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Biting Angle

アニメ・マンガ・ホビーのゆるい話題と、SFとか美術のすこしマジメな感想など。

月食2011

2011年12月11日 | その他の雑記・メモなど
2011年12月10日の9時45分過ぎから12日にかけて、日本各地で皆既月食が観察されました。

関東地方では天気にも恵まれ、見事な天体ショーを見た人も多いはず。
私も寒い中、デジカメと三脚を用意して一部始終を撮影してみました。

18時40分。お盆のように丸い月が出ています。

これが3時間後には欠け始めるのか・・・と思うと、なんとも不思議な気持ち。

そして21時55分。月が欠けてきたのが、はっきりわかるようになってきました。


22時5分。デジカメの感度を落として撮影すると、月に落ちた影がよく見えました。


22時25分。もう半分以上が影に隠れてしまっています。


23時。最後に一筋だけ残った月光が消えていきます。


それからわずか数分、月が完全に地球の影に入りました。


感度を上げて撮った、皆既月食中の月。

肉眼で見ても、黒いというよりは赤っぽい色。まるで熟れたブドウのようにも見えます。

写真ではよく見えませんが、ちょうど真下にはオリオン座が光ってました。


そして12月12日の0時、およそ1時間にわたる皆既月食が終了。


当たり前の話ですが、先に影になったほうから明るくなっていきます。


月にまた光が戻ってきました。

さすがに満月に戻るまで待つには寒すぎたので、月食観察はこれにて終了。

冬の夜空を見上げるのは寒かったけど、天体と天候の二つの天の恵みが重なったおかげで
すばらしい体験ができました。

来年は173年ぶりに関東で金環日食が見られるそうで、今から楽しみです。
前回の日食では悪天候で出番のなかった日食メガネが、今度こそ役に立つかも!

・・・そんなわけで、お願いだから5月21日は晴れてくれますように(^^;。
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世界の自然派ワイン祭り「FESTIVIN」2011

2011年11月28日 | イベント・観覧レポート
11月27日に恵比寿で開催された自然派ワインのイベント「FESTIVIN(フェスティヴァン)」に行ってきました。



そもそも「自然派ワイン」とは何か?という話についてはいまいち明確な定義がないのですが、参考程度に
「減農薬または無農薬の有機栽培されたブドウを使用し、亜硫酸塩を極力使わず醸造」あるいはこれに加えて
「天然酵母の使用」を実践して作られたワイン・・・とでも考えてもらえばよいでしょう。

「FESTIVIN」とは、そんなワインたちを集めてみんなで楽しもうという「自然派ワインのお祭り」。
内外あわせて200種以上の自然派ワインが集結し、事前に参加費さえ払えば出品ワインが飲み放題という
実にうれしい内容です。(ただし一部レアものについては別料金)

二部構成のうち、私は午前11時からの第一部に参加してきました。

まだ午前中にも関わらず、場内は飲む気まんまんの人で大盛況(笑)。


会場では販売者やインポーターに加え、金井醸造場の金井一郎さんやタケダワイナリーの岸平典子さんが
自らブースに立ち、来場者にワインを注いでました。
作り手から飲み手に直接ワインが注がれるという光景に、自然派ワインとしての原点を見た気もします。

中でも四恩醸造の“つよぽん”こと小林剛士さんは、真っ赤なアフロヘアのカツラ姿で目立ちまくり!

見た目は完全にお笑い系ですが、作るワインは実にマジメ。いちど飲んでみればすぐにわかります。
今回持参の「ローズ(白)2011」「ブーケ(赤)4019」どちらもおいしかった~。

西に“パタポン”あれば、東に“つよぽん”あり。めざせ、日本のクリスチャン・ショサール!(笑)

そして海外からの特別ゲストは、アルザスの著名生産者であるピエール・フリック夫妻。

ブースで通訳さんを介してお話しましたが、ワインへの深い情熱と日本文化への強い関心をお持ちの
すばらしい方でした。
今回はリースリングとピノ・グリ、さらにピノ・ノワールをいただきましたが、どれもきれいな香りと
厚みのある味わいを備えており、さすが自然派の一流どころといった風格を感じます。

その他の銘柄について全部は思い出せないけど、だいたい20~30種くらいは飲んだかな。
それでも全体の1割程度ですね~。

既に紹介した生産者はどれも良かったですが、他に印象的だったのはナカザワヴィンヤードのクリサワブラン
(ココ・ファームが醸造を担当)、ジェラール・シュレール、ビネール、マルク・テンペ、ガングランジェといった
アルザス勢、ロシュ・ビュシエールにドラピエのシャンパーニュなど。
シャソルネイはクロ・デ・ザルジリエールを飲めなかったのが残念だったなぁ。

あと、別料金でブルーノ・デュシェンのパスコーレやゴビーのムンタダ、ブロイヤーのテラ・モントーサも
飲んできました。


カーゼ・バッセのソルデーラもあったはずだけど、そっちはお値段的にちょっと手が届かず。

また、やはり別料金にはなりますが、人気レストランの参加による飲食コーナーも充実していました。
第一部では「トラットリア・フェスティヴァン」と銘打って、イタリア料理の人気店がメニューを提供。


まずはポルチーニのリゾット 白トリュフ風味。


そしてこれを手がけるのは、門前仲町の人気店「パッソ・ア・パッソ」の有馬シェフ!

男前の有馬シェフ、この日は場所が場所だけに文字どおりの“えびす顔”。

そして牛ほほ肉と野菜のブラザート、こちらも白トリュフ風味。


他に屋台形式のブースでは、フォアグラ丼が登場!


さらに、熟成チーズ盛り合わせ。


生ハムの盛り合わせは、目の前で切り出してくれます。


香辛料の効いた羊の串焼き。


マグロのホホ肉のリエット。


そしてデザートにはタルト・タタン。


有料とは言ってもこれだけの中身なので、どの出店者も明らかに採算が取れてない感じですが、
そこはイベントを盛り上げるための「お祭り価格」と割り切っての大サービスなのでしょう。
つられてあれもこれもと手を出しているうちに、こちらもつい食べ過ぎてしまいました。
朝飯を抜いてきたのは正解だったなぁ・・・その分ワインを飲む量が、やや少なくなった気もしますが(^^;。

また、ステージでは音楽演奏や参加者プレゼントなども行われ、終始賑やか、かつアットホームなムードでした。

さすがに4時間飲み通し、食べ通しのおかげで口と胃は疲れ気味ですが、気分は大満足。
自然派生産者の励みとして、また自然派ワイン好きの集う場として、今後も末永く続けていって欲しいものです。

2012年も、また行けるといいなぁ。
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東日本大震災チャリティライブ「AAA -Atsuko Akio Autumn birthday-」レポート

2011年11月14日 | イベント・観覧レポート
本日11月14日は、声優の田中敦子さんのお誕生日。
これに合わせて、1日早いバースデーイベントを兼ねた東日本大震災チャリティライブ
『AAA -Atsuko Akio Autumn birthday-』が、11月13日に開催されました。



出演者は田中さんと、11月24日にお誕生日を迎える大塚明夫さん、そして田中さんと
音楽ユニット「Windy’s murmur」で一緒に活動している、ピアニストの発知優香さん。
昼夜2回のステージのうち、私は夜の部に行ってきました。


いろんな方から送られた花の中に、神山監督からのお祝いを発見。

・・・そして会場に入ると、最前列の左側にはなんと神山監督本人のお姿が(^^;。
田中さんのtwitterを拝見したところ、これには出演のお二人もかなり驚いたようです(笑)。

オープニングでは、「GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊」の「謡」と「攻殻機動隊S.A.C.」の
「サイバーバード」に合わせて、東京の夜景やIC回路のCGを組み合わせたオリジナルの
ショートムービーが流され、そこに途中から田中さんと大塚さんによる生のナレーションが
被さってくるという趣向。

「久しぶりね」「ああ、久しぶりだな」という感じで、攻殻SSS(もしくはイノセンス)での
素子とバトーの再会を思い出させる掛け合いが行われた後、「じゃあ、夜の部始めるわよ」の
合図と共に、田中敦子さんと大塚明夫さんがステージに登場しました。
田中さんはゼブラ柄のドレス、大塚さんは黒のスーツと、イベント案内状の写真と同じ衣装です。

まずは今回のイベントに関して、東日本大震災に対して何かできないかという思いから、
誕生日の近い田中さんと大塚さん、そして岩手県にお住まいの発知優香さんによる
チャリティーイベントを企画したとのお話がありました。
さらに田中さんは今年でデビュー20周年ですから、まさにアニバーサリーイヤーです。

続いて発知さんが登場、まずはソロで「アランフェス協奏曲」のピアノ演奏が始まり、
そこに田中さんが加わって、『イノセンス』の主題歌「Follow Me」を見事に歌い上げました。

その後に大塚さんも加わり、まずは来場者から寄せられた遠距離恋愛のエピソードを朗読。
続けて田中さんと大塚さんにより「三行ラブレター」から選んだ作品が読み上げられました。

田中さんが読んだ「母への手紙」に対して、大塚さんは「自分の場合、体の弱かった母親が
大変苦労して産んでくれた。みなさんも自分の誕生日には、自分を生んでくれた感謝を込めて
お母さんに会いに行ってください。」というエピソードを披露。

