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Biting Angle

アニメ・マンガ・ホビーのゆるい話題と、SFとか美術のすこしマジメな感想など。

こうの史代原画展「夕凪の街 桜の国」「この世界の片隅に」

2012年02月12日 | この世界の片隅に
調布市文化会館たづくりで2月11日から始まった、こうの史代先生の原画展を見てきました。


まずは調布市文化・コミュニティ振興財団の公式サイトに掲載された事業案内をご紹介。

“手塚治虫文化賞や映画やドラマ化などでも注目を集めている漫画家こうの史代さんの2作品
 『夕凪の街 桜の国』『この世界の片隅に』の原画展を開催します。
  作者は、はじめ戦争をテーマとした作品を描くことに抵抗がありましたが、広島や長崎以外の地域で
 原爆を知る機会が少ないのではという思いから『夕凪の街 桜の国』を描きました。
  また『この世界の片隅に』では、原爆だけではなく戦争がもたらした様々な出来事を描きながら
 登場人物が「死ぬかどうか」ではなく「どう生きているか」に重点をおいています。
  両作品とも戦時という時代の中で、その場に生きた人々の生活が綿密に描きだされています。
  この原画展を戦争について考える機会とするとともに、フリーハンドでの描写やカラーの作品の
 色の美しさなど原画でしか味わえない魅力を存分にお楽しみください。”

イベントの冠に「調布市平和祈念事業」とあるとおり、展示作品は太平洋戦争を取り上げている
「夕凪の街 桜の国」と「この世界の片隅に」の2作品に絞られており、この事業のテーマ性が
はっきり示された内容となっています。


作品リストを兼ねて展示会場の順路図を配布していたのは、なかなかよい配慮でした。

稲城市の大河原邦男展といい、この手の展示会では資料を何も用意してない場合も多いですからね。

会場はたづくり1階の右奥にある展示室です。

入口の左には2012.2.10の日付が入ったサイン入りポスターと、ハトの絵入りサイン色紙がありました。
そして正面には「この世界の片隅に」上・中・下巻のカバー原画が勢ぞろい。

単行本のカバーでは二つ折りになっているイラストですが、こういう機会にじっくり見てみると、
こうの先生の筆致や色使いだけでなく、巧みな構図や各所に配置された小道具のリアルな描写など、
一枚の絵としても実に高い完成度でまとめられていることがわかります。

続いて生原稿の展示。こちらは描線だけでなくホワイトによる細かい修正、ワク外の書き文字など
原稿を構成する全ての部分が印象的でした。

「この世界の片隅に」の生原稿は、全45回のうち16回分の一部、計75枚。
どれもすばらしいのですが、中でも特に心に残ったものを並べてみます。

・第6回:すずが広島の市街を描くシーン(ここが右手を失った後の展開と呼応している)
・第7回:呉港を見下ろす見開き
・第8回:楠公飯の作り方(楠正成は画用紙に描いて、原稿に貼り付けている)
・第26回:米軍機の来襲(直前の見開きでは太陽のある場所から光源の補助線が引かれているが、
      太陽そのものは描かれていない。)
・第34回:爆撃で炎上する呉の市街と、それを見つめるすず
・第35回:失われた右手を見つめる見開き(原稿は台詞なし)
・最終回:ラスト6ページ分すべて(失われたすずの右手が、呉の街に再び色を与える)

なお、原稿はセリフが入っていない状態のものが多数を占めますが、いくつかの回にはそれを補うために、
完成したマンガから該当ページをコピーしたものが添えられていました。
さらに参考資料として、作中に出てきた五圓札や軍服、もんぺなどの実物も展示され、当時の生活を
生々しく感じることができます。

「夕凪の街 桜の国」は表紙と目次のカラー原稿が各1枚、マンガの生原稿が25枚。
目次のイラストは色使いも含めて、ゴッホの「星降る夜」を思わせるものがあり、こうの先生が
印象派から影響を受けているらしいことが感じられます。

「夕凪の街」の原稿は11枚。
皆実がおとみさんを歌う場面、原爆ドームの様子、姉の回想からラストシーンまでといった原稿が
展示されていました。

「桜の国」の原稿は(一)が8枚、(二)が6枚。
(一)からは連絡帳、凪生のお見舞い、東子との別れ、(二)からはバスでの七波と東子の会話、
旭のプロポーズ、そしてラストでの七波と旭の会話の場面が選ばれています。

サイン入りのポスターと色紙を含め、展示数は延べ110点。
広い会場ではありませんが、入場無料とは思えないほど充実した内容でした。
ただし、先にマンガを通読してから見たほうがより楽しめると思います。

こうの作品のファンだけでなく、マンガという文化を愛する人すべてにこの展示を見て欲しい。
そしてこれを機に、かつての日本と、これからの日本について思いを巡らせて欲しいと思います。

会期は2012年3月20日(祝・火)まで。開場時間は10:00~18:00までとなっています。
なお、会期中の2月25日(土)~28日(火)までは休館となりますので、ご注意ください。
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グッスマの「Cheerful JAPAN!」2月のアイテムはタチコマです!

