめる意味でも、
「東北・関東大震災」などとしっかり表記するほうが、よりふさわしい表現ではないかと思います。
被災地の一刻も早い復興と、平穏な日常の回復を何よりも強く願っています。
連鎖的な地震に加え、巨大津波とそれに続く原発事故に見舞われたこの7日間は、まさに「大地の怒り」、
そして「火と水の七日間」として、わが国とその国民である我々に大きな痛手を与えました。
七日も経てば、普通なら本格的に復興の動きが出てきてもいい時期のはず。
しかし今回の震災では、未曾有の規模で起こった地震と津波に加え、政府が福島第一原発での連日の
危機的状況への対応に追われていること、そして計画停電とは名ばかりの行き当たりばったりな停電が
もたらした混乱により、むしろ被災地以外の東日本各地にも動揺が広がっています。
福島第一原発は文字通り火急の問題ではありますが、同時に今後の復興に向けた展望も示していかないと、
国民の日常生活はいつまでも安定せず、不安も解消されません。
少なくとも、現在の計画停電が通勤や生産の足かせになり、それがさらなる社会不安を呼ぶ大きな一因に
なっているのは明らかなので、まずは東電と経産省でこれを早急に見直し、代替となる案を提示すべきです。
既に経団連や経済同友会からは「計画停電ではなく、総量規制が望ましい」として、企業の操業時間や
操業日数の計画的な短縮についての提案が出ているようです。
少なくとも震災直後の日曜に電力が足りたことを考えれば、企業側の自主的な計画休業と一般家庭の
積極的な節電による対処は、十分に検討の余地があるはず。
原発のほうは首相と枝野さんに任せて、海江田さんと東電のトップはむしろ経済界との協議にでも
着手したほうがいいんじゃないでしょうか。
特に東電の偉い人については、原発事故であんまり役に立ってるように見えないし。
そして同時に、国民もある程度の自制心と忍耐を持つようにしたいものです。
特に買だめ問題については、枝野さんが「法的措置も検討するが、国民の良識に期待したい。」
とまで言いだすほどに深刻な話。
さらに私の身近なところで聞いた話では、こんなとんでもないことを言い出す人も出ているとか・・・。
「被災地は今すぐ復興できるわけじゃないんだから、国はむしろ被災地よりも、いま働いている我々に
優先して物資を回すべきだ」
・・・こんなことを思うだけでも悲しいことですが、さらに周囲に向かって口に出してしまうとは、
もうなんと言うべきやら。
いまこの人がぶつぶつ言っている間にも、一刻を争うほど危機的な状況にある人がいるというのに・・・。
ちなみに現場を見ればわかりますが、今の物不足は常識を超えた買いだめによるものが主因です。
お客がいつもの倍以上も商品を買っていってしまえば、いつも通りに入荷してもすぐなくなってあたりまえ。
そして、今は首都圏のコンビニだと食品も水もそこそこ入ってきてるのに、意外と売れてません。
これも理由は簡単で、大手スーパーの安売りに比べて高いという理由から、あまり買われないのです。
つまり、本当に危機的な「モノ不足」になっているわけではないのですね。
これまでのように潤沢に物資があって、いつでもどこでも何でも買えるという状況にはなかなか戻らなくても、
今日を暮らすのに困ることはないはずです。
それに対して、被災地の人は今日一日を生きるのに懸命なのだということを、文句を言う人にも考えて欲しい。
そして、軽々しく「戦中のように物品を配給制にすべき」という人。
もし配給制を復活させるなら、それはどんな形であれ、政治権力が国民の自由を制限することを意味します。
その結果がどのようなことになったかを一番よく知っているのは、戦中を生きた人たち自身のはず。
そして国民が自制心を持てず自ら権力に全てを委ねたとしたら、それはもはや民主国家とは呼べません。
枝野さんがどういう意味で「国民の良識に委ねる」と言ったのか、それをちゃんと考えていただきたい。
そして、かつて「もう一度日本を再生させるためには、戦争しかない」と言った人たちへ。
津波による被災地の姿は、まさしく戦争直後の日本の光景です。
あなたたちはこんな状況を人為的に作り出して、その犠牲の元に日本を再生させようと考えていたのですか?
もしそうだとすれば、私はその考えに断固として反対するしかありません。
最後に、この震災を「9.11」になぞらえて「3.11」と略して呼ぶ動きがあるようですが、個人的には
これにもちょっと賛同しかねるところ。
9.11は「人間の悪意と愚かさ」による惨劇であり、多くの教訓と戒めをも含む「事件」だと思います。
それに対し、今回の東北地方太平洋沖地震は、原発の問題こそありますが、基本的には人智の及ばぬ
「自然の脅威」による「天災」です。
これだけ性質の違うものを、被害の大きさと日付の類似だけでさも似ているもののように表現するのは、
ある意味ではかなり不謹慎なことにも思えます。
ここは安易に「3.11」などと記号化するよりは、被災地への哀悼と復興への願いをこめる意味でも、
「東北・関東大震災」などとしっかり表記するほうが、よりふさわしい表現ではないかと思います。
被災地の一刻も早い復興と、平穏な日常の回復を何よりも強く願っています。
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