また大塚さんが選んだ「前世から好きでした」という作品については、ご本人が声優養成所で
田中さんと初めて会った思い出に触れて「きっと前世では恋人同士だったと思う。今生では
一緒になることができなかったので、来世に望みをつなげたい。」と熱い思いをぶつけますが、
これに対して田中さんはさらりと一言「どこまでもバトーなのね(笑)。」

次は声優仲間で脚本家としても活躍中の山像かおりさんの作品「ダブル・プリン」が、
田中さんと大塚さんの朗読劇で演じられました。
内容はバーで落ち合った昔なじみの既婚男女が心を決めるまでのやりとりを描いたもので、
際どいセリフが交わされる、大人のムードたっぷりなお話です。

朗読劇なので二人とも台本を持っての芝居ではありますが、触れ合う肩、見交わす眼、握られる
手と手のしぐさなどは普通の芝居となんら変わりなく、そこにはないバーのカウンターがまでが
目の前に浮かんでくるようでした。
それにしても、田中さんの手を握る大塚さんの手つきがなんともエロいこと(笑)。
・・・いや、ここはむしろ指の先まで役になりきっていたと賞賛すべきですね。

ちなみに開演前のステージは、こんな感じでした。

イスの位置関係から、二人の近さがだいたいわかってもらえると思います(^^;。

さらにお芝居の後は、田中さんと大塚さんによるデュエットも披露されました。
その場では曲名がわからなかったのですが、後ほど歌詞を思い出して検索したところ
桃井かおりさんと来生たかおさんの歌った「ねじれたハートで」ということが判明。
「恋は罪 罪は恋」という歌詞が、直前のお芝居と見事にマッチしてました。

衣装換えの後は、二人ともイベント用に作られたチャリTシャツを着用して再登場。
まずは大塚さんが登場しましたが、いきなり「妖怪人間ベム」を歌いだしたのにはビックリ(^^;。
大塚さんいわく「4ビートなのでジャズっぽく歌ってみたらどうかと思って」とのことですが、
まさかあの朗々たる美声で「早く人間になりたーい!」が聞けるとは思いませんでした(笑)。

続いてはTシャツの上にレザージャケットを羽織った田中さんが登場。
ジャケットはTシャツもデザインしたkmcさんによる「素子モデル」の試作品だそうです。
二人揃ったところで、今回のメインでもあるチャリティーのためのオークションが始まりました。

今回はkmcさん提供の「素子コート」、WOWOWさん提供の「コールドケース」グッズ
(手錠型ストラップ、サントラCD、リリーのポスター等)に加えて、出演者の私物も出品。
大塚さんからは“手塚治虫記念館で買ってから使い込んできた、ブラックジャックの革財布”、
田中さんからは“ペンダントとリング、さらにご本人とキャスリン・モリスのサインが入った
「コールドケース」ストラップのセット”という、ファン垂涎のアイテムが提供されました。

コールドケースのグッズはじゃんけんで入札者を決める形式でしたが、はからずも神山監督と
じゃんけんで争うことになったり(負けたけど)、購入はできなかったけど楽しい企画でした。
ちなみにコールドケースのCDは、既にプレミアがついているレア物です。

最後はサプライズとして、スクリーンに「Windy’s murmur」の川田妙子さんが登場。
ビデオレターによるお祝いの言葉の後に、スタッフから11月生まれのお二人への花束と
田中さんへのお誕生ケーキが贈呈され、発知さんのピアノにあわせて参加者全員による
「ハッピーバースデー」の合唱で締めとなりました。
ビデオレターとプレゼントに思わず涙ぐむ田中さんに、思わずこちらもらい泣き。

終演後は出口で来場者ひとりひとりと握手を交わし、気軽にサインをしてくれたお二人。
本当に手づくり感覚の、温かさが感じられるイベントでした。

来場者に渡されたおみやげは、オリジナルのハンドタオルと写真入りのチロルチョコ。

田中さんの似顔絵は大塚さんが、大塚さんの似顔絵は田中さんが書いたもの。
よく見ると大塚さんの顔の横には、ちゃんと「あつを」とサインが入ってます(笑)。
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秋葉原で旧日本軍の将校マントが展示されてた

2011年11月13日 | その他の雑記・メモなど
秋葉原のまんだらけコンプレックスのショーケースに、変わったものが展示されてました。

旧日本軍の将校用マント。何でも扱うまんだらけらしいアイテムです。

写真ではちょっとわかりにくいけど、色は薄めのオリーブグリーン。

説明書きには純毛素材のいいものと書かれていたけど、近くで見ると密度があるのに
しなやかそうで、確かになかなかいい生地に思えます。

ただし、古い品なのでシミがあちこちについてるとか。さすがは実用品。

襟も型崩れせず良い状態でした。カラーは学生服のようにホック留めなのがまた渋い。

なお、写真に写りこんでるのは撮影者の手で、別に何かの祟りではありません(^^;。

マントですから、当然袖はなし。上着の上に羽織る形で着用します。

カッコいいけど、さすがに街中で着るのはちょっとためらわれるので、やはりコスプレ用かな。
説明書きにあった「この冬は本物で決めてみてはいかがでしょうか」の“この冬”ってのも、
たぶんコミケのことだろうし。

私のイメージだと旧日本軍のマントといえば真っ先に『帝都物語』の魔人・加藤保憲が思い浮びますが、
最近のキャラだと『絶対可憐チルドレン』の兵部少佐の若いころあたりに需要がありそうですね。

お値段は18,900円なり。どう使うかは、購入者の気持ち次第です(笑)。
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千葉市美術館「酒井抱一と江戸琳派の全貌」展

2011年11月11日 | 美術鑑賞・展覧会
千葉市美術館で11月13日まで開催中の「酒井抱一と江戸琳派の全貌」展を見てきました。

展示総数338件、そのうち大まかに分けると、前期展示のみと後期展示のみがそれぞれ90点ほど。
会場内の展示数が230点ほどですから、だいたい4割くらいは入れ替わっている計算になります。

これはもう前期と後期の2回は行かなきゃならんと覚悟を決めて、前期は初日に千葉まで遠征し、
抱一の「燕子花図屏風」「八橋図屏風」「四季花鳥図巻」、其一の「夏秋渓流図屏風」などを
堪能してきました。
そして後期は抱一の代表作「夏秋草図屏風」が登場するということで、再び千葉市美術館へ。

とにかく物量の多さで圧倒される内容ですが、やはり「夏秋草図屏風」の置かれた展示スペースは
会場内のどこにも増して強烈な空間でした。
まずは陽明文庫所蔵の「四季花鳥図屏風」が黄金と極彩色の輝きを放ち、その横には琳派の象徴、
「風神雷神図屏風」が置かれています。
そして背後に目を転じると、そこには銀の渋い輝きに満ちた「夏秋草図屏風」が・・・!

こんなスゴイ体験、下手するともう2度とできないかもしれません。

「四季花鳥図屏風」と「夏秋草図屏風」は、抱一美学の双璧だと思います。
全面に金箔を使い、さらに切箔や金砂で輝きに変化を与え、質の高い絵の具で花鳥の持つ
純粋な色彩美を描き出した「四季花鳥図屏風」は、光があふれ出すような作品。


これと対照的に、銀箔に薄墨を塗ってあえて輝きを抑え、雨と風にうちひしがれた草花で
ありのままの自然を表現した「夏秋草図屏風」は、しっとりと光を吸い込むような作品でした。


そしてこの2作を取り持つのが、私淑する光琳の写しである「風神雷神図屏風」。

太陽を思わせる黄金の輝きが、風神と雷神の働きで曇天の銀色へと変わっていく様子を
思い浮かべれば、この3作でうつろう自然の姿を見事に捉えているのがわかるはず。

それまでの絵師が扱ってきた様式美や権威性、文学趣味といったテーマから離れて、
思うままに自然の美を描いたところが、抱一のオリジナリティではないかと思います。
それは太平の世、そして大大名の血筋に生まれた人ならではの美学なのかもしれません。

抱一の主要作をふんだんに見られるだけでなく、周辺作家や関係者の展示も豊富です。
茶道に興味のある人にとっては、抱一の兄である姫路藩主・酒井忠以(宗雅)の作品も
興味深いと思います。
この人は大名茶人として名高い松平不昧と交流を結び、さらに35歳で亡くなった後に
収集した茶道具が不昧へと譲られ、雲州名物に加えられたという逸話の持ち主。
文武両道で書画や俳句にも通じており、弟の抱一にも多大な影響を与えたそうです。
今回は弟との合作の他に南蘋風の作品や水墨画、さらに自ら打った刀の展示もありました。

また、抱一と公私共に付き合いの深かった蒔絵師の原羊遊斎との競作も見どころ。
さらには抱一デザイン、瀬戸民吉作の酒盃といったレアな品も・・・瀬戸の民吉といえば、
彼の地において磁器焼成の技を伝えた「磁祖・加藤民吉」の一族ではないですか!
(時期的には初代民吉ではなく、二代目の作と思われます。)