2012年02月10日 | ホビー・フィギュア・プライズなど
グッドスマイルカンパニーが2011年5月からWebで展開している、東日本大震災復興支援企画「Cheerful JAPAN!」。
これまでメーカーの枠を超えたコラボによる応援グッズを月替わりで販売してきましたが、2月のアイテムには
なんと『攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX』のタチコマが登場します!

ひとつは大ヒット商品『ねんどろいどタチコマ』に、新規の応援グッズを追加した『ねんどろいどタチコマ 応援Ver.』。

これまでのパーツに加え、グッスマカラーであるオレンジ色のポンポンやのぼり旗、日の丸のセンスがついて、
お値段は4,000円です。(うち1,500円を義援金として寄付)

・・・ねんどろのタチコマはつい先日買ったばかりなんだけどなー、もう一個いっちゃおうかな?

もうひとつは、Production I.Gの描きおろしによるCGイラストを使用した『攻殻機動隊S.A.C. チアフルTシャツ』。

ねんどろいどの応援グッズを持った5体のタチコマが愛嬌たっぷりに描かれたデザインを見ていると、
なんだか玉川砂記子さんの声が聞こえてくる気がします。
こちらのお値段は3,000円なり。(うち1,000円を義援金として寄付)
サイズはS~XLまで選べるので、小さなお友達も大きなお友達も安心です(笑)。

・・・こっちについては、商品写真を見た瞬間に買うと決めました。タチコマかわいいよ!

販売期間は2012年2月10日(金) 11:00 ~ 2012年2月26日(月) 20:00 までとなります。
支払方法や詳しい仕様などは、公式サイトで確認してください。
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伊藤若冲生誕296年、Googleトップページが鳥獣花木図屏風に!

2012年02月08日 | その他の雑記・メモなど
本日2月8日は、世界的な知名度も高い江戸の奇想絵師・伊藤若冲の誕生日。
正徳6年2月8日(1716年3月1日)生まれなので、生誕296年目を迎えたことになります。

それを記念して、Googleのトップページが若冲の代表作「鳥獣花木図屏風」に模様替え。




この作品のポイントである白象の頭が、うまいことGoogleロゴのgに見えるのがすばらしい。
さらには、おなじみ桝目描きもちゃんと再現してあります。

著名な画家の誕生日でこういった趣向を凝らすGoogleですが、若冲でもいい仕事してますね。

ちなみにこの絵の本物はアメリカのプライス氏が所蔵してますが、よく似ている
静岡県立美術館所蔵の「樹花鳥獣図屏風」と間違えられやすい作品でもあります。

簡単な見分け方としては、象の背中に敷物が乗っているほうが「鳥獣花木図屏風」、
何も乗っていないほうが「樹花鳥獣図屏風」。
ということで、今回のロゴの元絵は「鳥獣花木図屏風」が正解となります。
(ニュースサイトとかで取り違えた記事を見かけたので、念のため。)

ただしこの絵が若冲の真作なのかについては、一部に疑問視する声もあるようですが・・・。
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明珍の「自在置物 龍」は必見!東京国立博物館140周年特集陳列「天翔ける龍」

2012年01月25日 | 美術鑑賞・展覧会
平成館の特別展「北京故宮博物院200選」に湧く東京国立博物館ですが、本館も忘れてはいけません。
今年の干支である辰にちなんだ特集陳列「天翔ける龍」では、日本が誇る伝統工芸品「自在置物」の傑作、
明珍宗察の「自在置物 龍」をじっくりと見ることができます。

左:里見重義作 自在置物 龍 銀製 明治9年(1907年)製作
右:明珍宗察作 自在置物 龍 鉄製 正徳3年(1713年)製作


この龍、「自在置物」という名のとおり、手足だけでなく全身にポーズをつけられる置物です。
つまり、江戸時代に作られた金属製のフル可動フィギュア!
特撮リボルテックの轟天号について書いたとき「怪竜マンダも出ないかなぁ」みたいな話を書きましたが、
実は300年も昔に、特撮リボルテックや超合金魂も真っ青の傑作可動フィギュアが作られていたのです。


江戸時代になって仕事を失った甲冑師が、優れた金属細工の腕を活かして作った「自在置物」は、
幕末から明治以降は海外へと輸出され、芸術品として高い評価を得ることになります。
その自在置物のうちで、判明している制作年代が最も古いものが、この明珍作の龍なのです。

この龍、東博でかつて何度か展示されてますが、全身をくまなく見られる機会は決して多くありません。
さらに撮影禁止の表示がない作品の場合、フラッシュを焚かなければ写真も撮り放題というありがたさ。
せっかくのチャンスなので、展示ケースをぐるぐる回りながら撮影してきました。









