Biting Angle

アニメ・マンガ・ホビーのゆるい話題と、SFとか美術のすこしマジメな感想など。

モダン・アート,アメリカン-珠玉のフィリップス・コレクション

2011年11月05日 | 美術鑑賞・展覧会
国立新美術館で「モダン・アート,アメリカン-珠玉のフィリップス・コレクション-」を見てきました。

ぶっちゃけアメリカン・アートといえば、ワイエスのような写実作品とポロックみたいな抽象作品の
両極端しか知らず、むしろ写実のほうが好きな私としては「今回はあんまり期待できないかも」と
心配しながら見に行きましたが、意外にも十分楽しめる内容でした。

印象派風の絵画から抽象画へと移り変わっていくアメリカ絵画の中で、私が一番興味を引かれたのは
アメリカならではの風景である「巨大都市」を描いたもの。
その代表といえるのが、エドワード・ブルースの「パワー」です。

巨大なブルックリン橋の向こうにそびえ立つ摩天楼の姿と、そこに降り注ぐ神々しい光の描写は
まるで伝説に出てくる神の国を描いたかのよう。
その無邪気なまでの礼賛ぶりも含めて、これこそアメリカならではの光景だと思わせる作品です。

もうひとつ、アメリカならではの光景を描いた作品が、ジョン・スローン「冬の6時」。

都市内部における高架鉄道は、マンハッタンで始めて実用化されたものだとか。
同じ大都市の賑わいや鉄道を描いた絵でも、ヨーロッパの印象派とは一味違う「工業化された都市」と
その下に群れ集う人々が描かれています。

ステファン・ハーシュの「工場の町」にでは、自然さえ工業化された風景の中に組み込まれてしまいます。

幾何学的で無機質な建物群と、青々とした水の流れる川の対象性が強く印象に残ります。

そしてもはや人も自然も描かれなくなってしまうのが、チャールズ・シーラーのこちらの作品。

タイトルはずばり「摩天楼」。
ここでは垂直に伸び行くビル群がまるで新たな自然であるかのように、視界の全てを占拠しています。
つい先日、レム・コールハースがマンハッタンの発展と限界性を書いた著書『錯乱のニューヨーク』を
読み始めたところなので、こういった作品にはなおさら強くひき付けられてしまいます。

そしてこれらの作品とは対照的に、都市に生きる人間の孤独と疎外感をくっきりと描き出した作品が
エドワード・ホッパーの「日曜日」です。

楽しげなタイトルとはうらはらの、憂いを感じさせる孤独な男の姿。
背後に立ち並ぶ建物は、まれで男の背中にのしかかる重荷のようにも見えます。
ホッパーはこれともうひとつ「都会に近づく」しか展示されていませんでしたが、その二作だけでも
都市生活者の寂寥感を十分に伝えるものがありました。

ホイッスラー、ロスコ、ポロックなどの著名どころは各一点ずつですが、これらの作品が展覧会の核に
なっていないぶん、他の作家に目を向ける余裕があったといえるかもしれません。

例外として、オキーフだけはそこそこまとまって出てました。
これはその中のひとつ「ランチョス教会、No.2、ニューメキシコ」です。

まるで生物都市のようなぐにゃぐにゃ感と、熱く乾いた空気の気配。
リアリズムと抽象の境界線に立ち上がる幻のような彼女の作品こそ、アメリカ絵画の特質を
最もよく表しているとも言えるでしょう。

このところよく見られる重量級の展覧会ではないものの、ヨーロッパ主体の美術とはまた違う面白さと
画家の目を通した「アメリカの肖像」を見る感覚が楽しめる展覧会でした。
それにしても、新美の企画展でこんなに人が入ってないのは初めての体験。
金曜の夜間とはいえ、一時は館内に他の人がいなくなるほどのすきっぷりには驚きました。

会期は12月12日まで。ネームバリューにこだわらなければ、絵とじっくり向き合えるよい機会です。
アメリカ絵画だけでなく、良くも悪くもアメリカという国に興味がある人なら、見て損はないですよ。
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