そして抱一の系譜を受け継いだ「次代の琳派スター」鈴木其一らを含む江戸琳派の展示は
これだけでひとつの企画展にできるほどの充実ぶりでした。

後期展示では千葉市美術館が誇る収蔵品である其一の「芒野図屏風」が、特にすばらしい。


単純化された芒の間を、リアルに描かれたもやがゆっくりと流れていく様子は、抱一ゆずりの
生々しい自然描写を、ひとつの様式美にまで高めています。
今回は展示場所の関係でやや見落とされがちでしたが、本来なら「夏秋草図屏風」と並べて
しっとりと重い空気の描写を比較されるべき作品ではないでしょうか。

其一の他にも同門の池田孤邨、抱一の養子となった酒井鶯蒲や其一の実子である鈴木守一等が
出ていましたが、その中でも特によかったのが其一の兄弟子で抱一の右腕とも言われたという
鈴木蠣潭の「山水図屏風」。琳派の華やかさと水墨の渋さをうまく融合させた作品でした。
鶯蒲は30代半ばで早逝していますが、蠣潭も狂犬病により26歳の若さで亡くなっており、
もしもこの二人が長生きしていたなら、江戸琳派の歴史は今と違っていたかもしれません。

まだ国宝に選ばれた作品がないせいか、光琳に比べて知名度はいまひとつだった抱一ですが
今回の展覧会で本格的なスター絵師に仲間入りできたんじゃないでしょうか。
それだけに、今後は逆にまとまった形で展覧会を行うのが難しくなるかもしれませんが・・・。

千葉市美術館での会期は残りわずかですが、来年4月には京都の細見美術館に巡回しますので、
お近くの方はぜひご覧ください。

図録もすごいです。


なにしろ横から見ると、この厚さ!


とにかく展示数が多いので、出品目録だけでは中身を追いきれません。
抱一を含む江戸琳派の総合カタログとしても、ぜひ手元においておきたい一冊です。
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モダン・アート,アメリカン-珠玉のフィリップス・コレクション

2011年11月05日 | 美術鑑賞・展覧会
国立新美術館で「モダン・アート,アメリカン-珠玉のフィリップス・コレクション-」を見てきました。

ぶっちゃけアメリカン・アートといえば、ワイエスのような写実作品とポロックみたいな抽象作品の
両極端しか知らず、むしろ写実のほうが好きな私としては「今回はあんまり期待できないかも」と
心配しながら見に行きましたが、意外にも十分楽しめる内容でした。

印象派風の絵画から抽象画へと移り変わっていくアメリカ絵画の中で、私が一番興味を引かれたのは
アメリカならではの風景である「巨大都市」を描いたもの。
その代表といえるのが、エドワード・ブルースの「パワー」です。

巨大なブルックリン橋の向こうにそびえ立つ摩天楼の姿と、そこに降り注ぐ神々しい光の描写は
まるで伝説に出てくる神の国を描いたかのよう。
その無邪気なまでの礼賛ぶりも含めて、これこそアメリカならではの光景だと思わせる作品です。

もうひとつ、アメリカならではの光景を描いた作品が、ジョン・スローン「冬の6時」。

都市内部における高架鉄道は、マンハッタンで始めて実用化されたものだとか。
同じ大都市の賑わいや鉄道を描いた絵でも、ヨーロッパの印象派とは一味違う「工業化された都市」と
その下に群れ集う人々が描かれています。

ステファン・ハーシュの「工場の町」にでは、自然さえ工業化された風景の中に組み込まれてしまいます。

幾何学的で無機質な建物群と、青々とした水の流れる川の対象性が強く印象に残ります。

そしてもはや人も自然も描かれなくなってしまうのが、チャールズ・シーラーのこちらの作品。

タイトルはずばり「摩天楼」。
ここでは垂直に伸び行くビル群がまるで新たな自然であるかのように、視界の全てを占拠しています。
つい先日、レム・コールハースがマンハッタンの発展と限界性を書いた著書『錯乱のニューヨーク』を
読み始めたところなので、こういった作品にはなおさら強くひき付けられてしまいます。

そしてこれらの作品とは対照的に、都市に生きる人間の孤独と疎外感をくっきりと描き出した作品が
エドワード・ホッパーの「日曜日」です。

楽しげなタイトルとはうらはらの、憂いを感じさせる孤独な男の姿。
背後に立ち並ぶ建物は、まれで男の背中にのしかかる重荷のようにも見えます。
ホッパーはこれともうひとつ「都会に近づく」しか展示されていませんでしたが、その二作だけでも
都市生活者の寂寥感を十分に伝えるものがありました。

ホイッスラー、ロスコ、ポロックなどの著名どころは各一点ずつですが、これらの作品が展覧会の核に
なっていないぶん、他の作家に目を向ける余裕があったといえるかもしれません。

例外として、オキーフだけはそこそこまとまって出てました。
これはその中のひとつ「ランチョス教会、No.2、ニューメキシコ」です。

まるで生物都市のようなぐにゃぐにゃ感と、熱く乾いた空気の気配。
リアリズムと抽象の境界線に立ち上がる幻のような彼女の作品こそ、アメリカ絵画の特質を
最もよく表しているとも言えるでしょう。

このところよく見られる重量級の展覧会ではないものの、ヨーロッパ主体の美術とはまた違う面白さと
画家の目を通した「アメリカの肖像」を見る感覚が楽しめる展覧会でした。
それにしても、新美の企画展でこんなに人が入ってないのは初めての体験。
金曜の夜間とはいえ、一時は館内に他の人がいなくなるほどのすきっぷりには驚きました。

会期は12月12日まで。ネームバリューにこだわらなければ、絵とじっくり向き合えるよい機会です。
アメリカ絵画だけでなく、良くも悪くもアメリカという国に興味がある人なら、見て損はないですよ。
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新文芸坐×アニメスタイル セレクションVol. 20「池田宏から片渕須直へ “新しい漫画映画”の遺伝子」

2011年10月31日 | マイマイ新子と千年の魔法
10月29日に新文芸坐で行われた「新文芸坐×アニメスタイル セレクションVol. 20」に行ってきました。

今回のタイトルは「池田宏から片渕須直へ “新しい漫画映画”の遺伝子」。
上映ラインナップは池田作品が『空飛ぶゆうれい船』と『どうぶつ宝島』、片渕作品が『アリーテ姫』と
『マイマイ新子と千年の魔法』の4本立てです。

作品上映前に池田監督直系の弟子・片渕須直監督とアニメスタイルの小黒祐一郎氏によるトークが行われ、
池田氏の歩みと作品の見どころ、さらに片渕作品との関係までが語られました。
非常に興味深い内容でしたので、覚えている範囲で下記にまとめさせていただきます。



小黒:池田宏と片渕須直、その関係やいかに?

片渕:大学の指導教官と学生です。
   東映動画の長編を子どものころに見ていた記憶があって、なにか映像をやろうと思って日大の
   芸術学部に入ったら、東映動画出身の池田先生と月岡貞夫先生がいらっしゃいました。
   実は月岡さんも昔の東映仲間として池田さんが招いていて、特別講義に宮崎駿さんを呼んだことが
   縁になって、自分がアニメの現場にもぐりこむ時にうまく働きました。

小黒:それでテレコムに入って、『名探偵ホームズ』に関わることになると。

片渕:「宮崎がスタッフを探してるから、おまえ行け」と電話をくれたのも池田さん。
   「探してるのはシナリオライターだけど、おまえ大丈夫か」と聞かれて「大丈夫じゃありません」と
   答えたら「大丈夫な顔して行け」と言われて(笑)今に至ってます。

小黒:池田宏さんという方は、これから上映する2本の傑作を撮ったのに、(長編の劇場)作品は
   これっきりという方です。

片渕:テレビシリーズはサリーちゃんとかの東映の魔女っ子ものを撮った先駆けで、狼少年ケンなども
   やったらしいです。
   全部で50本くらい作っていて、短編は『もぐらのモトロ』、長編は『空飛ぶゆうれい船』と
   『どうぶつ宝島』の2作。そのあとは、現場から離れてしまいます。

小黒:2本の長編はかなりすばらしいと思いますが、片渕さんはこどものころごらんになりましたか?