いやー、どっから見てもカッコいいわー。むかし見たときからずっと好きな作品です。

一方、小さい里見重義の龍は明治時代の作ですが、こっちは全身銀製。


そして二頭の龍の背後に見えるのは、東京大学と凸版印刷の共同開発による
次世代型の美術鑑賞システム「デジタル展示ケース」です。


実際に触ることのできない里見重義作の自在置物を、VR技術で動かせるという仕組み。
両手に操作棒を持ってケースの穴に腕を突っ込み、左手を上下に、右手を前後に動かすと
画面内の龍が頭を上下したり、尾を振ったりします。

7方向から同時撮影できる特殊装置や、動作の中間画像を自動生成するソフトを
組み合わせることにより、すばやく滑らかに反応する動きを作り出したのこと。

本来なら360度自在に動く可動域からすれば限られた範囲ではありますが、
体験型博物館の試みとしてはなかなか意欲的な研究だと思います。
欲を言えば、もう少し動きの検知精度を高めて、操作感を向上させて欲しいかな。

別室には、他の自在置物も展示されてました。

こちらは昭和に作られた、宗義作の鉄製の蛇の自在置物。

総パーツ数は150近く。ウロコ状の部分は全部関節です。

明珍吉久作の自在鯉置物は構造的に可動部分が少なめですが、造形は見事。


明珍宗清作の自在伊勢海老置物なんて、トゲやヒゲの細部まで本物そっくり!


腹の下にちょこちょこ出ている腹肢まで、リアルに作ってあります。


東京国立博物館140周年特集陳列 天翔ける龍」では、
他にも龍にちなんだ作品が数多く展示されています。展示期間は2012年1月29日(日)まで。
龍以外の展示品は本館13室(金工)に展示。こちらは2月26日(日)まで見られます。
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チャイナ・ミエヴィル『都市と都市』感想

2012年01月23日 | SF・FT
昨年の欧米SFの中でも『ねじまき少女』と並ぶ話題作、チャイナ・ミエヴィルの『都市と都市』を読みました。

バルカン半島と思われる地域にある都市国家・ベジェルで、若い女性が殺害された。
過激犯罪を担当するボルル警部補が乗り出すものの、この国ならではの社会事情から、
捜査は不可解な様相を示し始める。

実はベジェルの存在する都市には、言語・文化・風習・歴史すらも異なるもうひとつの都市国家、
ウル・コーマが並存していた。
両国は明確に国境を隔てる物理的障害を持たずに“混在”しながら、国民同士が互いの存在を意識的に
“無視”することによって、国家としての独立性を維持していたのだ。

そして殺された女はウル・コーマで暮らす外国人にもかかわらず、ベジェルで死んでいた。
すなわちこれは、厳しく禁じられている“越境行為”に絡む問題に発展する怖れがあるのだ。
もし不法な越境行為が確認された場合、事態は二つの国家を越えた強力な治安維持組織「ブリーチ」に委ねられ、
全ては旧に復されることになる・・・あくまで秘密裏に、誰の目にも留まることなく。

ボルルは事件を「ブリーチ」に委ねようとするが、国家を超えた勢力の介入を嫌う上層部の思惑もあって、
「ブリーチ」の発動は行われなかった。
ボルルはさらに捜査を継続するため、正規の手続を経てウル・コーマへと“入国”し、被害者が探っていた
“ふたつの国家の隙間にある存在”の謎へと接近していく。
彼女はなぜ殺されたのか。第3の国家とは何か。そして謎めいた「ブリーチ」とは、いったい何者なのか・・・。

身ぶりや服装、そして言語の異質性を逆手にとって、儀礼的無関心や傍観者効果の組み合わせにより
“そこにあるにも関わらず、互いに見えない国”を作ってしまうのが、本書の核心を成すアイデアであり、
実は推理小説としてのトリックでもあります。
最後に殺人犯は明確にされるものの、実はベジェルとウル・コーマが並存する「都市そのもの」が、
この殺人の共犯者であり告発者であるという点も、都市小説としての面目躍如というところでしょう。

また、「分断」という言葉を聞くと、日本人の我々としては「引き裂かれた」という印象を受けがちですが、
本書を読んでいてユニークだと思ったのは、「分断」こそがこの地の個性であり、それぞれの国民の精神に
深く根ざした「国民性」ではないだろうか・・・と感じさせるところ。
このへんはウエストエンドとイーストエンドの貧富格差、あるいはインド系移民などの流入が問題となっている
ロンドンで育った、作者ミエヴィルの体験が反映されているのかもしれません。
あるいは日本以外の諸外国では、こういう感覚がより身近にあるのかも・・・とも感じます。

