皇后様が、成婚50年の記者会見で、サムライジャパンについて言及しておられた。「なんとかでござるとお話になったり、よろいかぶとに身を固められている方はおられませんでしたが、やはりサムライのような美しさがございました。これが伝統というものなのかと思いました」と語っておられた。
日本には戦士文化の伝統がある。WBCの日本代表は、その伝統を受け継いだから世界一になれた。皇后様の論理を敷衍すればこうなるだろう。しかし、この論理では韓国野球の強さの秘密を説明できない。文治主義の伝統の根強い韓国には、戦士文化の伝統はないからだ。サムライに対応するかの国の支配階級といえばヤンバン(両班)である。「ヤンバンコリア」などいかにも弱そうだ。
ものすごく動きにくそうなユニフォームに身を包んだ「ヤンバンコリア」の先頭打者が、複雑なセレモニーを行った後にバッターボックスに立つ。そこに日本先発の松坂大輔が第一球を投じる。150キロ台の豪速球だ。荒々しいことに慣れていないヤンバンは気絶し、そのまま息絶えてしまう。ここでベンチから出てきたコリアの監督は重々しくマイクを通して場内に宣言する。「かかる剛球を投じる者は夷狄の類に相違ない。われらが関わるべき相手にはあらず」。この宣言の直後に、チームはソウルに帰ってしまった。絶命したトップバッターは、義士に列せられるだろう。
WBC日本代表チームがサムライの末裔であったという話も眉唾である。韓国に2度も負けながら誰も切腹をしていないからだ。韓国チームに攻略されたダルビッシュは何故腹を切らなかったのか。「韓国やキューバのユニフォームを着て」・「心が折れそうになった」イチローは、何度も何度も切腹をしていなければならないはずだ。もっとも激闘の果てに、彼は胃潰瘍になってしまった。ある意味「腹を切った」と言えるのかしれない。どうかお大事にまる
日本には戦士文化の伝統がある。WBCの日本代表は、その伝統を受け継いだから世界一になれた。皇后様の論理を敷衍すればこうなるだろう。しかし、この論理では韓国野球の強さの秘密を説明できない。文治主義の伝統の根強い韓国には、戦士文化の伝統はないからだ。サムライに対応するかの国の支配階級といえばヤンバン(両班)である。「ヤンバンコリア」などいかにも弱そうだ。
ものすごく動きにくそうなユニフォームに身を包んだ「ヤンバンコリア」の先頭打者が、複雑なセレモニーを行った後にバッターボックスに立つ。そこに日本先発の松坂大輔が第一球を投じる。150キロ台の豪速球だ。荒々しいことに慣れていないヤンバンは気絶し、そのまま息絶えてしまう。ここでベンチから出てきたコリアの監督は重々しくマイクを通して場内に宣言する。「かかる剛球を投じる者は夷狄の類に相違ない。われらが関わるべき相手にはあらず」。この宣言の直後に、チームはソウルに帰ってしまった。絶命したトップバッターは、義士に列せられるだろう。
WBC日本代表チームがサムライの末裔であったという話も眉唾である。韓国に2度も負けながら誰も切腹をしていないからだ。韓国チームに攻略されたダルビッシュは何故腹を切らなかったのか。「韓国やキューバのユニフォームを着て」・「心が折れそうになった」イチローは、何度も何度も切腹をしていなければならないはずだ。もっとも激闘の果てに、彼は胃潰瘍になってしまった。ある意味「腹を切った」と言えるのかしれない。どうかお大事にまる
あの利権集団の壬生の浪人どもも講談になれば美談にもなったりする。虚構だといってもそれぞれにメンタリティーや近親会いにもとづいたものだとおもうんですよね。日本の皇室も講談によってつくられた、つまり、明治維新という講談もどきで味付けされたクーデターのなかで芸能の王者としての地位を得た。だから皇后さまがもののふというのもうなづけるんですよね。歴史的にいうならば公家が武家を賛美するのはおかしいW あくまでも講談ですよ。
韓国は一見文民優位のようにもいわれていますが、実際はちがう。あくまでも儒教国家としての体面をととのえるためにそうしているけれど、花郎(ふぁらん)という英雄文化がしっかりとねづき、大昔からそうした文化が息づいていますしね。
多くの国民が天皇家に愛着をもっているし、それは数世紀のレベルで変化はないとおもうし。突然エリート層のものいいによって変更が加えられることはないとおもうんですよ。
それは彼らが日本の芸能であり、庶民の姿見鏡であるかぎりは庶民は彼らを肯定するし愛し続けるのじゃないでしょうかね。
雅子さんの病気にしたって、それは一般社会で問題になっている問題であり、特に彼らが皇室だからという要素は見当たらないでしょう。かえって彼らがそういう姿をみせることによって多くの人の励みにもなっている。
hikawaさま。これは面白いご指摘ですね。日本は建前の上では武断的男性的文化の国だけど、『源氏物語』のような女性的室内的文化が実は物凄く根を張っている。それは「おたく」文化にいきつくようなものです。逆に韓国は建前は文弱文化でその実庶民の中には武断的な英雄文化の太い流れがある。そうしたねじれが両国の文化のなかにはあり、それが今回の5度にわたる日韓対決にもあらわれていたと思います。日本の野球は極度に繊細で、その分力強さには欠けていた。韓国は少ないチャンスを長打力でものにしていました。プラグマティックで力強い、英雄文化の流れでしょうか。
「多くの国民が天皇家に愛着をもっているし、それは数世紀のレベルで変化はないとおもうし」
この問題深いと思うので少し考えさせてください。