片渕:こども時代は実家が映画館でしたが、昭和43年ごろから(アニメを)見なくなりまして、
   『太陽の王子(ホルスの大冒険)』も見てません。長靴をはいた猫は引越し後に見てますが、
   『空飛ぶゆうれい船』は大学生に入ったころぐらい。
   昔はお正月とかにテレビでやる機会がありましたし、そういうときに見ていたんじゃないかな。
   あとは文芸坐のオールナイトとか。

小黒:ぼくらの学生時代も、東映長編を見ようと思ったら文芸坐に来るか、そうでなければ大学の学園祭で
   特別上映を見るくらいしかなかったです。

片渕:池田さんが日大の芸術学部で講師を始めるのが、『どうぶつ宝島』の初映と同じ年。
   本人によるとその後に他の長編の依頼もあったんだけど、現場からは離れてしまって、東映の中に
   自分だけが所属する「研究開発室」という組織を作り、CGの開発とか視覚の構造まで踏み込んだ
   アニメの仕組みに関する研究を行っていたそうです。
   目の映像の捉え方、遠近法の認識とかを含めて、学界的な活動をやり、それと平行して日大の講師も
   やっていました。
   今は75歳定年で日大は退官しましたが、最後のほうの講義では「映像特講」として、スピルバーグを
   題材に「映像と新しい表現技術」の講義をされていたそうです。

小黒:日本アニメーション学会でも活躍をされてましたよね。

片渕:というか、立ち上げた張本人です。

小黒:本当は今日も池田さんにご出演いただきたかったんですが、思うところあって来られないとのことで、
   片渕監督と一緒にお話を伺ってきました。

片渕:今は学会誌に投稿する原稿を書いてるそうですが、内容は東映でやっていたことが大半で、いまある
   『どうぶつ宝島』とは違う構想があった話とかを書かれてます。

(ここで場内に聞いたところ、池田作品を見たことがある人が半分くらい。)

小黒:こうなるとあまりネタバレはできませんが、それだと話にならないので、クライマックスについては
   みんな知ってるということで進めます(笑)。
   昭和43年公開の『ホルス』が日本アニメをいきなり10年進歩させてしまって、内容でも表現でも
   リアリズムの流れを作り出したんですが、その後の「ゆうれい船」は、内容もテーマも『ホルス』の
   影響下にあるように見えて、池田さんに聞くと実は「微妙に違う」と。

片渕:池田さんによると、自分にもリアリズムをやりたい気持ちがあったけど、アニメではできないと
   思っていた。ところが同僚の高畑さんが目の前でそれをやってしまって、ショックを受けたと。
   自分としては、もうちょっとこども映画を発展させた形でやっていくのかと思ったら、一足飛びに
   やってしまった。
   それで考えてみたら『白蛇伝』の公開から数えて既に10年経っている。その時に見ていたこどもが 
   もう20歳、18歳になっていることを考えると、そろそろ「元こども」に向けたアニメが作られても
   おかしくないんじゃないか・・・となったそうです。

小黒:「本当に作れたんだ、高畑の奴やったんだ」という結果があっての『ゆうれい船』ではあるけれど、
   池田さんの中にもともとああいう志向性はあったと。

片渕:池田さんと高畑さんは東映の同期で、ひとつ歳上の池田さんは病気で1年遅れてるんだけど、
   高校時代の病気療養中にドキュメンタリー映画の本を読んで、はまり込んでしまったそうなんです。
   そして日大映画学科の演出コースに入ったら、牛原虚彦先生、この人は(チャップリン映画の撮影に
   関わっていたので)「日本におけるチャップリンの唯一の弟子」と名乗っている方で、家に行くと
   チャップリンの位牌があるんですが、この牛原先生に心構えも含めた映画の指導を受けたそうです。
   ・・・そういうことで言うと、自分はチャップリンの曾孫弟子ぐらいにあたるんですが(笑)。

小黒:フォローしづれぇ(笑)・・・いや、バッチリ血は受け継いでますよ!
   で、池田さんにはもともとドキュメンタリー志向があったんですね。

片渕:それがなんでか知らないけどアニメーションに進んでしまって、アニメでリアリズムができないかと
   含みがありつつ東映動画に採用されるわけですが、このときが演出候補として「絵が描けない人」を
   採った第一期生にあたっていて、七人いた同期の中に高畑さんとか、日本アニメーションに行った
   黒田(昌郎)さん、トップクラフトの社長になった原(徹)さんがいました。
   そういう中で演出助手兼制作進行から始めて、アニメの作り方をちょっとずつ定めていったと。
   現在のAセルから順に上へ重ねていくやり方も、池田さんが東映動画の現場で取りまとめたもので、
   今の日本アニメでやられているベーシックとなる手法を定めていたようです。
   そして『わんぱく王子の大蛇退治』の演出助手として誘われたけど「これは違う」と思ったので
   参加せず、次の『わんわん忠臣蔵』の製作を途中で抜ける形で『狼少年ケン』の現場に投入されて、
   それからずっとテレビアニメの仕事をやっていたそうです。

小黒:そして後に『ゆうれい船』を撮るんですが、意欲的だしSFとしてもカッコいいんですけど、
   問題作ですよね。

片渕:まずヒロインに名前がないのがビックリした。
   シナリオにも画コンテにも「少女」としか書いてなくて、完成後の宣伝材料も役名が「少女」。
   つまりこの映画にとってヒロイン(の存在)はどうでもよくて、作品が踏み込むべき部分は
   そういうところではない、という明確なスタンスがあるんです。
   『ホルス』について言えば、いかに団結を勝ち取るかを題材にしているのに、ヒロインのヒルダに
   思いっきり傾倒していってしまう。『ゆうれい船』の場合は、その姿勢とまったく正反対なんです。
   ヒロインは「少女」でかまわない、主人公が誰と出会い、何を見ていくかがこの映画のテーマだと
   いう意味で、彼女には役名が与えられていないんじゃないかな。

小黒:『ゆうれい船』は資本主義社会への疑問、批判をはっきり押し出している。
   その一方でSFものであり、ホラーものでもあるという盛りだくさんな作品です。
   自分としては映像のつくりが特撮的だと思っていたので、池田さんに「これは(東宝)特撮を
   意識してたんですよね」と聞いたところ「あんなダサいもののマネをするわけないだろう」と
   一喝されてしまいました(笑)。

片渕:中野昭慶さんは自分と同級生だとか、そういうことは知ってるんですけどね。
   それよりも『2001年宇宙の旅』が公開されたことのほうが大きかったと言ってました。
   (テレビの)新『ルパン三世』の最終回で戦車が発砲するシーンは『ゆうれい船』のシーンの
   左右反転だと言って笑ってましたけど、あそこは宮崎さんが原画を描いてますよね。

小黒:それは間違いありません。

片渕:でも当時のスケジュールを見ると、『ホルス』の公開から半年で『長靴をはいた猫』を作って、
   それから数ヶ月で『ゆうれい船』が作られている。
   『長猫』の原画作業と『ゆうれい船』の準備作業が時期的に重なっていたということですから、
   『長猫』のクライマックスであれだけカット数を描いている宮崎さんが『ゆうれい船』のコンテに
   深く立ち入れるはずがないということがわかってきました。
   それで池田さんに聞いたところ、戦車が出てくるのは自分が学生時代に傾倒したイタリア映画の
   「ネオレアリズモ」などの影響で、ナチスの戦車とパルチザンの闘いからの引用だそうです。
   カメラがパンアップして大きなロボットが出てくる画面も印象的だけど、縦に奥行きが深い画面で、
   さらに縦に動くというのは、他には『ホルス』くらいしか見たことがなかった。
   それで池田さんに「誰が(ゆうれい船で)この画面づくりを打ち立てたんですか」と聞いたら、
   「第二次世界大戦を撮ったドキュメンタリーには、ああいうのがふんだんにあったでしょ。あれは
    そういうものに影響されていた自分の中から出てきたもの」とおっしゃるわけです。

小黒:池田さん本人によれば、東宝特撮的なマンガ映画ではなく、イタリア映画の「ネオレアリズモ」の
   影響下でロボットや市街戦のモチーフを映像化すると、ああなるわけですね。

片渕:(映画監督では)ロベルト・ロッセリーニとかヴィットリオ・デ・シーカの名前を挙げてました。
   そういう映画に戦車がふんだんに出てきたからああなったので、別に宮崎駿が戦車好きだからじゃ
   なく、たまたまそういう場面だったから描いたんだということだそうです。

小黒:映画の終盤で斃れた怪獣の上にこどもが乗ってはしゃいでいる場面も、ドキュメンタリー作品の
   影響という話でした。

片渕:あの場面は、壊れて停まったナチスの戦車の上にこどもが乗ってはしゃいでいるという映像が
   オリジナルだそうです。
   そういう所から出発した人なんで、『ホルス』を見て「そういうことをやってもいいんだ」と思った時、
   自分の中にふんだんにあるドキュメンタリー的なモチーフが出てきてしまったみたいです。

小黒:『ゆうれい船』の基本情報としては、資本主義社会への批判、リアリズム、戦車がすごい。

片渕:ロボットもすごい。

小黒:それまでのロボットはキャラクターと同じように柔らかく描かれていたけれど「ゆうれい船」は
   「メカは硬く、キャラは柔らかく」という描き分けがされた、初めての劇場用アニメだと思います。
   池田さんは否定するけど、『怪獣大戦争』の中に磁力ビームがゴジラを引き上げる描写があって
   『ゆうれい船』にもそっくりの場面があるので、自分は絶対に東宝特撮の影響を疑わないんですが、
   これは今後も研究する余地があると思います。

片渕:電磁バリアの表現も画期的ですよね。ああいう表現がどう成立していったかは、我々もこれから
   解明していきたいですね。

小黒:メカメカしさもすごいですね。

片渕:池田さんに「巨大ロボットの発想はどこから出てきたのか」と聞いたら、そのころ高畑さんが
   周りに薦めていたポール・グリモーの『やぶにらみの暴君』は自分も好きで、デカいロボットは
   そこから来ているそうです。