なお、ミエヴィルはこの小説を、現実に対する「寓意」として読んで欲しくないと言っていますが、
私はむしろこの設定の場合、積極的に「寓意」として読んだほうがおもしろいと思います。
一般的な見方としては、かつてのベルリンやイスラエル、あるいはべジェルのモデルとも思われる
旧ユーゴを連想すると思いますが、むしろいま現在でこの2国混在制度に最も近いのは、やはり
ネット空間上のコミュニティですかね。
例えばtwitterで互いをブロックしあう姿には、相手を「意図的に見ない」という儀礼がシステムに
あらかじめ組み込まれた社会が、既に日常化していることを感じます。
・・・まあネット社会そのものが、目に見えない「もうひとつの現実」でもあるわけですが(^^;。

個人的に残念だったのは、これだけユニークな設定を持ちながら、方向性が明確に「正統派ミステリ」と
決まっていることによって、本書の持つ可能性が狭められてしまったのはないかということ。
推理小説としてのフェアさにこだわらなければ、もっと異様な国家像が描き出せたのではないか、
もっとエキゾチックな社会が見られたのではないか、という期待を持ってしまいます。

事件の真相が思ったよりこじんまりしていた(というか、ハードボイルドでは結構ありがち)というのも、
ミステリとしてはやや弱い印象を与えてしまいました。
同種の作品として比較される『ユダヤ警官同盟』も、展開は正統派ハードボイルドミステリなんだけど、
あの作品は真相が判明した瞬間に“一転突破”の強烈さで世界をぶち抜く衝撃があるんですけどね。
『都市と都市』は、その一転突破を図ろうとしないし、あえて世界をぶち抜こうともしない。
これもジャンル小説としてのミステリにこだわるあまり、どこか突き抜けられなかった印象があります。
そしてSFとしての衝撃度だけで考えるなら、やはり前者のほうに分がある気がしますねぇ。

たまに出てくる「グーグル」とかの固有名詞が、私にとっては興をそぐ方向に感じてしまったのも、
ちょっとマイナスでした。
これだけ外部世界と隔絶した展開で進められるなら、逆に一切を架空のアイテムで固めてしまっても
よかったと思うし、そのほうが「寓意」の入り込む余地も少なかったでしょう。
まあ完全に外部と切り離してしまったら、今回の殺人事件そのものが成立しなかったとは思いますけどね。
(このへんはややネタばれです。)

中盤までは世界も事件もいまいち見通しが悪いのですが、謎の治安組織「ブリーチ」が登場してきてからは
物語も俄然スピードアップします。
最後は主人公が組織に〇〇〇〇されるというのは良くある話にも思えますが、彼らの精力的な活動ぶりは、
本書における華と言えるでしょう。
ある意味、『都市と都市』という作品は、オーウェルやアラン・ムーアに見られる「秘密機関への反感」や
「謀略史観」に対してのアンチテーゼとなっているのかもしれません。

ジャンル小説としてはアラも見えますが、凝った設定を自在に操って魔術的な都市空間を演出し、
それをどう維持するかに腐心したミエヴィルの筆力は、やはり確かなものだと思います。
ミステリとしてもよくまとまってますが、むしろ奇談系や都市小説が好きな人向けという感じ。
といっても、おどろおどろしかったり掴みどころがないわけではなく、むしろ理路整然とした作品で、
そこがFTやホラーではなく、SFとして高く評価されたポイントなのかなーとも思いました。

最後にひとこと、リズビェト・コルヴィ一級巡査をもっともっと活躍させて欲しかった!
しゃべりといい有能さといい、私のツボにハマりまくりのキャラだったものですから。

・・・もしかして、彼女が主人公の続編が出たりするかも?と勝手に期待しております。
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「北京故宮博物院200選」の期間限定展示「清明上河図」を見てきました

2012年01月19日 | 美術鑑賞・展覧会
東京国立博物館で開催中の特別展「北京故宮博物院200選」に行ってきました。
もちろん最大の目当ては、史上初の国外展示となる傑作「清明上河図」(せいめいじょうかず)です。

さて、こちらは平日の朝9時15分ごろ、国立西洋美術館前の様子。

今は40年ぶりに来日したゴヤの「着衣のマハ」が展示されていますが、
それでも開館前の列はこの程度でした。

そして同日9時20分ごろ、東京国立博物館の様子。


既にこれだけの長い列ができてます(^^;。

そして9時30分の開館後、わずか10分で「清明上河図」の鑑賞までは90分待ち、
さらにその5分後に「180分待ちです」とのアナウンスが・・・なんじゃこりゃー!