小黒:原作は石森章太郎の「ゆうれい船」ですね。

片渕:石森さんも『西遊記』で月岡さんと一緒に画コンテの清書係に関わっていて、東映に机を置いて
   働いてました。
   その後に「君がマンガを描いたら、東映でアニメ化するから」という約束でマンガの世界へと
   戻るんですが、東映にいた時分は池田さんの同期にあたります。
   それで「ゆうれい船」を映像化する時に二人が顔合わせをして「どう料理してもいいから」
   という話になったそうで・・・。

小黒:ビックリするほど原作と違いますからね。BOAジュースとか出てこないし。
   ・・・ちなみにTV版エヴァンゲリオンのBOAビールは、これが元ネタです。

片渕:主人公の名前も違うし、原作のヒロインには名前もある。顔も性格もいろんなものが違っていて、
   いかに原作から離れて行ったかということです。

小黒:絵コンテはわりとすぐできたみたいですが。

片渕:東映のよく使う旅館に池田さんと小田部さんと土田さんが篭って、3~4日でできたそうです。
   その前に辻真先さんのシナリオがあるんですが、池田さんは「シナリオはあくまで中間段階で、
   金科玉条ではない。よく考えた上で変更するべきもので、絵コンテの段階で変わってしまっても
   止むを得ない」という考え方で、学生時代の薫陶で自分もその影響を受けてしまっています。

小黒:辻さんのシナリオとも違うということが、よく語られますよね。
   映画を見ると、悩みながら少しずつ作っていたように見えますが。

片渕:シナリオの段階でも相当もんだとは思いますが、そこで改訂しきれてないところを絵コンテの段階で
   一気にまとめたのが、3~4日ということだと思います。

小黒:理路整然と進んでいたのにシュールな終わり方で、そこは作りながらも悩んでいたようですね。

片渕:池田さんも「いま作るなら違う結論があるかもしれない」と思い続けてきたけれど、最近になって
   「あれでよかったんだ」という境地に達したそうです。

小黒:自分も小学生に上がる前に「ゆうれい船」を見て驚いたんですが、なんで?というオチがつきます。

片渕:オチがついてない感じもして、それはむしろ見る人に意味を考えて欲しいというのもあるんですが、
   それを汲み取ってもらうにはステップが足りなかったと。

小黒:もう少し材料が揃っていないと、あのオチは理解できない。

片渕:池田さんに話を聞いて、何を象徴してるかやっとわかったんですが、そこまで言っちゃうと
   ネタバレすぎるので。

小黒:『ホルス』が雇用者と労働者の対立と労働者の団結をうたいながら、結局ホルスが一人で問題を
   解決してしまうのに対して、「空飛ぶゆうれい船」というのは、大きい問題にやんわりながら
   方向性を提示しつつ、はっきりとは終わらせないところに、むしろ問題への真摯さを感じます。

片渕:それはドキュメンタリーからの発想だと思います。ドキュメンタリーには結論がつかないですから。

小黒:(『ゆうれい船』で)悪いのは資本主義社会ですからね。これは大人にならないとわからなかった。
   ・・・次は『どうぶつ宝島』ですが、最初は動物ではなかったそうですね。

片渕:発明好きな男の子が飛行船を飛ばしていて、国同士の戦争に巻き込まれるという話。

小黒:(ベトナム戦争当時の)社会情勢を踏まえた話になるはずだったとのことですが。

片渕:東映動画の20周年記念作品なので、あまり変化球では困るというのが社内にもあったようです。
   『ゆうれい船』を作った後で、東映動画の高橋勇さんから「監督だけがわかってるような映画を
   つくっちゃダメだな(ニヤリ)」と言われたそうですし、営業レベルではもっと厳しい意見も
   あったでしょう。
   20周年作品ということで、当時一番のスターアニメーターだった森康二さんが中心に座ることが
   決まっていましたから、池田さんも自分の当初案がぶつけにくくなった以上、森さんのカラーを
   前面に立てた作品を作ろうと腹をくくったのが、今ある「どうぶつ宝島」の最初の一歩です。

小黒:『ゆうれい船』で押し付けがましいほどの(笑)思想性を見せた監督が、なぜアニメ映画らしい作品に
   戻ってしまったのか?という疑問は我々の勘違いで、本来は「ゆうれい船」に次ぐ冒険活劇のプランが
   あったわけですね。

片渕:そのあらすじは池田さんが学会誌の論文に書いたと言って、原稿も見せてくれましたが・・・。

小黒:でも(学会誌に)発表するからあげないよ、と(笑)。
   それと『どうぶつ宝島』には、もうひとつ「キャシー問題」というのがありまして。

片渕:またしてもヒロインですね。

小黒:キャシーというのは宮崎駿さんがいなければ生まれなかったキャラで、ヒロインはこうじゃなきゃ
   イヤだと、宮崎さんが言ったとか・・・。

片渕:池田さんが持ってたプランとだいぶ違うので「こんなのダメだよ」と言ったら、その後一週間くらい
   口を利かなかったそうです。

小黒:それで作業を円滑化するためにキャシーは宮崎案を通したと。
   でも池田さんいわく、宮崎さんの思った通りのヒロイン像ではなくて、森さんのニュアンスも
   入っているので、決して後の宮崎ヒロインの一人ではないそうです。

片渕:シルバー船長の大暴れなども宮崎さんのアイデア構成と言われてるけど、ストーリーボードを
   評価するのはあくまで作画監督の森さん中心で、森さんが喜んで膨らませた部分もあるそうです。
   池田さんが思っていた森さんの優しいイメージとは別に、森さん自身がツンデレのキャシーを
   気に入って、どんどん(キャラを)とんがらせた部分もあったみたいです。

小黒:シルバー船長がキャシーに眠り薬を飲ませるシーンも、いかにも宮崎さんらしく見えますが、
   あれも森さん一押しのシーンだったと聞きました。

片渕:池田さんは小田部さんともう一度組みたいと思ってたけど、小田部さんが東映をやめてしまったので、
   研究開発の道に進む腹を決めてしまったんですね。

小黒:その結果、これだけの作品を作る監督が、2本の劇場監督作品だけで終わってしまった。

片渕:ひどい話ですが、(池田さんから)「キミも早くあきらめたらどうだ」と繰り返し言われ続けて
   今に至ってます(笑)。
   (『ゆうれい船』を見ると)作品の中に池田さんの当時抱いていた「苦さ」が直接表れてたりして、
   池田さんの教え子でいまアニメ学会の会長をやっている(日本大学教授の)横田正夫さんによれば
   「中年の危機」みたいなものが潜んでいる。
   抑うつ的になるが故に、逆に理路整然と語られる部分があって、思えば自分が池田さんと同じ年代で
   作った『アリーテ姫』にも、そういう部分が思い当たります。
   「仕事うまくいかんな」とか「やめちゃおうかな」とか思っていた時期でしたから。

小黒:「しかし私にも、何かがあるはずだ!」と。

片渕:(池田さんの思っていたことを)もっと直接に言ったのが『アリーテ姫』ですから。
   そういう意味で、今回4本並べて上映することには、意外にも縦糸が通っていたかなと思ってます。
   とにかく、背中はどこかで見てますよね。何でこの人はいま演出の現場に立ってないんだろう、と
   思ってましたから。
   だから「お前もあきらめろよ」と言われても「俺はあきらめたくないな」と踏ん張れたのは、
   池田さんの背中を見ていたおかげかもしれない。
   我田引水になりますが、今日最後に上映する『マイマイ新子と千年の魔法』で抑うつ的な部分を
   突き抜けた作品づくりができたのは、池田さんと話をしたり、背中を見ていたところから自分が
   汲み取った結果かもしれません。

小黒:今回の「新しい漫画映画の遺伝子」というタイトルは、池田宏監督がこども向けと言われていた
   漫画映画で新しい事をやろうとし、その弟子の片渕監督は「ジャパニメーション」とまで言われて
   漫画映画からすっかり遠ざかってしまったアニメーションを、漫画映画的なところに戻した上で、
   なおかつそこに新しいものを見い出そうとしているところが面白いと感じたので、この師弟関係を
   並べてみると何か見えてくるんじゃないか・・・という思って、つけさせていただきました。

片渕:池田さんが昭和30年代からアニメを見ていた人が20歳になったので『ゆうれい船』を作ったと
   いう話を聞いたとき、自分がそれから10年経った30代半ばを想定して『アリーテ姫』、さらに
   10年経った50代あたりを想定して『マイマイ新子』を作っていたのを思い出して、ちょっと
   びっくりしました。
   そういう含みはありますけど、純粋に作品を楽しんでいただけたらと思います。

小黒:特に『空飛ぶゆうれい船』をシネスコで見る機会は、めったにないですからね。

片渕:当時「B級作品」と言われて予算も制限されていましたが、シネスコだと相当迫力があると思います。

小黒:楽しんでいってください。

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その後、順番に『空飛ぶゆうれい船』『どうぶつ宝島』『アリーテ姫』『マイマイ新子と千年の魔法』が
上映されました。