そして45分待ちで館内に入ると、今度は一階ラウンジで「清明上河図」を見るため“だけ”の列に
改めて並ぶことに・・・。


入場待ちの間に係員から説明された話によると、貸出元から「展示はほぼ平置き」
「鑑賞に混乱をきたさないように」等と厳重に指示されているため、「清明上河図」は
展示ケース前に一列に並んで鑑賞する形になるとのことでした。
今回の入場列は、そのための措置だそうです。
また、他の展示物を見るためには一度退室して、改めて第一会場の入口から
入室する必要があるとのこと。

ようやく二階へ上がってみれば、またもや行列です。

並ぶ人が多すぎるせいで、巨大な窓ガラスが全面曇るほどの混雑っぷり(^^;。

右側に折れた列の先には、第一展示会場の出口があります。

「清明上河図」は第一展示会場の最後に置かれているので、出口から会場の途中に入って、
そこから折り返す形での鑑賞となります。

ようやく第一会場の出口までやってきました。

ここまで来るのに2時間半。まあ屋外で待たないだけマシというべきか。

しかし、これで終わりではありません。
文章では説明しにくいので、展示場所の略図を作ってみました。


「清明上河図」の鑑賞者は、会場の途中から入って壁際に列を作る形になります。
このコーナーには「清明上河図」の拡大図や解説ビデオの上映があるので、これらを見ながら
現物にたどり着くまでさらに30~40分待つことになります。

もちろん第一会場の入口から入った人は「清明上河図」の鑑賞列には並べません。
また、ケースの高さと前に並んだ人の列のせいで、後ろから覗き込むのもほとんど無理。
二つの順路はベルト状の間仕切りで仕切られており、強引に身を乗り出すと警備員が飛んできます。

さて、待つこと3時間。いよいよ「清明上河図」の展示場所に到着しました!

ここで「清明上河図」について、公式HPの解説を転載しておきます。

“「清明上河図」は、北宋の都・開封(かいほう)(現在の河南省開封市)の光景を描いたものと言われています。
 作者である張択端(ちょうたくたん)は、北宋の宮廷画家であったということ以外、詳しいことがほとんど
 分かっていない謎の画家です。
 全長約5メートル、縦24センチの画面のなかに登場する人物は773人!(異説あり) 。まさに神技です。”

“ここまで精密に描かれた都市風景は、もちろん同時代の西洋にもほとんどありません。北京故宮でも
 公開される機会はごくまれで、上海博物館で公開された時は夜中まで行列が続いたほどの熱狂的
 大ブームを 巻き起こしました。
 まさに中国が誇る至宝であるとともに、世界でも屈指の幻の名画なのです。”

それでは、この「幻の名画」を実際に何分見られるか、試しに計ってみることにしました。
警備員にせかされながら、時に単眼鏡で細部を確認しつつ横歩きで鑑賞したところ・・・

結果、所要時間は5分26秒。1mあたり1分5秒くらいですかね。
展示品のキャプションに「中国絵画の真髄を、じっくりと堪能していただきたい。」とありましたが、
もはやじっくり見るどころの話じゃありません(^^;。

ではこのわずかな鑑賞時間のために、特に絵画に詳しくない人が最長で4時間半とも言われる
行列待ちをする価値があるのか・・・と問われたら、それでも私は「ある」と答えます。

その理由は、実物の「清明上河図」が写真や映像で見るよりずっと鮮やかで、生命力を感じる
「生きた絵画」だったから。

小さな画面に細密に描かれながらも、その描線は決して曲芸的ではなく、豊かな強弱を持っています。
また、各所に繊細な彩色がされているので、水墨画の枯れた感じはありません。
そして約800~900年を経たとは思えない保存状態の良さに、この作品が単なる絵画を越えて
大切にされてきた「文化遺産」であることを、ひしひしと感じたのでした。

さらに、国名や為政者が変わっても「清明上河図」だけは変わらず珍重されてきたこと、そして
そのテーマが普遍的な「自然と人々の暮らし」であることを思うと、この作品が中国という国の
「魂」あるいは「精神」さえも象徴しているのではないか・・・とも考えてしまいました。
まあ長時間並んだゆえの思い込みではありますが、「自然」と「民」が国の宝であるというのは、
ひとつの真理ではないでしょうか。

これだけ短い鑑賞時間で「絵」としてのすばらしさを十分理解するのは、難しいかもしれません。
しかし、少し見方を変えれば「絵」という枠を超えた面白さを見出すこともできるはず。
そういった部分も加味して「清明上河図」を見に行くべきか否かを判断してもらえればよいと思います。

もちろん他の展示物もすばらしいので、そちらをじっくりと見るならば、むしろ「清明上河図」の
展示期間が終了する、1月25日以降に行ったほうがよいかもしれません。
特に、自然と民衆を描いた「清明上河図」と好対象を成すとも言える、皇帝の巡行をテーマにした
超大作「康熙帝南巡図巻」は、サイズ・色彩・細密描写ともに圧倒的。
まるで絵で描かれたミニチュアの世界を旅するような、他にはない体験が味わえます。

また、孔雀の羽を織り込んだ上衣やカワセミの羽を貼ったブローチなど、工芸の絶品もあります。
これらの細工をよく見るためには、やはり単眼鏡を用意していったほうがよいでしょう。