この日一番びっくりしたのは、やっぱり『空飛ぶゆうれい船』。
60分という枠内にとにかくいろいろと詰め込みすぎて、ストーリー的にバタバタしているところは
TVシリーズを劇場用に再編集したようなもったいなさですが、ドキュメンタリー的なカメラワークや
広さと深さのある画面構成、メカの細かい描写などの緻密なディテールに圧倒されて、筋書きのアラは
ほとんど気にならずに見終わってしまうという、怪作にして快作と呼べるものでした。
資本主義文明への風刺も見どころですが、まずは大画面で迫力ある映像を堪能すべき作品と思いますので、
なるべく劇場のような大スクリーンで見ることを推奨します。

特にSF的な視覚描写の斬新さ、メカの質感は抜群で、ことSFアニメに関して言えば、この一作をもって
日本におけるひとつのスタンダードを打ち立てたと断言してもよいと思います。
『宇宙戦艦ヤマト』と『不思議の海のナディア』は、決定的にこの作品の影響を受けているはず。
上映後はマイマイファンの仲間たちと、このあたりの話で持ちきりでした。

なお、オチについては上映後に話し合った感想から2つほどの解答が出ましたが、ネタバレなので省略。

次の『どうぶつ宝島』は、宮崎駿作品の原点であることが明らかすぎるほどのアクション活劇。
冒頭とオチの部分は『カリオストロの城』ですし、海上での描写は『未来少年コナン』へと通じます。
ヒロインのキャシーは「さらば愛しきルパンよ」の小山田マキの外見で、中身はモンスリーという感じ。
シルバー船長には空中平泳ぎの場面もあるので、さしづめダイス船長の原型というところでしょうか。
宮崎さんとしては、一人立ちしたらいつかは自分なりの『どうぶつ宝島』を撮りたいという思いを抱いて
アニメを作ってきたのかもしれません。

池田監督の2作を見た後の『アリーテ姫』は、建築物の細かなディテールや光と影の演出、カメラワークの
巧みさなど、ドキュメンタリー映像を思わせるリアリズムの要素をひときわ強く感じました。
池田作品と同じ場面構成でも『アリーテ姫』では細部がより緻密になっていたりと、アニメ表現の進化を
はっきりと感じさせる部分も多く、師の目指した映像を弟子が見事に受け継いだという印象です。
「お姫さまと魔法使い」という約束事を踏まえつつ、そこから微妙にズレていく物語の展開についても、
『空飛ぶゆうれい船』の池田監督の弟子ならではの持ち味と言えるかも。

そして、今のところ片渕監督の最新作である『マイマイ新子と千年の魔法』。
この作品では「子どもの無垢さ」と「大人の狡さ」を対比させつつ、どちらが正しいとは言い切らずに
それぞれの姿を見つめることで「成長」というテーマの本質に迫ろうとしていますが、このスタンスこそ
池田監督が『空飛ぶゆうれい船』で見せた「テーマに対して真摯に向き合う姿勢」なのだと思います。
『ゆうれい船』についての「主人公が誰と出会い、何を見ていくかがこの映画のテーマ」という話も、
そのまま『マイマイ新子と千年の魔法』にあてはまるものですし。

大満足の上映が終了した後は、十数人のマイマイファンで朝のマクドナルドに移動し、2時間ばかり
映画の感想を述べ合いました。みんな本当に片渕作品が好きなんですよね~。

そして今回の企画を立てた関係者の皆様と、登壇された片渕監督と小黒さんに御礼申し上げます。
・・・願わくば、いつか片渕監督の長編作品だけでオールナイトが見られる日が来ますように。

昨年のオールナイトでの片渕監督のサインと、今回書かれたサイン。


できれば「池田宏(まほうつかい)の弟子」の下に「そしてチャップリンの曾孫弟子」と
書いて欲しかったな~(笑)。
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沖浦啓之さん・西尾鉄也さん出演 『人狼』トークイベント

2011年10月24日 | イベント・観覧レポート
杉並アニメーションミュージアムで開催中の「人狼 JIN-ROH セル画展 アナログアニメーションの魅力」の
関連イベントとして、10月23日(日)に行われた『人狼』トークイベントに行ってきました。
ご出演は『人狼』の監督・沖浦啓之さんと、作画監督の西尾鉄也さんです。

まず最初の話題は、お二人の近況報告から。

西尾:詳しくは言えませんが、新たな作品に取り掛かっています。公表できるのはかなり先になりそう。
沖浦:新作『ももへの手紙』が完成して、今は監督浪人中の身です(笑)。
   『もも』の宣伝をしながら、ちょこちょこと描いてます。

続いて本題である『人狼』の話になりましたが・・・。

沖浦:だいぶ忘れてます。
沖浦:すごい久しぶりに『人狼』見て、ニヤニヤしてしまいました。
沖浦:リハーサルとして予告編を見たけど、映像を見るのは10年ぶりくらいかも。
   製作当時にさんざん見たもので・・・。

沖浦:最初は『犬狼伝説』のOVA6本のうち、1本を担当しろと言われて「そんなのヤダ」と言ってたら、
   いつの間にか劇場映画の監督になってました。
   押井さんは原作の犬狼をやりたかったんだろうけど、自分は原作読んでも話がさっぱりわからなくて、
   興味が無かった。藤原カムイさんの画はよかったんだけど。
   自分がやるということなら、群像劇ではなく個人にスポットを当てた作品にして、ヒロインも出したいと
   言ってるうちに、今の『人狼』の形ができました。
   それからスタッフを集めるということになった時、『忍空』や、特に『THE八犬伝』の仕事を見て
   「アニメをわかってる人だな」と感じる画を描いていた西尾さんにお願いしようと思いました。
西尾:知り合いが『攻殻機動隊』の現場に入っていて、そこから「次は沖浦さんの作品らしい」という情報が
   入ってきたので、自分としてはぜひ原画で入りたいと名乗りを上げるつもりでいたら、ある日いきなり
   電話がかかってきて「ぜひ作画監督でお願いします」と言われたので、すごく驚きました。
沖浦:約束よりも早くI.G.に来て、周りから「西尾さんスゴイやる気ですよ」って言われた覚えがあるんだけど。
西尾:間違えて一日早く上京しちゃって、I.G.に行ったら完全に不審者扱い。
   ダレだこいつ?みたいな感じ(笑)。

西尾:沖浦さんはアニメーターとしてすばらしい原画をあげてたので、ゆくゆくは監督の道に進むだろうと
   思ってたけど、本人としてはどうでした?
沖浦:『人狼』については、さっき話したとおり押井さんにいろいろ条件を出したら全部丸のみしてくれたので、
   退くに退けなくなった感じ。押井さんはそういう事もできる幅の広さを持つ人。
   監督は初めてだったけど、演出については作画監督などで関わっていることによって、仕事のやり方が
   わかってくる部分もありました。

西尾:自分も劇場作品の作画監督は『人狼』が初めてで、すべてが新鮮だったけど、さすがに沖浦さんこれは
   やりすぎかなと思ったのは、それまでI.G.で使っていたレイアウト用紙を、レイアウト比が気に入らず
   作り直してしまったこと。普通そこまではやらないだろうと・・・確か緑色の枠線で。
沖浦:比率も気に入らなかったし、紙もなぜだか水色。
西尾:そうそう、なに描いてもヘタクソにしか見えない用紙(笑)。
沖浦:さすがにこれはないだろうと思ったから、ジブリの用紙を拝借してちょっと消して「I.G.」と(笑)。
西尾:でもあれから、昔のレイアウト用紙は使わなくなったよね。
沖浦:きっとみんな、前から不満を持ってたんだと思う(笑)。

沖浦:あとは片山(由美子)さんと神山(健治)さんに太陽色彩(セル絵の具の会社)まで行ってもらって、
   普通は表に出ない中間色系の絵の具を探してもらったこともありました。
   そしたらおやじさんと跡取り息子でやってるテレビに出てくるみたいな町工場で、大鍋使って目分量で
   色を作ってるような現場だったとか。

(司会:デジタル化によって現場が変わった事は?)