全ての展示を見終えて展示会場を出たのは、午後3時。
外には、まだ入場待ちの表示が出ていました。

入館まで10分待ち、「清明上河図」を見るまで180分待ち。
一見すると朝並ぶよりも入りやすそうですが、ここで注意すべきは「閉館時間は午後5時」という点です。

係員さんに聞いたところ、展示会場そのものは午後5時で終了するため、これから入館する人については
5時までに他の展示を見てもらわないと「清明上河図」しか見られなくなってしまう・・・とのことでした。
「清明上河図」の列には午後5時まで並べるそうなので、閉館後も連日3時間かけて人を捌くのでしょう。
・・・これで会期中の延長開館がない理由がわかりました。

係員さん、いつもご苦労様です(^^;。
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特撮リボルテック「海底軍艦 轟天号」

2012年01月03日 | ホビー・フィギュア・プライズなど
元日に発売された、海洋堂の特撮リボルテック SERIES No.034「海底軍艦 轟天号」を購入してみました。

リボルテックの公式サイトによると
「本製品は、海洋堂がガレージキットメーカーとしてはじめて正式版権を取得し、一般商品化した、
 バキュームフォームキット『海底軍艦【轟天】』の発売より30周年を迎えて送る記念モデルです。」
だそうです。
30年前の1982年といえば、500円硬貨が初登場し、世界で初めてのCDが発売され、テレホンカードが
発行された年だそうですから、ずいぶん昔のことに思えますねぇ。

前置きはこのくらいにして、現物を見てみましょうか。

ボックスアートはなかなか渋いけど、ちょっと地味な感じもします。
まああくまで「大人のおもちゃ」なので、あんまり派手にするのもはばかられたのでしょう。

特撮リボは他のシリーズに比べて箱が豪華だけど、もっと簡素にしてそのぶん価格を下げてほしいんですが・・・。

箱の中身は、こんな風になってます。

オプションパーツはデザイン違いのドリル一個だけ。リボルテックにしては貧弱といわざるを得ない。

そして、轟天号本体。



ちっさ~!

手と比べてもらえば大体の大きさは伝わると思いますが、定価3,500円で
この大きさでは、さすがに小さすぎないか?

まあこのサイズでモールドがそれなりにしっかりしてるのは誉めるべきかもしれないけど
ピットロードの「世界の艦船」シリーズのほうが、もっと細かかったからなぁ。

そして轟天号の魂である、艦首衝角のドリル部分。

箱についてる実使用モデルのスチール写真と比べると、なんかフォルムが違う気がする。

気になったので、ネットを検索して見つけた「お笑いと怪獣部屋」さんの「新世紀合金 轟天号」の写真と
比較してみました。

新世紀合金のほうが、明らかにスチール写真に近い姿に見えます。
リボのほうはドリルも細いけど、なによりも甲板から舷側にかけてのラインにボリュームが足りないです。

さて、リボルテック版轟天号のウリのひとつが「差し替えなしの変形機構」ですが、箱の説明だけでは
ちょっとわかりにくい気がするので、写真入りで解説してみましょう。

通常の艦橋部分。昇降舵(?)が横に飛び出しています。


艦橋の上半分を引っぱり上げて、昇降舵が回転できるようにします。薄いので折らないように注意。


昇降舵をタテにしたら艦橋を元に戻し、潜望鏡付近を上に軽く引き上げながら後方へ折り曲げます。


艦橋部分をつまんで後ろに引き開けながら、上下に反転させます。


このとき、艦橋の各パーツが一直線になっているかを確認すること。

これを忘れると艦橋がうまく収納できなかったり、パーツが折れる危険があります。

あとは艦橋部分を閉じて、変形終了。


艦橋がうまく閉じない場合は、後部の差し込みがずれている可能性があります。

おかしいと思った場合はムリヤリ閉めずに、よく確認しましょう。

艦橋はピッタリ閉まるので、元に戻そうとするときちょっと大変です。


そんなときは、ドライバーなどを使って先端の隙間から引き起こすとよいでしょう。


飛行翼とノコギリ部分を収納した状態。

ノコギリは引っ込められますが、回転はしません。

飛行翼を展開した状態。羽が薄いので取り扱いに注意。


小松崎茂画伯がデザインした、別形状のドリルと交換が可能です。



せめて冷線砲と後部噴射炎のエフェクトとか、最近力を入れている発光ギミックでも組み込んでくれれば
値段相応と評価できそうなんだけど、これだけではちょっと寂しすぎますね。
ネットでは怪竜マンダをつけろというご意見もありましたが、それなら普通に商品として売るでしょう(笑)。

可動は少なく、オプションパーツは貧弱、それでいて価格は高めと厳しい商品ではありますが、
全般的な造形は悪くありません。(手放しでは誉められないけど)
轟天号に思い入れのある方なら価値はあると思いますが、逆に過剰な思い入れのある人からは
不満もいろいろ出てきそうなので、オススメするのがなかなか難しいアイテムです。