西尾:撮影は本当にしやすくなった。セルだと下の色が重なることによって、だんだんと色がくすんでくるから。
沖浦:同じ色でも、上のほうのセルの色は明るめにしたりとか。できるだけ色変わりの起きないセルワークを
   したいんだけど、セルは基本5枚までしか重ねられないですから。
西尾:セルだとキズで撮り直しが利かない場合も多いし、何度も繰り返すとタップ穴が広がってセルの位置が
   だんだんズレてくる。
   『人狼』の場合、プロテクトギアが暗い中を並んで歩いてくる場面とか、撮り直す事によって眼の光が
   ズレたりして、余計に悪くなることもありました。
   あと、都電の車内シーンでのセル10枚重ねも、必要だったとはいえ、大変な作業でした。

西尾:デジタルで撮影の苦労はなくなったけど、そのぶん昔より作業が雑になったとも感じます。
   特に昔はセル同士がぴったり重ならないといけなかったのに、今の人はセル重ねがすごく適当だと思う。
沖浦:作業のキメ細かさで言えば、アナログのほうが上かもしれない。
西尾:まあ仕上がりがさほど変わらないのであれば、、作業の敷居が下がったとも言えますけど。

(司会:富野監督の話では、デジタル化で作業の“止めどき”がわからなくなったと言ってましたが)

沖浦:昔なら撮影台に乗せてしまえばそこで区切りがついたけど、デジタル化でその苦労がなくなった分、
   素材に効果を加えるという部分での苦労は増えました。
   『人狼』でもデジタルを使ってますが、最初に思っていた「デジタルは夢の箱で、ブラシも使わずに
   特殊効果がかけられる」というのが勘違いとわかったので、終盤は全部アナログで作業してました。
   とは言っても、後半はデジタル作品の『BLOOD THE LAST VAMPIRE』と平行で作業をしていたので、
   I.G.の現場ではデジタル化の環境が整いつつあった時期でしたが。

沖浦:もうひとつ言いたいことは「劇場アニメに必要なのは、井上俊之である。」ということ(笑)。
   大変な作業の作品は、井上さんなしには成立しない。
   逆に言えば、井上さんのいない現場で、よく作品が作れるなと思います(笑)。
   井上さんの技術の高さ、スケジュール管理の厳しさを見ると、若い人もがんばらざるを得ない。
西尾:沖浦さんの「井上さんは頼れるアニキ」というのもわかるんだけど、自分の場合は井上さんが
   がんばってバリバリ仕事を上げると、自分のやる作業が減っていくわけです。
   だから「全部井上さんがやった」と言われないために、自分もがんばるしかなくなっちゃう。

沖浦:井上さんの絵は、井上節になってるよね。
西尾:終盤の作業ではディズニーのスター・システムみたいに作画の担当が決まっている感じで、沖浦さんは
   ねちっこく(ヒロインの)圭を直して、井上さんが辺見とかの男性キャラ、それ以外が自分という感じ。
   あと、自分の仕事が済んで帰った後に、沖浦さんが最後まで直してた圭の寝返りシーンを、スタッフが
   「できました!」とアパートの玄関先まで持ってきて、作監チェックで「マル」にしたのを覚えてます。
   確か、あれが『人狼』で最後に上がったカットだったと思う。

沖浦:背景の小倉(宏昌)さんの仕事も、『人狼』の世界と合ってました。
   雨宿りのシーンとラストの埋立地のシーン、どちらもすごく気に入っています。
   構図はきっちり決めて、描き方はざっくりとしている背景のほうが、自分としては好きですね。
   描き直しのできない一発勝負の緊張感が出ていると思います。

(以後、会場から寄せられた質問への回答)

Q1 沖浦監督と他のスタッフで折り合いがつかなかった(意見が食い違った)のは?
沖浦:制作担当の堀川(憲司)さんとは、スケジュールを巡って怒鳴りあいになったことがありますが、
   これはお互いに妥協のない中でいい仕事をしようとした結果によるもの。
   それと驚いたのは、半年前にOKを出したカットの撮影が上がってきたので、見たらとんでもないモノに
   なっていたこと。なんでこんなのにOKを出したのかと。
   そのときは見る目が相当甘くなってたんだと思います。それからはチェックが一層厳しくなりました。

Q2 都内の美大に通っていますが、先生が「『人狼』は非の打ち所がない作品だ」と言っていました。
   作り手として見たときの満足度はどうでしょうか?
沖浦:出来ばえはともかく、やれるだけのことはやったという気持ちはあったので、作り終えた時点では
   100%満足でした。
西尾:その時の気持ちを掻き乱されたくないとか、今の技術と比べたくない気持ちがあるから、『人狼』を
   見返さないというのはあるかも知れません。
沖浦:原画だけ担当した作品なら、自分のカットだけ見返すこともあるけど。
西尾:(その部分だけなら)オレ結構イケてるじゃん!みたいな気になることもあるけど(全体に責任のある)
   作画監督の場合、素直に見返せない。

Q3 音響面では何を参考にされましたか?
沖浦:音響については演出上かなり難しい部分。製作当初はあまり考えずに始めましたが、編集の段階で
   音響監督の指示を参考にしながら手を入れるようにしていきました。
   音作りは、当時リュック・ベッソンの作品が好きだったので、エリック・セラのような音を探していて
   溝口肇さんを紹介されました。
   声優については、あまりアニメでは声を聞かないようなタイプの人を選びました。これについては、
   『ももへの手紙』でも同じです。

Q4 製作当時、何を考えて作品に取り組んでいましたか?
沖浦:『人狼』という作品で、自分がどこに寄り添えるかを考えたとき(アニメーターという)信じた道を
   突き進んできた自分と、社会の間にある壁を感じて、それがテーマになるんじゃないかと思いました。
   そこに伏という人間を重ね合わせると、自分にも描けるんじゃないかと。
   あと、滅び行くアナログという作業をしていて、自分たちと特機隊のイメージが重なったり(笑)。
西尾:自分は当時、30前の小僧っ子ですから(笑)。
沖浦:西尾さんに「学生運動とか興味ある?」って聞いたら「あります!」って。
西尾:劇中のプラカードの字は、自分が書いてます。思想的なものはありませんが(笑)。

Q5 2000年の作品ということで、同時多発テロの前年にあたるわけですが、その後の事態に対する
   予見とか、社会情勢への意識はありましたか?
沖浦:そのあたりは脚本の押井さんの個性で、自分としては意識していませんでした。
   未来への予見よりも、むしろ今の経済成長の前段階にあたる時代ということを意識して描いています。
西尾:この作品は第二次大戦後にドイツに占領された日本を描いた、いわゆるIFの世界ですから。
(ここで司会のスタッフより「押井さんはパトレイバーなどでもテロを扱ってきたし、世界的に見れば
 テロは身近であって、それも『人狼』が海外で好評を受けた一因ではないか」と補足がありました。)

Q6 作中で『ここはうまくいったな』というシーンは?
沖浦:伏の夢の中で、圭が狼の群れに襲われるシーンは好きです。
西尾:いい場面は、担当(したアニメーター)に依存しますね。
沖浦:うまい人がゼロから組み上げたシーンは、印象が違う。

西尾:自分の場合、マズルフラッシュ等の火器の描写はうまくいったと思います。
   『人狼』をやるまでは銃器関係に詳しくなくて、これをやるにあたり相当調べました。
   例えば、MG42の銃弾が人体に食い込む場面では、弾の回転による衣服の巻き込みとか、
   弾が骨に当たって体が回転する描写をきちんと描けたと思います。
   ただし後で大体直されてるので、作品にどれだけ貢献したかはわかりません(笑)。
沖浦:それ以前に、銃器設定の黄瀬(和哉)さんのクリンナップが全然上がってこなかった。
西尾:MG42はモデルガンみたいな実物があったので、それを見ながら描いてましたね。
   そのうち設定画が上がってきたけど、そんなのもう誰も見ないという(笑)。

やがて終了時間になり、最後にお二方からひとことずつメッセージがありました。

沖浦:今回のトークも募集直後に申込を締め切るほど好評との事で、製作から11年も経った作品が
   これだけ支持されるのがうれしいです。
   『人狼』の製作当時、スポンサーに「10年後も見られる作品を作る」と言いましたが、その目標は
   達成できたと思います。
西尾:公開当時は迷彩服とかを着た男性客ばっかりだったけど、今回は女性の姿が多くて隔世の感があります。
沖浦:新作『ももへの手紙』のターゲットは小学生ですが、『人狼』のファンからは「日和りやがって」と
   言われそう。
西尾:迷彩服の男に集まられても困るけど、来るなとも言えないし(笑)。
   でも『人狼』のファンにも『ももへの手紙』を見てもらって、演出の共通点を見つけてもらうのも
   面白いと思います。
沖浦:西尾さんもいい場面を描いてますので、『ももへの手紙』もよろしくお願いします。

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今回のトークの内容をまとめていて、ふと思ったのは、『人狼』での沖浦さんたちを特機隊とするなら、
脚本の押井さんはさしずめ室戸部長なのかも、ということ。
押井さんの進めたかった筋書きに沖浦さんたちが素直に従わなかったことで、小難しい設定なのに
きちんとエンターテインメントにもなっているという、I.G.の作品としてはちょっと変わった毛色を持つ
『人狼』という作品が出来上がったのかなぁ・・・なんてことを考えたりしちゃいました。

会場の杉並アニメーションミュージアムが入っている杉並会館は、文化勲章受章者・芦原義信氏の設計。


内部のホールから見える階段もステキ。他にも見所が多く、建築好きにもたまらないスポットです。


企画展そのものは撮影禁止でしたが、撮影OKのコーナーにも『人狼』のセルが展示されてました。








アニメ製作者の仕事場を再現した常設コーナーには、後藤隆幸さんの机もありました。

その机上には攻殻SACのキャラ表と、素子のアップを書いたイラストが!