もし2,000円程度で売ってるのを見つけたら、試しに買ってみてもよいのでは・・・。

コレをいじってたら『海底軍艦』を見たくなったので、家にあるはずのDVDを探したんだけど、
どうしても『マタンゴ』しか見つかりません・・・いったいどこに埋もれているのやら。

最後におまけを追加。

写真に簡単な加工をしてみました。クリックすると大きな画像が出ます。
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謹賀新年2012

2012年01月01日 | その他の雑記・メモなど
明けましておめでとうございます。



2012年の大河ドラマが「平清盛」だということで、昨年はじめて行った厳島神社の大鳥居でご挨拶。
このタイトルにあやかって、今年こそは「平穏」で「清らか」かつ「盛り上がる」年になることを祈ります。

といっても、たぶん大河は見ないと思うけど(^^;。

それでは、今年もよろしくお願いいたします。
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2011年もありがとうございました。

2011年12月31日 | その他の雑記・メモなど
激動の2011年も、残すところあと数時間となりました。

3月に起こった想像を超える天災と、それに追い討ちをかけるようなとてつもない人災の発生によって
個人から社会レベルに至るまでが混乱し、振り回され、あるいは分断され、その傷跡が癒えないままの
年越しとなりました。
また、震災以後はtwitterやネット中継の威力が大いに発揮されたと同時に、様々な手段で飛び交う
ネット上の情報について、誰が真偽を保証し、その影響について責任を持つのかという問題についても、
大いに考えさせられたところです。

いまのネットは技術がすごいスピードで発達し、ユーザーが表現する幅も大いに広がっている一方で、
ネット上ではどうしても「反射的」な反応をしがちな分、どのユーザーも自らの立場を省みる余裕に
欠けているようにも思えます。
自由であること、人に先んじることばかりを優先するあまり、ネットで繋がった先の相手を見るゆとりが
なくなりつつあるのではないか・・・というのが、twitterを使い始めて2年目の素直な感触でもあります。

本当に成熟したネット社会というのは、誰でも発信者になれると同時に、誰もが言論に責任を持つことが
当たり前になることによって、初めて実現されるはず。
自戒の意味もこめて、来年はネットとの距離感を改めて検証すべき時期ではないか、とも感じています。

それでも、twitterでのつぶやきを通じて様々な方とつながり、いろいろな経験ができたのも事実。
このところ追いかけている『マイマイ新子と千年の魔法』について、今年は念願の防府訪問と野外上映を
体験することができ、さらにスタッフや地元の皆さんと交流を深めることができましたが、それもやはり
twitterからの情報によるところが大きかったです。







防府訪問の際には、震災後に読み直して力づけられた『この世界の片隅に』の作者であるこうの史代先生にも
お会いできたし、自分にとって一番のトピックは今年もやっぱり『マイマイ新子』関係でした。
さらに片渕監督との関連で『空とぶゆうれい船』をはじめて見られたのも、大きな収穫のひとつです。
マイマイは自分にとって出会いの作品であり、それはこれからも変わることがないんだろうと思います。

アニメのイベントは他にもいろいろ行ったけど、印象的だったのは攻殻SAC関係とUN-GOのイッキ見。
こんな時代にアニメとして何ができるか、ということを真剣に考えた作品は、見ていて力づけられます。
その意味では、1年を通して「過去からの罪と罰、そして解放」を問い続けた『輪るピングドラム』も
シュールな映像と相まって見応えのある作品でした。

SF関係では、なんといってもSFセミナーの内容が濃かったです。
上田早夕里先生や巽孝之先生から直接お話を伺えたのは、貴重な思い出となりました。
改めて『ダールグレン』邦訳刊行と『華竜の宮』日本SF大賞受賞を祝したいと思います。

このサインも、大切な宝物になりました。
あ、水鏡子先生と深夜の『大帝国』談義で盛り上がったのも、あの夜の忘れがたい記憶です(笑)。

美術もいろいろ見たけど、質・量ともに圧倒されたのは『酒井抱一と江戸琳派の全貌』。
磯江毅展や犬塚勉展など、リアリズム作品の秀逸な展覧会もありました。

社会も人心も不安定な時期こそ、美術によって心を落ち着けることも必要ではないかと思います。

そして美術に限らず、こんな時代こそ小説や映像によって語られる物語が必要とされ、
さらにその力が試されるときではないか、とも感じてます。
裏返して言えば、それらを受け止める我々の力も、また試されているのかもしれない。

2011年は現実に打ちのめされ、みんなが力をあわせることによって立ち直っていく過程の年でした。
2012年はその経験を糧にして、新たなステージに進む年にしたいものです。社会も、そして我々も。

それでは、今年一年お世話になりました。みなさまも良いお年をお迎えください。
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「フェルメールからのラブレター」東京展