ちなみに企画展では、セル画以外にも原画や背景、実写版のプロテクトギアやMG42等が見られるほか、
I.G.の石川社長、沖浦さん、西尾さんによる色紙も展示されてました。
沖浦さんと西尾さんが色紙に何を描いたかは、実際に見てのお楽しみ。

会期は11月20日まで、入場は常設展・企画展ともに無料です。
「最後の長編セルアニメーション」が遺した貴重な遺産を、この機会にぜひご覧ください。
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マイマイ新子のふるさと、防府探訪(4日目)最終日~防府から広島へ

2011年10月17日 | マイマイ新子と千年の魔法
楽しかった防府探訪も、あっというまに最終日となりました。
この日は早々に防府を離れ、二つの世界遺産を見てから帰路に着く予定です。

この山陽本線に乗って、広島方面へと向かいます。


さようなら、ロックシティ・・・もとい、イオンタウン防府。


さようなら、江泊山。


周防灘を右に眺めながら、広島の宮島口を目指します。






2時間ほどで、宮島口駅に到着。
今度はフェリーに乗って宮島へと渡ります。


厳島神社の大鳥居が見えてきました。


そして宮島に上陸。うわさどおり、そこらじゅうに野良鹿がうようよしています。

・・・中には、こんな鹿の姿も。

もしや、鹿も並ぶほどの名店なのでしょうか?
あるいは、野生を失った動物はここまで堕落する・・・という悪い例かも(^^;。

さらに進むと、先ほどフェリーから見えた大鳥居がありました。


今回は干潮で水はほとんど無し。鳥居の周辺には人が集まっています。


そのうち潮がすっかり退いて、鳥居の下をくぐることができるようになりました。


大鳥居の棟札を真下から見ると、こんな感じです。


さらに、海側から見た大鳥居の姿。


そしてこちらは、鳥居側から見た厳島神社の全体像。

ちなみにこの日は全然水がありませんでしたが、翌週には潮が満ちすぎて
立ち入り禁止になってしまったとか。

神社の中に入り、高舞台越しに本殿を眺めたところ。


振り向くと、火焼前(ひたさき)の灯篭越しに大鳥居が見えます。


今も使われている能舞台。

台風により倒壊したこともありましたが、2011年で築後331年を数えました。

こちらは毛利元就・隆元父子によって、1557年に架けられた反橋です。


社殿裏にある、月を写すための鏡池。これは潮が退いていない時しか見られません。


厳島神社に2時間ほど滞在してから、再びフェリーで宮島口へ戻り、
地元でも指折りの有名店「うえの」で昼食をいただきました。


並ぶこと数十分の後に入店して、まずは「あなごの白焼」と日本酒を注文。

天然わさびのさわやかな辛さが、あなごの香りを一層引き立てます。
酒は地元の「八幡川」で、口に残るあなごの油をすっきりと洗い流してくれます。
ぐいのみ一杯で100円なり。

そしていよいよ、店の看板メニューである「あなごめし」が運ばれてきました!

パリッと焼かれた表面とふんわりした身のアクセント、口にほおばるとじわりと広がる上品な油、
そしてあなごのアラで炊かれたご飯の深い味わいと、これまで食べたものとは別次元の味でした。
さらに残しておいた白焼のわさびをつけると、また別の味わいが楽しめます。

その後は広島名物の路面電車に乗り、もうひとつの世界遺産へと移動。


そして、着いた場所は・・・

広島平和記念碑、通称「原爆ドーム」です。

ここを訪れるのは初めてですが、こうの史代先生の作品から受けた影響も含めて、
いつかは来たいと思っていた場所でした。











圧倒的な破壊の痕跡に身震いすると同時に、これを成し遂げた技術を産み、
さらに使用した立場になって考えた場合、この破壊力こそ、人間が手にした
大いなる力の証明に見えるのかもしれない・・・とも考えました。
まあその過信が、原子力を科学の火として推し進めてしまった一因なのでしょうけど・・・。

原爆ドームの存在意義を語る、二つの碑文。
ひとつは永久保存の決定と最初の補強工事の際に建てられたもの。


もうひとつは、世界遺産登録時に建てられたものです。


とはいっても、この内容を理解するかどうかは人それぞれなわけで・・・。
原爆ドームの前でピースサインをしながら写真を撮る女性を見たときには、
ちょっと言葉に出せないような気持ちになりました。

原爆ドーム近くの元安橋を渡って、広島平和記念公園へ。

ここで燃えている「平和の灯」の火種には、宮島から運ばれた
弘法大師の「消えずの灯」も使われているとのこと。

公園の向かい側には、原爆ドームの姿が見えます。


それと向き合う形で、平和の灯と原爆死没者慰霊碑、
そして平和記念館が一直線に並んでいます。


この設計は、防府に行く前に森美術館の「メタボリズム展」で見た計画図のとおり。
代々木第一体育館や大阪万博の会場も手がけた、丹下健三によるものです。

慰霊碑を横から見ると、代々木第一体育館と共通する形状なのがわかります。

さらに両者の上部には、厳島神社の鳥居等と共通する特徴的な曲線を見ることができます。

慰霊碑の前に立つと、原爆ドームがすっぽり納まる形。


こちらは丹下健三の代表作のひとつ、広島平和記念資料館です。



遠目には直線ばかりのモダニズム建築に見えますが、よく見るとコンクリートに羽目板模様が施されていたり
柱が微妙に曲線を描いていたりと、どこかで和風建築を意識している感じもありました。

平和記念公園を実際に見ることで、戦後復興と高度経済成長時代を象徴する「東京五輪」と
「大阪万博」へと繋がる、丹下健三建築の原点を確認することができました。
言い換えれば、この広島こそ長崎と並ぶ終戦の象徴であり、同時に戦後日本が再生するための
「出発点」でもあったのだと思います。

そして今また核による災厄の時代を迎えた日本にとって、五輪や万博といった成功体験以前の
「原点」としての広島を見つめなおすことが、改めて必要なのではないかと感じました。

なお、丹下健三と戦後の日本建築が、平和記念公園とどのように結びついているかに関しては
arch-hiroshima 広島の建築」というサイトの中で詳細かつ広範に論じられていますので、
興味のある方はぜひそちらもご覧ください。

元安橋の上から見た、原爆ドーム周辺の様子。

かつてこの上空に立ち上ったキノコ雲は、遠く呉からも見えたそうです。

しかし、広島平和記念資料館のサイトによると、米軍による最初の投下計画では、
呉も投下研究対象のひとつに含まれていたとのこと。

仮に呉に原爆が投下されていたとしたら、こうの史代先生が描かれた作品のいくつかは、
また違った結末を迎えていたことでしょう。
そして呉と広島を合わせ鏡の関係として考えた場合、『この世界の片隅に』で描かれていた
呉の街が、原爆が落ちなかった場合の広島の姿のようにも見えてしまいます。

さて、約4日間でしたが、自分にとってはこれまでで一番得るものの多い旅行となりました。
こんな機会を与えてくれた『マイマイ新子と千年の魔法』という作品と、それを取り巻く全ての皆さん、
特に現地スタッフと特別ゲストの方々に、改めて感謝いたします。

いつかまた、こんな素晴らしい旅ができますように。
そして願わくば、それが再び片渕監督の作品と結びつくものでありますように。
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マイマイ新子のふるさと、防府探訪(3日目)番外編~夜のひとり探検隊

2011年10月07日 | マイマイ新子と千年の魔法
午後3時過ぎの「マイマイ探検隊6」終了後、いったんホテルへ戻りました。

窓の外を見ると、防府の空は既に黄昏色です。

マイマイ探検隊参加者の一部は終了後の打ち上げで大いに盛り上がったようですが、
私はおみやげ調達のため、残念ながら不参加。
その代わり、買い物ついでにマイマイと関係のありそうな施設をいくつか見てきました。

今年の4月にも『マイマイ新子と千年の魔法』を上映した、ワーナー・マイカル・シネマズ防府。

失礼ながら、立派な映画館で驚きました。ここでのマイマイ上映も見てみたかった。

アニメイト・イオン防府店の店頭モニターでは『TIGER&BUNNY』のプロモ映像を放映中でした。

・・・よく見たら、映ってるのは『BLACK LAGOON』のベニー役でもある、平田広明さんではありませんか!
狙ったような偶然に「やはり防府とロアナプラはどこかで繋がっている!」と勝手に盛り上がってしまいました。

さらに買い物終了後、ふと思い立って夜の史跡公園まで歩いてみました。

松崎小学校の校門前。



昼に歩いた新子の通学路を、もう一度辿っていきます。


ここから先は、足元確認のためにも懐中電灯が必須。





昼に見たのとは、また違った光景です。

ドカンの祠の横にある、猿田彦を祀った塚。

なお、猿田彦は「古事記」等の記述に由来する、道の神・旅人の神とされています。
・・・そういえば、こうの先生の「ぼおるぺん古事記」早く単行本にならないかなぁ。

史跡公園の入口までやってきました。


ここから先は、街灯もなくて真っ暗。


人もスクリーンもない状態で見る夜の石碑は、昼間よりも威圧感を感じます。


周囲の家の明かりもまばら。

たぶんこの暗さが、昭和30年に新子たちが見ていた夜の光景に近いのでしょう。

夜露に濡れた芝生に寝ころんで夜空を見上げると、墨を流したように黒い空に白い星が点々と散っています。
そのまま見ていると上下の感覚が無くなって、まるで星の中に落っこちていくような錯覚を覚えました。

さて帰ろうか、と起き上がって歩き出すと、そこへ巡回のパトカーがやってきました。

別に悪いことをしてるわけではないのですが、不審者扱いされないかとちょっぴりドキドキ。

結果的にトラブルはなかったものの、やはり夜の探検隊はやらないほうが無難みたいです(^^;。
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