2011年12月30日 | 美術鑑賞・展覧会
渋谷のBunkamuraザ・ミュージアムで開催中の「フェルメールからのラブレター展」を見てきました。

正直なところ、このタイトルはいささか狙いすぎじゃないの?という気持ちはありますが、
今回3点そろえたフェルメールがいずれも手紙にちなんだ作品であることを考えれば、
これもやむなしというところでしょうか。

さて、目玉のフェルメール作品は、会場の中盤に3点まとめて展示されていました。

まずはワシントン・ナショナル・ギャラリー所蔵の「手紙を書く女」。

今回の3作の中で私が一番好きなのは、実はこの作品だったりします。
フェルメールらしい柔らかいタッチで描かれたふんわりした画面と、同時代の作家に比べて抑え目の、
それでいて遥かに生き生きした表情には、この作家の卓越した表現力が素直に表れていると思います。
陰影のつけ方、着座姿を描いた安定感のある構図など、総合的なバランスにも優れています。

次に、アムステルダム国立美術館から初来日した「手紙を読む青衣の女」。

大規模修復後では初となる公開だそうで、フェルメールの代名詞でもある「青」が特徴的な作品でもあります。
現に会場でも、この作品の前で「フェルメール・ブルー」について語る方が何人もいましたし(笑)。

ただ、修復前と修復後の記録映像を見た感じでは、青の回復を重視した修復の結果、画面全体にかけて
青が強くなりすぎたのではないか?という気もしました。
特に女性の顔と腕部を見比べると、明らかに女性の腕のほうが青みが勝っています。
(単眼鏡で部分ごとに確認したので、周囲の色による視覚的影響ではないはず。)

青い衣装の色合いについては、いつもの濃い青ではなく白っぽい青で、しかも光の反射によって
色合いにムラが出ています。
そのムラの加減が、なんとなく我が国の「たらしこみ」的な印象を与え、油彩ではなく水彩のような
軽やかさも感じさせました。

ゴッホの見立てでは、横向きの女性は「妊婦」とのことですが、そう連想させるのは女性の体型だけでなく、
聖母マリアを示す青い衣、左から差し込む光、さらに左向きで書き物を読む構図が、ダ・ヴィンチの描いた
「受胎告知」と共通するためかもしれません。


同時代の作家に比べて表現や技法が大いに異なるフェルメールですが、そのスタイルにはダ・ヴィンチなどの
イタリア・ルネサンス絵画が直接に影響を与えているようにも感じられます。
初期にはまさにルネサンス的な宗教画を描いていたことも考えると、もしやフェルメールはルネサンス的画風を
風俗画の中に取り込み、日常的光景の中でその精神を実現しようとしたのではないか・・・とも思えるのですが。
さて、真相はいかに?

最後はアイルランド国立美術館から、2度目の来日となる「手紙を書く女と召使」。

びしっとピントの合った画面や強い光の調子には、どうしても前2作との違和感を感じてしまいます。
とはいえ、空気感が薄らいだ代わりに人物間の距離や奥行きが強く打ち出され、さらに召使の思わせぶりな表情が
はっきり見える(逆に女主人の顔はよく見えない)点については、作品に込められた風俗画としての寓意、または
秘められたストーリーが、よりわかりやすくなっているとも言えるでしょう。

また、この絵では窓がはっきり描かれているので、上の窓と下のステンドグラスで光の加減が違っていたり、
壁から床へと明るさが変化しているところも見どころだと思います。

そしてこの3作とも、極めてプライベートな場面を「覗き見」するような感じ。
同じ会場に展示されている他の作家が、主に旅館や酒場といった公の場、あるいは家庭内での
共有スペースとしての中庭や食堂を描いているのに対し、フェルメールの視線は明らかにその
「一線」を越えた先の空間へと入り込んでいます。
本業は旅館の主人だったというフェルメールだけに、もしや客の室内を覗く趣味でもあったのでは・・・
などと勘ぐりたくなるほど、人の無防備な姿を生々しく捉えており、それもまたフェルメール作品の
魅力ではないかと思うのです。

フェルメール以外のおすすめとしては、ワインと牡蠣に性的な含みを持たせたオホテルフェルトの
「牡蠣を食べる」、複雑な空間構成を得意とするデ・ホーホ「中庭にいる女と子供」など。
歴史的事件を17世紀の風俗画として描いたヤン・ステーンの「アントニウスとクレオパトラの宴」も、
この時代の流行を考える上で面白い作品だと思います。

私が見に行ったのは12月25日の午後でしたが、混雑していたとはいえ思ったほどではなく、
比較的余裕を持って鑑賞できました。
(あくまで「フェルメール展としては」ということで、普通に考えればやはり混んでます。)
会期は2012年3月14日(ホワイトデー狙いですな)までと長いですが、年明けから段々と
混雑してくるはずなので、早めに鑑賞するほうが良いでしょうね。
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